玉乗せ曲芸狛犬のオリジナルか!? [狛犬・寺社(青森県)]
青森県西津軽郡鯵ヶ沢町本町、白八幡宮。
由緒・・・
『平城天皇の時代、 大同2年(807)に坂上田村麿公が東夷征討の勅命によって鯵屋之澤に来られた時に、
蝦夷退転降伏祈願所として祠を創立し、 大刀一口と白旗八旗を納めて白旗宮としたとされる。
康元元年(1256)に最明寺時頼公が諸国行脚の折に再建したと伝えられる。
慶長8年(1603)に津軽為信公が武運長久国家安泰祈願所として社殿を造築し鯵ケ沢総鎮守と定めた。
寛永7年(1630)の津軽信牧公の参拝、 太刀一口の寄進に続き、
寛文6年(1666)には津軽信政公により本殿・拝殿・籠舎・鳥居をはじめ調度品四十三点を寄進された。
延宝5年(1677)より神輿渡御による大祭執行 (隔年ごと) を仰せ付けられ、 今日の大祭に続くことになる。
天和3年(1683)より年中祈祷の仰付があり、 特に御廻船海上安全御祈祷湯立神楽など
五件の神事が執行された。 浪岡八幡宮・弘前八幡宮とともに津軽三八幡と称され、
為信公以後の諸藩主による参拝と寄進は大正十一年の義孝公まで続いた。』
(青森県神社庁HPより)
読んでいると目がチカチカしますが、非常に由緒ある神社であることが分かります(^^;
ご祭神:
誉田別尊
白鳥大明神
素盞鳴命
事代主命
菅原道真命
ちょうど訪問した日は神社のお祭り日だったようで、各所で山車が引き回されたりしていました。
じつは津軽入りするまでぜんぜん分かってなかったのですが、
この白八幡宮大祭は4年に一度行われるお祭りという、オリンピックのような祭典らしく、
もうちょっと事前に情報を仕込んでから行けばよかったかなという気もしましたが、
他にも廻りたい神社がたくさんあったので、狛犬にしっかり出会えただけで今回はよしとします。
白八幡宮大祭について(鯵ヶ沢町役場HP内の紹介ページに直リン)
神社境内は港がすぐ間近にひかえる海の傍にありますが、
社殿は小高い山の中腹に建っていました。
拝殿と本殿。
玉垣は文化13年(1816)3月吉日の建立。
玉垣が町指定文化財となっているのですが貴重ですね。
そして狛犬は神殿前、屋外の環境に座っています。
文化14丑年(1817)3月建立。
出雲の来待石であろうと思われます。
かなり風化が進行していますが、ほぼ200年前に建立された点を考慮すれば
それでもまだこの状態が保たれているのはマシなほうではないでしょうか。
出雲で制作されて北前船など海路で運ばれてきたものと推測できるところですが、
出雲で子取り玉取りなのは珍しいのではないかと思います。
しかもこのデザインは前エントリーの鬼神社で見た手の甲に玉を乗せた狛犬のそれです。
阿吽と子玉の配置は鬼神社とは反対に扱われていますが、パターンがそっくり。
両者の制作年は大きく隔たりがあるので同一作者ではないですが、
もしかするとこちらの狛犬をオリジナルとして鬼神社でも制作されたのかもしれませんね。
津軽取材では弘前を中心に内陸部ばかり巡っていて、
日本海の見える海沿いの町はこの鯵ヶ沢町が唯一でした。
天気が良い日の訪問がなによりでしたが、
海の幸をゆっくり頂く時間的余裕がなかったことが、今になっても後悔されます(^^;
(撮影日:2013年8月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
由緒・・・
『平城天皇の時代、 大同2年(807)に坂上田村麿公が東夷征討の勅命によって鯵屋之澤に来られた時に、
蝦夷退転降伏祈願所として祠を創立し、 大刀一口と白旗八旗を納めて白旗宮としたとされる。
康元元年(1256)に最明寺時頼公が諸国行脚の折に再建したと伝えられる。
慶長8年(1603)に津軽為信公が武運長久国家安泰祈願所として社殿を造築し鯵ケ沢総鎮守と定めた。
寛永7年(1630)の津軽信牧公の参拝、 太刀一口の寄進に続き、
寛文6年(1666)には津軽信政公により本殿・拝殿・籠舎・鳥居をはじめ調度品四十三点を寄進された。
延宝5年(1677)より神輿渡御による大祭執行 (隔年ごと) を仰せ付けられ、 今日の大祭に続くことになる。
天和3年(1683)より年中祈祷の仰付があり、 特に御廻船海上安全御祈祷湯立神楽など
五件の神事が執行された。 浪岡八幡宮・弘前八幡宮とともに津軽三八幡と称され、
為信公以後の諸藩主による参拝と寄進は大正十一年の義孝公まで続いた。』
(青森県神社庁HPより)
読んでいると目がチカチカしますが、非常に由緒ある神社であることが分かります(^^;
ご祭神:
誉田別尊
白鳥大明神
素盞鳴命
事代主命
菅原道真命
ちょうど訪問した日は神社のお祭り日だったようで、各所で山車が引き回されたりしていました。
じつは津軽入りするまでぜんぜん分かってなかったのですが、
この白八幡宮大祭は4年に一度行われるお祭りという、オリンピックのような祭典らしく、
もうちょっと事前に情報を仕込んでから行けばよかったかなという気もしましたが、
他にも廻りたい神社がたくさんあったので、狛犬にしっかり出会えただけで今回はよしとします。
白八幡宮大祭について(鯵ヶ沢町役場HP内の紹介ページに直リン)
神社境内は港がすぐ間近にひかえる海の傍にありますが、
社殿は小高い山の中腹に建っていました。
拝殿と本殿。
玉垣は文化13年(1816)3月吉日の建立。
玉垣が町指定文化財となっているのですが貴重ですね。
そして狛犬は神殿前、屋外の環境に座っています。
文化14丑年(1817)3月建立。
出雲の来待石であろうと思われます。
かなり風化が進行していますが、ほぼ200年前に建立された点を考慮すれば
それでもまだこの状態が保たれているのはマシなほうではないでしょうか。
出雲で制作されて北前船など海路で運ばれてきたものと推測できるところですが、
出雲で子取り玉取りなのは珍しいのではないかと思います。
しかもこのデザインは前エントリーの鬼神社で見た手の甲に玉を乗せた狛犬のそれです。
阿吽と子玉の配置は鬼神社とは反対に扱われていますが、パターンがそっくり。
両者の制作年は大きく隔たりがあるので同一作者ではないですが、
もしかするとこちらの狛犬をオリジナルとして鬼神社でも制作されたのかもしれませんね。
津軽取材では弘前を中心に内陸部ばかり巡っていて、
日本海の見える海沿いの町はこの鯵ヶ沢町が唯一でした。
天気が良い日の訪問がなによりでしたが、
海の幸をゆっくり頂く時間的余裕がなかったことが、今になっても後悔されます(^^;
(撮影日:2013年8月15日)
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