角のない鬼神社 [狛犬・寺社(青森県)]
弘前市鬼沢、鬼神社。
鬼、と書いていますが、現地では厳密には
「鬼」の字のあたまの『´(テン)』がついていない漢字が使われています。
由緒沿革:
延暦年中 坂上田村麿東夷征討の勅命を奉じ東国に下った時 岩木山頂上奥宮鎮座
顕国魂の女高照比売命の霊験を蒙るに因り 岩木山麓に社宇を再建したという
其後 大山祇命を配祀すと伝う 明治十四年 郷社に列せられた』
(境内の由緒書きより抜粋)
地元に伝わる話として「おにがみさま」の伝説が残っているそうです。
「おにがみさま」はこの鬼神社の通称でもあるようで、
昔々、日照り=水不足で苦しんでいるとき、岩木山の鬼が同地にやってきて
一夜で水路を作り、水を引いてきて村人を助けたという伝説が残されており、
以来、村人は鬼に対する感謝の念を持ってこの鬼を祀り、地名も鬼沢に改めたということです。
扁額の文字の「鬼」に角がないのは、
そうした村人の鬼に対する崇敬の念が込められているということなのかもしれませんね。
坂上田村麻呂が地方の神社の創建に絡んでいる場合、
往々にしてその由緒と異なる説話が同神社や地方に存在することがあります。
中央政権の征服者と在地の被征服者では物事の見解が異なるのは不自然ではなく、
地方にとっての善人が征服者にとっては悪に仕立て上げられるなどよくある話です。
鬼神社の場合がそうであるかどうかは分かりませんが、
地元の人がおにがみさまへの信仰心を繋ぎ続けてきたことは少なくとも
田村麻呂の創伝とは大きく異なり、はたして古代この地に何が起こったのか、
空想を掻きたてられる由緒ではありますね。
さてさて、それでは境内へ足を踏み入れたいと思います。
先ほどの扁額のついた鳥居が一の鳥居。
二の鳥居。
三の鳥居。
この神社の参道は本殿がすぐ脇に見える場所から始まり、
いったん本殿とは反対側の境内の端まで行き、ぐるっとUターンする格好で
改めて本殿を目指すという、ユニークな参道になっています。
その途中に鎮座するのは春日神社。
そして池の中に浮かぶ弁天社。
四の鳥居が見えるところから狛犬の世界が待っています(^^)
一対目。
明治12年(1879)5月29日建立。
なんとなく、津軽入りしてからよく見かける顔つきの子。
二対目。
昭和2年(1927)5月建立。
さて、この狛犬の様子に注目。
阿形が子取り、吽形が玉取りなのですが、玉の持ち方に注目。
普通、玉取りといえば玉の上に手のひらを乗せるわけですが、
こちらの狛犬はどうみても手の甲に乗せてます。
狛犬研究家の鐸木能光氏がこの狛犬を著書で採り上げており、
玉については宝珠としていますが、
阿形が母子狛犬で、吽形のオヤジ狛犬の芸当を見てビックリしている様子で
ひょうきんな一家だと評しています。
なるほど、たしかに宴会帰りで酔っ払ったまま家に帰り、
宴会で披露してウケた一発芸を嫁と子供前でも披露して
ふたりに顰蹙を買っている、、、とまあ、そんな想像が膨らみますね(^^)
参道突き当たりは当然ながら拝殿、そして流造の本殿。
拝殿の扁額には一の鳥居に掲げられていたのと同様、
角のない鬼の字を使われています。
そしてその拝殿前には三対目。
昭和6年(1931)旧5月27日建立。
津軽の構え型でもかなり大型の部類に入ると思います。
少なくとも自分がこの取材ツアーで出会ったなかでは最大クラスでした。
尾のデザインがいいですね。
で、じつはこの神社にはもうひとつ特徴というか、オリジナルな子がいるんですが、、、
いや、この子はフツーに御神馬さまですが。。。
こちらです。
この角度からではなにか分からないですかね?
角度を変えて・・・
正面から・・・
正解は、サカナ。
世間でよく使われる狛魚なんていう表現はあまり好きではないのですが、
たしかに一対で参道の両脇にいます。
阿吽ではないですけどね。
昭和53年旧5月29日
藤田重次郎八十才建立、とあります。
なにかこの神社にお魚さんの所縁でもあったのでしょうか?
同神社に行く前にネットで調べた限りではこれといった情報はなく、
現地で地元住民に取材しようと思いましたが、神社周辺は人影もなく、
理由不明なままやむなく撤退と相成りました。
また再訪する機会が訪れるかな?
神使といわれる動物たちとは異なる生き物と出会うと、
探究心をそそられます。
もっとも真実は意外とあっさりしたものだったりするものなんですけどね。
(撮影日:2013年8月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
鬼、と書いていますが、現地では厳密には
「鬼」の字のあたまの『´(テン)』がついていない漢字が使われています。
由緒沿革:
延暦年中 坂上田村麿東夷征討の勅命を奉じ東国に下った時 岩木山頂上奥宮鎮座
顕国魂の女高照比売命の霊験を蒙るに因り 岩木山麓に社宇を再建したという
其後 大山祇命を配祀すと伝う 明治十四年 郷社に列せられた』
(境内の由緒書きより抜粋)
地元に伝わる話として「おにがみさま」の伝説が残っているそうです。
「おにがみさま」はこの鬼神社の通称でもあるようで、
昔々、日照り=水不足で苦しんでいるとき、岩木山の鬼が同地にやってきて
一夜で水路を作り、水を引いてきて村人を助けたという伝説が残されており、
以来、村人は鬼に対する感謝の念を持ってこの鬼を祀り、地名も鬼沢に改めたということです。
扁額の文字の「鬼」に角がないのは、
そうした村人の鬼に対する崇敬の念が込められているということなのかもしれませんね。
坂上田村麻呂が地方の神社の創建に絡んでいる場合、
往々にしてその由緒と異なる説話が同神社や地方に存在することがあります。
中央政権の征服者と在地の被征服者では物事の見解が異なるのは不自然ではなく、
地方にとっての善人が征服者にとっては悪に仕立て上げられるなどよくある話です。
鬼神社の場合がそうであるかどうかは分かりませんが、
地元の人がおにがみさまへの信仰心を繋ぎ続けてきたことは少なくとも
田村麻呂の創伝とは大きく異なり、はたして古代この地に何が起こったのか、
空想を掻きたてられる由緒ではありますね。
さてさて、それでは境内へ足を踏み入れたいと思います。
先ほどの扁額のついた鳥居が一の鳥居。
二の鳥居。
三の鳥居。
この神社の参道は本殿がすぐ脇に見える場所から始まり、
いったん本殿とは反対側の境内の端まで行き、ぐるっとUターンする格好で
改めて本殿を目指すという、ユニークな参道になっています。
その途中に鎮座するのは春日神社。
そして池の中に浮かぶ弁天社。
四の鳥居が見えるところから狛犬の世界が待っています(^^)
一対目。
明治12年(1879)5月29日建立。
なんとなく、津軽入りしてからよく見かける顔つきの子。
二対目。
昭和2年(1927)5月建立。
さて、この狛犬の様子に注目。
阿形が子取り、吽形が玉取りなのですが、玉の持ち方に注目。
普通、玉取りといえば玉の上に手のひらを乗せるわけですが、
こちらの狛犬はどうみても手の甲に乗せてます。
狛犬研究家の鐸木能光氏がこの狛犬を著書で採り上げており、
玉については宝珠としていますが、
阿形が母子狛犬で、吽形のオヤジ狛犬の芸当を見てビックリしている様子で
ひょうきんな一家だと評しています。
なるほど、たしかに宴会帰りで酔っ払ったまま家に帰り、
宴会で披露してウケた一発芸を嫁と子供前でも披露して
ふたりに顰蹙を買っている、、、とまあ、そんな想像が膨らみますね(^^)
参道突き当たりは当然ながら拝殿、そして流造の本殿。
拝殿の扁額には一の鳥居に掲げられていたのと同様、
角のない鬼の字を使われています。
そしてその拝殿前には三対目。
昭和6年(1931)旧5月27日建立。
津軽の構え型でもかなり大型の部類に入ると思います。
少なくとも自分がこの取材ツアーで出会ったなかでは最大クラスでした。
尾のデザインがいいですね。
で、じつはこの神社にはもうひとつ特徴というか、オリジナルな子がいるんですが、、、
いや、この子はフツーに御神馬さまですが。。。
こちらです。
この角度からではなにか分からないですかね?
角度を変えて・・・
正面から・・・
正解は、サカナ。
世間でよく使われる狛魚なんていう表現はあまり好きではないのですが、
たしかに一対で参道の両脇にいます。
阿吽ではないですけどね。
昭和53年旧5月29日
藤田重次郎八十才建立、とあります。
なにかこの神社にお魚さんの所縁でもあったのでしょうか?
同神社に行く前にネットで調べた限りではこれといった情報はなく、
現地で地元住民に取材しようと思いましたが、神社周辺は人影もなく、
理由不明なままやむなく撤退と相成りました。
また再訪する機会が訪れるかな?
神使といわれる動物たちとは異なる生き物と出会うと、
探究心をそそられます。
もっとも真実は意外とあっさりしたものだったりするものなんですけどね。
(撮影日:2013年8月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
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