狛犬のテーマパーク(?)、赤坂の氷川神社 [狛犬・寺社(東京都)]
東京都港区赤坂、氷川神社。
国会議事堂から1キロちょっと。
中央省庁の並ぶ霞ヶ関からもさほど離れておらず、
周囲は大企業の入る高層ビルが林立し、道路向かいはUSA大使館職員宿舎。
さらに歴史を振り返れば氷川神社は三次藩浅野家の屋敷があったところ。
かの有名な播州赤穂藩主、浅野内匠頭の正室である阿久里(後の瑤泉院)の
生誕した場所であり、「忠臣蔵」の世界では実家に戻っていた瑤泉院を
大石内蔵助が討ち入り直前に訪ねたという物語の誕生した場所としても有名。
いわゆる「南部坂雪の別れ」の名シーンが創作された舞台というわけですね。
もっとも、この部分は史実の討ち入り事件では存在しないお話のようですが。
大名屋敷だった同地に氷川神社が引っ越してきたのは
八大将軍吉宗の命によるもの。
以来、江戸七氷川の一社として、緑豊かな境内によって
大都会の喧騒とは無縁なオアシス的存在して鎮まっています。
表参道は社殿からまっすぐ南東方向にのびていますが、
狛犬が数多く見られるのは氷川坂側にある脇参道なので、
まずはそちらから。
参道中ほどに立つ鳥居をくぐる前に、まず一対目。
鈴しょうわ≒岡崎古代型。
昭和12年(1937)9月建立。
原型:植田淡柳、石匠:長田弘。
阿吽が左右逆に座っています。
そして向かって右になる吽形の顔に傍らの木の幹がゴツンと。
これ、以前の写真を見ると頭上をかすめて後方へと伸びていたようです。
それがいつの間にか頭のてっぺんに乗っかってしまい、
やむなく頭頂部で切り取ってしまったようなのですが。。。
頭より手前で切らずにぶつかったままの状態を留めたのには
なにか理由があるのでしょうか?
・・・ウケ狙い?
参道を進むと、階段手前に次の一対。
大正4年(1915)11月建立。御大典記念。
彫刻、須藤音吉。
さほど古い年代ではなく彫りもそんなに深くはないですが、
江戸狛犬の特徴がよく出ています。
この子たちの右傍らに立つ、四合稲荷神社。
狐たちは大正5年(1916)9月建立。
由緒によれば、近隣に祀られていた四つの稲荷社を明治31年に遷座合祀し、
当時赤坂在住だった勝海舟が四合(しあわせ)神社と名付けたらしいです。
この御稲荷さんに隣接して、またべつのお稲荷さん。
西行稲荷。
訪問取材日が雨だったせいもありますが、
奥まったこの場所はなんとなくジメッとして薄暗くて。
社の下部にある洞穴の手前には布袋さまの石像。
そして社まで上る参道の途中、両脇に風化してしまった狛犬が一対いました。
ほぼ原型を留めていませんが、それでも狛犬だったことは理解できる姿です。
建立年は不明。
石段を上りきると、左右に立派な獅子山があります。
明治15年(1882)6月15日建立。
石彫工:木村藤兵衛(?)。
獅子山のお手本のような、見事な出来です。
山そのものにボリュームがあり、阿吽ともに躍動感があります。
子獅子は吽形に一頭、阿形に二頭。
子獅子は目立たないので、それとして観察しないと見過ごしてしまいそうです。
表参道と合流してすぐに一対の江戸狛犬。
弘化3年(1846)丙午歳3月吉日建立。
江戸狛犬の代表格といっていいと思います。
子獅子は阿吽ともに両方いますね。
裏書きには年代と並んで人の名前が彫られてあるのですが、
阿形:安兵衛、吽形:勘兵衛のそれぞれの肩書きとして“大工”と
彫られています。
大工が材木用の鑿から石用のものに持ち替えて制作したのか、
だとすれば本職でないにもかかわらず相当な技量だといえるのですが、
実際はどうなんでしょうね?
それぞれ兄大工、弟大工とあるので、奉献した人物ではないのか
とも思うのですが。。。
そしてこれだけ立派な狛犬なのに残念なのは、阿形の前に立てられた案内看板。
この写真だとちょっとわかりづらいのですが、参道右側面に立つ看板、
そのすぐ背後にいるのが阿形なんですが。
まあ、由緒ある神社の素晴らしい石造彫刻品であってもこんなもんです。
狛犬の置かれた現代事情がよく分かりますね。
拝殿へと向かう途中、楼門の手前に一対。
延宝3年(1675)6月吉日建立。
現時点では東京都内で2番目に古い石造参道狛犬になるそうです。
(最も古いのは目黒不動尊の狛犬。後日別途記事をエントリーします。)
はじめちゃんの類型ですが、はじめのなかでは比較的大きめ。
シンプルで小型ながらも力強さが感じられる、いい彫りだと思います。
頭頂部が窪んでいますが、江戸初期~中期にかけての作品では
しばし見られるデザインですね。
明かりを点すための燭台代わりにして使っていたのだとか、
角や宝珠を後付けしやすいようにしつらえてあるのだとか、
いろいろ説が出されていますが、自分は灯明説支持派です。
それにしても、憎めないひょうきんな表情をしていますね。
狛犬は他に境内社の稲荷神社前にも一対。
文政8年(1825)6月建立。
縦置きで据えられていますが、阿吽が左右逆。
頭の振り方などからして、かつて横置きだったものを縦置きにした際に
左右反転させたのであろうことが容易に分かります。
よくあるパターンですね。
本殿を取り囲む玉垣の中に前掛けをした一対の狐さんたちもいました。
狛犬研究家には有名な赤坂の氷川神社。
いつか訪ねてみたいと思っていましたが、ようやく実現しました。
ちょうど自分の訪問時と前後する形で、同社の狛犬たちが
TV番組にて紹介されていました。
(BS日テレ『中川翔子のマニア☆まにある』。
ゲストに版画家で狛犬研究を趣味とする小松美羽さんを迎えて放送。)
番組でもバリエーションに富んだ狛犬たちの魅力が紹介されていましたが、
狛犬のテーマパークといっても差し支えない(かな?)ほどのここ氷川神社。
狛犬愛好家もしくは研究家もしくはマニアにとって、
まちがいなく聖地のひとつですかね。
氷川神社(赤坂)HP
(撮影日:2013年6月16日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
国会議事堂から1キロちょっと。
中央省庁の並ぶ霞ヶ関からもさほど離れておらず、
周囲は大企業の入る高層ビルが林立し、道路向かいはUSA大使館職員宿舎。
さらに歴史を振り返れば氷川神社は三次藩浅野家の屋敷があったところ。
かの有名な播州赤穂藩主、浅野内匠頭の正室である阿久里(後の瑤泉院)の
生誕した場所であり、「忠臣蔵」の世界では実家に戻っていた瑤泉院を
大石内蔵助が討ち入り直前に訪ねたという物語の誕生した場所としても有名。
いわゆる「南部坂雪の別れ」の名シーンが創作された舞台というわけですね。
もっとも、この部分は史実の討ち入り事件では存在しないお話のようですが。
大名屋敷だった同地に氷川神社が引っ越してきたのは
八大将軍吉宗の命によるもの。
以来、江戸七氷川の一社として、緑豊かな境内によって
大都会の喧騒とは無縁なオアシス的存在して鎮まっています。
表参道は社殿からまっすぐ南東方向にのびていますが、
狛犬が数多く見られるのは氷川坂側にある脇参道なので、
まずはそちらから。
参道中ほどに立つ鳥居をくぐる前に、まず一対目。
鈴しょうわ≒岡崎古代型。
昭和12年(1937)9月建立。
原型:植田淡柳、石匠:長田弘。
阿吽が左右逆に座っています。
そして向かって右になる吽形の顔に傍らの木の幹がゴツンと。
これ、以前の写真を見ると頭上をかすめて後方へと伸びていたようです。
それがいつの間にか頭のてっぺんに乗っかってしまい、
やむなく頭頂部で切り取ってしまったようなのですが。。。
頭より手前で切らずにぶつかったままの状態を留めたのには
なにか理由があるのでしょうか?
・・・ウケ狙い?
参道を進むと、階段手前に次の一対。
大正4年(1915)11月建立。御大典記念。
彫刻、須藤音吉。
さほど古い年代ではなく彫りもそんなに深くはないですが、
江戸狛犬の特徴がよく出ています。
この子たちの右傍らに立つ、四合稲荷神社。
狐たちは大正5年(1916)9月建立。
由緒によれば、近隣に祀られていた四つの稲荷社を明治31年に遷座合祀し、
当時赤坂在住だった勝海舟が四合(しあわせ)神社と名付けたらしいです。
この御稲荷さんに隣接して、またべつのお稲荷さん。
西行稲荷。
訪問取材日が雨だったせいもありますが、
奥まったこの場所はなんとなくジメッとして薄暗くて。
社の下部にある洞穴の手前には布袋さまの石像。
そして社まで上る参道の途中、両脇に風化してしまった狛犬が一対いました。
ほぼ原型を留めていませんが、それでも狛犬だったことは理解できる姿です。
建立年は不明。
石段を上りきると、左右に立派な獅子山があります。
明治15年(1882)6月15日建立。
石彫工:木村藤兵衛(?)。
獅子山のお手本のような、見事な出来です。
山そのものにボリュームがあり、阿吽ともに躍動感があります。
子獅子は吽形に一頭、阿形に二頭。
子獅子は目立たないので、それとして観察しないと見過ごしてしまいそうです。
表参道と合流してすぐに一対の江戸狛犬。
弘化3年(1846)丙午歳3月吉日建立。
江戸狛犬の代表格といっていいと思います。
子獅子は阿吽ともに両方いますね。
裏書きには年代と並んで人の名前が彫られてあるのですが、
阿形:安兵衛、吽形:勘兵衛のそれぞれの肩書きとして“大工”と
彫られています。
大工が材木用の鑿から石用のものに持ち替えて制作したのか、
だとすれば本職でないにもかかわらず相当な技量だといえるのですが、
実際はどうなんでしょうね?
それぞれ兄大工、弟大工とあるので、奉献した人物ではないのか
とも思うのですが。。。
そしてこれだけ立派な狛犬なのに残念なのは、阿形の前に立てられた案内看板。
この写真だとちょっとわかりづらいのですが、参道右側面に立つ看板、
そのすぐ背後にいるのが阿形なんですが。
まあ、由緒ある神社の素晴らしい石造彫刻品であってもこんなもんです。
狛犬の置かれた現代事情がよく分かりますね。
拝殿へと向かう途中、楼門の手前に一対。
延宝3年(1675)6月吉日建立。
現時点では東京都内で2番目に古い石造参道狛犬になるそうです。
(最も古いのは目黒不動尊の狛犬。後日別途記事をエントリーします。)
はじめちゃんの類型ですが、はじめのなかでは比較的大きめ。
シンプルで小型ながらも力強さが感じられる、いい彫りだと思います。
頭頂部が窪んでいますが、江戸初期~中期にかけての作品では
しばし見られるデザインですね。
明かりを点すための燭台代わりにして使っていたのだとか、
角や宝珠を後付けしやすいようにしつらえてあるのだとか、
いろいろ説が出されていますが、自分は灯明説支持派です。
それにしても、憎めないひょうきんな表情をしていますね。
狛犬は他に境内社の稲荷神社前にも一対。
文政8年(1825)6月建立。
縦置きで据えられていますが、阿吽が左右逆。
頭の振り方などからして、かつて横置きだったものを縦置きにした際に
左右反転させたのであろうことが容易に分かります。
よくあるパターンですね。
本殿を取り囲む玉垣の中に前掛けをした一対の狐さんたちもいました。
狛犬研究家には有名な赤坂の氷川神社。
いつか訪ねてみたいと思っていましたが、ようやく実現しました。
ちょうど自分の訪問時と前後する形で、同社の狛犬たちが
TV番組にて紹介されていました。
(BS日テレ『中川翔子のマニア☆まにある』。
ゲストに版画家で狛犬研究を趣味とする小松美羽さんを迎えて放送。)
番組でもバリエーションに富んだ狛犬たちの魅力が紹介されていましたが、
狛犬のテーマパークといっても差し支えない(かな?)ほどのここ氷川神社。
狛犬愛好家もしくは研究家もしくはマニアにとって、
まちがいなく聖地のひとつですかね。
氷川神社(赤坂)HP
(撮影日:2013年6月16日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
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