奥州津軽の霊地、猿賀神社 [狛犬・寺社(青森県)]
平川市猿賀、猿賀神社。
境内は猿賀公園の一角をなしており、
純粋な境内地だけでもかなり広くてゆったりとした環境を持っています。
一の鳥居。
前エントリーで記事にした火の見櫓が傍に立っています。
鳥居の足元には橋の欄干が。
もちろんオブジェでもなんでもなく、
昔はホントに川が流れていたそうでして。
長い表参道をひたすら歩き、振り返ると一の鳥居と大きな火の見櫓。
そして参道途中に二の鳥居が道路の真ん中に出現。
その鳥居をくぐると参道の両側に寺院が在りました。
左側、
猿賀山長命院神宮寺。
右側、
猿賀山蓮乗院。
もともと猿賀神社と同じ由緒を持ち、由緒によれば
桓武天皇の勅命により建立との説もあるそうで。
後になって神仏習合から深砂大権現(神蛇宮)と名乗り、
神宮寺も参道沿いに支院十二坊を持つ大規模なものでした。
江戸期には津軽藩の祈願所として石高を与えられていましたが、
明治の廃仏毀釈によって猿賀神社と改められ、神宮寺は廃寺。
支院のうち蓮乗院は存続を許されて後に現在の猿賀山蓮乗院となり、
同じく支院だった東光院も後年に復興を果たし、
現在の場所に長命院神宮寺と改称され存続することになりました。
と、神仏習合の様子をそこはかと垣間見つつ、参道をさらに歩んで行くと、
三の鳥居と傍らに立つ立派な建物の社務所。
ここから本当の神社境内といったところ。
境内を進むとすぐ参道両脇に狛犬たちが集団で鎮座しています。
一番手前側のものはなぜか対ではなく吽形一体のみ。
建立年は不明ですが、同地方ではよく見かける顔つきです。
仲間たちが立派な台座が用意されていることを考えると、
なにかの事情で壊れてしまい、この吽形だけが生き残ったのかも。
そして、二対目。
大正9年(1920)8月15日建立。
典型的な津軽半構え。
同社の例祭が旧暦8月15日とのことなので、
台座に刻まれていたこの子の建立月日も、
新暦(9月19日)ではなく旧暦のそれでしょうね。
三対目。
大正15年(1926)8月15日建立。
こちらは蹲踞。
阿形は子取り、吽形は玉取りなんですが、
津軽では珍しいようです。
母ちゃん(?)に甘えようとするかの様子の子獅子が可愛いですね。
四対目。
昭和5年(1930)8月15日建立。
ひときわ高い台座の上で半構え。
図体もでかいですが、彫りはけっこう淡白な印象。
3対+1体がずらっと居並ぶ様子は壮観ですが、
周辺の樹木と被ってしまっており、参拝者の目には
あまり映っていないかも。ちょっと残念な在り様です。
ようやく拝殿にたどり着きました。
向拝の彫り物も立派。
本殿。
ご祭神は上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと)。
相殿神は保食命。
拝殿前から脇参道を外へ向かうと二対の狛犬が居ます。
脇参道とはいえ普通なら境内の外側へ顔を向けるものですが、
ここの二対は境内側へと向けられているので、
ここから出た先にある胸肩神社のための守護獣という位置づけなのでしょう。
手前側。
明治28年(1895)8月15日建立。
口ひげのある、愛嬌のある顔つきです。
奥の側。
明治44年(1911)8月15日建立。
こちらのほうはスリムな体型で、顔つきも手前に比べて精悍です。
ここから石段を降りた先に鎮座する胸肩神社。
その鳥居脇にも一対の狛犬たち。
昭和34年(1959)旧7月15日建立。
いかつい面構えですが、阿形の胸元から前脚のデザインがいまいち。
橋を渡ると蓮池に浮かぶ島に社殿が立っており、
海の神様らしい雰囲気があります。
ご祭神は市杵嶋姫命。
が、雰囲気ある島の拝殿前に、さらに一対の狛犬が。
平成元年旧8月15日建立。
最後の最後で岡崎現代型に出会うなんて、これは・・・(ry
(撮影日:2013年8月14日)
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境内は猿賀公園の一角をなしており、
純粋な境内地だけでもかなり広くてゆったりとした環境を持っています。
一の鳥居。
前エントリーで記事にした火の見櫓が傍に立っています。
鳥居の足元には橋の欄干が。
もちろんオブジェでもなんでもなく、
昔はホントに川が流れていたそうでして。
長い表参道をひたすら歩き、振り返ると一の鳥居と大きな火の見櫓。
そして参道途中に二の鳥居が道路の真ん中に出現。
その鳥居をくぐると参道の両側に寺院が在りました。
左側、
猿賀山長命院神宮寺。
右側、
猿賀山蓮乗院。
もともと猿賀神社と同じ由緒を持ち、由緒によれば
桓武天皇の勅命により建立との説もあるそうで。
後になって神仏習合から深砂大権現(神蛇宮)と名乗り、
神宮寺も参道沿いに支院十二坊を持つ大規模なものでした。
江戸期には津軽藩の祈願所として石高を与えられていましたが、
明治の廃仏毀釈によって猿賀神社と改められ、神宮寺は廃寺。
支院のうち蓮乗院は存続を許されて後に現在の猿賀山蓮乗院となり、
同じく支院だった東光院も後年に復興を果たし、
現在の場所に長命院神宮寺と改称され存続することになりました。
と、神仏習合の様子をそこはかと垣間見つつ、参道をさらに歩んで行くと、
三の鳥居と傍らに立つ立派な建物の社務所。
ここから本当の神社境内といったところ。
境内を進むとすぐ参道両脇に狛犬たちが集団で鎮座しています。
一番手前側のものはなぜか対ではなく吽形一体のみ。
建立年は不明ですが、同地方ではよく見かける顔つきです。
仲間たちが立派な台座が用意されていることを考えると、
なにかの事情で壊れてしまい、この吽形だけが生き残ったのかも。
そして、二対目。
大正9年(1920)8月15日建立。
典型的な津軽半構え。
同社の例祭が旧暦8月15日とのことなので、
台座に刻まれていたこの子の建立月日も、
新暦(9月19日)ではなく旧暦のそれでしょうね。
三対目。
大正15年(1926)8月15日建立。
こちらは蹲踞。
阿形は子取り、吽形は玉取りなんですが、
津軽では珍しいようです。
母ちゃん(?)に甘えようとするかの様子の子獅子が可愛いですね。
四対目。
昭和5年(1930)8月15日建立。
ひときわ高い台座の上で半構え。
図体もでかいですが、彫りはけっこう淡白な印象。
3対+1体がずらっと居並ぶ様子は壮観ですが、
周辺の樹木と被ってしまっており、参拝者の目には
あまり映っていないかも。ちょっと残念な在り様です。
ようやく拝殿にたどり着きました。
向拝の彫り物も立派。
本殿。
ご祭神は上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと)。
相殿神は保食命。
拝殿前から脇参道を外へ向かうと二対の狛犬が居ます。
脇参道とはいえ普通なら境内の外側へ顔を向けるものですが、
ここの二対は境内側へと向けられているので、
ここから出た先にある胸肩神社のための守護獣という位置づけなのでしょう。
手前側。
明治28年(1895)8月15日建立。
口ひげのある、愛嬌のある顔つきです。
奥の側。
明治44年(1911)8月15日建立。
こちらのほうはスリムな体型で、顔つきも手前に比べて精悍です。
ここから石段を降りた先に鎮座する胸肩神社。
その鳥居脇にも一対の狛犬たち。
昭和34年(1959)旧7月15日建立。
いかつい面構えですが、阿形の胸元から前脚のデザインがいまいち。
橋を渡ると蓮池に浮かぶ島に社殿が立っており、
海の神様らしい雰囲気があります。
ご祭神は市杵嶋姫命。
が、雰囲気ある島の拝殿前に、さらに一対の狛犬が。
平成元年旧8月15日建立。
最後の最後で岡崎現代型に出会うなんて、これは・・・(ry
(撮影日:2013年8月14日)
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参道入口に立つ高層3脚タワー型 [火の見櫓(青森県)]
青森県平川市、猿賀石林の火の見櫓。
猿賀神社の表参道入口、一の鳥居の傍らにデンッと構えています。
今回の取材ツアーで出会った火の見櫓のなかでも
高層の部類に入るでしょう。
周辺の建物からも、頭がひとつふたつ抜け出ていますね。
六角形の屋根に丸型の見張り台。
スピーカーが付属していますが、半鐘もちゃんと残っています。
途中にある2段の踊り場にも半鐘が付属していますが、
いまでも使われているのでしょうかね。
脚部はかなりワイドに広がっている点も、
この櫓を大きく見せている要因かもしれません。
トラスもしっかり付け根まで伸びているのが好感度いいですが、
脚の一本が歩道にはみ出してますね。
まあ、歩道も幅広なのであまり気にならないのでしょうが。。。
(撮影日:2013年8月14日)
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猿賀神社の表参道入口、一の鳥居の傍らにデンッと構えています。
今回の取材ツアーで出会った火の見櫓のなかでも
高層の部類に入るでしょう。
周辺の建物からも、頭がひとつふたつ抜け出ていますね。
六角形の屋根に丸型の見張り台。
スピーカーが付属していますが、半鐘もちゃんと残っています。
途中にある2段の踊り場にも半鐘が付属していますが、
いまでも使われているのでしょうかね。
脚部はかなりワイドに広がっている点も、
この櫓を大きく見せている要因かもしれません。
トラスもしっかり付け根まで伸びているのが好感度いいですが、
脚の一本が歩道にはみ出してますね。
まあ、歩道も幅広なのであまり気にならないのでしょうが。。。
(撮影日:2013年8月14日)
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図太い二本柱 [火の見櫓(青森県)]
青森県平川市、八幡崎高原の火の見櫓。
弘前市方面から国道107号を走り、県道117号を東に折れて
しばらく走ると平川市消防団第14分団があり、その敷地内に立っています。
鉄骨丸鋼の二本柱で成り立っているのですが、さすがに図太いですね。
見張り台まで登る途中、踊り場は3段もあり、
2本柱ゆえにバランスを考慮してのことか、
柱の左右に均等に配されている格好です。
デザインはノーマルなタワー型とは大きく異なりますが、
カラーリングは同地方特有の赤茶色で彩られているのが
火の見櫓の地域性を継承していると言えなくもないですね。
(撮影日:2013年8月14日)
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弘前市方面から国道107号を走り、県道117号を東に折れて
しばらく走ると平川市消防団第14分団があり、その敷地内に立っています。
鉄骨丸鋼の二本柱で成り立っているのですが、さすがに図太いですね。
見張り台まで登る途中、踊り場は3段もあり、
2本柱ゆえにバランスを考慮してのことか、
柱の左右に均等に配されている格好です。
デザインはノーマルなタワー型とは大きく異なりますが、
カラーリングは同地方特有の赤茶色で彩られているのが
火の見櫓の地域性を継承していると言えなくもないですね。
(撮影日:2013年8月14日)
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二本柱の梯子櫓 [火の見櫓(青森県)]
青森県平川市日沼、一本柳の火の見櫓。
弘前市街方面より県道268号線を東に向かって走ると
途中の道沿いに立っていました。
一本柳地区の東のはずれに位置しているのですが、
集落中心などにタワー型が存在するのかどうかは不明です。
ただ同じ日沼地域内で少し離れた場所にタワー型が在るので、
そこからの中継塔ではなかろうかと勝手に推測。
デザインとしては、いわゆる梯子型ですが、
支柱に使用している丸鋼がかなり太めですね。
梯子型にしては踊り場がしっかりしていて、
梯子に掴まったまま半鐘を叩くといった
軽業師的な所作の必要はなさそうです。
この踊り場を支えることを考えれば、
たしかに丸柱の太さも頷けます。
半鐘は若干錆がきていましたが、
本体はこの地方特有の赤茶色の塗装でした。
雪の季節でも目立っているのでしょうね。
(撮影日:2013年8月14日)
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弘前市街方面より県道268号線を東に向かって走ると
途中の道沿いに立っていました。
一本柳地区の東のはずれに位置しているのですが、
集落中心などにタワー型が存在するのかどうかは不明です。
ただ同じ日沼地域内で少し離れた場所にタワー型が在るので、
そこからの中継塔ではなかろうかと勝手に推測。
デザインとしては、いわゆる梯子型ですが、
支柱に使用している丸鋼がかなり太めですね。
梯子型にしては踊り場がしっかりしていて、
梯子に掴まったまま半鐘を叩くといった
軽業師的な所作の必要はなさそうです。
この踊り場を支えることを考えれば、
たしかに丸柱の太さも頷けます。
半鐘は若干錆がきていましたが、
本体はこの地方特有の赤茶色の塗装でした。
雪の季節でも目立っているのでしょうね。
(撮影日:2013年8月14日)
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幣殿の囲いがちょっと惜しい・・・ [狛犬・寺社(青森県)]
青森県平川市館山板橋の神明宮。
ご祭神は天照大神。
旧村社ということのようですが、社号標にある村社の文字は消されてますね。
御由緒略記が境内入口にあるのですが、
大浦為信ってダレよ?
で、後で調べたら戦国期~江戸初期の武将で
地元津軽弘前藩の初代藩主だそうですが、
こういうローカルな神社だと由緒書きの中身もローカル仕様になって
県外から来た自分のような者だと人名とか地名が理解できないんですよね。
まあ、かといって詳しく書いても長ったらしくなるだけだし、
だいいち読むのが疲れますわな。
参道すぐに二の鳥居があるのですが、その手前には龍柱。
対であるので〆柱なんでしょうが、龍の彫りがあるのはやはり地域性?
鳥居の脇には一台だけの、台座だけの台座(←なんか変?)があります。
台座の形から察するに、これにはご神馬が乗せられていて、それはブロンズ像で、
戦争時に金属供出で持っていかれてしまった、、、という筋書きではなかろうかと。
根拠無く書いてますが。
そして、狛犬一対目。
大正11年(1922)7月16日建立。
津軽でよく見かける半構えです。
大きな耳が左右につんと広がっているのが特徴的ですね。
拝殿、そして本殿ですが。。。
先に幣殿としての構造物があるのかどうか判別できなかったのですが、
雪除けであろう遮蔽物のために左右に鎮座する狛犬が分断されています。
拝殿寄りの小ぶりなほう。
明治44年(1911)6月15日建立。
正面から拝めないのが残念無念。
全体の大きさに比して尾が大きいのが特徴ですね。
そしてもう一対の大きなほう。
明治27年(1894)9月16日建立。
彫りは小ぶりのほうに比べてもややシンプルで尾付。
しかもこちらの子は向かって右なのに口を閉じている印象。
ということで、反対側に回って見たところ、、、
やはり先ほどのものに比べて口は開き気味。
阿吽の配置が通常とは逆ということでしょうか。
小ぶりなほうの阿吽は通常の配置のようですね。
引いて見るとこんな感じなんですが、やっぱり阿吽を隔てる壁が。。。
雪国仕様になってしまいますね。
(撮影日:2013年8月14日)
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ご祭神は天照大神。
旧村社ということのようですが、社号標にある村社の文字は消されてますね。
御由緒略記が境内入口にあるのですが、
大浦為信ってダレよ?
で、後で調べたら戦国期~江戸初期の武将で
地元津軽弘前藩の初代藩主だそうですが、
こういうローカルな神社だと由緒書きの中身もローカル仕様になって
県外から来た自分のような者だと人名とか地名が理解できないんですよね。
まあ、かといって詳しく書いても長ったらしくなるだけだし、
だいいち読むのが疲れますわな。
参道すぐに二の鳥居があるのですが、その手前には龍柱。
対であるので〆柱なんでしょうが、龍の彫りがあるのはやはり地域性?
鳥居の脇には一台だけの、台座だけの台座(←なんか変?)があります。
台座の形から察するに、これにはご神馬が乗せられていて、それはブロンズ像で、
戦争時に金属供出で持っていかれてしまった、、、という筋書きではなかろうかと。
根拠無く書いてますが。
そして、狛犬一対目。
大正11年(1922)7月16日建立。
津軽でよく見かける半構えです。
大きな耳が左右につんと広がっているのが特徴的ですね。
拝殿、そして本殿ですが。。。
先に幣殿としての構造物があるのかどうか判別できなかったのですが、
雪除けであろう遮蔽物のために左右に鎮座する狛犬が分断されています。
拝殿寄りの小ぶりなほう。
明治44年(1911)6月15日建立。
正面から拝めないのが残念無念。
全体の大きさに比して尾が大きいのが特徴ですね。
そしてもう一対の大きなほう。
明治27年(1894)9月16日建立。
彫りは小ぶりのほうに比べてもややシンプルで尾付。
しかもこちらの子は向かって右なのに口を閉じている印象。
ということで、反対側に回って見たところ、、、
やはり先ほどのものに比べて口は開き気味。
阿吽の配置が通常とは逆ということでしょうか。
小ぶりなほうの阿吽は通常の配置のようですね。
引いて見るとこんな感じなんですが、やっぱり阿吽を隔てる壁が。。。
雪国仕様になってしまいますね。
(撮影日:2013年8月14日)
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勘左衛門堰のほとりに立つ火の見櫓 [火の見櫓(安曇野市)]
安曇野市下鳥羽、寺村の火の見櫓。
いわゆるタワー型ではなく、小規模な火の見。
透明タペストリーのU1教授が先日この火の見櫓の記事をエントリー。
安曇野市内にありながらこれまで自分にとって未見だったものなので、
早速現地に出向いて取材してきました。
下鳥羽地区の集落エリアにはタワー型が立っており、
この場所は集落中心から少し外れた場所にあるので
中継塔のような意味合いが強いのでしょう(と、勝手に推測)。
にしても安曇野では珍しいスタイルの櫓です。
高さも比較的小さめで、ブレースはターンバックルなしの細身の丸鋼。
半鐘には屋根がかかっていますが、見張り台などあろうはずもない背丈なので
その屋根はまるで半鐘を守るためのみに存在しているかのよう。
(いや、実際にそういう目的で作られたものなのかもしれないけれど。)
外灯の電柱代わりにも使用されているらしく、
火の見櫓の柱には電気安全サービスで昨年定期点検をしたシールが
貼られていました。
傍らを流れる勘左衛門堰は安曇野の横堰のなかでも開削時期は
けっこう古い時代に属します。
この火の見櫓のほうは建立年代が分かるものは残されていませんが、
現状などから察するに、安曇野の火の見櫓の中ではけっこう古いのでは、
と感じられなくもありませんでした。
(撮影日:2013年12月9日)
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いわゆるタワー型ではなく、小規模な火の見。
透明タペストリーのU1教授が先日この火の見櫓の記事をエントリー。
安曇野市内にありながらこれまで自分にとって未見だったものなので、
早速現地に出向いて取材してきました。
下鳥羽地区の集落エリアにはタワー型が立っており、
この場所は集落中心から少し外れた場所にあるので
中継塔のような意味合いが強いのでしょう(と、勝手に推測)。
にしても安曇野では珍しいスタイルの櫓です。
高さも比較的小さめで、ブレースはターンバックルなしの細身の丸鋼。
半鐘には屋根がかかっていますが、見張り台などあろうはずもない背丈なので
その屋根はまるで半鐘を守るためのみに存在しているかのよう。
(いや、実際にそういう目的で作られたものなのかもしれないけれど。)
外灯の電柱代わりにも使用されているらしく、
火の見櫓の柱には電気安全サービスで昨年定期点検をしたシールが
貼られていました。
傍らを流れる勘左衛門堰は安曇野の横堰のなかでも開削時期は
けっこう古い時代に属します。
この火の見櫓のほうは建立年代が分かるものは残されていませんが、
現状などから察するに、安曇野の火の見櫓の中ではけっこう古いのでは、
と感じられなくもありませんでした。
(撮影日:2013年12月9日)
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鬼子も龍柱も落ちかけ子獅子も居る神社 [狛犬・寺社(青森県)]
青森県平川市柏木、八幡宮。
平川市は2006年に周辺3町村が合併して出来た新しい市で、
同社はその旧平賀町の地域内にあり、
弘南鉄道平賀駅の南方すぐの場所に鎮座しています。
参道には幾重にも鳥居があり、
石造の三の鳥居には鬼子がいました。
四の鳥居を抜けると、こんなものが。
馬の蹄鉄に似ていますが。。。
その“蹄鉄”らしきものの手前に居るのがこの子達。
明治23年(1890)6月15日建立。
石工名も彫られているのですが、
“薬師堂村 ○左ヱ門”という文字がかすかに読み取れるのみ。
「神社探訪狛犬見聞録」さんによれば、出雲ほど構えているわけでもなく、
かといって四肢で普通に立っているより前足を張っているタイプを
“半構え”と表現されています。
他の地方では見かけることなく、津軽では普通に見られることから
自分も倣って「津軽半構え」と呼ぶことにします。
境内には津軽の神社の例に漏れず、石造の神馬がいました。
一対目。
二対目。
二対目は平成4年(1992)7月14日再建とあり、
もともとは昭和16年(1941)8月15日に奉献されていたようです。
その初代が奉献された4ヵ月後に太平洋戦争が勃発し、
そして奉献から丸4年過ぎた同日に終戦を迎えるなど、
当時の人は思いもよらなかったことでしょう。
同社には狛犬はもう一対いますが、その前に摂社の前に立っていた龍柱。
昭和29年12月に建立されていますが、
他社でも同じような龍柱を見かけました。
地域性?
拝殿前の狛犬一対。
昭和3年(1928)6月15日建立。
身体全体の彫りはシンプルですが、
鬣と尾が後方へと流れる様子に躍動感が見て取れます。
阿吽ともに台座に工夫がなされており、
吽形は正面側に牡丹の花が彫られ、
阿形は台座から子獅子がいまにも落ちてしまいそうな様子で
必死に(?)ぶら下がっています。
また阿吽ともにつま先にもこだわりが感じられるのですが、
一部の爪は裏が彫りぬかれていて、
また別では台座をつま先でぐっと押さえ込む様子で彫られています。
さり気ない部分ではありますが、
こういうところに石工のこだわりや遊び心、
オリジナルな部分を感じて好感が持てます。
同社は拝殿向拝の木鼻狛犬や龍の彫り物も立派なもので、
なかなかいいものを見させてもらうことの出来た神社でよかったです。
(撮影日:2013年8月14日)
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平川市は2006年に周辺3町村が合併して出来た新しい市で、
同社はその旧平賀町の地域内にあり、
弘南鉄道平賀駅の南方すぐの場所に鎮座しています。
参道には幾重にも鳥居があり、
石造の三の鳥居には鬼子がいました。
四の鳥居を抜けると、こんなものが。
馬の蹄鉄に似ていますが。。。
その“蹄鉄”らしきものの手前に居るのがこの子達。
明治23年(1890)6月15日建立。
石工名も彫られているのですが、
“薬師堂村 ○左ヱ門”という文字がかすかに読み取れるのみ。
「神社探訪狛犬見聞録」さんによれば、出雲ほど構えているわけでもなく、
かといって四肢で普通に立っているより前足を張っているタイプを
“半構え”と表現されています。
他の地方では見かけることなく、津軽では普通に見られることから
自分も倣って「津軽半構え」と呼ぶことにします。
境内には津軽の神社の例に漏れず、石造の神馬がいました。
一対目。
二対目。
二対目は平成4年(1992)7月14日再建とあり、
もともとは昭和16年(1941)8月15日に奉献されていたようです。
その初代が奉献された4ヵ月後に太平洋戦争が勃発し、
そして奉献から丸4年過ぎた同日に終戦を迎えるなど、
当時の人は思いもよらなかったことでしょう。
同社には狛犬はもう一対いますが、その前に摂社の前に立っていた龍柱。
昭和29年12月に建立されていますが、
他社でも同じような龍柱を見かけました。
地域性?
拝殿前の狛犬一対。
昭和3年(1928)6月15日建立。
身体全体の彫りはシンプルですが、
鬣と尾が後方へと流れる様子に躍動感が見て取れます。
阿吽ともに台座に工夫がなされており、
吽形は正面側に牡丹の花が彫られ、
阿形は台座から子獅子がいまにも落ちてしまいそうな様子で
必死に(?)ぶら下がっています。
また阿吽ともにつま先にもこだわりが感じられるのですが、
一部の爪は裏が彫りぬかれていて、
また別では台座をつま先でぐっと押さえ込む様子で彫られています。
さり気ない部分ではありますが、
こういうところに石工のこだわりや遊び心、
オリジナルな部分を感じて好感が持てます。
同社は拝殿向拝の木鼻狛犬や龍の彫り物も立派なもので、
なかなかいいものを見させてもらうことの出来た神社でよかったです。
(撮影日:2013年8月14日)
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コンクリートの一本柱 [火の見櫓(青森県)]
青森県平川市高畑の火の見櫓。
平川市消防団第二分団第二部詰所の敷地に立っています。
電信柱に用いられるのと同様のコンクリート柱。
中ほどまで鉄骨の梯子(階段?)が架けられ、
登りきったところに半鐘が付属されています。
頂部にはスピーカー。
隣接の詰所も新しい建物ということですし、
とはタワーの火の見櫓があって、建物と一緒に
火の見のほうも取り壊して今のスタイルになったのかもしれませんね。
地元民ではないので推測の域を出ませんが。
デザインとしては味気ないものになってしまいましたが、
単にスピーカー塔とだけにしないで半鐘を残したのは
せめてもの慰みとでもいいましょうか。。。
(撮影日:2013年8月14日)
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平川市消防団第二分団第二部詰所の敷地に立っています。
電信柱に用いられるのと同様のコンクリート柱。
中ほどまで鉄骨の梯子(階段?)が架けられ、
登りきったところに半鐘が付属されています。
頂部にはスピーカー。
隣接の詰所も新しい建物ということですし、
とはタワーの火の見櫓があって、建物と一緒に
火の見のほうも取り壊して今のスタイルになったのかもしれませんね。
地元民ではないので推測の域を出ませんが。
デザインとしては味気ないものになってしまいましたが、
単にスピーカー塔とだけにしないで半鐘を残したのは
せめてもの慰みとでもいいましょうか。。。
(撮影日:2013年8月14日)
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穏やかな表情で空を仰ぎ見る狛犬 [狛犬・寺社(青森県)]
弘前市薬師堂字日照田、熊沢神社。
境内のすぐ近くを東北自動車道が走っていますが、
集落の外れにあってとても静かな環境です。
御祭神は、、、
少彦名命
軻遇槌命
武甕槌命
、、、の三柱。
創建は坂上田村麻呂伝説の頃まで遡り、
創建当初は阿曽山中にあったといわれ、
その後天正17年(1589)に現在地に移ったそうです。
(以上、青森県神社庁HPより)
参道入口、右手に「薬師大神」の石碑。
住所がまさに薬師堂ということなのですが、
神仏習合で境内に薬師堂でも在ったのでしょうかね?
朱塗りの鳥居をくぐり抜けると、まず目に入ったのが御神馬。
御神馬は全国各地に奉納されていますが、
とくに弘前をはじめとする津軽地方では石造の御神馬たちに、
のちのち各所の神社でたくさん出会いました。
神馬の前を通過すると、次にお目見えするのは平成生まれの狛犬一対。
平成22年7月8日奉納。
岡崎現代型と括るのも憚られるデザイン。
それ以上は、、、ノーコメント。
ちなみに奉納日の7月8日は同社の例祭日のようです。
さて、本命の狛犬たち。
明治十七(1884)申年四月八日奉納。
横置きで首を参道の前方へ向けるだけでなく、
スッと天空を仰ぎ見るような顔の向き。
表情も穏やかな感じで、憤怒の表情で邪なものを追い払う
ありがちな狛犬イメージとは対照的です。
ただ、阿形のほうは蔓が絡んでクモの巣もはげしくて(^^;
津軽に入って最初に訪問した神社としては、
いい狛犬にめぐり会えました。
(撮影日:2013年8月14日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
境内のすぐ近くを東北自動車道が走っていますが、
集落の外れにあってとても静かな環境です。
御祭神は、、、
少彦名命
軻遇槌命
武甕槌命
、、、の三柱。
創建は坂上田村麻呂伝説の頃まで遡り、
創建当初は阿曽山中にあったといわれ、
その後天正17年(1589)に現在地に移ったそうです。
(以上、青森県神社庁HPより)
参道入口、右手に「薬師大神」の石碑。
住所がまさに薬師堂ということなのですが、
神仏習合で境内に薬師堂でも在ったのでしょうかね?
朱塗りの鳥居をくぐり抜けると、まず目に入ったのが御神馬。
御神馬は全国各地に奉納されていますが、
とくに弘前をはじめとする津軽地方では石造の御神馬たちに、
のちのち各所の神社でたくさん出会いました。
神馬の前を通過すると、次にお目見えするのは平成生まれの狛犬一対。
平成22年7月8日奉納。
岡崎現代型と括るのも憚られるデザイン。
それ以上は、、、ノーコメント。
ちなみに奉納日の7月8日は同社の例祭日のようです。
さて、本命の狛犬たち。
明治十七(1884)申年四月八日奉納。
横置きで首を参道の前方へ向けるだけでなく、
スッと天空を仰ぎ見るような顔の向き。
表情も穏やかな感じで、憤怒の表情で邪なものを追い払う
ありがちな狛犬イメージとは対照的です。
ただ、阿形のほうは蔓が絡んでクモの巣もはげしくて(^^;
津軽に入って最初に訪問した神社としては、
いい狛犬にめぐり会えました。
(撮影日:2013年8月14日)
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足元の草刈りが必要かと。。。 [火の見櫓(青森県)]
弘前市大字乳井字長橋の火の見櫓。
隣接して弘前市消防団石川地区第三分団の屯所があります。
津軽スタンダードな赤茶色。
ここの屋根は6角形で避雷針がやたらと長いのが印象的。
見張り台に半鐘を吊り下げていたらしきフックは見えますが、本体はなし。
まん丸い赤色灯が可愛らしいですね。
櫓はそれなりの高さなのですが踊り場はなく、
梯子は足元から見張り台まで一本で一気登り。
若手消防団員なら難なく登るでしょうが、
やはり踊り場がないと緊張感が増すのではないでしょうかね。
ちなみに、、、
足元の草むしりはしておいたほうがよいと思われ。。。
(撮影日:2013年8月14日)
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隣接して弘前市消防団石川地区第三分団の屯所があります。
津軽スタンダードな赤茶色。
ここの屋根は6角形で避雷針がやたらと長いのが印象的。
見張り台に半鐘を吊り下げていたらしきフックは見えますが、本体はなし。
まん丸い赤色灯が可愛らしいですね。
櫓はそれなりの高さなのですが踊り場はなく、
梯子は足元から見張り台まで一本で一気登り。
若手消防団員なら難なく登るでしょうが、
やはり踊り場がないと緊張感が増すのではないでしょうかね。
ちなみに、、、
足元の草むしりはしておいたほうがよいと思われ。。。
(撮影日:2013年8月14日)
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