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太陽に吼えろ? [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市宮地、羽黒神社。
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弘前市街より岩木山へと向かう鯵ヶ沢街道とも呼ばれる県道3号沿い、
宮地の集落より山手のほうへと走ると一の鳥居が見えてきます。

ご祭神:
倉稲魂大神
大己貴大神
水波能売大神

由緒書きによると、大同2年(807)、坂上田村麻呂により建立とのこと。
またしても出ました、田村麻呂の創建伝説。
東北地方はとくに彼(の伝説)に所縁のある神社が多いようですね。
あと、細かな由緒については画像をクリック。
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岩木山に程近い、里山の中腹に境内はあります。
麓に立つ一の鳥居を過ぎて坂道を上ると、突き当たりに同社がありました。

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二の鳥居を通過して駐車場。

三の鳥居。
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脇に摂社がかたまって在ります。
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由緒書きにもあるように、同社は霊験あらたかな名水の出る社として有名のようで、
水汲み場はこの摂社の前にありました。

自然環境豊かで観光ルートからもひとつ外れた静かな山里ですから、
いいお水も出ているのでしょうね。

狛犬は拝殿の手前にいます。
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明治20年(1887)6月2日建立。

阿吽が通常と左右反対で参道に対して並行に据えられ、首を振りつつ天を仰いでいます。
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阿形などは空に向かって吼えているかのよう。
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上体から前足にかけて、そして後ろ足の膝(?)の立てかたなど
全体のフォルムがごく自然な感じでいいですね。

それにしても、何度見ても何に向かって吼えているのかと、
思わず考えてしまいそうな独特のデザインです。
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(撮影日:2013年8月15日)


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玉乗せ曲芸狛犬のオリジナルか!? [狛犬・寺社(青森県)]

青森県西津軽郡鯵ヶ沢町本町、白八幡宮。
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由緒・・・
『平城天皇の時代、 大同2年(807)に坂上田村麿公が東夷征討の勅命によって鯵屋之澤に来られた時に、
蝦夷退転降伏祈願所として祠を創立し、 大刀一口と白旗八旗を納めて白旗宮としたとされる。
康元元年(1256)に最明寺時頼公が諸国行脚の折に再建したと伝えられる。
慶長8年(1603)に津軽為信公が武運長久国家安泰祈願所として社殿を造築し鯵ケ沢総鎮守と定めた。
寛永7年(1630)の津軽信牧公の参拝、 太刀一口の寄進に続き、
寛文6年(1666)には津軽信政公により本殿・拝殿・籠舎・鳥居をはじめ調度品四十三点を寄進された。
延宝5年(1677)より神輿渡御による大祭執行 (隔年ごと) を仰せ付けられ、 今日の大祭に続くことになる。
天和3年(1683)より年中祈祷の仰付があり、 特に御廻船海上安全御祈祷湯立神楽など
五件の神事が執行された。 浪岡八幡宮・弘前八幡宮とともに津軽三八幡と称され、
為信公以後の諸藩主による参拝と寄進は大正十一年の義孝公まで続いた。』
(青森県神社庁HPより)

読んでいると目がチカチカしますが、非常に由緒ある神社であることが分かります(^^;

ご祭神:
誉田別尊
白鳥大明神
素盞鳴命
事代主命
菅原道真命

ちょうど訪問した日は神社のお祭り日だったようで、各所で山車が引き回されたりしていました。
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じつは津軽入りするまでぜんぜん分かってなかったのですが、
この白八幡宮大祭は4年に一度行われるお祭りという、オリンピックのような祭典らしく、
もうちょっと事前に情報を仕込んでから行けばよかったかなという気もしましたが、
他にも廻りたい神社がたくさんあったので、狛犬にしっかり出会えただけで今回はよしとします。

白八幡宮大祭について(鯵ヶ沢町役場HP内の紹介ページに直リン)

神社境内は港がすぐ間近にひかえる海の傍にありますが、
社殿は小高い山の中腹に建っていました。
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拝殿と本殿。
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玉垣は文化13年(1816)3月吉日の建立。
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玉垣が町指定文化財となっているのですが貴重ですね。

そして狛犬は神殿前、屋外の環境に座っています。
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文化14丑年(1817)3月建立。

出雲の来待石であろうと思われます。
かなり風化が進行していますが、ほぼ200年前に建立された点を考慮すれば
それでもまだこの状態が保たれているのはマシなほうではないでしょうか。

出雲で制作されて北前船など海路で運ばれてきたものと推測できるところですが、
出雲で子取り玉取りなのは珍しいのではないかと思います。
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しかもこのデザインは前エントリーの鬼神社で見た手の甲に玉を乗せた狛犬のそれです。
阿吽と子玉の配置は鬼神社とは反対に扱われていますが、パターンがそっくり。
両者の制作年は大きく隔たりがあるので同一作者ではないですが、
もしかするとこちらの狛犬をオリジナルとして鬼神社でも制作されたのかもしれませんね。

津軽取材では弘前を中心に内陸部ばかり巡っていて、
日本海の見える海沿いの町はこの鯵ヶ沢町が唯一でした。

天気が良い日の訪問がなによりでしたが、
海の幸をゆっくり頂く時間的余裕がなかったことが、今になっても後悔されます(^^;
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(撮影日:2013年8月15日)


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角のない鬼神社 [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市鬼沢、鬼神社。
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鬼、と書いていますが、現地では厳密には
「鬼」の字のあたまの『´(テン)』がついていない漢字が使われています。
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由緒沿革:
延暦年中 坂上田村麿東夷征討の勅命を奉じ東国に下った時 岩木山頂上奥宮鎮座
顕国魂の女高照比売命の霊験を蒙るに因り 岩木山麓に社宇を再建したという
其後 大山祇命を配祀すと伝う 明治十四年 郷社に列せられた』
(境内の由緒書きより抜粋)

地元に伝わる話として「おにがみさま」の伝説が残っているそうです。
「おにがみさま」はこの鬼神社の通称でもあるようで、
昔々、日照り=水不足で苦しんでいるとき、岩木山の鬼が同地にやってきて
一夜で水路を作り、水を引いてきて村人を助けたという伝説が残されており、
以来、村人は鬼に対する感謝の念を持ってこの鬼を祀り、地名も鬼沢に改めたということです。

扁額の文字の「鬼」に角がないのは、
そうした村人の鬼に対する崇敬の念が込められているということなのかもしれませんね。

坂上田村麻呂が地方の神社の創建に絡んでいる場合、
往々にしてその由緒と異なる説話が同神社や地方に存在することがあります。
中央政権の征服者と在地の被征服者では物事の見解が異なるのは不自然ではなく、
地方にとっての善人が征服者にとっては悪に仕立て上げられるなどよくある話です。
鬼神社の場合がそうであるかどうかは分かりませんが、
地元の人がおにがみさまへの信仰心を繋ぎ続けてきたことは少なくとも
田村麻呂の創伝とは大きく異なり、はたして古代この地に何が起こったのか、
空想を掻きたてられる由緒ではありますね。

さてさて、それでは境内へ足を踏み入れたいと思います。

先ほどの扁額のついた鳥居が一の鳥居。

二の鳥居。
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三の鳥居。
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この神社の参道は本殿がすぐ脇に見える場所から始まり、
いったん本殿とは反対側の境内の端まで行き、ぐるっとUターンする格好で
改めて本殿を目指すという、ユニークな参道になっています。

その途中に鎮座するのは春日神社。
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そして池の中に浮かぶ弁天社。
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四の鳥居が見えるところから狛犬の世界が待っています(^^)
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一対目。
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明治12年(1879)5月29日建立。
なんとなく、津軽入りしてからよく見かける顔つきの子。
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二対目。
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昭和2年(1927)5月建立。

さて、この狛犬の様子に注目。
阿形が子取り、吽形が玉取りなのですが、玉の持ち方に注目。
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普通、玉取りといえば玉の上に手のひらを乗せるわけですが、
こちらの狛犬はどうみても手の甲に乗せてます。

狛犬研究家の鐸木能光氏がこの狛犬を著書で採り上げており、
玉については宝珠としていますが、
阿形が母子狛犬で、吽形のオヤジ狛犬の芸当を見てビックリしている様子で
ひょうきんな一家だと評しています。
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なるほど、たしかに宴会帰りで酔っ払ったまま家に帰り、
宴会で披露してウケた一発芸を嫁と子供前でも披露して
ふたりに顰蹙を買っている、、、とまあ、そんな想像が膨らみますね(^^)
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参道突き当たりは当然ながら拝殿、そして流造の本殿。
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拝殿の扁額には一の鳥居に掲げられていたのと同様、
角のない鬼の字を使われています。
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そしてその拝殿前には三対目。
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昭和6年(1931)旧5月27日建立。
津軽の構え型でもかなり大型の部類に入ると思います。
少なくとも自分がこの取材ツアーで出会ったなかでは最大クラスでした。
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尾のデザインがいいですね。
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で、じつはこの神社にはもうひとつ特徴というか、オリジナルな子がいるんですが、、、
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いや、この子はフツーに御神馬さまですが。。。

こちらです。
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この角度からではなにか分からないですかね?






角度を変えて・・・

正面から・・・
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正解は、サカナ。
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世間でよく使われる狛魚なんていう表現はあまり好きではないのですが、
たしかに一対で参道の両脇にいます。
阿吽ではないですけどね。
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昭和53年旧5月29日
藤田重次郎八十才建立、とあります。

なにかこの神社にお魚さんの所縁でもあったのでしょうか?
同神社に行く前にネットで調べた限りではこれといった情報はなく、
現地で地元住民に取材しようと思いましたが、神社周辺は人影もなく、
理由不明なままやむなく撤退と相成りました。

また再訪する機会が訪れるかな?
神使といわれる動物たちとは異なる生き物と出会うと、
探究心をそそられます。
もっとも真実は意外とあっさりしたものだったりするものなんですけどね。

(撮影日:2013年8月15日)


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