中野陣屋前に立つ大型の火の見やぐら [火の見櫓(中野市)]
中野市中央、中野陣屋県庁記念館前に立つ火の見やぐら。
中野市内の中心街に位置する同記念館は
江戸時代の中野周辺を統治した天領代官所のあったところ。
明治維新後、伊那県中野局を経て中野県の県庁となりましたが、
明治3年の中野騒動で建物が消失した後、長野県に編入されて
現在に至っているわけですが、記念館は明治期の雰囲気を感じさせる
近代和風建築の役場の趣を感じさせてくれます。
火の見やぐらはそんな記念館の敷地正面の一角に立っているのですが、
かなり大型の火の見やぐらのため、建物の密集する市内のあちこちからでも
頭ひとつ抜け出た見張り台の姿を目にすることができます。
目に付く理由のひとつが見張り台の内側を囲っている板壁。
といっても板壁というほどたいした様子には見えず
メンテナンスもされていないっぽいのですが、
かつては窓ガラスでもはめ込まれていたのでしょうかね。
遠めには今でも「小屋付見張り台」という印象は確かにうけます。
高層であるがゆえに踊り場も数多く、
消防団器具庫を兼ねた脚部2階部分の踊り場も含めると合計4層。
器具庫は火の見やぐらの脚部の形状にまんま合わせた壁面になっていて、
建物コーナー部にはやぐらの脚部が露出しています。
傍らに解説板があったのですが、これは中野陣屋跡についてのもの。
火の見やぐらのものでなくて残念ですが、中野市街地エリアの
観光拠点ともいうべき場所に立つシンボルタワーのような存在ですし、
消防団の紹介も含めた火の見やぐらの解説があってもいいのになと、
ちょっと思えたりしました。
それにしても中野市内は志賀高原などへ仕事で訪れたりした時に
寄り道通過していたのですが、陣屋の傍らにこのような大型のやぐらが
立っていたことにはまったく気が回りませんでした。
しょっちゅう来ていたというのはまだ自分がヤグラーになる前の話。
いかに関心がないと目に留まることもないといういい証拠ですね。
(撮影日:2015年5月4日)
中野市内の中心街に位置する同記念館は
江戸時代の中野周辺を統治した天領代官所のあったところ。
明治維新後、伊那県中野局を経て中野県の県庁となりましたが、
明治3年の中野騒動で建物が消失した後、長野県に編入されて
現在に至っているわけですが、記念館は明治期の雰囲気を感じさせる
近代和風建築の役場の趣を感じさせてくれます。
火の見やぐらはそんな記念館の敷地正面の一角に立っているのですが、
かなり大型の火の見やぐらのため、建物の密集する市内のあちこちからでも
頭ひとつ抜け出た見張り台の姿を目にすることができます。
目に付く理由のひとつが見張り台の内側を囲っている板壁。
といっても板壁というほどたいした様子には見えず
メンテナンスもされていないっぽいのですが、
かつては窓ガラスでもはめ込まれていたのでしょうかね。
遠めには今でも「小屋付見張り台」という印象は確かにうけます。
高層であるがゆえに踊り場も数多く、
消防団器具庫を兼ねた脚部2階部分の踊り場も含めると合計4層。
器具庫は火の見やぐらの脚部の形状にまんま合わせた壁面になっていて、
建物コーナー部にはやぐらの脚部が露出しています。
傍らに解説板があったのですが、これは中野陣屋跡についてのもの。
火の見やぐらのものでなくて残念ですが、中野市街地エリアの
観光拠点ともいうべき場所に立つシンボルタワーのような存在ですし、
消防団の紹介も含めた火の見やぐらの解説があってもいいのになと、
ちょっと思えたりしました。
それにしても中野市内は志賀高原などへ仕事で訪れたりした時に
寄り道通過していたのですが、陣屋の傍らにこのような大型のやぐらが
立っていたことにはまったく気が回りませんでした。
しょっちゅう来ていたというのはまだ自分がヤグラーになる前の話。
いかに関心がないと目に留まることもないといういい証拠ですね。
(撮影日:2015年5月4日)
信毎Webで撤去することになるとありました。残念。
60基全てでなくても、代表的な櫓を残してもいいのではないかと思います。陣屋と火の見櫓は文化財として、観光資源として役立つと思うのですが。
火の見やぐら、お役御免 無線やメール普及で撤去打診 中野市2019/06/19 信毎Web
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190619/KT190618GNI090005000.php
by お名前(必須) (2019-06-19 17:31)