ちっちゃくても存在感満点、遠野を代表する狛犬 [狛犬・寺社(岩手県)]
遠野市土淵町、倭文神社。
倭文と書いて「ひどり」と読みます。
こちらの神社も遠野遺産に指定されています。
遠野市街から程近く、遠野郷八幡宮からも車で数分の場所ですが、
ここに今回の取材ツアーで絶対見逃せないとリストアップしていた
狛犬の一対がいます。
神社については、現地の由緒書きによると、
地域の主(←ローカルな歴史の人)が文殊菩薩をその守護として勧請。
明治の神仏分離令により倭文神社と改められて村社となり、
一般には文殊と呼ばれ、知恵の向上を祈り、学童の清書を奉納し、
健康を願い筆蹟の上達を祈願する、、、
というような意味のことが書かれていましたが、
地方の歴史を知らないので詳細は割愛。
街道の入口から小高い丘に登ると、こじんまりとひらけた境内に出ます。
そして正面の石段を登りきったところにいるのが、
念願叶って出会うことの出来た狛犬です。
建立年は不明。
六角石神社で見たものよりさらに小ぶり。
やはり獅子という印象は薄くて、
また人面というよりどちらかというと猿に近い感じがします。
見た目にいかにもはじめちゃんタイプ。
はじめちゃんは腹部や両前足の間が彫り抜かれていないことも多く、
この子たちもまさにそうなんですが、
だからといって単純に年代が古いと断言できないのが岩手県の狛犬たち。
ここまで見てきた(とくに三陸沿岸の)狛犬たちの中にも
一見古そうに見えて実は、、、というのもありましたので要注意。
とはいえ、この子については遠野エリアで制作年の分かっているものと比較して、
少なくとも近代に作られたものではないと思われます。
六角石神社の系譜にのっかりそうなデザインパターンの印象ですが、
どちらが古いかといわれれば、こちら倭文神社のほうが古いように思えます。
で、六角石神社の狛犬は宝永7(1710)と嘉永7(1854)のいづれかと推測できますが、
その六角石のほうを支持の多い宝永7年説として考えるとすると、
こちら倭文神社のほうは制作年が17世紀に入る可能性も出てきます。
これは石造の参道狛犬のなかではかなり古い年代に入ります。
もちろん、それが事実であってもなんら不思議ではないのが
この子達の姿かたちかなと思いますが。
拝殿で参拝し、振り返って後姿を鑑賞しつつ、
石段を下りて帰ろうとしましたが、なんとなく後ろ髪引かれる思いがして、
立ち去りがたいものを感じてしまいました。
安曇野以外の狛犬との出会いでこんな思いを抱いたのは過去に二度。
これで三度目になりました。
狛犬研究家&愛好家のなかにも、この子達に
「呼ばれた」とか「誘われた」かのようにこの神社に足を踏み入れ、
この子達と衝撃(?)の対面を果たしている人も何人もいるようで。
ちっちゃくておとなしそうな子たちでしたが、
それほどまでに強い印象を受ける狛犬でした。
(撮影日:2013年8月13日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
倭文と書いて「ひどり」と読みます。
こちらの神社も遠野遺産に指定されています。
遠野市街から程近く、遠野郷八幡宮からも車で数分の場所ですが、
ここに今回の取材ツアーで絶対見逃せないとリストアップしていた
狛犬の一対がいます。
神社については、現地の由緒書きによると、
地域の主(←ローカルな歴史の人)が文殊菩薩をその守護として勧請。
明治の神仏分離令により倭文神社と改められて村社となり、
一般には文殊と呼ばれ、知恵の向上を祈り、学童の清書を奉納し、
健康を願い筆蹟の上達を祈願する、、、
というような意味のことが書かれていましたが、
地方の歴史を知らないので詳細は割愛。
街道の入口から小高い丘に登ると、こじんまりとひらけた境内に出ます。
そして正面の石段を登りきったところにいるのが、
念願叶って出会うことの出来た狛犬です。
建立年は不明。
六角石神社で見たものよりさらに小ぶり。
やはり獅子という印象は薄くて、
また人面というよりどちらかというと猿に近い感じがします。
見た目にいかにもはじめちゃんタイプ。
はじめちゃんは腹部や両前足の間が彫り抜かれていないことも多く、
この子たちもまさにそうなんですが、
だからといって単純に年代が古いと断言できないのが岩手県の狛犬たち。
ここまで見てきた(とくに三陸沿岸の)狛犬たちの中にも
一見古そうに見えて実は、、、というのもありましたので要注意。
とはいえ、この子については遠野エリアで制作年の分かっているものと比較して、
少なくとも近代に作られたものではないと思われます。
六角石神社の系譜にのっかりそうなデザインパターンの印象ですが、
どちらが古いかといわれれば、こちら倭文神社のほうが古いように思えます。
で、六角石神社の狛犬は宝永7(1710)と嘉永7(1854)のいづれかと推測できますが、
その六角石のほうを支持の多い宝永7年説として考えるとすると、
こちら倭文神社のほうは制作年が17世紀に入る可能性も出てきます。
これは石造の参道狛犬のなかではかなり古い年代に入ります。
もちろん、それが事実であってもなんら不思議ではないのが
この子達の姿かたちかなと思いますが。
拝殿で参拝し、振り返って後姿を鑑賞しつつ、
石段を下りて帰ろうとしましたが、なんとなく後ろ髪引かれる思いがして、
立ち去りがたいものを感じてしまいました。
安曇野以外の狛犬との出会いでこんな思いを抱いたのは過去に二度。
これで三度目になりました。
狛犬研究家&愛好家のなかにも、この子達に
「呼ばれた」とか「誘われた」かのようにこの神社に足を踏み入れ、
この子達と衝撃(?)の対面を果たしている人も何人もいるようで。
ちっちゃくておとなしそうな子たちでしたが、
それほどまでに強い印象を受ける狛犬でした。
(撮影日:2013年8月13日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示