火の見ヤグラーの聖地? [火の見櫓(大町市)]
北安曇郡大町市美麻、新行地区の火の見櫓。
全国的にも貴重な、数少なくなった木造の火の見櫓で、
その数およそ2300基とも推定されている信州の火の見櫓にあっても
独特の存在感をはなっている立派な櫓です。
テレビの人気アニメなどでは物語の舞台となった場所を
聖地巡礼と称して訪れる人があるとよく聞きます。
(この新行の近くにある木崎湖畔の海ノ口周辺も某アニメの聖地でしたね。)
火の見櫓にもヤグラーの聖地巡礼があるとすれば、
まさにこの新行の火の見櫓はその対象のひとつといっても過言ではないでしょう。
(と、勝手に結論付ける自称ヤグラ中毒患者が約一名www)
夕暮れ時で天気もいまひとつだったので、画像が暗いです。。。
この火の見櫓、じつは今年の春に移転したんですよね。
数ヶ月前にフェイスブックで仲間がこの火の見櫓の写真をアップしたところ
周辺風景がこれまでと違う様子に気づきまして。
もっと早く再訪したかったのですが、ようやく昨日行って来た次第。
これまでは村の中を南北に貫く県道の傍らに立っていました。
(2011年12月8日撮影)
(元あった場所から現在地方向を眺めてみる)
地区では老朽化のために新しく立て直そうということになり、
あれこれ動き出したところで難問が発生。
構造的に震度4、風速30メートルに耐えられる強度がないものは
県道沿いには立ててはダメ!って言われてしまったらしく。
でも、そこで「じゃあ仕方ない。もう解体しちゃおうか。」
とならなかったのがこの地区の皆さんの素晴らしいところ。
この火の見櫓、もとは大正15年に建設されたもので、
足元を固めている石柱にも「大正15年4月」の文字が刻まれています。
その前年の大正14年、新行地区では6軒の民家を焼く火災が発生し、
この火の見櫓は美麻史上に残る大火を受けて建てられた
防災記念碑としての意味合いが強かったのだそうです。
旧美麻村の村誌によればこの火の見櫓が立った大正15年に、
前年の大火を受けて、消防機械・建物・衣類などを準備して村へ寄付採納し、
公設消防組設置を申請し、議会採決を経て発足したとあります。
寄付物件にはこの“警鐘”“警鐘楼”も、含まれていたようです。
櫓を構成する木部材はすべて新しく作り直されましたが、
半鐘は当時のものをそのまま吊るしてあります。
現在では半鐘を普段から打ち鳴らすことはさすがにないそうですが、
それでも非常時には使用できるように簡易ですが梯子が取り付いていて、
とにかくそうした歴史のある地域防災の象徴をなくすわけには行かないと、
県道より少し奥まった現在地へと移転再建を果たしたのでしたが、
上述の強度問題の件もあって助成金の関係は交付されず、
費用は地区のほうで捻出することになったのだそうです。
現在、火の見櫓は蕎麦処新行の人気撮影スポットの水車小屋近くに立っています。
足元の石柱に新しいものが加わり、今年の移転記念の日付が刻まれていました。
3本の支柱のうちもともと1本が木製だったので、それを石に替えたのですね。
集落から離れて立っていたこれまでと違って民家に近くなったので
絵になる風景的な撮影方向は狭くなりましたが、贅沢は言えません。
とにかく、歴史ある火の見櫓は地区の皆さんの尽力で生き残ることが出来ました。
これからも火の見ヤグラーの聖地巡礼を静かに見守ってくださいませ。
(突然の押しかけ訪問で移転に関する話をお話し頂いた、区長さんに感謝します。)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
全国的にも貴重な、数少なくなった木造の火の見櫓で、
その数およそ2300基とも推定されている信州の火の見櫓にあっても
独特の存在感をはなっている立派な櫓です。
テレビの人気アニメなどでは物語の舞台となった場所を
聖地巡礼と称して訪れる人があるとよく聞きます。
(この新行の近くにある木崎湖畔の海ノ口周辺も某アニメの聖地でしたね。)
火の見櫓にもヤグラーの聖地巡礼があるとすれば、
まさにこの新行の火の見櫓はその対象のひとつといっても過言ではないでしょう。
(と、勝手に結論付ける自称ヤグラ中毒患者が約一名www)
夕暮れ時で天気もいまひとつだったので、画像が暗いです。。。
この火の見櫓、じつは今年の春に移転したんですよね。
数ヶ月前にフェイスブックで仲間がこの火の見櫓の写真をアップしたところ
周辺風景がこれまでと違う様子に気づきまして。
もっと早く再訪したかったのですが、ようやく昨日行って来た次第。
これまでは村の中を南北に貫く県道の傍らに立っていました。
(2011年12月8日撮影)
(元あった場所から現在地方向を眺めてみる)
地区では老朽化のために新しく立て直そうということになり、
あれこれ動き出したところで難問が発生。
構造的に震度4、風速30メートルに耐えられる強度がないものは
県道沿いには立ててはダメ!って言われてしまったらしく。
でも、そこで「じゃあ仕方ない。もう解体しちゃおうか。」
とならなかったのがこの地区の皆さんの素晴らしいところ。
この火の見櫓、もとは大正15年に建設されたもので、
足元を固めている石柱にも「大正15年4月」の文字が刻まれています。
その前年の大正14年、新行地区では6軒の民家を焼く火災が発生し、
この火の見櫓は美麻史上に残る大火を受けて建てられた
防災記念碑としての意味合いが強かったのだそうです。
旧美麻村の村誌によればこの火の見櫓が立った大正15年に、
前年の大火を受けて、消防機械・建物・衣類などを準備して村へ寄付採納し、
公設消防組設置を申請し、議会採決を経て発足したとあります。
寄付物件にはこの“警鐘”“警鐘楼”も、含まれていたようです。
櫓を構成する木部材はすべて新しく作り直されましたが、
半鐘は当時のものをそのまま吊るしてあります。
現在では半鐘を普段から打ち鳴らすことはさすがにないそうですが、
それでも非常時には使用できるように簡易ですが梯子が取り付いていて、
とにかくそうした歴史のある地域防災の象徴をなくすわけには行かないと、
県道より少し奥まった現在地へと移転再建を果たしたのでしたが、
上述の強度問題の件もあって助成金の関係は交付されず、
費用は地区のほうで捻出することになったのだそうです。
現在、火の見櫓は蕎麦処新行の人気撮影スポットの水車小屋近くに立っています。
足元の石柱に新しいものが加わり、今年の移転記念の日付が刻まれていました。
3本の支柱のうちもともと1本が木製だったので、それを石に替えたのですね。
集落から離れて立っていたこれまでと違って民家に近くなったので
絵になる風景的な撮影方向は狭くなりましたが、贅沢は言えません。
とにかく、歴史ある火の見櫓は地区の皆さんの尽力で生き残ることが出来ました。
これからも火の見ヤグラーの聖地巡礼を静かに見守ってくださいませ。
(突然の押しかけ訪問で移転に関する話をお話し頂いた、区長さんに感謝します。)
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ハイ、間違いなく聖地ですよね。
ヤグラーな私の原点です。
移設されたんですね。
撤去されなくてよかったです。
再訪したいです。
蕎麦の花がきれいですね。
by U1 (2012-09-07 06:33)
>U1さん
コメントありがとうございます&今日はありがとうございました。
この美麻の火の見櫓は場所が変わってもやはり存在感は抜群です。
地域とのつながりを感じさせる、まさに火の見櫓の王道ですね。
by のぶさん (2012-09-07 21:03)