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安曇野市柏原の日吉神社の狛犬 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市穂高柏原、倉平の日吉神社。
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前エントリーの下堀諏訪神社から拾ヶ堰沿いに北上すると
約2キロ半ほどの場所に鎮座しています。
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水田の広がるエリアにもっこりとした鎮守の森を柏原地域の産土神。

ご祭神:
大己貴命(大国主命)
玉依姫命
大山咋命
瀧津姫命
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由緒書きでは、
延宝元年(1673)に再建、明治2年(1869)に日吉大社より神霊勧請される、とあります。
再建と勧請の順序が逆のような気もしますが、ご祭神の変更でもあったのかな?
あるいは・・・と、思っていちおう旧穂高町の町誌をひもといてみたところ、
「・・・倉平には産土神の日吉神社があり、そのまま今日に及んでいる。
ただこの宮は慶安年間にはまだ現在地になく、山王権現社の名で拾ヶ堰の上、
現在地「神原」の「宮地」とよばれる地籍にあったという。・・・」
とありました。

慶安年間というと1648年~1651年の間。
ということから勝手に推測するに、上述の延宝元年(1673)に再建とあるのは、
神原から現在の倉下の地に移転した時期ということではなかろうかと思われます。

明治2年の日吉大社よりの神霊勧請の話については
具体的な記述は穂高町誌で読み取ることが出来ませんでしたが、
これまた勝手な推測ながら柏原村の江戸期の村域拡大による
本郷地区と新郷地区との関係が影を落としているような印象を受けます。
事実、同じ柏原地区内でありながら、日吉神社より西のエリア、
かつての新郷地区には八幡宮と諏訪神社が相応の規模で存在しています。
これらの社の存在は本郷に対する新郷の独立意識と、
明治維新による神道の国境かに伴う神社の氏子として所属先を明らかにするという
国策に関連する経緯が存在しているようなのですが、
そうした時代背景から、日吉神社のある本郷の立場としては神霊勧請をもって、
改めて日吉の存在をハッキリさせておく必要があったのではないでしょうか。

いづれにしても神社境内に立つ由緒書きと旧穂高町誌の資料からだけでは
推測の域を出ないので、これ以上は余計なことは書かないことにして、
いつもどおり神社の観察に移りたいと思います。

鎮守の森の一辺に入り込むように境内前の道路が貫通しています。
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その境内と道を挟んだ対面にいろんな石造物。

供養塔。
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御嶽神社。
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筆塚。
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手水舎も道路向かいにあります。
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玉垣に添って水路も走っていますが、
本来の境内は今よりひとまわり広かったのかもしれませんね。
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境内入口の両部鳥居。
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その鳥居の扁額。
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龍の彫刻が立派です。
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狛犬は鳥居前に一対。
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昭和47年秋(9月13日)建立。
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岡崎古代型。
作者は不明ですが、年代的に外国産は考えづらいので、
確かに岡崎市の石工さんによって制作されたものでしょう。

台座には施工店が松本市中央の伊藤石材店と記名があります。
自分は仕事その他のお付き合いで伊藤石材の社長さんとは懇意にさせて頂いており、
じつは昨年末に所用でお店に寄らせて頂いたのですが、その折に
この日吉神社の狛犬奉献当時に撮影した記念写真を拝見させて頂いたのでした。
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中央の額を持っていらっしゃるのが、現社長のお父さん(つまり先代社長)。

で、伊藤石材は狛犬制作の実績も伝統もある石工さんですが、
奉献されたのは岡崎古代。
昭和40年代後半という時期に現代型ではなく古代型にしたという点も含め、
奉献される狛犬がこの子達になったその理由をちょこっと考えてみたのですが、
もしかすると前エントリーの下堀諏訪神社の狛犬を見て、同じものにしよう、
という話になったのかもしれなとか、勝手な推測をしております。

岡崎古代が安曇野では下堀の諏訪神社とこの日吉神社の他に見かけない上、
上述のようにこの二社は比較的近い距離にあり、
拾ヶ堰を下っていくと30分ほど歩くとたどり着く位置関係にあります。
昭和47年ともなれば同じ岡崎でも現代型が大量に出回っている時代で、
事実安曇野市内の他の神社で前後の年代に奉献されたものは
その多くが岡崎現代型となっています。

というわけで、下堀の神社を参考にして決まったのではと推論した訳ですが、
違ってたらゴメンナサイ。。。m(__)m

境内。
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同社を訪れたのは今から2年も前の真冬でしたが、
すっきりと整った境内という印象でした。

宝殿。
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摂社・秋葉社。
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写真左から、鎮ノ宮、戸隠社、八王子社、稲荷社、
琴平社、菅原社、樹ノ下宮、八幡社。
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摂社・弁財天社。
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拝殿。
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御神紋があるわけですが、、、
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二葉葵。
本社である日吉大社が二葉葵なのでそれに準じた形に違いないのですが、
この柏原の日吉神社の御神紋は同じ二葉葵でも
どちらかというと加茂神社(上賀茂神社)のそれに似ているようです。
あまり、神紋については詳しくないのであれですが(^^;

拝殿内部には随神像。
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本殿は一間社流造。
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幣殿(?)から壁(衝立)が延長して新たに設けられていますね。

同社はグーグルマップなどの空撮を見ると社叢が真四角に見えるのですが、
陸地で見ていてもなんとなく四角形なイメージが沸いてきます。
集落から距離をとっていて周囲が開けていることもあって、
ボリューム豊かに見える鎮守の杜ですね。
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(撮影日:2012年1月13日)


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