霊峰岩木山を守護する玉垣狛犬 [狛犬・寺社(青森県)]
長らく連載してきた北東北2013夏の取材ツアーレポート。
いよいよ、というか、やっとこさ最終回となりました(^^;
数ヶ月間にも及んだレポートアップから、ようやく開放されますwww
その大トリを飾るのは、岩木山の南東山麓に鎮座する岩木山神社です。
津軽国一宮で岩木山頂に奥宮を持ち、古くより農漁業の守護神として
地域の人々に崇敬されてきました。
ご祭神:
顕国魂神
多都比姫神
宇賀能賣神
大山祇神
坂上刈田麿命
由緒:
『昔から 「お岩木さま」 「お山」 と親しんで呼ばれ、 陸奥津軽の開拓の神、 農海産物の守護神、
また祖霊の座すところとして崇められている。 今から約1200余年前、
宝亀11年(780) 社殿を岩木山頂に創建したのが当社の起源であり、
延暦19年(800) 征夷大将軍坂上田村麿これを再建し、 別に山麓十腰内の里に
下おり居ゐの宮みやを建立して、 山頂を奥宮と称し、
寛治5年(1091) 神宣により下居宮を現在地に奉遷。
その後、 世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、
江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大造営が行なわれ、
近代には崇敬者の熱意を集めて、 建造物、 諸施設とも整い、
名実ともにその偉容を誇り、 畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、
農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、 とりわけ開運福の神として、
色々の宗派を越え、 深い信仰の源として厚く崇敬されている。』
さて、参拝&取材。
一の鳥居前の駐車スペースに車を止め、参道を歩き始めます。
上の画像では鳥居の合間から岩木山の姿が望めます。
この岩木山神社の参道って、岩木山そのものの登山道も兼ねているのだそうですね。
石造の二の鳥居。
木造の三の鳥居。
参道脇の守札授与所。
茅葺の社務所。
神橋を渡ると・・・
国重文指定の立派な朱塗りの楼門がどんと控えており、
石段手前に一対の狛犬が居ました。
紀元二千六百年(昭和15/1940)8月1日建立。
護国神社系大宝神社タイプ、岡崎古代型の類型でしょうか。
吽形にしっかり角の付いているのが津軽地域で取材を続けてきたなかでは
けっこう新鮮な感覚です。
ここから石段を登って楼門をくぐって本殿に向かうわけですが、
その前に・・・
石段上部は左右に玉垣が設けられているのですが、
その親柱の影になにやら潜んでいます。
そう、この子達こそが今回の北東北ツアーでもっとも出会いたかった狛犬たち。
玉垣狛犬などという類型で括られたりしますが、
玉垣にへばりつく狛犬自体が全国的に見ても希少価値があるうえに
デザインも独特で、およそ獅子のイメージとはかけ離れたものです。
推測されていますが、建立年も不明なら作者もまったく分かっていません。
現在では狛犬として括られていますが、もしかすると狛犬のつもりで制作されたのではなく、
神社に関わる眷属か、または岩木山に住み着く天邪鬼かなにかのつもりで作られたのかもしれませんね。
制作年は近世かなというふうに考えます。
残念ながら、楼門向かって左側の子の尾が一部欠損しているようですが、
玉垣と一体とはいえ体重を支える細腕など破壊されずに存在しているのが感動的ですらあります。
さて、ようやく出会えた感動の余韻に浸りつつ
寛文7年(1628)建立で国重要文化財の楼門をくぐり奥へと進みます。
中門前に居る狛犬。
建立年不明。
台座の彫刻ですが、もしかして蟹!?
蟹じゃなければ、なに? なにかの花?
中門と瑞垣もまた国重文で貞享3年(1686)から元禄7年(1694)建立。
基調の丹塗りと黒の対比が鮮やかですね。
拝殿。
慶長8年(1602)から寛永17年(1640)建立。
妻にいるのは虎でしょうか?
取材当日は修復工事でもしているのか、足場がかけられていました。
いったん瑞垣の外に出て、奥門と本殿を鑑賞。
といってもほとんど屋根周りしか見えなかったですが。
奥門、本殿もともに国重文で中門などと同様、貞享3年(1686)から元禄7年(1694)建立。
境内一角の白雲大龍神にも狛犬がいました。
明治27年(1894)旧8月初日。
稲荷大明神にも狛犬。
平成9年7月10日建立。
小ぶりな岡崎かと思いきや、奉献者名と並んで
『狛犬寄進
(奉献者名:略)
石工 大鰐町大字鯖石 佐藤連蔵 満
台座寄進
(奉献者名:略)
石工 弘前市大字堀越 吉川義明』
とありました。
地元の石工が刻んだと考えられますが、
モデルにしたのはやはり岡崎であったかもしれません。
あるいは狛犬の調達と台座据付業者が異なっていたということかな?
このブログエントリーは昨夏巡った時の時系列とは異なっていて、
実際はこの岩木山神社訪問のあとにもたくさんの神社や火の見櫓を見て廻りました。
が、やはり最終回を飾るに相応しいのはこちらだと思い、順序を入れ替えてみた次第。
2013北東北ツアーの報告、以上で終了です。
ずっとレポート書き続けていたら、また東北に出かけてみたくなりました。
今回は計4日間の岩手青森での取材中は一度も雨に見舞われることなく恵まれていました。
(最終日の帰路、車移動中に雨に遭遇したのみ。)
そのぶんほぼ当初の計画通りに寺社と火の見櫓を取材できたわけですが、
もともと欲張った行程だったせいか、かなりバタバタ感があり、
その悪影響が記録写真の拙さに現れてしまったかと反省しています。
(ピンボケだったり、撮り忘れなど多数。。。)
そのぶん、再訪意欲が沸いてきましたけどね(^^)
北東北は信州からでは簡単に行ける場所ではないのも確かですが、
また近い将来に足を運んでみたいと考えています。
今度は、ゆったりじっくり巡ることのできる旅程で。。。
(撮影日:2013年8月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
いよいよ、というか、やっとこさ最終回となりました(^^;
数ヶ月間にも及んだレポートアップから、ようやく開放されますwww
その大トリを飾るのは、岩木山の南東山麓に鎮座する岩木山神社です。
津軽国一宮で岩木山頂に奥宮を持ち、古くより農漁業の守護神として
地域の人々に崇敬されてきました。
ご祭神:
顕国魂神
多都比姫神
宇賀能賣神
大山祇神
坂上刈田麿命
由緒:
『昔から 「お岩木さま」 「お山」 と親しんで呼ばれ、 陸奥津軽の開拓の神、 農海産物の守護神、
また祖霊の座すところとして崇められている。 今から約1200余年前、
宝亀11年(780) 社殿を岩木山頂に創建したのが当社の起源であり、
延暦19年(800) 征夷大将軍坂上田村麿これを再建し、 別に山麓十腰内の里に
下おり居ゐの宮みやを建立して、 山頂を奥宮と称し、
寛治5年(1091) 神宣により下居宮を現在地に奉遷。
その後、 世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、
江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大造営が行なわれ、
近代には崇敬者の熱意を集めて、 建造物、 諸施設とも整い、
名実ともにその偉容を誇り、 畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、
農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、 とりわけ開運福の神として、
色々の宗派を越え、 深い信仰の源として厚く崇敬されている。』
さて、参拝&取材。
一の鳥居前の駐車スペースに車を止め、参道を歩き始めます。
上の画像では鳥居の合間から岩木山の姿が望めます。
この岩木山神社の参道って、岩木山そのものの登山道も兼ねているのだそうですね。
石造の二の鳥居。
木造の三の鳥居。
参道脇の守札授与所。
茅葺の社務所。
神橋を渡ると・・・
国重文指定の立派な朱塗りの楼門がどんと控えており、
石段手前に一対の狛犬が居ました。
紀元二千六百年(昭和15/1940)8月1日建立。
護国神社系大宝神社タイプ、岡崎古代型の類型でしょうか。
吽形にしっかり角の付いているのが津軽地域で取材を続けてきたなかでは
けっこう新鮮な感覚です。
ここから石段を登って楼門をくぐって本殿に向かうわけですが、
その前に・・・
石段上部は左右に玉垣が設けられているのですが、
その親柱の影になにやら潜んでいます。
そう、この子達こそが今回の北東北ツアーでもっとも出会いたかった狛犬たち。
玉垣狛犬などという類型で括られたりしますが、
玉垣にへばりつく狛犬自体が全国的に見ても希少価値があるうえに
デザインも独特で、およそ獅子のイメージとはかけ離れたものです。
推測されていますが、建立年も不明なら作者もまったく分かっていません。
現在では狛犬として括られていますが、もしかすると狛犬のつもりで制作されたのではなく、
神社に関わる眷属か、または岩木山に住み着く天邪鬼かなにかのつもりで作られたのかもしれませんね。
制作年は近世かなというふうに考えます。
残念ながら、楼門向かって左側の子の尾が一部欠損しているようですが、
玉垣と一体とはいえ体重を支える細腕など破壊されずに存在しているのが感動的ですらあります。
さて、ようやく出会えた感動の余韻に浸りつつ
寛文7年(1628)建立で国重要文化財の楼門をくぐり奥へと進みます。
中門前に居る狛犬。
建立年不明。
台座の彫刻ですが、もしかして蟹!?
蟹じゃなければ、なに? なにかの花?
中門と瑞垣もまた国重文で貞享3年(1686)から元禄7年(1694)建立。
基調の丹塗りと黒の対比が鮮やかですね。
拝殿。
慶長8年(1602)から寛永17年(1640)建立。
妻にいるのは虎でしょうか?
取材当日は修復工事でもしているのか、足場がかけられていました。
いったん瑞垣の外に出て、奥門と本殿を鑑賞。
といってもほとんど屋根周りしか見えなかったですが。
奥門、本殿もともに国重文で中門などと同様、貞享3年(1686)から元禄7年(1694)建立。
境内一角の白雲大龍神にも狛犬がいました。
明治27年(1894)旧8月初日。
稲荷大明神にも狛犬。
平成9年7月10日建立。
小ぶりな岡崎かと思いきや、奉献者名と並んで
『狛犬寄進
(奉献者名:略)
石工 大鰐町大字鯖石 佐藤連蔵 満
台座寄進
(奉献者名:略)
石工 弘前市大字堀越 吉川義明』
とありました。
地元の石工が刻んだと考えられますが、
モデルにしたのはやはり岡崎であったかもしれません。
あるいは狛犬の調達と台座据付業者が異なっていたということかな?
このブログエントリーは昨夏巡った時の時系列とは異なっていて、
実際はこの岩木山神社訪問のあとにもたくさんの神社や火の見櫓を見て廻りました。
が、やはり最終回を飾るに相応しいのはこちらだと思い、順序を入れ替えてみた次第。
2013北東北ツアーの報告、以上で終了です。
ずっとレポート書き続けていたら、また東北に出かけてみたくなりました。
今回は計4日間の岩手青森での取材中は一度も雨に見舞われることなく恵まれていました。
(最終日の帰路、車移動中に雨に遭遇したのみ。)
そのぶんほぼ当初の計画通りに寺社と火の見櫓を取材できたわけですが、
もともと欲張った行程だったせいか、かなりバタバタ感があり、
その悪影響が記録写真の拙さに現れてしまったかと反省しています。
(ピンボケだったり、撮り忘れなど多数。。。)
そのぶん、再訪意欲が沸いてきましたけどね(^^)
北東北は信州からでは簡単に行ける場所ではないのも確かですが、
また近い将来に足を運んでみたいと考えています。
今度は、ゆったりじっくり巡ることのできる旅程で。。。
(撮影日:2013年8月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
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