SSブログ

ふたつの市町にまがたる信濃の国二ノ宮(其の一) [狛犬・寺社(塩尻市)]

長野県塩尻市、北小野の小野神社。
2012.09.15.ono1.JPG
三州街道(現国道153号)沿いに大きな鎮守の守を見せてくれています。
正月休みのあいだに初詣を兼ねて狛犬探訪に出かけましたが、
画像は昨年訪れた際のものを使用しています。

2012.09.15.ono3.JPG
2012.09.15.ono2.JPG
信濃の国の二ノ宮として、また上伊那54ヶ村の総鎮守として
古より厚く崇敬されてきましたが、ここを語るには隣接の矢彦神社と共に
小野エリアの歴史を顧みる必要があるでしょうね。

まず行政区分は、北小野が塩尻市、その南部の小野地区が辰野町。
両者を合わせて地元では「両小野」と呼んでいるそうです。
経緯は安土桃山の末期まで遡り、飯田領と松本領の領地境争いに端を発し、
豊臣秀吉が仲裁に入り、小野エリアの北側を松本領、南側を飯田領と定め、
のちに小野神社の社叢も北を小野神社、南を矢彦神社として分割されたらしく。
ただし行政上の境界は神社より数百m南方の河川沿いになっているため、
矢彦神社はその境内のみが辰野町飛び地というかたちで納まっています。
まるで昔の西ベルリンみたいですね。
下は参考地図です。(クリックで拡大)
onoyahiko.png


そしてユニークなのは学校の扱いで、公立の小中学校は
「辰野町塩尻市小学校組合立両小野小学校」として辰野町側に、
「辰野町塩尻市中学校組合立両小野中学校」として塩尻市側に、
それぞれ存在し、両小野地域の子供は行政区をまたいで通学しているそうです。
(平成23年度から両小野学園として小中一貫教育を採っているそうな。)(←同校HPより)

話を神社に戻します。

小野神社は信濃の国二ノ宮として発展してきました。
主祭神は建御名方命で、諏訪大社同様に御柱を立てています。
2012.09.15.ono21.JPG

社叢が広大で、矢彦神社側と合わせておよそ36000平方メートルあり、
針葉樹広葉樹、多種多様な植物の入り混じった混合林は
現代では長野県の天然記念物の指定を受けています。
2012.09.15.ono7.JPG

本殿はじめ幾つかのものが県宝指定。
2012.09.15.ono6.JPG
2012.09.15.ono5.JPG
2012.09.15.ono10.JPG
2012.09.15.ono8.JPG
2012.09.15.ono11.JPG
2012.09.15.ono9.JPG

立派な注連縄を飾った立派な拝殿。
2012.09.15.ono18.JPG
2012.09.15.ono19.JPG

本殿は少し写真が撮りづらい環境でした。
2012.09.15.ono20.JPG

さて、狛犬。
2012.09.15.ono12.JPG2012.09.15.ono13.JPG
けっこうユニークな表情をしています。
2012.09.15.ono14.JPG2012.09.15.ono15.JPG
尻尾の姿も阿吽で異なっていて。
2012.09.15.ono16.JPG2012.09.15.ono17.JPG
大正7年8月建立の記銘。
石工らしき人物名が彫られていますが、苗字が判読不明で
彫刻とか石工の文字が見当たらないので、記すのは控えます。

自分が訪れたときはひっそりと静まり返った境内でしたが、
御柱祭りの時などは大勢の人で賑わうのでしょうね。

矢彦神社については次のエントリーで。

(撮影日:2012年9月15日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。