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多くの御霊が祀られる神社の四対 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都千代田区九段北、靖国神社。
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明治2年(1869)に東京招魂社として創建され、
以来戊辰戦争の西軍戦没者から太平洋戦争戦没者まで
246万余柱が祀られています。

神社界にあっては歴史のとても新しい神社ではあるのですが、
いわゆる靖国問題という事情もあって、日本のみならず
世界的にも有名な神社として世に知られている、、、といった感じですね。

そして、靖国といえば大鳥居が有名。
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昭和47年建立。
柱間19.56m、高さ25m、笠木長さ34.13m
由緒書きによれば日本一の大きい鳥居だとのこと。
自分はてっきり平安神宮の大鳥居が一番かと思っていましたが、
調べてみると柱間高さ笠木のいづれもビミョーに靖国のほうが長いor高い。
平安神宮のほうが昭和4年建立ということからも、なんとなく
“これを上回る大きさで・・・”という裏シナリオの存在をつい勘繰ってしまいます。
大正10年に建立された先代の鳥居も当時日本一だったそうですが。。。
(10/14追記:新潟県の弥彦神社にある大鳥居が現在では日本一だそうです。)

九段下の駅から表参道に向かうとまず一般の参拝者としては
この巨大な一の鳥居がまず目に付いてしまうわけですが、
狛犬ファンにとってはそんなこと(?)よりも、やはりこの子たちに目が行きます。
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昭和41年(1966)11月3日建立。
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俗に言う、招魂社系の籠神社型として括られる狛犬一対。
靖国神社にいるのに招魂社系なんていうのも変な括りですが。

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この狛犬、制作の過程に紆余曲折があるようで、
狛犬研究家やファンが開設している幾つかのウェブサイトで
その件が取り上げられています。

本体ベースにある「昭和四十一年秋 八柳恭次 作」という名前と、
台座に彫られた「石工 小澤映二」の名前。

こういう場合、原型作者と彫り師という関係に落ち着くパターンが
ノーマルなわけですが、この一対についてはどうもそうではないらしい。
が、それをここで書き始めると長い話になるほど背景が面倒っぽいので、
気になる方は狛研の分家サイト「狛犬の杜別館」に詳細がありますから、
興味あるかたはそちらをどうぞ。
(リンク許可取ってないので、、、上記サイト内の
「狛犬アラカルト」のページからリンクを辿ってみてください。。。)

続きます。
この籠神社型の狛犬のすぐ背後に次の一対。
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これまた典型的な中国獅子。

大清光緒2年=明治9年(1876)。
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まぎれもなく中国で制作された獅子像。
上記の制作年で判る通り、これはもともと清国の狛犬で
海城三覚寺という寺に鎮座していたものだそうですが、
日清戦争後、明治の重鎮である山県有朋が命じて
その寺より(スマートにいえば)譲り受けて日本に移送し、明治天皇に献上。
天皇はこれを靖国神社に下賜されたという経緯によってここに鎮座したそうです。
(「靖国神社百年誌資料編」に拠る)

譲り受けたというのがどの程度のレベルだったのかは判りかねますが、
戦争当事国同士、終戦直後のまだ緊張が解けていない時期、
友好的な親善大使の様相で贈られたものとは考え難く、
やはりこれはある種の戦利品の性格が強かったと考えるのが
妥当ではなかろうかとも思いますが、それ以上はノーコメント。。。

長い、そして広い参道を歩く途中に立つ塔。
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てっぺんに立つのは、大村益次郎の銅像。
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明治26年(1893)建立で、日本初の西洋式銅像なんだそうな。
大村益次郎は明治維新の十傑で、靖国神社(当時の招魂社)創建に尽力し
社地決定に奔走した貢献者ということが銅像建立の理由のようですが、
今までぜんぜん知りませんでした。

そしてこの大村像の脇にある鳥居の足元にも一対の狛犬。
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昭和8年(1933)建立。

かの片倉財閥の一族によって奉献されたとのこと。
背後の鳥居も同時期に片倉財閥がスポンサーになって建てられたらしいです。

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招魂社系のひとつのパターンである弥彦神社型に類するタイプで、
その弥彦神社狛犬のデザインを担当したのは建築家、伊東忠太。
この靖国の狛犬と鳥居の建立では伊東忠太が監督を務めたそうなので、
伊東デザインによる狛犬と考えるのが自然であろうと思いますが、
この狛犬にも制作過程に伝説的要素がどうやら混じっているらしく、
某書によればユニークな説も示されているそうです。
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さてさて、長い参道を先へ進むとようやく神門にたどり着き、
そこをくぐるとようやく拝殿が目の前に見えてきました。
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この日はずっと雨降りの取材だったので、あまりじっくり撮影できず。
大陸系の旅行者の団体さんが賑やかに参拝、、、ではなく見物していました。
なにかと話題の神社ですから、せっかく東京まで来たなら見学を、
ということなのでしょうかね。

そして、狛犬、最後の一対。
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昭和38年(1963)1月建立。
井関農機の奉献だそうです。
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ブロンズ製で、これまた招魂社系の類型のひとつである
大宝神社型のデザインベースですね。
吽形に角があるのが忠実です。

これで東大寺型の狛犬が居れば招魂社系そろい踏みとなりますが、
弥彦神社型もどちらかというと東大寺型に近いものがあるので、
靖国神社にはひと通り勢ぞろいしていると言っても差し支えないでしょう。

それにしても、靖国神社はいろいろ物議をかもしている神社ではありますが、
そこに鎮座する狛犬さんたちも、いろいろクセ者揃いといった感じで、
ある意味狛犬研究をする者として突っ込み甲斐のある子たちともいえるでしょうね。
2013.06.16.yasukuni21.JPG

靖国神社公式HP

(撮影日:2013年6月16日)


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