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顔のひしゃげた狛犬 [狛犬・寺社(青森県)]

青森県五所川原市原子字山元の八幡宮。
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五所川原市街方面より国道101号のバイパスでないほうを東進。
原子の集落はずれに一の鳥居があり、参道が国道の傍らから始まっています。

林道のような未舗装道路の参道を進むと、
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二の鳥居、

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三の鳥居、

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四の鳥居と続き、境内奥へと進みます。

創建年は不明。
ご祭神は、譽田別尊。そしてこちらでも闇龗神が祀られています。

入母屋造の立派な拝殿。
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向拝の目貫と木鼻、龍と狛犬一対の彫刻。
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参道狛犬は一対です。
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明治25年(1892)7月15日建立。
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どこかで見たことあるようなタイプだと思ったのですが、
黒石市三島の三嶋神社にも頭のひしゃげた感じの子がいましたね。
造形も非常によく似た感じの子でしたし、年代も近い(三嶋神社のは明治22年)なので、
同じ作者だったかもしれませんね。

強面っぽい表情をしているっぽいのですが、
頭がひしゃげた感じで恐ろしさは感じられないですね(^^)
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でも印象に残るいい作りだと思います。

(撮影日:2013年8月15日)


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水の神、闇龗神 [狛犬・寺社(青森県)]

青森県五所川原市神山鶉野、闇龗神社。
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神社庁HPによれば明暦2年(1656)勧請とあります。
読んで字の如く、ご祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)。

闇龗は水の神。
地域の歴史のなかで水にまつわる苦労が絶えなかったのでしょうか。
実際、境内の道路を挟んだ反対側をはじめ、付近には溜池が点在しています。

ここは津軽では各地で見られる鬼子がたくさん居ました。
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鬼子は悪霊を防ぐ魔除けのためにあるといわれ、
ここの子は参道脇に座っていましたが、
通常は鳥居の扁額がおさまる場所に座っていることが多いようです。
調べると津軽独特の信仰だということですが、
じっさい自分は今回の津軽エリアの取材で初めて出会いました。

ガラス箱に納められている鬼子もいます。
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幾つかの鳥居をくぐり抜けると、狛犬が居ました。
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昭和14年(1939)旧8月15日建立。
三陸海岸の神社を取材してよく出会った、ほっかむり狛犬です。
みちのくではほっかむりが流行だったのでしょうかね。

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吽形は顔がてぬぐいで隠れて見えてません(^^)
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御神馬も一対で居ました。
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昭和6年(1931)旧3月5日建立。

拝殿。そしてその正面に別の狛犬が一対。
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明治42年(1909)7月17日建立。
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2013.08.15.kuraokami22.JPG2013.08.15.kuraokami23.JPG
厳しい表情ですが、鬣の先端が胸元まで流れているのがいいですね。
阿吽とも台座に牡丹が彫られています。

拝殿正面上部に赤い鬼子。
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表情がユルいですね。

狛犬は境内社の金比羅社にも居ました。
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逆光がきつくて撮影が苦労しました。
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お地蔵さんをはじめ、石造物もたくさん祀られていた同社。
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難しい名前の神社で印象的でしたが、パソコンではなくペンで名前を書けといわれても、
覚えられない自信はあります(^^;

(撮影日:2013年8月15日)


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消え行く運命 [火の見櫓(松本市)]

北東北取材ツアーのレポートエントリーが続いていますが、
ここで臨時ニュースです。(←なんか変?)

今朝の信濃毎日新聞、そして市民タイムスの記事で
松本市の消防団屯所移転の話が載りました。
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移転計画があるのは、あがたの森公園にも程近い、
中央4丁目にある松本市消防団第3分団の屯所。
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屯所移転の理由は土地の貸借問題。
まず屯所の建っている所が片倉工業という民間企業の所有地で、
松本市がこれを昭和13年より無償で借り受けているという場所です。
そして同社が運営する大型商業施設「松本カタクラモール」一帯の再開発計画が進行中で、
同屯所の建つ土地もその計画の中に含まれる場所であるため、
同社から屯所移転の依頼が数年前にあり、貸借契約の切れる今年11月末をめどに
12月からの新施設利用を目指すとのこと。
まあ無償で借りている土地となれば移転も致し方ないことでしょう。

カタクラモール一帯の再開発問題はいま松本市にとって大きな課題となっており、
行政だけでなく民間団体や市民活動のレベルでずいぶん前から
開発計画に対する積極的な提言や集会などが行われているところだったりします。
とくに計画用地のなかには松本の近代遺産と括られるべき、
旧片倉製糸紡績松本製糸工場(現カフラス)の建物も含まれていて、
それらの保存活用して欲しいという声も市民から少なからず出ています。
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そんななか発表された屯所移転問題。
当然、自分的に気になるのは屯所の傍らにそびえ立つ火の見櫓の身の処し方。
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「解体撤去→ハイッ、おつかれっ!・・・の流れだろうなぁ~」と思いつつ、
いちおう念のため市役所の担当課に取材。
結果「解体した後は移転などは行いません。」ということでした、やっぱり(>_<)
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新設される屯所の側では、ホース干し塔など現状の用途を満たすものを
新たに設けることになるとの回答で。
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まあ確かに現状として火の見の使途がなくなってしまっている以上、
安くはないコストをかけてでも移設保存するというのは、
行政の常識からすれば考えられないことではあるでしょう。

ただ、火の見ヤグラーのはしくれとしては残念でなりません。

とくにこの櫓は大正15年10月製作ということで、
現存する鉄骨タワー型の火の見櫓としては全国レベルでみても
相当古い時代のものであるといえます。
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国の登録有形文化財になっている鉄骨タワー型の火の見櫓は全国で数件あります。

福井県若狭町  木造   江戸期
京都府京都市  鉄骨造 大正12年
岡山県岡山市  鉄骨造 大正13年
石川県金沢市  鉄骨造 大正13年
岐阜県高山市  木造  昭和 7年
岐阜県各務原市 鉄骨造 昭和12年
静岡県富士市  鉄骨造 昭和26年

(下の画像は京都市竹田にある大正12年製の火の見櫓)
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年代だけに限って言えばじゅうぶん登録有形文化財の資格があるといっていいかもしれません。
画像はないですが、金沢のものなどは上半分を切り取った状態でも文化財登録されていますからね。
この中央4丁目の火の見櫓は、デザインとしては松本界隈でよく見かけるスタンダードタイプですけど、
であればこそ地域の安全遺産の象徴として保存活用される道が
模索されてもいいのではないかなと思うのですが。。。
屯所移転+土地明け渡し+予算がないという三重苦の前には
一介の火の見ヤグラーの力ではどうしようもないのが切ないです。

せめて記録として在りし日の姿をとどめて置こうと思い、
ある日突然始まってしまうかもしれない撤去前にと、
今日仕事の合間、時間を作って現地に足を運んできた次第です。
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(撮影日:2014年1月22日)


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津軽藩主代々の祈願所 [狛犬・寺社(青森県)]

つがる市柏桑野木田、柏正八幡宮。
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弘前市方面から国道339号を北上し、五所川原市手前を西に入ったあたり、
平成17年に周辺町村と合併してつがる市となる前の旧柏村にあります。

画像はいきなり境内から始まっているのですが、
当日うっかりして脇道からダイレクトに境内へ進入してしまい、
表参道が東のほうから延々と続いていることを
下調べしたつもりだったのに、現場ではころっと忘れてました。

なので、上の画像に写っている画像は、じつは四の鳥居になるようです(^^;

境内左手に土俵を見つつ、
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正面の立派な拝殿へ。
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ご祭神:誉田別尊、少名彦名神、保食神

由緒・・・
『天正5年(1577)3月、津軽右京之太夫藤原朝臣為信公の公命によって
金造の神像を御神体とし、 広須八幡宮 (柏村広須) に建立する。
国家安穏、 五穀成就、 萬民豊楽、 武運長久の祈願をこめ直筆の棟札を奉納した。
以来津軽藩主代々の祈願所とした。
(中略)
四代藩主信枚公が寛文8年(1668)6月に川端村 (柏村桑野木田) の現在地に移転した。
明治22年(1889)柏村となり、 明治42年(1909)に社名を為信公の棟札に正八幡宮とあるに俗い
柏正八幡宮に改名した。 旧社格は郷社である。
(後略)』
(青森県神社庁HPより抜粋)

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参道は神馬が一対で、そのすぐ後ろに狛犬。
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昭和35年(1960)7月15日建立。

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どこかしら、ゆるきゃら的な顔立ちといえなくも無いですが、
ここではやはり子獅子の様子がなんとも可愛いですね。
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母ちゃん(または父ちゃん)に抱っこしてと甘えているような感じが愛らしいですね(^^)

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(撮影日:2013年8月15日)


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お城の中の護国神社 [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市下白銀町、青森縣護國神社。
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弘前城址の弘前公園の一角に鎮座。
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明治3年(1870)、函館戦争戦没者慰霊のため創建。
明治43年(1910)、弘前招魂社と改称し現在地に移築。
昭和11年(1936)、青森懸招魂社と改称。
昭和14年(1939)、一府県一社の原則により、内務大臣指定護國神社となる。

とまあ、全国各地のおおかたの護國神社と同様の歴史を辿って現在に至っています。
こちらでは現在、2万9千余柱の英霊が祀られています。

県庁所在地の青森市ではなく、藩政時代の城下町であった弘前市に置かれたのは
松本市に据えられた長野懸護國神社の場合と似たシチュエーションですが、
明治維新後の県政の状況は青森と長野では必ずしも同じ道筋ではなかったようで、
その辺の話を絡めると複雑になるので、これ以上は割愛。

境内のある弘前城は事前に想像していたよりも広くてゆったりしており、
天守閣の眺めも素敵でした。
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やはり、桜の季節ですね、次に来るとすれば。

あ、神社に狛犬は居ませんでした。

(撮影日:2013年8月14~16日)


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津軽の越前笏谷石狛犬(弘前八幡宮編) [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市八幡町の弘前八幡宮。
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前エントリーの熊野奥照神社の至近に一の鳥居があり、
境内に向かって一般道路が表参道になっている様子です。

由緒・・・
『慶長十七年 (一六一二) 二代藩主信牧公の治世、 大浦郷八幡から、 それまで大浦城の鎮守と崇めて来た八幡宮をこの地に遷座致しました。 古伝によりますと、 信牧公が霊夢によって城の東北方に高林と呼ぶ霊地を卜定したと言われ、 これが現在地である。
弘前八幡宮は弘前総鎮守、 弘前城鬼門守護の藩内における最も尊貴な社として祭典の斎行社殿社地の維持管理、 社家の処遇等一切藩費によって賄われた。 天和二年より行はれた祭礼は弘前市立図書館に保存されている絵巻物によって当時の盛観を偲ぶ事ができます。
尚本殿、 唐門は桃山時代の様式で代表的な神社建築として、 昭和十一年国宝指定、 現在は重要文化財建造物、 棟札五枚を含む、 となっております。』

一の鳥居を見ると、向かって左の柱に
『津軽全郷 いぬ年 ゐ年 一代様』と表記があります。
2013.08.16.hirosakihachiman34.JPG

津軽一代様とは、津軽地方(おもに弘前を中心とする南津軽らしい)に
藩政時代より続く地場の信仰で、自分の生れた年の干支を守り神とした信仰のこと。
少しずつ信仰心が希薄になってきているとはいうものの、
現代でも子供が生まれた時の初宮参り、受験や就職等の人生の節目などでは、
自分の一代様となっている寺社にお参りする習慣が続いているとのことです。

十二支の守り本尊のことなので、基本はお寺さんなのですが、
八幡大菩薩=八幡宮のように神社の場合もあるわけで、
エントリー記事にした中では清水観音水で有名な多賀神社が子年の一代様、
卯年の一代様は西茂森の天満宮だったりといった感じなります。

そして、弘前八幡宮はというと、戌年と亥年の一代様となるわけですが、
これは津軽藩の二代藩主信牧は戌年生まれということで、
自身の一代様「八幡大菩薩」を城の鬼門にあたる現在地に創建したと伝わっているようです。

さて、境内に突入・・・と、その前に。
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一の鳥居の前にいる狛犬たち一対。
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一般道路に建つ鳥居前ということは、狛犬も当然ながら道路上に座ってまして。
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普通に考えると、変な感じですよね。
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明治32年(1899)8月15日建立。
石工:山内三次郎。
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奥目で、しかも阿形は口を開けているのかどうかすら定かでない。
でも愛嬌のある子達ですね。

さてさて、ようやく境内へと歩みをば。。。

二の鳥居が実質的な境内入口。
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由緒書き。
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境内社の田代大神と保食大神。
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保食大神の社殿前にいる狛犬。
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昭和36年(3月26日建立。
石工(?):弘前市撫牛子 桜庭石刻(?)。

そしてなぜか傍らには二宮金次郎(^^;
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神社の境内で二宮金次郎って、初めて見ましたよ。

金ちゃんと狛ちゃん、奇跡のツーショット♪
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八幡祭の神輿。
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高山開運稲荷神。
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正面の拝殿。
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本殿へは拝殿左側にある赤い鉄格子戸を開けて入っていきます。
いよいよ本殿正面に鎮座する笏谷石狛犬とご対面ですが、その前に。。。

その鉄格子戸の脇に居る、一体だけの狛犬。
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これ、なぜか相方として自然石狛犬なるものが奉献されておりまして。
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昭和52年9月13日奉献。
裏側から見るとこんな感じ。
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台座に「鳥海山自然石唐獅子」などと記されておりましたが、はてさて。。。

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いよいよ本殿、そしてその手前に見えるのが唐門。
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ともに慶長17年(1612)建立。
本殿は三間社流造、唐門は四脚門で入母屋造、唐破風が印象的です。
本殿と唐門は揃って国指定重要文化財となっています。

ご祭神:誉田別尊、息長足姫尊、比売大神。

さあ、ようやく狛犬。
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多賀神社、熊野奥照神社とともに、
寛文4年(1664)に奉献された越前笏谷石狛犬です。

みっつの神社に居る計三対の子たちの中では、神社規模とも相まって
もっともインターネット上で紹介されている弘前在住笏谷狛犬だと思います。

唐門の扉両脇の隅にひっそりと鎮座しており、
その唐門は通常瑞垣に囲われているため、なかなかうまく撮影できませんでした。
それでもなんとか(叱られない程度に)頑張ってみた結果の画像です。

前足の側面に建立年が刻まれています。
2013.08.16.hirosakihachiman32.JPG2013.08.16.hirosakihachiman33.JPG
30年前くらいの武田鉄矢みたいな頭髪(正しくは鬣)が特徴的なこのデザインの狛犬は
福井県エリアでは間々見かけるタイプのようなのですが、
越前笏谷石狛犬として紹介される時、この弘前八幡宮の子達が使用されたりと、
本場を差し置いて津軽で有名になっているこの子達に不思議な感覚を覚えます。
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(撮影日:2013年8月16日)


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津軽の越前笏谷石狛犬(熊野奥照神社編) [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市田町、熊野奥照神社。
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幾つか前のエントリーで同市内の多賀神社に居る越前笏谷石狛犬を採り上げました。
その際、同市内の別の神社にも同じ笏谷石の狛犬が居ると触れましたが、
そのうちの一箇所がこちら。

市の繁華街エリアから北へ車で数分ほど走ったところ。
目と鼻の先に弘前八幡宮が在るという位置関係で同社は鎮まっています。

同社入口の由緒書きは以下の通り(クリックで拡大)
2013.08.16.okuteru15.JPG
ご祭神は
伊邪那岐神
伊邪那美神

本殿は市内の棟札が残るものとして現存最古の建造物とのこと。
そしてその本殿前に市有形文化財に指定されている狛犬が位置図付きで解説されてまして。

一の鳥居。
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参道脇には境内社。
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拝殿。
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その拝殿脇に信楽焼の蟇蛙さん。
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縁起がよいということで、市制百周年記念として奉納されたそうです。

拝殿前に居る岡崎現代型。
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昭和16年6月15日建立。にしては新しく見えますね。

そして拝殿を回りこみ、本殿を囲う瑞垣の合間から中を覗き込んでみました。
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寛文4年(1664)9月吉日建立。
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弘前市内の三大越前笏谷石狛犬です。
いや、三大と付ける意味はあまりないのですが。。。

本殿正面に入れてもらって撮影に成功した人も居るようで、
掃除のおばちゃんに頼んだら見せてくれるという噂があったのですが、
訪れた時間が早すぎたせいか、残念ながら掃除のおばちゃんどころか
人っ子ひとり居ませんでした(涙)
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でも瑞垣越しに見ても17世紀半ばの制作だと思えないほどしっかりした
輪郭で保存されているようですね。
当時は海運だったでしょうが、狛犬の流通の歴史を考察する上でも
けっこう貴重な存在といえるかもしれませんね。

(撮影日:2013年8月16日)


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弘前市品川町の火の見櫓 [火の見櫓(青森県)]

弘前市品川町の火の見櫓。
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弘前市消防団南地区団第四分団消防屯所の傍らに立っています。

H型鋼の2本柱で立っており、梯子は見張り台まで一直線に登っています。
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四角形の見張り台に同色に塗装された半鐘。
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機能的には満たされているのかもしれませんが、
デザインの美しさという点で言えば、、、です、以上。

(撮影日:2013年8月16日)


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津軽の越前笏谷石狛犬(多賀神社編) [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市桜庭字外山の多賀神社。
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弘前市街より西、岩木山より南といった位置関係の、
桜庭地区の山麓に鎮座する神社です。

緑豊かな田舎の道をドライブしていると、のどかな田舎の集落に到着。
とくに駐車場もなにもないので、近所の人たちの迷惑にならないよう気をつけつつ
道端に車を寄せて駐車してから参拝。

参道が始まる場所に一の鳥居が立っていますが、
その傍らに小屋が在り、水汲み場が用意されています。
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清水観音水と呼ばれており、入口の由緒書きによれば、
昭和六十二年度県の名水のひとつとして認定されたものです。

ただし本当の水汲み場は観音堂脇の岩場から湧き出しており、
けっこうな石段と参道を登って行かなくてはいけないのですが、
それでもポリタンク幾つも抱えて水汲みに上がっている人が居ましたね。
自分はよく知らずに行ったのですが、きっと地元では有名な清水スポットなんでしょうね。

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二の鳥居を通過し、しばらく参道の石段を上がっていくと、
まずはじめに神馬が一対で待ち構えています。
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屋根がかけられていることもあってか、キレイに着飾ってもらってますね。

そしてさらに石段を登っていくと、、、
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居ました。
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越前の笏谷石狛犬。
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寛文4年(1664)卯月吉日建立。
阿吽ともに前足の側面に建立年が彫られているのが分かります。
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越前笏谷石狛犬の特徴は、まず何より使用石材が越前産の笏谷石であること。
そして外観上の特徴としては、おかっぱ頭のような作りが比較的多いこと。
鬣(頭髪?)はストレートなままの場合もあるようですが、
ここのものは先端がカールしています。
笏谷石は青白い色合いが独特で印象的ですね。
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この狛犬は越前産の笏谷石によって制作されたもので、
日本海を往来する船によって運ばれて来たものと推測されています。
またこの狛犬には兄弟(??)が居て、
同タイプの同年生まれの子が同じ弘前市内に2対居ます。
熊野奥照神社と弘前八幡宮の2社ですが、こちらについては
後日のエントリー記事で登場する予定です。

さて、狛犬さんを通り過ぎて振り返ると、まあこんな感じ。
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そして目線を先に向けると、、、こんな舞台が突如として現れます。
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元観音堂であった現本殿。
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青森県神社庁HPの由緒書き、、、
『創立年月日は不詳なるも寺伝によれば、 大同二年 (八〇七) 坂上田村麿の創建とも云われており、
又天平三年 (七三一) 行基菩薩がこの地を巡錫し、 千手観音像を刻み、 大高森山の岩窟へ
安置したのにはじまると伝えられている。 岩屋観音の名もこれによるが、 安奉した時近くの老松に
牡丹のごとき白い花が咲いたので、 「花咲松の観音様」 と別称されたという。
歴代藩主は霊場護持に関心を持ち、 為信が建物を、 信牧は大鳥居、 信義が石段を寄進し、
信政は御本尊を高森山から現在地の桜庭に移遷している。
明治三年の神仏分離で御本尊の千手観音像は弘前市の陽光院へ移遷されるが、
今なお、三十三観音巡りの二番札所、また子年一代の守護神として、巡礼、参拝の人々が絶えない。』

一方、以下は現地の狛犬に関する由緒書きの一部にある解説より抜粋。
『慶長15年(1610)、当地の給主桜庭信光は亡父信正の為に桜庭山陽光院を開山したが、
津軽藩二代藩主信牧公の命によって現在の弘前市西茂森に移安させられた。
やがて万治元年四代信政公が観音像を旧地に祀り同三年(1660)京都清水の舞台を模して
高楼を建立した。』

本殿の脇に湧き出す清水観音水。
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手のひらに掬って口に含んだ水は、暑さを忘れるほどひんやりとして美味しかったです。

(撮影日:2013年8月15日)


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八幡宮なので、鳩が仲良く・・・ [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市大沢、八幡宮。
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旧村社の社号標が建てられているほかには、由緒書きもないため詳細不明です。

上の画像は市道の傍らに立つ石造の一の鳥居。

山腹に立つ社殿に向かう石段の上り口に二の鳥居。
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途中三の鳥居を経て、境内には四の鳥居。
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ここで八幡さまの神使、鳩さんたちとご対面。
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切り株に降り立って羽を休めているといったイメージなのでしょうか。
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仲睦まじい様子がいいですね。

拝殿前には神馬と狛犬がそれぞれ一対。
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神馬。
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狛犬。
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明治35年(1902)3月15日建立。
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津軽らしい、という言い方だとうまく伝わらないかもしれませんが、
同地方でよく見かける顔つきの子達です、、、なんとなく。

本殿は覆い屋に覆われていました。
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冬場の雪の量も相当なのでしょうね。

(撮影日:2013年8月15日)


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