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神宮の御厨に創建された神明宮 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市穂高、矢原の矢原神明宮。
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高速長野道安曇野インターを下りた車が穂高方面に走ってくると、
柏矢町交差点にて国道147号線とぶつかりますが、
その少し東手前から北へ折れた場所に鎮座しています。

取材はもう2年半くらい前ですが、
それからとくに変化があったようにも見えないので、
画像はその当時のままで使用しています。

すぐ近所が複合店舗群やロードサイド店の集中するエリアでありながら、
境内一帯は非常に静かで落ち着いた雰囲気に包まれています。

ご祭神はもちろん天照皇大神。
創建年は不明ですが、由緒書きによれば古代に遡ると
この地は皇大神宮の御厨として成立していたとのことで、
その重要な神領の拠点としての意味を持っていたのでしょう。
詳細は境内の由緒書きをどうぞ↓
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境内入口にはなぜか鳥居がなく、地元でも珍しがられています。

余談ですが、じつは同社はTVドラマのロケに使用された実績がありまして、
「電池が切れるまで」(2004)という連ドラの一シーンでしたが、
安曇野市内にある県立こども病院を舞台にした作品で、
ご存知&ご記憶のある方も多いと思います。
そのなかで、病院を抜け出した女の子(役:成海璃子)を大人たちが探し回る中、
主人公である院内学級の女教師(役:財前直見)が同社の神楽殿に倒れていた
女の子を発見するというシーンだったわけですが。
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作中では“矢原神社”と表現されていました。
神明宮というのは、やはりドラマでは使いづらい言葉なんでしょうかね。

話が逸れました。

拝殿。
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その正面上部には、養蚕組合が奉納した繭玉の額が見えます。
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大正11年および12年。
地域がいかに養蚕によって支えられていたかが分かりますね。

拝殿内部は少々埃っぽさがあり、随神像も据えられているのですが、
こちらもまたけっこうくたびれた感じで、ちょっと残念です。
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拝殿中央は吹き抜けており、奥に二柱の本殿が見えます。

本殿。
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天照皇大神は画像奥側の神明造のほう。
手前の流造は白山姫大神で、明治10年に合祀されたそうです。

拝殿向かって右側に隣接して道祖神が祀られていました。
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覆い屋で守られており、地域住民の道祖神に対する愛情が伺えます。

矢原地区には他にも道祖神が幾つか存在し、
なかには彩色されたものなどあって、観光で訪れた人にも人気があります。

田園集落散策の拠点にも最適な神明宮は、心地よい場所でした。
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PS.
狛犬たちは居ませんでした。

(撮影日:2011年11月2日)


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坂城町指定有形文化財の狛犬 [狛犬・寺社(埴科郡)]

長野県埴科郡坂城町坂城の坂城神社。

坂城のまちは旧北國街道の宿場町のひとつ、坂木宿の発展した町。
坂城神社はその宿場の北の枡形からさらに北進した、里山の麓に鎮座しています。

参道となる道の途中に一の鳥居となる木造の両部鳥居。
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境内入口に大きな杉の大木が交差点の真ん中に立っていて、
社頭の雰囲気を醸し出しています。
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参道右手に手水舎。
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同じく左手には社務所。
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一対目の狛犬が居ました。
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昭和30年(1955年)10月吉日建立。

尾立ちに眉毛、鬣や歯並びなどなど、浪速の空気も感じるデザイン。
ですが、ここは阿形にしがみつく子獅子の愛嬌がいい感じ。
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正面から見ると、なんとなく原石の姿が見えてくるようです。
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一対目の狛犬を過ぎると文化財の案内版がありました。
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坂城町指定文化財の狛犬が一対いるわけですが、
それは上記の子たちではなくて。

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天和2年(1682年)8月壬戌建立。
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背中に記銘があり建立年のほかには
「奉寄付高麗狗一雙 石川市左衛門義孝」と記されています。

石川某は石工ではなく奉献者のようですね。
詳しくは案内板をご参照。

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顔つきも厳しくもあり、また凛々しさも感じられますが、
ボリュームは決して大きくはないです。
が、胸をはってがっしりした体躯と全体的なイメージは
国重文に指定されている京都の籠神社の狛犬を想起させますが、
丸みを帯びた様子は、あるいは東京の赤坂氷川神社に居る
延宝3年~5年に制作された狛犬1対をも感じさせます。

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石造の参道狛犬はその大半が近世以降の作ということもあってか、
文化財指定の世界ではお世辞にも日の目を見ているとは言い難い状況があります。
そんななか、江戸中期作というこの狛犬をしっかり町指定文化財として認定し、
覆い屋まで設けて保全している地元坂城町に敬意を表したいと思います。

もちろん文化財指定そのものが目指すべきところというわけではないですが、
少なくとも狛犬に対する世間の関心を高める効果と
当該の狛犬の歴史的芸術的価値を後世に伝えるためにも
文化財指定という動きは有効手段であることには違いないと思います。
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さて、拝殿に進んで参拝。
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ご祭神は、大己貴命。

式内社で、明治初年に郷社、昭和に入って県社に昇格。
創建年は不明ですが、日本武尊東征の折り、
祖神を祀ったのが始まりとの言い伝えがあるそうです。

拝殿前には土俵、
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宝物庫(?)
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厳島社。
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社殿背後の丘を登ることが出来、
そこからは本殿などが一望できます。
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その神殿を取り囲むようにして多数の石祠や石碑などが存在。
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木造の摂社もありますが、圧倒的な数の石祠ですね。
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今回は時間もなくて神社に立ち寄ったのみでしたが、
宿場だったまちなかには古い町屋もけっこう残っている様子で、
また改めて訪れてじっくりとまちなかを散策してみたいと思いました。
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(撮影日:2014年3月22日)


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明科のまちなかで盲点でした [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市明科、中川手の火の見櫓。
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安曇野市の明科総合支所のすぐ近所に立っていまして、
支所の駐車場からズドンと目の前に見えているのですが、
なんと今日この日までまったく存在に気づいていなかったという。

こちら、火の見ヤグラーを自称するようになってかれこれ数年経ち、
その間にかなりの回数で明科支所に足を運んでいましたが、
どういうわけかこの子に気づくことはありませんでした。
通常なら視界に入っていなくても、火の見櫓センサーが働いて
すぐにその存在を察知するわけですが、もしかして明科のまちなかには
そのセンサーを無力化するジャミングでもなされているのでしょうか。。。

などというつまらぬ冗談はさておき、
傍まで行ってさっそく取材。
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コンパクトカメラで撮ったので、若干ピンボケもありますが、
正面から見ると、なかなかスタイルの良い子だったりします。
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足元のスタイルはいいですね。
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銘板プレートがありました。
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「信州 明科」
「波場鐵工場」
「昭和廿九年九月建設」
の文字がすべて右から記されています。
この界隈の火の見櫓は昭和30年代~40年代前半が大半なので、
この子は比較的古い年代に区分されますね。

支所から見て反対側に回ると、こちらが消防団詰所の正面でした。
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近所の方に取材すると、火の見櫓はもともとこの建物の正面側に立っていたそうで、
後年になって現在地に移動したのだそうです。
その年代や経緯などは詳しく覚えていないようでしたが、
屯所の整備に合わせての移築と考えるのが自然でしょうね。

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半鐘も大きなものが付いていました。

よく往来するまちなかでもこんな新しい発見があることにびっくり。
慣れた町だからと侮っていては痛い目(?)に遭います(^^;

(撮影日:2014年3月25日)


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FMラジオで狛犬について語ってみた [その他]

昨日の夜、
FMまつもとの番組にゲストで出演して、狛犬について語ってきました。

とは、前エントリーのタイトルと書き始めの
「火の見櫓」の部分を「狛犬」に置き換えただけの、まあ手抜きエントリーですw

そうなんです。先日の予告どおり、同じFM放送の生番組内で
今度は狛犬について語ってきたわけですが、
やはり時間制限のきっちりした生放送で語るのは緊張しますね。

狛犬については年季はさほどではないものの、かなりの数を取材して
講座もすでに3回ばかしやらせていただいたりもしたので
トークそのものについては慣れているつもりではいましたが、
やはり自分が講師になって自由勝手に語りつくすのと
インタビュー形式で受身になって話すのとではぜんぜん違いますね。

正直、話している最中はかなりテンパッていたと思うのですが、
聞いて下さっていた人たちから感想メールを頂戴した限りでは
それなりに喋られていたのかなという感じです。
約20分ちょっとという枠の中で最低限の語りは出来ていた、、、のかな?

狛犬については火の見櫓以上に研究家や愛好者も多くて
自分などよりはるかに年季の入った人が居ますが、
メディアで情報発信する機会となると、滅多にないのではと思います。

自分の場合、いろんな活動をしているなかで新聞やTV、ラジオなど
情報媒体と知り合う機会が多いので、そういうのをこれからも
適宜じょうずに利用して狛犬と火の見櫓の啓蒙活動に生かして行ければと思っています。

まあ、次の機会がいつになるか分かりませんが、
今度音声媒体に登場する機会があれば
もうちょっとマシなトークが出来るように勉強しておきたいと思います、はい。

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FMラジオで火の見櫓について語ってみた [その他]

昨日の夜、
FMまつもとの番組にゲストで出演して、火の見櫓について語ってきました。

といっても、メインで語っていただいたのは、
ブログ『透明タペストリー』のオーナーで火の見ヤグラー師匠のU1氏。
自分は口下手(??)なので脇に座って静かにしていました(^^;

生放送の「夕暮れ城下町」というタイトルで、
パーソナリティーは山本広子さん。
90分番組の後半約20分程度のショートークでしたが、
事前打ち合わせも一切なくぶっつけ本番。
それでも山本さんはさすがに語りのプロで慣れていらっしゃる。
上手くU1氏の話を引き出しながら火の見櫓の魅力を
短時間で語られるように誘導して下さっていました。

先日穂高で開催した火の見櫓講座もそうでしたが、
話を聞くとその魅力に気づいたり気になりだす方がとても多いです。
普段何気なく目にしているはずなのに、いざ思い出そうとすると
記憶のなかで微妙な位置にあって映像がぼんやりとしてしまう。
そんな状態の人も大勢いらっしゃると思うのですが、
こうして自分たちが折に触れてPRすることで、
ひとりでも多くの人に火の見櫓の魅力に気づいてくれもらえれば嬉しい限り。

で、今回自分はほとんどトークに参加しませんでしたが、
じつは次週にもう一度出演することに決まっておりまして。
次回は24日の同番組の同時刻に登場。
中身は、、、そう、狛犬です(^^)
こちらのゲストは自分ひとりなので、かなり緊張です。
今日はいいリハーサル(?)になりました。

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穂高町の火の見櫓について、続報 [火の見櫓(安曇野市)]

ここに一枚のモノクロ画像があります。
2014.03.09.2.JPG

そして、
昨年9月に記事エントリーした、安曇野市穂高の火の見櫓について。
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踊り場に小屋が付属した、非常に大型で高層タイプ。
穂高のまちなかのランドマークタワーのような存在となっている火の見櫓。
記事では黒部ダム工事関連現場からの移築について採り上げ、
昭和42年移築当時の画像も掲載しました。
2013.09.02.hotaka7.jpg

今回、その追加情報(と、いくらかの訂正事項)を得ました。
敢えて本編追記とせず新たに以下、記したいと思います。

まず、建設の経緯について前回までに知り得た情報は以下の通りでした。
*********************************
(町の噂話)
「黒部ダムの建設現場から移築したらしい」

(元消防団関係者の証言)
「建設現場ではなく、資材置き場の監視塔だった」
「資材置き場は工事現場へ向かう途中の山の中(≒山麓)にあったと思う」
「昭和38年、ダム完成に伴い、監視塔は行き場を探し求めていた」
「その頃、穂高町では元あった木造火の見櫓の老朽化で建替え話が出ていた」
「結果、監視塔を穂高町側で引き取り、火の見櫓として活用を始めた」
「昭和42年2月。移築竣工。現在に至る・・・」
*********************************

とまあ、大まかな話の流れはこんな感じでした。
噂話に過ぎなかったネタに裏が取れたと、その時点で喜んだのは事実ですが、
大町に在ったという物証(当時の写真)を確認していなかったため、
心のなかではいくばくかの不安が残っていたのはたしか。

で、ここで改めて、冒頭のモノクロ写真を見ます。
2014.03.09.2.JPG
これは黒部ダム建設工事の際に設けられた高瀬川骨材採取製造場。
タイヤが人の背丈ほどもあるような超大型のダンプカーが
何十台と並び待機している姿は圧巻ですね。
整然と並んでいる様子から、記念写真的に撮影されたのでしょうか。

そしてここに、どこかで見たような一基の塔が立っています。
そうです。紛れもなく穂高町の火の見櫓の若かりし頃の勇姿そのもの。
2014.03.09.3.JPG

つい先日、大町の麻倉にて黒部ダム建設工事関連の写真パネル展が開催されました。
なにかしら新事実が得られるのではないかと出向いてみたところ、
そのパネル展では有力な情報は得られませんでしたが、
数日後、このパネル展関係者の方から連絡をいただきまして、
「探しているのはこれではないか?」ということで
上掲の写真情報を頂いたという次第です。

まさにこの子ですね。
ということで、上の話の流れを改めて整理して加筆訂正すると、こうなります。

「黒部ダム建設工事に伴い高瀬川河川敷に骨材工場がつくられ、監視塔が建てられた。」
「昭和38年、ダム完成に伴い、監視塔は行き場を探し求めていた」
「その頃、穂高町では元あった木造火の見櫓の老朽化で建替え話が出ていた」
「監視塔を穂高町側で引き取り、屋根と脚部に改装を施し、火の見櫓として活用を始めた」
「昭和42年2月。移築竣工。現在に至る・・・」

以上。

ちなみにダム工事用の資材置き場というのは、実際には当時の大町市街に隣接するかたちで
現在のJR大糸線北大町駅から大町文化会館付近に在ったそうで、
こちらも写真資料がしっかりと残されています。
2014.03.09.6.JPG
広大な資材置き場には大糸線を利用した貨物車が直接乗り入れられ、
ここでセメント資材などが画像右奥に通じる道路で運搬されました。
左向こうに見える森はダム工事完遂祈願祭も執り行われた若一王子神社。
そしてさらにその後方には高瀬川の流れがあり、
監視塔の立つ骨材工場も左奥のほうに確認できますね。

肝心の櫓についてですが、画像で分かるように
監視塔時代と火の見櫓に転じてからでは、デザインに相違点が認められます。

まず穂高で存在する屋根が当時の画像では無いこと。
2014.03.09.4.JPG
最上部の所謂見張り台に該当する部分の手摺の形状が異なること。
画像を見る限り、当時この位置には照明器具などの類だけが付設されていたようで、
見張り台としての機能は小屋の付属する踊り場相当にあったようです。
あとはおそらく避雷針も兼ねていたであろうポールに緑十字の旗が確認できます。

小屋については同じようにも見えますが、
窓や片流れ屋根の様子が少し異なっている感じですので、
基本形状は同じながらも一部改良を加えたのかもしれません。

そして最大の相違点は脚部の様子です。
2014.03.09.5.JPG
当時の監視塔では末広がりの状態で地面に据えられており、
穂高で見られるような地面対し垂直に立つ柱脚が存在していません。
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現在の火の見櫓は隣接する消防団屯所建物の一部に設けた踊り場を経由して
梯子によって地上から登るように設定されています。
(屯所2階からと思っていましたが、よく見ると地上から梯子昇降でした。。。)

穂高移設時はまだ現在の消防団屯所は建っておらず、
梯子だけでなく階段の方向も異なる向きに設置されていたようです。
というか、屯所の建設に合わせて階段の向きを付け替えたといったほうが正しいかも。
そして問題の脚部は移設のタイミングで追加されたと考えるのが自然ですが、
元々それなりに背が高い櫓なので、通常なら無理してかさ上げする必要はないと思われます。
この点の背景事情はさらに取材が必要ですが、
推測するに屯所建築計画がすでにあって、それを見越してかさ上げがなされたか、
あるいはまちなかということで、周辺建物との兼ね合いから高さを稼ぐ必要を考慮し、
2mを超える柱脚を追加したということでしょうか。

いづれにしても、黒部ダム工事に深く関わったこの子が穂高町に嫁入りし、
新天地で一段と大きく成長したというわけです。
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今日、今回の写真情報を頂きに大町へ出向いたその流れで、
もともとこの子が立っていた高瀬川の骨材工場跡にも案内して頂きました。
2014.03.09.7.JPG
場所は山麓線の蓮華大橋から程近い場所。
画像では視点場がかなり高い位置にある印象のため、
例えば管理事務所のような建物の2~3階から撮影したのかと思っていましたが、
骨材製造場だった場所の背後は河岸段丘となっており、
高台になっている側から撮影されたものだということが現地で分かりました。
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背後にはモノクロ画像と同じく蓮華岳などのアルプスの山並みが同じ角度で確認できました。
いやはや、穂高町の火の見櫓の生まれ故郷ですよ。
穂高へ嫁いで来る前に、あの子が青春時代(!?)を過ごした思い出の地なわけですよ。
とてつもなく感慨深いものがあります。

そしてこの生まれ故郷であり、若かりし頃を過ごした思い出の土地を前に、
やはりどうやってでも穂高の火の見櫓は残していかなくてはという思いが改めて強くなりました。
撤去解体の話も役所の内部ではチラホラ上がっているという噂も耳にしますが、
老朽化した公共構造物だからといって十把一絡げに扱わず、
そのものが持つ文化財としての価値、なにより黒部ダム建設工事という
戦後の一大国家プロジェクトの生き証人であるという事実を
関係各位にはしっかりと認識した上で、適切な対応を負って欲しいと切に願います。

画像や映像などではけっして得られない、
実体としての姿が残っていればこそ伝わる歴史もあると思うわけですよ、ハイ。

(取材日:2014年3月9日)

PS.
今回の取材のきっかけとなった貴重な画像情報を提供して頂いた
くろよんロイヤルホテルのK氏に、心より感謝申し上げますm(__)m

ちなみに黒部ダム建設工事関連のモノクロ写真をはじめ貴重な資料は
くろよんロイヤルホテル内にて展示中です。
ホテルご利用の際はぜひ見学鑑賞をお忘れなく(^^)b

くろよんロイヤルホテル公式HP
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おでこの張り出した狛犬 [狛犬・寺社(新潟県)]

新潟県小千谷市桜町、伊米神社八幡宮。
2012.10.07.ime1.JPG
延喜式神名帳に記載のある式内社で、
ご祭神は天香語山命。
相殿は誉田別命。

もともと旧社は現在地より北方に位置したとされ、
その旧社が絶えて現在地にある八幡社に移ったのだろうと言われています。
画像撮り忘れましたが、拝殿の扁額は伊米神社と八幡宮を併記してあります。

由緒のある神社で境内もきれいないい場所でしたが、
いかんせん同社に到着したのが日も落ちて薄暗くなりかけてきた時間だったため、
撮影は狛犬だけに留まってしまい、画像は明るさ補正してあります。

かろうじて撮影できた狛犬はこちら。
2012.10.07.ime2.JPG2012.10.07.ime3.JPG
明治39年(1906)建立。
石工:諸我佐久治。

台座の背が高くて撮影しづらかったのですが、
おでこの広いデザインであることが分かります。
2012.10.07.ime4.JPG2012.10.07.ime5.JPG
おでこの広いデザインはこの石工さんだけの特徴かと思いましたが、
他の石工さんも中越だけでなく新潟市内などでも制作されているようです。

それ以外の全体的な印象は浪速(畿内)に近いものがありますね。
2012.10.07.ime6.JPG2012.10.07.ime7.JPG

この日の取材でみた“おでこ”はこの一対だけでしたが、
新潟再訪の折には別の神社のおでこも取材してみたいです。

この記事で一昨年の新潟取材弾丸日帰りツアーは終了です。

(撮影日:2012年10月7日)


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