消え行く運命 [火の見櫓(松本市)]
北東北取材ツアーのレポートエントリーが続いていますが、
ここで臨時ニュースです。(←なんか変?)
今朝の信濃毎日新聞、そして市民タイムスの記事で
松本市の消防団屯所移転の話が載りました。
移転計画があるのは、あがたの森公園にも程近い、
中央4丁目にある松本市消防団第3分団の屯所。
屯所移転の理由は土地の貸借問題。
まず屯所の建っている所が片倉工業という民間企業の所有地で、
松本市がこれを昭和13年より無償で借り受けているという場所です。
そして同社が運営する大型商業施設「松本カタクラモール」一帯の再開発計画が進行中で、
同屯所の建つ土地もその計画の中に含まれる場所であるため、
同社から屯所移転の依頼が数年前にあり、貸借契約の切れる今年11月末をめどに
12月からの新施設利用を目指すとのこと。
まあ無償で借りている土地となれば移転も致し方ないことでしょう。
カタクラモール一帯の再開発問題はいま松本市にとって大きな課題となっており、
行政だけでなく民間団体や市民活動のレベルでずいぶん前から
開発計画に対する積極的な提言や集会などが行われているところだったりします。
とくに計画用地のなかには松本の近代遺産と括られるべき、
旧片倉製糸紡績松本製糸工場(現カフラス)の建物も含まれていて、
それらの保存活用して欲しいという声も市民から少なからず出ています。
そんななか発表された屯所移転問題。
当然、自分的に気になるのは屯所の傍らにそびえ立つ火の見櫓の身の処し方。
「解体撤去→ハイッ、おつかれっ!・・・の流れだろうなぁ~」と思いつつ、
いちおう念のため市役所の担当課に取材。
結果「解体した後は移転などは行いません。」ということでした、やっぱり(>_<)
新設される屯所の側では、ホース干し塔など現状の用途を満たすものを
新たに設けることになるとの回答で。
まあ確かに現状として火の見の使途がなくなってしまっている以上、
安くはないコストをかけてでも移設保存するというのは、
行政の常識からすれば考えられないことではあるでしょう。
ただ、火の見ヤグラーのはしくれとしては残念でなりません。
とくにこの櫓は大正15年10月製作ということで、
現存する鉄骨タワー型の火の見櫓としては全国レベルでみても
相当古い時代のものであるといえます。
国の登録有形文化財になっている鉄骨タワー型の火の見櫓は全国で数件あります。
福井県若狭町 木造 江戸期
京都府京都市 鉄骨造 大正12年
岡山県岡山市 鉄骨造 大正13年
石川県金沢市 鉄骨造 大正13年
岐阜県高山市 木造 昭和 7年
岐阜県各務原市 鉄骨造 昭和12年
静岡県富士市 鉄骨造 昭和26年
(下の画像は京都市竹田にある大正12年製の火の見櫓)
年代だけに限って言えばじゅうぶん登録有形文化財の資格があるといっていいかもしれません。
画像はないですが、金沢のものなどは上半分を切り取った状態でも文化財登録されていますからね。
この中央4丁目の火の見櫓は、デザインとしては松本界隈でよく見かけるスタンダードタイプですけど、
であればこそ地域の安全遺産の象徴として保存活用される道が
模索されてもいいのではないかなと思うのですが。。。
屯所移転+土地明け渡し+予算がないという三重苦の前には
一介の火の見ヤグラーの力ではどうしようもないのが切ないです。
せめて記録として在りし日の姿をとどめて置こうと思い、
ある日突然始まってしまうかもしれない撤去前にと、
今日仕事の合間、時間を作って現地に足を運んできた次第です。
(撮影日:2014年1月22日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
ここで臨時ニュースです。(←なんか変?)
今朝の信濃毎日新聞、そして市民タイムスの記事で
松本市の消防団屯所移転の話が載りました。
移転計画があるのは、あがたの森公園にも程近い、
中央4丁目にある松本市消防団第3分団の屯所。
屯所移転の理由は土地の貸借問題。
まず屯所の建っている所が片倉工業という民間企業の所有地で、
松本市がこれを昭和13年より無償で借り受けているという場所です。
そして同社が運営する大型商業施設「松本カタクラモール」一帯の再開発計画が進行中で、
同屯所の建つ土地もその計画の中に含まれる場所であるため、
同社から屯所移転の依頼が数年前にあり、貸借契約の切れる今年11月末をめどに
12月からの新施設利用を目指すとのこと。
まあ無償で借りている土地となれば移転も致し方ないことでしょう。
カタクラモール一帯の再開発問題はいま松本市にとって大きな課題となっており、
行政だけでなく民間団体や市民活動のレベルでずいぶん前から
開発計画に対する積極的な提言や集会などが行われているところだったりします。
とくに計画用地のなかには松本の近代遺産と括られるべき、
旧片倉製糸紡績松本製糸工場(現カフラス)の建物も含まれていて、
それらの保存活用して欲しいという声も市民から少なからず出ています。
そんななか発表された屯所移転問題。
当然、自分的に気になるのは屯所の傍らにそびえ立つ火の見櫓の身の処し方。
「解体撤去→ハイッ、おつかれっ!・・・の流れだろうなぁ~」と思いつつ、
いちおう念のため市役所の担当課に取材。
結果「解体した後は移転などは行いません。」ということでした、やっぱり(>_<)
新設される屯所の側では、ホース干し塔など現状の用途を満たすものを
新たに設けることになるとの回答で。
まあ確かに現状として火の見の使途がなくなってしまっている以上、
安くはないコストをかけてでも移設保存するというのは、
行政の常識からすれば考えられないことではあるでしょう。
ただ、火の見ヤグラーのはしくれとしては残念でなりません。
とくにこの櫓は大正15年10月製作ということで、
現存する鉄骨タワー型の火の見櫓としては全国レベルでみても
相当古い時代のものであるといえます。
国の登録有形文化財になっている鉄骨タワー型の火の見櫓は全国で数件あります。
福井県若狭町 木造 江戸期
京都府京都市 鉄骨造 大正12年
岡山県岡山市 鉄骨造 大正13年
石川県金沢市 鉄骨造 大正13年
岐阜県高山市 木造 昭和 7年
岐阜県各務原市 鉄骨造 昭和12年
静岡県富士市 鉄骨造 昭和26年
(下の画像は京都市竹田にある大正12年製の火の見櫓)
年代だけに限って言えばじゅうぶん登録有形文化財の資格があるといっていいかもしれません。
画像はないですが、金沢のものなどは上半分を切り取った状態でも文化財登録されていますからね。
この中央4丁目の火の見櫓は、デザインとしては松本界隈でよく見かけるスタンダードタイプですけど、
であればこそ地域の安全遺産の象徴として保存活用される道が
模索されてもいいのではないかなと思うのですが。。。
屯所移転+土地明け渡し+予算がないという三重苦の前には
一介の火の見ヤグラーの力ではどうしようもないのが切ないです。
せめて記録として在りし日の姿をとどめて置こうと思い、
ある日突然始まってしまうかもしれない撤去前にと、
今日仕事の合間、時間を作って現地に足を運んできた次第です。
(撮影日:2014年1月22日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
津軽藩主代々の祈願所 [狛犬・寺社(青森県)]
つがる市柏桑野木田、柏正八幡宮。
弘前市方面から国道339号を北上し、五所川原市手前を西に入ったあたり、
平成17年に周辺町村と合併してつがる市となる前の旧柏村にあります。
画像はいきなり境内から始まっているのですが、
当日うっかりして脇道からダイレクトに境内へ進入してしまい、
表参道が東のほうから延々と続いていることを
下調べしたつもりだったのに、現場ではころっと忘れてました。
なので、上の画像に写っている画像は、じつは四の鳥居になるようです(^^;
境内左手に土俵を見つつ、
正面の立派な拝殿へ。
ご祭神:誉田別尊、少名彦名神、保食神
由緒・・・
『天正5年(1577)3月、津軽右京之太夫藤原朝臣為信公の公命によって
金造の神像を御神体とし、 広須八幡宮 (柏村広須) に建立する。
国家安穏、 五穀成就、 萬民豊楽、 武運長久の祈願をこめ直筆の棟札を奉納した。
以来津軽藩主代々の祈願所とした。
(中略)
四代藩主信枚公が寛文8年(1668)6月に川端村 (柏村桑野木田) の現在地に移転した。
明治22年(1889)柏村となり、 明治42年(1909)に社名を為信公の棟札に正八幡宮とあるに俗い
柏正八幡宮に改名した。 旧社格は郷社である。
(後略)』
(青森県神社庁HPより抜粋)
参道は神馬が一対で、そのすぐ後ろに狛犬。
昭和35年(1960)7月15日建立。
どこかしら、ゆるきゃら的な顔立ちといえなくも無いですが、
ここではやはり子獅子の様子がなんとも可愛いですね。
母ちゃん(または父ちゃん)に抱っこしてと甘えているような感じが愛らしいですね(^^)
(撮影日:2013年8月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
弘前市方面から国道339号を北上し、五所川原市手前を西に入ったあたり、
平成17年に周辺町村と合併してつがる市となる前の旧柏村にあります。
画像はいきなり境内から始まっているのですが、
当日うっかりして脇道からダイレクトに境内へ進入してしまい、
表参道が東のほうから延々と続いていることを
下調べしたつもりだったのに、現場ではころっと忘れてました。
なので、上の画像に写っている画像は、じつは四の鳥居になるようです(^^;
境内左手に土俵を見つつ、
正面の立派な拝殿へ。
ご祭神:誉田別尊、少名彦名神、保食神
由緒・・・
『天正5年(1577)3月、津軽右京之太夫藤原朝臣為信公の公命によって
金造の神像を御神体とし、 広須八幡宮 (柏村広須) に建立する。
国家安穏、 五穀成就、 萬民豊楽、 武運長久の祈願をこめ直筆の棟札を奉納した。
以来津軽藩主代々の祈願所とした。
(中略)
四代藩主信枚公が寛文8年(1668)6月に川端村 (柏村桑野木田) の現在地に移転した。
明治22年(1889)柏村となり、 明治42年(1909)に社名を為信公の棟札に正八幡宮とあるに俗い
柏正八幡宮に改名した。 旧社格は郷社である。
(後略)』
(青森県神社庁HPより抜粋)
参道は神馬が一対で、そのすぐ後ろに狛犬。
昭和35年(1960)7月15日建立。
どこかしら、ゆるきゃら的な顔立ちといえなくも無いですが、
ここではやはり子獅子の様子がなんとも可愛いですね。
母ちゃん(または父ちゃん)に抱っこしてと甘えているような感じが愛らしいですね(^^)
(撮影日:2013年8月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示