大阪府最古のブロンズ狛犬 [狛犬・寺社(大阪府)]
大阪市中央区淡路町、御霊神社。
船場など大阪の中心市街地の一角をなす旧攝津国津村郷の産土神として
古くから信仰を集めていた神社。
周囲は高層ビルも立ち並ぶオフィス街で、御堂筋の淀屋橋からも程近い位置に鎮座。
同社は近年ではこの南鳥居で有名なのだそうで。
境内の南側に隣接するオフィスビルの正面、公道上にでんと構える石の鳥居。
かつて境内がいまよりもっと広くあった頃の名残だそうで。
今は境内も縮小し鳥居だけがそのまま残されたということらしいのですが。。。
何コレ珍百景にも登場したらしいですけど、さもありなんですね。
同社のご祭神は、
天照大神荒魂 (瀬織津比売神)
津布良彦神 (旧攝津国津村郷の産土神)
津布良媛神 (旧攝津国津村郷の産土神)
応神天皇 (広幡八幡大神)
源正霊神 (鎌倉権五郎景政公霊)
瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神を祀る圓(つぶら)神祠という古名に始まり、
800年代後半の創建とされています。
豊臣秀吉の大坂居城と共に政治経済の中心地にたつ神社として発展。
諸大名の崇敬も厚く什器の寄進も相次ぐなか、石州津和野藩の祖亀井茲矩候が
邸地を割いて寄進。文禄3(1594)年に境内の小祠乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀して
圓江(現在の靭)から現在地に鎮座しました。
寛文年間に御霊神社と改称、元禄9(1696)年に御霊大明神と御贈号、
宝暦3(1753)年九月正一位の神階を授けられました。
明治6(1873)年に郷社に昇格。大正2(1913)年府社。
鳥居をくぐるとすぐに青銅製の狛犬が出迎えてくれます。
作者:大谷相模掾藤原正次。
制作年は台座の銘文によれば元和年間とされていますが、
同社のHPでは元和元(1615)年との記載があります。
いづれにせよ、出回っている情報によれば現存する大阪府内の
ブロンズ製狛犬としては最古というのが定説になっているようですね。
古くからの神社の神殿に鎮座する神殿狛犬によく見られるデザインを踏襲しており、
吽形にはちゃんと角もあって、獅子狛犬の様式が守られています。
ブロンズとはいえ江戸初期制作のわりに保存状態がよさげに見えますが、
台座の銘文によればもとは拝殿前に据えられていたそうですから、
あるいは屋根のかかったところにあったのかもしれません。
また太平洋戦争時の金属供出が求められた時代にあっては
関が原以前の作品と同じ扱いで供出免除がなされ、
戦後は神庫にて保管されて続けていたそうです。
現在の場所に復活したのは昭和46(1971)年2月11日のこと。
台座はそのときに新たに制作されたものだそうです。
ブロンズ狛犬の多くが戦争参加のため出征(?)していったなか、
かろうじて生き残った貴重な遺産ですね。
これからも大事にされていってほしいものです。
参道の右手に東宮と社務所。
左手に儀式殿。
拝殿。
戦時の大空襲によりそれまでの社殿はすべて焼失したため、
今見られるのは戦後の再建ということになります。
拝殿の傍らに松ノ木神社。
境内の裏手から出て振り返ると周囲をビル群に囲まれ
都会の神社であることを改めて実感させられます。
東京都心の神社でも実感したことですが、
オフィス街の一角に緑のある境内は聖域であるのと同時に
いこいの広場でもあって居心地よい空間とも思えるのですが、
やはりビル群に囲まれた神社の風景というのはどうしても違和感が拭えななくて。
今のご時世、仕方ない面もあるのは承知しているつもりなのですが。。。
御霊神社、公式HP
(取材日:2014年12月13日)
船場など大阪の中心市街地の一角をなす旧攝津国津村郷の産土神として
古くから信仰を集めていた神社。
周囲は高層ビルも立ち並ぶオフィス街で、御堂筋の淀屋橋からも程近い位置に鎮座。
同社は近年ではこの南鳥居で有名なのだそうで。
境内の南側に隣接するオフィスビルの正面、公道上にでんと構える石の鳥居。
かつて境内がいまよりもっと広くあった頃の名残だそうで。
今は境内も縮小し鳥居だけがそのまま残されたということらしいのですが。。。
何コレ珍百景にも登場したらしいですけど、さもありなんですね。
同社のご祭神は、
天照大神荒魂 (瀬織津比売神)
津布良彦神 (旧攝津国津村郷の産土神)
津布良媛神 (旧攝津国津村郷の産土神)
応神天皇 (広幡八幡大神)
源正霊神 (鎌倉権五郎景政公霊)
瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神を祀る圓(つぶら)神祠という古名に始まり、
800年代後半の創建とされています。
豊臣秀吉の大坂居城と共に政治経済の中心地にたつ神社として発展。
諸大名の崇敬も厚く什器の寄進も相次ぐなか、石州津和野藩の祖亀井茲矩候が
邸地を割いて寄進。文禄3(1594)年に境内の小祠乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀して
圓江(現在の靭)から現在地に鎮座しました。
寛文年間に御霊神社と改称、元禄9(1696)年に御霊大明神と御贈号、
宝暦3(1753)年九月正一位の神階を授けられました。
明治6(1873)年に郷社に昇格。大正2(1913)年府社。
鳥居をくぐるとすぐに青銅製の狛犬が出迎えてくれます。
作者:大谷相模掾藤原正次。
制作年は台座の銘文によれば元和年間とされていますが、
同社のHPでは元和元(1615)年との記載があります。
いづれにせよ、出回っている情報によれば現存する大阪府内の
ブロンズ製狛犬としては最古というのが定説になっているようですね。
古くからの神社の神殿に鎮座する神殿狛犬によく見られるデザインを踏襲しており、
吽形にはちゃんと角もあって、獅子狛犬の様式が守られています。
ブロンズとはいえ江戸初期制作のわりに保存状態がよさげに見えますが、
台座の銘文によればもとは拝殿前に据えられていたそうですから、
あるいは屋根のかかったところにあったのかもしれません。
また太平洋戦争時の金属供出が求められた時代にあっては
関が原以前の作品と同じ扱いで供出免除がなされ、
戦後は神庫にて保管されて続けていたそうです。
現在の場所に復活したのは昭和46(1971)年2月11日のこと。
台座はそのときに新たに制作されたものだそうです。
ブロンズ狛犬の多くが戦争参加のため出征(?)していったなか、
かろうじて生き残った貴重な遺産ですね。
これからも大事にされていってほしいものです。
参道の右手に東宮と社務所。
左手に儀式殿。
拝殿。
戦時の大空襲によりそれまでの社殿はすべて焼失したため、
今見られるのは戦後の再建ということになります。
拝殿の傍らに松ノ木神社。
境内の裏手から出て振り返ると周囲をビル群に囲まれ
都会の神社であることを改めて実感させられます。
東京都心の神社でも実感したことですが、
オフィス街の一角に緑のある境内は聖域であるのと同時に
いこいの広場でもあって居心地よい空間とも思えるのですが、
やはりビル群に囲まれた神社の風景というのはどうしても違和感が拭えななくて。
今のご時世、仕方ない面もあるのは承知しているつもりなのですが。。。
御霊神社、公式HP
(取材日:2014年12月13日)
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