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名水の湧き出る古社 [狛犬・寺社(京都府)]

京都市中京区、寺町通の下御霊神社。
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疫病が蔓延して不安な時期を迎えていた平安期、
それらは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863)に御霊会が催され、
それが同社の創祀であるとされています。
同時に創祀されたのが、御所の北方に位置する御霊神社(上御霊神社)です。

ご祭神は冤罪(?)により非業の死を遂げた六座の神霊に
和魂と荒魂を加えた八柱。

吉備聖霊(きびのしょうりょう) :和魂
崇道天皇(すどうてんのう) :皇太子早良親王
伊豫親王(いよしんのう) :桓武天皇皇子
藤原大夫人(ふじわらのだいふじん) :桓武天皇夫人 伊豫親王の母 藤原吉子
藤大夫(とうだいぶ) :藤原廣嗣
橘大夫(きつだいぶ) :橘逸勢
文大夫(ぶんだいぶ) :文屋宮田麻呂
火雷天神(からいのてんじん) :荒魂

朱塗りの鳥居の背後に立派な門が建っていますが、
これはかつて建礼門だったものを移築したのだそうです。
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そしてその鳥居のすぐ背後に狛犬が一対いるのですが、
柱の陰になって真正面からだとよく見えません。
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嘉永7年(1854)建立。

このテの狛犬たちは「浪速」という分類が一般的で、
たまに「京うちわ」といった呼び方を見かけることがありますが、
同類として大阪だけでなく京都その他関西エリアに広く見られることから、
狛犬研究家のたくきよしみつ氏は「畿内」型という呼称を提案しています。
まあ、分類なんてどうだっていいという意見もありますが、
とにかく、京都の狛犬たちの典型的なデザインは、
「京うちわ」のネーミングの由来でもあるこの団扇型の尾が特徴ですね。
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神楽殿。
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社殿は天明8年(1788)に火災で焼失した旧社殿のあとに
寛政3年(1791)に仮皇居の内侍所仮殿を移築再建したもの。
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京都市の文化財指定を受けているそうです。

拝殿前にも狛犬が一対。
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さらに神殿狛犬。
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ピカピカですが、薄暗いところなのでどうしてもピンボケで。。。

境内社。
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稲荷社には狐さんがいましたが、なぜか金網に囲われてしまってます。
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その稲荷社の傍らにある手水舎。
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こちらは名水として地元では評判らしく、
自分が取材中にも多くの人が水を汲みに訪れていました。

平安時代からの歴史と皇室と深いつながりを持つ同社ですが、
境内の内外の様子は少し疲れた表情も垣間見せていました。
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HPも作成されているいまどきの神社ですが、
ちょっと惜しい感じです。

(撮影日:2013年4月6日)


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京都の三珍鳥居@京都御苑 [狛犬・寺社(京都府)]

御所に出かけたついでといってはなんですが。。。
京都御苑内に存在するという、京都三珍鳥居のひとつに会いに行って来ました。

厳島神社。
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御苑の南寄り、堺町御門近くにひっそりと佇んでいます。

公家町の一角でもあった同社地は旧九條家の屋敷があった場所で、
九條池のほとり、厳島神社らしく島内に鎮座しており、
橋を渡って社殿に至ります。
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九條池と対岸の拾翠亭。
建物は約200年前に茶室として建てられたもの。
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みやびどすえ~。

小さな境内ですが、鳥居は有名ということで。
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唐破風形の珍しい鳥居は、
由緒書きによると平清盛建立だそうな。
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神社自体、清盛公の母である祇園女御が合祀されているので
平家に縁が深いのでしょう。
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鳥居は現在、重要美術品に指定されています。

拾翠亭もふくめてもっとゆっくり鑑賞したかったのですが、
この時点で雨風がけっこう強くなってきたので、
早々に退散しましたとさ。

PS.狛犬はいませんでした。

(撮影日:2013年4月6日)


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京都御所に鎮座する宮殿狛犬 [狛犬・寺社(京都府)]

泣く子も黙る(←ウソ)京都御所。
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毎年2回、春と秋に御所内部の一般公開が行われますが、
今回それを狙って京都の狛犬(+火の見櫓)の取材ツアーを敢行。
暴風雨の天気予報にもめげず、頑張って御所に出向いて参りました。
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とにかく、今回の京都ツアーの最大の目的はここ。
御所の清涼殿に鎮座する、宮殿狛犬を拝観すること。

日本各地の神社で目にする狛犬たちですが、
飛鳥時代に中国より獅子なるものが日本に伝わってきたのち、
平安期に「獅子・狛犬」の和様の納まりが初めて確立されたのが
この京都御所に建つ清涼殿ではなかろうか、という話。
いわば、日本の狛犬生誕の地というわけですね。

午前9時、宜秋門が開門され、一般公開がスタート。
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受付では皇宮警察による簡単な手荷物検査があり、
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その傍らでは皇宮警察のエリートが鋭い目と牙を光らせており。。。
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幸い最前列に並んで入ることが出来たので、
まだ来場者の少ない状態で写真撮影を進めることが出来ました。

御車寄。
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諸太夫の間。
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新御車寄。
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御所内部側より望む、重厚な檜皮葺の建礼門。
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御所の南正面に建つ、もっとも格式の高い御門とされていて、
一般拝観ごときで開門されることはまずあり得ません。
この記事一番上の画像が、建礼門を外から見た姿です。

建礼門のすぐ内側に建つのが朱塗りの承明門で、
紫宸殿をその後方に望むことが出来ます。
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で、紫宸殿。
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京都御所でもっとも有名な建物ですね。
小学校の修学旅行で京都御所に来たはずなのですが、
御所見学で記憶に残っているのはこの紫宸殿だけという。
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高御座を内部に見ることが出来ます。
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もちろん、拝観は屋外からのみなので、
望遠でやっとこさ撮影できる感じ。

向かって右側に皇后様の御帳台が望めます。
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この高御座の後背にあるのが賢聖障子。
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古代中国の賢聖32人の肖像が描かれていて、
9枚立つ障子(襖)の中央には有名な獅子・狛犬の絵が
一対描かれているのですが、残念ながら
一般人はこれを直接拝見することが叶いません。

そして、この紫宸殿を通過して、いよいよ清涼殿へ。
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本日のメインイベント、獅子狛犬とのご対面!
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悠久の歴史を感じさせる獅子と狛犬の姿に、ただただ感涙。
(泣かなかったけどね。)
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帝を守護すべく据えられた獅子狛犬。
鎮簾としても活用されていたということでもあり、
現在公開されている彼らも実際に御簾の裾を押さえて座っています。
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清涼殿そのものは江戸期の再建。
目の前に座るこの子達も当然ながら平安期の彼らではなく、
江戸期に再制作されたものであるという話です。
一般公開向けに建物の各所で襖絵などの解説の用意はあるものの、
この獅子狛犬に関する説明は一切なし。
もうちょっと注目してあげてもいいのにとも思うのですが、
このあたり、京都御所とはいえ注目度は神社における参道狛犬のそれと
大差ないという印象ですね。
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清涼殿で念願の対面を果たした後も、ぞろぞろと御所見学。
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他の人よりかなりゆっくり巡ったせいなのか、
出口に近くなってきたあたりでは後から入場した人たちが追いつかれ、
けっこうな人出でごちゃごちゃしてきました。
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一般拝観とはいえ、御所の内部で民間業者が
露店営業させてもらっているのにはちょっとビックリ。
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入口だった宜秋門よりひとつ北にある清所門より退場で、御所見学は終了。
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ご存知の通り京都御所は京都御苑のなかにあります。
皇室の東京引越しまで一帯はお公家さんたちの屋敷が
二百近くも建ち並ぶ公家町だったのですが、
現在は国民公園となり市民憩いスペースになっています。
これはこれで都会の真ん中にあって緑豊かな素敵な環境なのですが、
公家町がそのまま生きていて、今も屋敷がずらっと建ち並んでいたとしたら、
それはそれで伝統的な(上流社会の)町並みとして脚光を浴びていたことでしょうね。
御苑の南側よりはるか遠くに建礼門を望みつつ、
公家屋敷の建ち並んでいた姿を想像しながら、そんなことを考えてみました。
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(撮影日:2013年4月6日)


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都市型省スペース設計の火の見櫓? [火の見櫓(京都府)]

京都市下京区、安寧消防分団の火の見櫓。
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櫓・・・というより、壁面に付属したオブジェのよう。
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木造で、屋根はついているけれども梯子は中途まで。
イルミネーションの照明が取り付けられているところから察するに
夜はチカチカ明るく彩られているのでしょうか。
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消防団のHPによると「ミニ火の見やぐら」と記されています。
ほかに電光掲示板や防火バケツが用意されていたり、
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歳末には防火サンタが登場して子供たちに火遊び防火を啓蒙したり、
消防団苦戦のご時世にあって、地域活動に貢献しているようすです。

世界遺産の西本願寺にも程近く、木造家屋も多数残るエリアで、
地域防災の最前線として京都の分団は重要な役割を担っていることでしょう。
(下の画像、背景は本願寺ではなく興正寺の御影堂。)
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“ミニ火の見やぐら”は半鐘に木槌もついていますし、
オブジェではなくいまでもしっかり使われているのではと期待します。
(実際の現状をどなたか教えてくださいませ。)
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京都市消防局:安寧分団

分団前から見えた、京都で最大の火の見櫓 京都タワー。
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(撮影日:2013年4月6日)


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火の見櫓ではないのか? [火の見櫓(京都府)]

京都市伏見区、竹田中内畑町の火の見櫓。
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近鉄&地下鉄竹田駅より徒歩数分、前エントリー記事の
登録文化財の火の見櫓へ向かう途中、少し横道にそれた所、
安楽寿院の参道脇に立っています。
が・・・
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半鐘がなく、もとは吊られていたと思われる
フックやアンカーのようなものも見当たりません。
フックごと外したか、あるいは。。。

小規模な3脚柱ですが、それゆえにここに至る経緯が気になります。

「最近、移してきたから・・・」
というのは、すぐ近所に暮らすおばちゃんの言。
あまり多くを語りたがらない(?)様子だったので
それ以上のことを詮索できず、ますます謎は深まるばかり。
まあ朝6時前にいきなり見ず知らずの者に「この櫓は・・・」
なんて声かけられたら、だれだって訝しく思いますか。
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時間がなくてゆっくり観察調査することもできずじまい。
頂部の様子から察するに、防災などのサイレン塔と考えるのが
自然ではないかと思うのですが、どうでしょうかね?

(撮影日:2013年4月6日)


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登録有形文化財の火の見櫓 [火の見櫓(京都府)]

京都市伏見区、竹田狩賀町の火の見櫓。
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ヤグラー業界(?)では有名な、国登録有形文化財の火の見櫓です。

以前から見てみたかった櫓のひとつでしたが、
先日、京都取材旅行を観光・・・もとい、敢行しまして、
念願かなって直接目にすることが出来ました。

近鉄&京都市営地下鉄竹田駅から南へ下って徒歩10分ほど。
日程の都合で早朝6時前の取材、且つ今にも降り出しそうな曇天下、
かなり暗い画像になってしまったので、画質補正で明るくしています。
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隣接の商店がいい雰囲気でしたが、当然ながらまだ営業前。
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さらに松尾神社がお隣さんで、狛犬とツーショットが実現(^^)。
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立っている場所は公園の一角で、文化財ということからか、
櫓は柵で囲われているので直接手に触れることができませんでした。

登録有形文化財のプレートと解説板。
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解説板によれば、
大正12年(1923)8月に設立された竹田村消防組第二支部の装備品として建設。
鉄骨造としては初期の形態を残しており、構造部材も当時の国内の製鉄技術を
知るうえで貴重な文化財的建造物であることから、地域住民からの保存要望を受け、
移転保存した。。。とあります。

構造形式 鉄骨造
台形平面 1.395m×1.340m。
高さ 11.925m。

構成部材
柱 山形鋼(L-75×75×8mm)
横つなぎ材 山形鋼(L-50×50×6mm)
斜め材 山形鋼(L-40×40×5mm)
部材接合 普通ボルト及びリベット
やぐら屋根 木造
塗装 コールタール塗り

以上のような内容も解説板に記載あり。
かなり暗く写ってしまっているのは、
外装がコールタール塗りで仕上られているのも一因かと。
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シルバー以外の塗装もたまに見かけますが、
真っ黒というのは比較的珍しいほうですね。

屋根が木造とのことですが、暗くて下から見上げた限りでは
詳細の確認が出来ませんでした。
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半鐘は少し褪せてきていますが、しっかり付属しています。
消防団倉庫が道路向かいにありますが、今でも鳴らしているのかな?
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このやぐらは4脚タワーですが、
そのうちの2本が梯子の桁を兼ねており、
そのため台形の平面になっています。
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立ち姿も側面から見ると、後背の2本は地面に垂直立ちしていて、
梯子の付属する前面2本は斜めに立っているのが分かります。
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これも面白い構成ですね。

周囲に背の高いマンションなどが立っているので
火の見の実用性は失われて完全に野外博物館状態でありますが、
それでも地域の歴史の一ページがしっかりと生き続けているのは
素敵なことだと思います。

(撮影日:2013年4月6日)


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