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武運長久、そして再興狛犬 [狛犬・寺社(東筑摩郡)]

長野県東筑摩郡筑北村、乱橋の諏訪神社。
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2月半ばのまだ雪がほどほどに積もっている春直前の時期に取材したものを
まだアップしていませんでした。完全に失念(汗ッ・・・)

じつは今日、狛犬絡みでかなり嬉しい出来事があったので
久しぶりにネタをアップをしようと思って取材済&未掲載の狛犬を探したところ、
直近の取材でこれがまだだったことに気づきまして。

安曇野市から国道403号線を走り、峠を越えて筑北村に入ってから
長野道の高架下をくぐってすぐ県道303号に入り、しばらく走ると左側に見えてきます。

拝殿ですが本殿も同じ建物にあり、覆い屋を兼ねたような感じ。
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神楽殿はシンプルですが、茅葺屋根だったであろう様子はどっしりした印象。
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石造と木造の祠がずらっと並んだ境内社。
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うねる様に伸びるケヤキのご神木が立派です。
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狛犬は木造のこじんまりした鳥居をくぐると、すぐ両脇に一対。
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一見して平成生まれの子達だと識別できました。
しかし台座の下半分はけっこう古そうです。
さては再興された狛犬かな、と思っていたら案の定でした。
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古い台座には「昭和十四年(1939)秋」という文字がかろうじて読み取れます。
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そして上部の新しい台座には「平成十七年五月吉日 乱橋区献納」とありました。
さらに一方の台座には「祈武運長久」の文字が。

昭和14年=1939年秋といえば、第二次大戦勃発がまさに勃発した時。
軍人として出征する村の若者たちの武運を祈る(無事を願う)気持ちのこめられた
狛犬の奉献だったのでしょう。

ところが、平成17年になって新たな狛犬が奉献されたという事実。
過去の取材例から普通に推測すると、昭和14年当時に奉献されたのはブロンズ狛犬で、
その後の金属類回収令によって徴収されてしまい、数十年間空いていた台座に
平成の時代になって今度は石造の狛犬が据えられることになった・・・と、
考えるのが自然な感じがします。
あるいは単に何かの事情によって初代の狛犬は破損したかなにかで、
新しい狛犬にすげ替えられてしまったということなのか・・・。

正確な事実の証明は氏子さんなどにヒアリングするしかないですが、
いづれにしても古い台座の上に乗っかるこの子達は正直違和感があるものの、
やはり裏書きの武運長久の文字を見るとなんともいえない感覚が心に沸いてきますね。

太平洋戦争直前や、少し古いところでは日露戦争直前といった
昭和10年代前半や明治30年代半ば頃の狛犬たちは
建立理由にこうした言葉が記されているものをたまに見かけます。
こういうものを目にするたび、平和であり続けますようにと願うばかりで、
本来拝みの対象ではない狛犬たちに対しても祈りを捧げる気持ちになったりします。
昭和14年秋の、乱橋地区の氏子さんたちの気持ちに思いを致して・・・。
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PS.
冒頭に書いた"今日の嬉しい出来事”については、また後日改めて報告します・・・たぶん。

(取材日:2015年2月20日)




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