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京都最古とウワサの(?)狛犬 [狛犬・寺社(京都府)]

京都市東山区下弁天町、安井金比羅宮。
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祇園町から清水寺方面へ向かう道すがらにあります。
東大路通りに面して入り口がありますが、
境内は細長い参道を進んだ奥にこじんまりと広まっています。

参道入口の狛犬。
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安政4年(1857)5月建立。
風化が進んでいますね。

参道の両側は駐車場。
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機械式のゲートがあって頻繁に車が出入していました。
観光客が主な利用者かなと思いますが、なんだかごちゃごちゃした感じで、
これもまた古都のまちなかにある神社の宿命なのかなと。

参道脇入り口の狛犬。
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天保15年(1844)夏建立。
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年号に挟まって「角(カネ)に丸十字」の家紋が。
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奉献者の家紋かなと思ったりもしますが、
家紋が狛犬の台座についているのは比較的珍しいですね。
丸十字といえば大名家の島津氏や歌舞伎の明石屋などが有名のようですが、
カネがつくと、別物なんでしょうかね。
詳しいことはよく知りません。

ここは縁切り&縁結び神社として有名らしく、
この日も悪天候にかかわらず、大勢の参拝客が
縁切りまたは縁結びのために(?)訪れていました。
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同宮は最初から金比羅さんだったわけではないらしく、
由緒によれば、保元の乱で讃岐に流された崇徳天皇の霊を鎮めるため
建立された観勝寺が同宮の起源とされています。
その後、江戸元禄期に太秦安井の蓮華光院が移築され、
その鎮守として讃岐の金比羅宮から勧請した大物主神と源頼政公を祀り、
以降は「安井の金比羅さん」として市民に親しまれる存在となりました。

で、縁切り&縁結びの宮としての謂れですが、
くどくど長くなるので割愛
詳細は同宮のHPをご参照ください。

境内にある、縁切り縁結び碑(いし)。
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様々な願い事が書かれた札(形代“かたしろ”というそうです)が貼られ、
原形の石がみえないほど。

この石の穴をくぐり抜けることで切りたいと願う悪縁が断ち切られ、
良縁が結ばれるようになるということのようです。

自分は時間もなかったので、縁切りはまた次回訪問時に。。。
というか、訪れた主目的は狛犬さんなので(^^)

天満宮の狛犬。
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明和4年(1767)建立と、かなり古い時代のものです。
尾が一部破損していますが、表情などはまだしっかりと生きています。

そして、天満宮の狛猫(^^;
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本殿の縁側正面にじっと座ったまま動くこともなく、
参拝者の撮るカメラの被写体になり続けていました。
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天満宮脇の参道入口とその参道の先に立つ鳥居。
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狭い裏路地の一部が参道のような感じになっています。
この界隈は境内に隣接してラブホテルが林立しているのですが、
参道がホテル入口になっている建物もあります。
縁切り&縁結びの宮とラブホテルの相関関係をつい考えてしまいますね(^^;

本殿は修復工事中のため、仮拝殿で参拝。
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雰囲気のある古い絵馬館。
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そして絵馬館の隣に建つ蔵の正面に一対の狛犬さん。
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年代不詳。
ですが大きさといい、顔立ちなどデザインといい、
まさにこれは“はじめちゃん”。
情報によれば、京都でいちばん古いという話も出ているようです。
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事実がどうかは分かりませんが、石造の参道狛犬としては
相当古い年代のものだということは理解できます。
今回の京都取材ツアーで出会った狛犬たちのなかでも
きっと一番古いものでしょう。
いい出会いでした。

(撮影日:2013年4月6日)



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古都の裏路地にひっそり佇む火の見櫓 [火の見櫓(京都府)]

4月上旬の京都取材ツアー。
エントリーし続けている報告記事はようやく半ばといったところ。
で、このあたりで閑話休題的なネタを。

京都の古い市街地エリアは裏路地がとにかく多い。
・・・というのは今更取り上げるまでもない、ある意味一般常識的なところがありますが、
情報によれば、なかでも祇園界隈は先斗町などと並んで裏路地の多いエリアだそうで。

昼間はひっそりとしている祇園の裏路地も
夜には飲み屋さんのネオンが光る歓楽街となるところが多く、
また昼間でも観光客相手に名産品を販売する店が入っていたりと、
けっこう多種多様、個性的な表情を路地ごとに見せたりもしています。

そんななか、ある目的を持って自分が向かったのは
祇園の街の一角に存在する、とある裏路地。
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四条通から一本北側の通りの様子は、いかにも夜の歓楽街といったふう。

そして入口。
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都会の中の洞窟って感が無きにしも非ず。
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ビル一階にあたる細長く、薄暗い通路を通り抜けると
これまたいかにもという感じの小規模な飲み屋さんが左右にずらり。
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突き当たりは引き違い戸があってお店の出入口のよう。
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“袋小路か?”と思われたところ・・・
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いや、まだ先がありました。

いまくぐり抜けた戸のあたりを振り返るとこんなシチュエーション。
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そしてこの小路の行き着いた先・・・。
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“町屋風”の建物に囲われた、こじんまりした中庭が現れました。
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「ぎおん楽宴小路」というそうです。

古くからの町屋の中庭を改装して回遊性のあるミニ公園にしてみました・・・
・・・みたいな様子ではありますが、実際こうなる以前がどうだったのか。
平成6年にオープンしたスペースらしいですが、それ以上のことは詳しく知りません。
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いまはこの広場を囲うようにおしゃれな飲食店など店舗が展開しているようです。

で、火の見櫓&狛犬ツアーをしているなかでこの路地にやって来た理由は・・・
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そう、火の見櫓www。

閑話休題どころか、けっきょくそれかいっ!
というツッコミはなしに願います(^^;;

見た感じは古くからある木造の火の見櫓っぽいですが、これは鉄骨造。
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柱のひとつに電柱に付いているような昇降用の足掛けがありますね。

ネットで検索した情報によれば、江戸時代、この近くに藩邸のあった膳所藩が
享保7年(1722)に御所の火の番に加えて洛中火消しを兼務することになり、
藩邸に火の見櫓を建てて役目を務めたということで、
この楽宴小路の木造風鉄骨櫓はそのイメージを元に復元したものだとのこと。

足元は休憩スペースとしてベンチも付属していて、
櫓全体は看板的な感じで使われてるような印象。
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実際、看板らしきものはなんにも付いていませんでしたが。

半鐘はしっかりしたものがついています。
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紐が鐘のなかへつながっていて、“舌”らしきものが見られるので、
ちゃんと鳴らしているのでしょうかね。
詳しい情報、求む。。。

広場には他の路地からも出入り可能で、
そのうちのひとつから外に出てみると、、、
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入ってきたところとはまた違った感じの通りに出ました。
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近所にあるコンビニのローソン。
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町にはその町に相応しいデザインコードとカラーコードがあります。
平成時代の裏路地の広場も、表通りのコンビニも、
あれこれと調和のための工夫がなされているようです。

(撮影日:2013年4月6日)


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京都の三珍鳥居@木嶋神社 [狛犬・寺社(京都府)]

京都市右京区、太秦森ヶ東町の木嶋神社。
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木嶋と書いて“このしま”と読みますが、これは所謂通称らしく。
正式名称は、「木嶋坐天照御魂神社」。

・・・・・・読めますか?
“このしまにますあまてるみたまじんじゃ”が正解。
神社の呼び名は難しいのが多いです。
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でもって、この神社は上述の通称のほか、
「蚕ノ社」というのが観光ガイドブックなどをはじめとして
広く一般に知られた名称として使われているようです。
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本殿東側に並んで蚕養(こかい)神社があるのですが、
養蚕&織物&染色の神様として祀られており、
蚕ノ社というネーミングも当然そこからのもの。
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上の画像の右端っこにチラっと写っているのが蚕養神社。
正面からの写真は・・・・・すみません、迂闊にも撮り忘れ。

そもそもこの神社は渡来系の秦氏が創建したもの。
秦氏といえば全国お稲荷さんの総本社「伏見稲荷大社」や
酒の神様の「松尾大社」なども創建した、古代の有力氏族。
地名の太秦の由来も、秦氏に関連した説が有力のようで。

で、木嶋神社。

創建年は不明ながらも、続日本記の大宝元年(701)4月3日の条に
神社名の記載があることから、それ以前の創建と考えられています。

狛犬はいませんが、厳しい顔立ちの狐さんがいました。
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境内社の稲荷社。
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洞窟みたいな雰囲気の稲荷社もありました。
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そしてなにより同社は珍しい鳥居で有名ですね。
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こちら、三柱鳥居。
京都三珍鳥居のひとつ。
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京都三珍鳥居はすでに京都御苑の厳島神社の鳥居を ひとつ紹介エントリー済みなのでご参照を。

三柱鳥居は境内に設けられた「元糺(もとただす)の池」という池の中央、
石積みされた神座を囲うようにして立っています。
神座は宇宙の中心を表していて、四方より拝することができるという。

神社の創建同様、この三柱鳥居の建立年も不明。
神社の由緒書きによれば、現在見られるのは享保年間(約300年前)に
修復されたものだとされています。

とにかく全国でも数基しか類型が見られない珍しい鳥居。
この鳥居から北東に見られる四明岳(比叡山)には夏至の朝日が昇り、
その同軸を対面になる南東の方角に延長すると、
冬至の夕日が沈む方位に松尾大社のある松尾山が控えています。
同じように鳥居から北西方向には愛宕山には夏至の夕日が落ち、
同軸を対面の南東方向に延ばすと冬至の朝日が昇る伏見稲荷の稲荷山が。
・・・・・・という京の都を囲む四つの聖山に絡む神秘的な話が有名ですが、
さらには双ヶ丘という京都の聖地が真北に位置していることもあり、
なるほどこの鳥居に囲われた神座を宇宙の中心と捉えた話も
うなずけるところがあります。
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同社は観光客がわんさか訪れるような大社ではないですが、
古代人の思考を探るには大変興味深い社ではありますね。
であればこそ、取材に訪れたのが土砂降りの大雨というタイミングで
取材気分が萎えてしまったのが、かえすがえすも残念なことで。。。

(撮影日:2013年4月6日)


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イノシシに守られる神社 [狛犬・寺社(京都府)]

京都市上京区、烏丸通の護王神社。
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京都御苑とは烏丸通を挟んで西隣に位置し、
かの有名な蛤御門とは目と鼻の先にあります。

ご祭神は和気清麻呂とその姉、和気広虫。
姉弟揃って奈良時代後期から平安草創期に宮中に仕えた、
今で言うところの高級官僚ですかね。
神社の由緒によれば、姉の広虫姫は大変慈悲深い人で、
弟の清麻呂は道鏡事件で一時流罪とされてしまうもその後政界に復帰、
天皇の信任を得て後世に名を残す人物となりました。
烏丸通に面した神社の板塀には、
清麻呂公の歴史を語る絵巻が掲げられています。
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そして、和気清麻呂といえば・・・
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そう、イノシシです。

道鏡の策略によって大隅国へ流罪となった清麻呂公が
その道鏡の放った刺客に狙われそうになったところを、
猪たちによって命を守られたという伝説によって、
ここ護王神社はじめ和気清麻呂を祀る神社では
イノシシを随身として狛犬の代わりに建立されているそうです。

清麻呂とイノシシの関係については同社HPに詳しくあるので、そちらをば。

護王神社HP

表門前に鎮座するイノシシ。
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平成19年(2007)4月建立のまだ新しいイノシシですね。
製作 株式会社芳村石材店
彫刻 芳村茂右衛門

手水のイノシシ。
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画像では水は出ていませんが、普段は鼻先から水が出ているようです。
幸運の霊猪ということで、鼻をさわると幸せになれる、
またはそこに再び来ることができる、というご利益があるそうな。

拝殿。
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その拝殿前のイノシシ一対。
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明治23年(1890)12月建立。

ちゃんとお尻の始末も丁寧に彫り上げられています。
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これは表門前にいる平成生まれの子達も同じでした。

中門と本殿。
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社務所。
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社務所前には各地から奉納されたイノシシ像のコレクションがずらり。
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和気清麻呂公の像と巨大なさざれ石。
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そして境内摂社では、イノシシではなくノーマルな(?)狛犬が守護していました。
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護王神社はイノシシの話にも関連しますが、
足腰にご利益があるそうです。
腰痛や足の怪我、病気でお悩みの方はぜひ。

(撮影日:2013年4月6日)


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小学校の入口に立つ火の見櫓 [火の見櫓(京都府)]

京都市立朱雀第6小学校の火の見櫓。
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といっても、すでに半鐘は取り払われており、
ホース干し塔の用途のみに使用されているような。

屋根無しですが、近辺には同類型の櫓が立つので
京都エリアのスタンダードといっていいのかもしれません。
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小学校の敷地内に立っているわけですが、
前エントリーの有済小学校の望楼の例も考えると
こうした学校内の櫓自体も決して珍しいものではないのでしょう。
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櫓として珍しく思えたのは
櫓の各段に火打ちのような斜材を設けている点。
まあここだけの特例ではないですが、あまり見かけないタイプです。
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梯子材も太めの丸鋼で意外と目に付きます。

屋根はともかく、やっぱり半鐘があればなぁ~、という感想でした。
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(撮影日:2013年4月7日)


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旧有済小学校の太鼓望楼 [火の見櫓(京都府)]

またしてもしばし間が開いちゃいましたが、
まだまだ続く京都取材ツアーの記事エントリー・・・。

旧京都市立有済小学校。
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平成16年春に他校との合併のため廃校となってしまった小学校ですが、
今なお残る校舎の屋上に、明治期につくられた望楼が現存しています。
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火の見櫓も兼ねていたのかどうか、
半鐘ではなく太鼓が用意され、周辺住民に時を知らせたり、
有事の際には太鼓を打ち鳴らして知らせる役目を持っていたそうです。

有済小学校は明治4年の創立。
そしてこの太鼓望楼は明治9年(1876)に、
当時木造2階建てであった講堂の棟中央に据えられました。
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その後、昭和12年(1937)にRC造の校舎に建て直される際、
地域の熱心な保存活動などもあったらしく、
新校舎の屋上にそのままのかたちで残されることになったそうです。
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かつては京都だけでなく全国各地に見られたという小学校の望楼ですが、
明治期の木造望楼として唯一(?)残る貴重な文化遺産として、
現在では国登録有形文化財となっています。
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RC校舎との微妙なアンバランスさも確かに感じますが、
この建物自体も昭和12年建築のものということなので、
小学校の校舎としてはけっこう貴重な建物といえるかもしれませんね。
夜間はライトアップしているらしいのですが、
時間と天候の都合で夜の様子は残念ながら撮影できませんでした。

ここを取材している頃から雨脚(というより風)が強くなってきて、
落ち着いて鑑賞できなかったのが心残りです。
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(撮影日:2013年4月6日)


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