安曇野にいる、杉浦磯治郎の岡崎古代型 [狛犬・寺社(安曇野市)]
安曇野市堀金、下堀の諏訪神社。
諏訪神社はご存知諏訪大社を本社とする神社で、
全国各地で分社の数は1万有余社(※)といわれています。
(※=諏訪大社公式HPに拠る)
国道147号、豊科の新田交差点を西に向かって折れ、
広域農道に差し掛かる少し手前を北に向かって入った先に鎮座しています。
広域農道の対面にはベイシアをはじめとするロードサイド店が立ち並んでいますが、
境内のすぐ東側には安曇野を代表する用水路「拾ヶ堰」が流れ、
境内の周辺一帯は安曇野らしい農村集落の景観が今もなお残されています。
境内は界隈の神社のなかでもかなり広いほうではないかと思われ。
神楽殿。
社務所。
拝殿。
その拝殿の前に狛犬一対。
紀元二千六百年記念(昭和15年/1940年)建立。
石工:岡崎市中町 石匠 杉浦磯治郎。
教科書のお手本のような岡崎古代型ですが、
岡崎のなかでもけっこうスリムなボディではないでしょうか。
杉浦磯治郎は、岡崎の名工・酒井孫兵衛の直弟子として勤め、
のちに独立して岡崎石工のひとりとして狛犬の世界でも名の上がる人物のひとり。
自分は他の神社でまだ磯次郎の作に出会った経験はないですが、
地元岡崎を中心に各地に彼の狛犬は奉献されているようです。
昭和15年はご存知のように狛犬が全国各地で奉献された年で、
岡崎型の狛犬は古代型現代型問わず、相当もてはやされたのではと思うのですが、
あるサイトの情報によると、意外と同年生まれの岡崎型は少ないらしく。
同サイトでは「皇紀二千六百年(昭和十五年)製作の狛犬が無い」「未だ見つかっていない」
という表現が使われているので、昭和15年の杉浦磯治郎作であるこの子たちって、
ある意味けっこう貴重な存在なのかも。
同社の取材は昨年10月、所用で近所までやって来た際に
少しだけ時間があったので、未訪問だったこともあってちょっと立ち寄ったという次第で。
なのでちょっと落ち着かないなかで取材したため(と言い訳しますが、)
本殿その他は例によって取材漏れでございます。
まあ安曇野の神社なのでいつでも取材できるので、
近いうちにまた改めて行ってみようと思っていますが。
(撮影日:2013年10月4日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
諏訪神社はご存知諏訪大社を本社とする神社で、
全国各地で分社の数は1万有余社(※)といわれています。
(※=諏訪大社公式HPに拠る)
国道147号、豊科の新田交差点を西に向かって折れ、
広域農道に差し掛かる少し手前を北に向かって入った先に鎮座しています。
広域農道の対面にはベイシアをはじめとするロードサイド店が立ち並んでいますが、
境内のすぐ東側には安曇野を代表する用水路「拾ヶ堰」が流れ、
境内の周辺一帯は安曇野らしい農村集落の景観が今もなお残されています。
境内は界隈の神社のなかでもかなり広いほうではないかと思われ。
神楽殿。
社務所。
拝殿。
その拝殿の前に狛犬一対。
紀元二千六百年記念(昭和15年/1940年)建立。
石工:岡崎市中町 石匠 杉浦磯治郎。
教科書のお手本のような岡崎古代型ですが、
岡崎のなかでもけっこうスリムなボディではないでしょうか。
杉浦磯治郎は、岡崎の名工・酒井孫兵衛の直弟子として勤め、
のちに独立して岡崎石工のひとりとして狛犬の世界でも名の上がる人物のひとり。
自分は他の神社でまだ磯次郎の作に出会った経験はないですが、
地元岡崎を中心に各地に彼の狛犬は奉献されているようです。
昭和15年はご存知のように狛犬が全国各地で奉献された年で、
岡崎型の狛犬は古代型現代型問わず、相当もてはやされたのではと思うのですが、
あるサイトの情報によると、意外と同年生まれの岡崎型は少ないらしく。
同サイトでは「皇紀二千六百年(昭和十五年)製作の狛犬が無い」「未だ見つかっていない」
という表現が使われているので、昭和15年の杉浦磯治郎作であるこの子たちって、
ある意味けっこう貴重な存在なのかも。
同社の取材は昨年10月、所用で近所までやって来た際に
少しだけ時間があったので、未訪問だったこともあってちょっと立ち寄ったという次第で。
なのでちょっと落ち着かないなかで取材したため(と言い訳しますが、)
本殿その他は例によって取材漏れでございます。
まあ安曇野の神社なのでいつでも取材できるので、
近いうちにまた改めて行ってみようと思っていますが。
(撮影日:2013年10月4日)
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