寅吉の飛翔獅子とブロンズの狛犬 [狛犬・寺社(福島県)]
福島県西白河郡中島村川原田、川原田天満宮。
以前の名前は川田神社と呼ばれていたそうな。
ここにも小松寅吉の名作が神社の参道で睨みを利かせています。
存在感抜群ですね。
明治25年の制作。
あの鹿島神社の傑作が生まれるより前、
飛翔獅子がまさに世に対して飛翔する寸前の作品。
作者名が小松布孝となっているのですが、
寅吉は高原という苗字の家に次男として生まれ、
その後弟子入りした石工の小松家の養子となり、
布孝の名前をもらったとされています。
なので自身の作品に記銘する際には寅吉ではなく
小松布孝の名前を用いています。
ちなみに師匠である小松理兵衛は高遠石工ですが脱藩し、
遠く福島の地に住み着いた人。
高遠石工は藩の命令のような形で各地に出稼ぎに出て行きましたが、
なかには出稼ぎ先で脱藩してそのまま居ついてしまった人も
少なくなかったようですね。
高遠石工についてはまたおいおい記事にする機会もあることでしょう・・・たぶん。
参道、一の鳥居はまだ新しい。
他のネット情報では扁額に彫刻の入った洒落たものが写っているけれど、
やはり震災の影響での立て直しになったのか。
裏付け調査をする時間がなかったので、どなたか情報求む。
本殿は覆屋のなかに納まっており、
縁側にはブロンズの神殿狛犬が一対、鎮座しています。
(撮影日:2012年8月14日)
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以前の名前は川田神社と呼ばれていたそうな。
ここにも小松寅吉の名作が神社の参道で睨みを利かせています。
存在感抜群ですね。
明治25年の制作。
あの鹿島神社の傑作が生まれるより前、
飛翔獅子がまさに世に対して飛翔する寸前の作品。
作者名が小松布孝となっているのですが、
寅吉は高原という苗字の家に次男として生まれ、
その後弟子入りした石工の小松家の養子となり、
布孝の名前をもらったとされています。
なので自身の作品に記銘する際には寅吉ではなく
小松布孝の名前を用いています。
ちなみに師匠である小松理兵衛は高遠石工ですが脱藩し、
遠く福島の地に住み着いた人。
高遠石工は藩の命令のような形で各地に出稼ぎに出て行きましたが、
なかには出稼ぎ先で脱藩してそのまま居ついてしまった人も
少なくなかったようですね。
高遠石工についてはまたおいおい記事にする機会もあることでしょう・・・たぶん。
参道、一の鳥居はまだ新しい。
他のネット情報では扁額に彫刻の入った洒落たものが写っているけれど、
やはり震災の影響での立て直しになったのか。
裏付け調査をする時間がなかったので、どなたか情報求む。
本殿は覆屋のなかに納まっており、
縁側にはブロンズの神殿狛犬が一対、鎮座しています。
(撮影日:2012年8月14日)
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