信長公ゆかりの神社 [狛犬・寺社(岐阜県)]
岐阜県各務原市那加手力町、手力雄神社。
主祭神は手力雄神。
創建年は不明。
社伝によると5世紀末期ごろ同地を支配していた豪族により、
山の中腹に磐座祭祀として神様を祭ったのが始まりとされます。
中世、織田信長が稲葉山城攻略のため尾張から岐阜に入ったおり当社で戦勝祈願を行い、
祈願成就の後、各務野原近里の1300町歩を社領に付したのだそうです。
当初ご神紋は巴紋だったようですが、現在は織田木瓜紋になっています。
県道152号に面した正面の鳥居をくぐり参道歩くと、
二の鳥居の少し先に狛犬一対がいます。
昭和9(1934)年3月建立。
岡崎出身だと思うのですが、標準的な岡崎現代型よりゴツゴツ感が強い印象です。
大晦日取材だったため、拝殿前は茅の輪があったりしています。
その拝殿前にもさらに一対。
昭和9(1934)年4月建立。
こちらは比較的分かりやすい岡崎現代型のようですね。
両者の建立年月がひと月違いしかないのですね。
拝殿脇の渡り廊下の下をくぐり、本殿の近くに出ることが出来ます。
本殿と軒下彫刻の竜の雌雄は、市指定重要文化財。
本殿そのものも立派ですが、竜の雌雄の彫刻は海老紅梁に絡みつく様子が見事です。
そしてその手前、拝殿との合間に石造狛犬が一対います。
明治41(1908)年3月建立。
来待石なのかどうか、自分はちょっと微妙ですが、
デザインは出雲丹後のような印象。
顔をちょっと斜め上方に向けている出雲丹後は
自分は見た経験がないので、実際はどうなんでしょうね。
明治の割には劣化が目立たないので違うのかな? よく分かりません。
社殿と狛犬のレイアウトが微妙な関係で、写真が撮りづらくて苦労しました。
拝殿側の外壁にこんなに近いもんですから。
あと、本殿の縁側に木造の神殿狛犬がいました。
合計4対の子たちと出会いましたが、同社にはあと一対、
室町期制作らしい石造狛犬がいて県重要文化財指定を受けているそうです。
ぜひ見たかったです。
(取材日:2014年12月31日)
手力雄神社公式HP
主祭神は手力雄神。
創建年は不明。
社伝によると5世紀末期ごろ同地を支配していた豪族により、
山の中腹に磐座祭祀として神様を祭ったのが始まりとされます。
中世、織田信長が稲葉山城攻略のため尾張から岐阜に入ったおり当社で戦勝祈願を行い、
祈願成就の後、各務野原近里の1300町歩を社領に付したのだそうです。
当初ご神紋は巴紋だったようですが、現在は織田木瓜紋になっています。
県道152号に面した正面の鳥居をくぐり参道歩くと、
二の鳥居の少し先に狛犬一対がいます。
昭和9(1934)年3月建立。
岡崎出身だと思うのですが、標準的な岡崎現代型よりゴツゴツ感が強い印象です。
大晦日取材だったため、拝殿前は茅の輪があったりしています。
その拝殿前にもさらに一対。
昭和9(1934)年4月建立。
こちらは比較的分かりやすい岡崎現代型のようですね。
両者の建立年月がひと月違いしかないのですね。
拝殿脇の渡り廊下の下をくぐり、本殿の近くに出ることが出来ます。
本殿と軒下彫刻の竜の雌雄は、市指定重要文化財。
本殿そのものも立派ですが、竜の雌雄の彫刻は海老紅梁に絡みつく様子が見事です。
そしてその手前、拝殿との合間に石造狛犬が一対います。
明治41(1908)年3月建立。
来待石なのかどうか、自分はちょっと微妙ですが、
デザインは出雲丹後のような印象。
顔をちょっと斜め上方に向けている出雲丹後は
自分は見た経験がないので、実際はどうなんでしょうね。
明治の割には劣化が目立たないので違うのかな? よく分かりません。
社殿と狛犬のレイアウトが微妙な関係で、写真が撮りづらくて苦労しました。
拝殿側の外壁にこんなに近いもんですから。
あと、本殿の縁側に木造の神殿狛犬がいました。
合計4対の子たちと出会いましたが、同社にはあと一対、
室町期制作らしい石造狛犬がいて県重要文化財指定を受けているそうです。
ぜひ見たかったです。
(取材日:2014年12月31日)
手力雄神社公式HP
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