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津軽の越前笏谷石狛犬(熊野奥照神社編) [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市田町、熊野奥照神社。
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幾つか前のエントリーで同市内の多賀神社に居る越前笏谷石狛犬を採り上げました。
その際、同市内の別の神社にも同じ笏谷石の狛犬が居ると触れましたが、
そのうちの一箇所がこちら。

市の繁華街エリアから北へ車で数分ほど走ったところ。
目と鼻の先に弘前八幡宮が在るという位置関係で同社は鎮まっています。

同社入口の由緒書きは以下の通り(クリックで拡大)
2013.08.16.okuteru15.JPG
ご祭神は
伊邪那岐神
伊邪那美神

本殿は市内の棟札が残るものとして現存最古の建造物とのこと。
そしてその本殿前に市有形文化財に指定されている狛犬が位置図付きで解説されてまして。

一の鳥居。
2013.08.16.okuteru2.JPG

参道脇には境内社。
2013.08.16.okuteru3.JPG2013.08.16.okuteru4.JPG

拝殿。
2013.08.16.okuteru6.JPG

その拝殿脇に信楽焼の蟇蛙さん。
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縁起がよいということで、市制百周年記念として奉納されたそうです。

拝殿前に居る岡崎現代型。
2013.08.16.okuteru7.JPG2013.08.16.okuteru8.JPG
昭和16年6月15日建立。にしては新しく見えますね。

そして拝殿を回りこみ、本殿を囲う瑞垣の合間から中を覗き込んでみました。
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寛文4年(1664)9月吉日建立。
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弘前市内の三大越前笏谷石狛犬です。
いや、三大と付ける意味はあまりないのですが。。。

本殿正面に入れてもらって撮影に成功した人も居るようで、
掃除のおばちゃんに頼んだら見せてくれるという噂があったのですが、
訪れた時間が早すぎたせいか、残念ながら掃除のおばちゃんどころか
人っ子ひとり居ませんでした(涙)
2013.08.16.okuteru13.JPG2013.08.16.okuteru14.JPG
でも瑞垣越しに見ても17世紀半ばの制作だと思えないほどしっかりした
輪郭で保存されているようですね。
当時は海運だったでしょうが、狛犬の流通の歴史を考察する上でも
けっこう貴重な存在といえるかもしれませんね。

(撮影日:2013年8月16日)


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弘前市品川町の火の見櫓 [火の見櫓(青森県)]

弘前市品川町の火の見櫓。
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弘前市消防団南地区団第四分団消防屯所の傍らに立っています。

H型鋼の2本柱で立っており、梯子は見張り台まで一直線に登っています。
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2013.08.16.shinagawa3.JPG

四角形の見張り台に同色に塗装された半鐘。
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機能的には満たされているのかもしれませんが、
デザインの美しさという点で言えば、、、です、以上。

(撮影日:2013年8月16日)


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津軽の越前笏谷石狛犬(多賀神社編) [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市桜庭字外山の多賀神社。
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弘前市街より西、岩木山より南といった位置関係の、
桜庭地区の山麓に鎮座する神社です。

緑豊かな田舎の道をドライブしていると、のどかな田舎の集落に到着。
とくに駐車場もなにもないので、近所の人たちの迷惑にならないよう気をつけつつ
道端に車を寄せて駐車してから参拝。

参道が始まる場所に一の鳥居が立っていますが、
その傍らに小屋が在り、水汲み場が用意されています。
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清水観音水と呼ばれており、入口の由緒書きによれば、
昭和六十二年度県の名水のひとつとして認定されたものです。

ただし本当の水汲み場は観音堂脇の岩場から湧き出しており、
けっこうな石段と参道を登って行かなくてはいけないのですが、
それでもポリタンク幾つも抱えて水汲みに上がっている人が居ましたね。
自分はよく知らずに行ったのですが、きっと地元では有名な清水スポットなんでしょうね。

2013.08.15.taga2.JPG
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二の鳥居を通過し、しばらく参道の石段を上がっていくと、
まずはじめに神馬が一対で待ち構えています。
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屋根がかけられていることもあってか、キレイに着飾ってもらってますね。

そしてさらに石段を登っていくと、、、
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居ました。
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越前の笏谷石狛犬。
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寛文4年(1664)卯月吉日建立。
阿吽ともに前足の側面に建立年が彫られているのが分かります。
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越前笏谷石狛犬の特徴は、まず何より使用石材が越前産の笏谷石であること。
そして外観上の特徴としては、おかっぱ頭のような作りが比較的多いこと。
鬣(頭髪?)はストレートなままの場合もあるようですが、
ここのものは先端がカールしています。
笏谷石は青白い色合いが独特で印象的ですね。
2013.08.15.taga14.JPG2013.08.15.taga15.JPG
この狛犬は越前産の笏谷石によって制作されたもので、
日本海を往来する船によって運ばれて来たものと推測されています。
またこの狛犬には兄弟(??)が居て、
同タイプの同年生まれの子が同じ弘前市内に2対居ます。
熊野奥照神社と弘前八幡宮の2社ですが、こちらについては
後日のエントリー記事で登場する予定です。

さて、狛犬さんを通り過ぎて振り返ると、まあこんな感じ。
2013.08.15.taga17.JPG

そして目線を先に向けると、、、こんな舞台が突如として現れます。
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元観音堂であった現本殿。
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青森県神社庁HPの由緒書き、、、
『創立年月日は不詳なるも寺伝によれば、 大同二年 (八〇七) 坂上田村麿の創建とも云われており、
又天平三年 (七三一) 行基菩薩がこの地を巡錫し、 千手観音像を刻み、 大高森山の岩窟へ
安置したのにはじまると伝えられている。 岩屋観音の名もこれによるが、 安奉した時近くの老松に
牡丹のごとき白い花が咲いたので、 「花咲松の観音様」 と別称されたという。
歴代藩主は霊場護持に関心を持ち、 為信が建物を、 信牧は大鳥居、 信義が石段を寄進し、
信政は御本尊を高森山から現在地の桜庭に移遷している。
明治三年の神仏分離で御本尊の千手観音像は弘前市の陽光院へ移遷されるが、
今なお、三十三観音巡りの二番札所、また子年一代の守護神として、巡礼、参拝の人々が絶えない。』

一方、以下は現地の狛犬に関する由緒書きの一部にある解説より抜粋。
『慶長15年(1610)、当地の給主桜庭信光は亡父信正の為に桜庭山陽光院を開山したが、
津軽藩二代藩主信牧公の命によって現在の弘前市西茂森に移安させられた。
やがて万治元年四代信政公が観音像を旧地に祀り同三年(1660)京都清水の舞台を模して
高楼を建立した。』

本殿の脇に湧き出す清水観音水。
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手のひらに掬って口に含んだ水は、暑さを忘れるほどひんやりとして美味しかったです。

(撮影日:2013年8月15日)


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