年銘のあるものとして長野県内最古説の狛犬 [狛犬・寺社(飯田市)]
飯田市中村、八幡社。
国道153号中村交差点から県道223号を東へ入り、
県道491号との交差点手前右側の高台の上に鎮座しています。
県道脇に一の鳥居。
石段の途中に二の鳥居が待っています。
石段の凸凹感がなんともいえません。
石段を登りきると広々とした境内が広がり、
右手には大正年間建立の戦捷記念碑と
平成(昭和?)年間の祈平和の従軍記念碑が並び立っています。
それぞれの時代背景を映した記念碑ですね。
狛犬は拝殿前に岡崎現代型が一対。
昭和63年3月吉日建立。
そして同社のシンボル(?)でもある、表題にも書いた
年銘のある狛犬として長野県内最古の説もある子達は
拝殿を抜けて本殿の縁側にそっと静かに鎮座しています。
延宝6年建立、、、のようです。
のようですというのは、自分は現地で年号を確認できずじまいで。
検索した情報によれば、ということにしておきますが、
きちっと観察調査した人の情報のようなので、間違いはないと思います。
(ただし出回っている情報は延保と誤表記されているものを見かけますが)
本体は制作年代の割には状態は比較的よさそうにも見えます。
おそらくずっと神殿の屋根掛かりの場所に据えられていたのでしょう。
縁側とはいえこの点は非常に大きかったのだろうと思います。
とはいえ、表情はさすがに風化の進行もあって目鼻の様子は
ほとんど分からなくなってしまっているのが残念です。
というか、もともと彫りがそんなに深くないんでしょうね。
素朴感が可愛いはじめちゃんでした。
(撮影日:2014年5月4日)
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国道153号中村交差点から県道223号を東へ入り、
県道491号との交差点手前右側の高台の上に鎮座しています。
県道脇に一の鳥居。
石段の途中に二の鳥居が待っています。
石段の凸凹感がなんともいえません。
石段を登りきると広々とした境内が広がり、
右手には大正年間建立の戦捷記念碑と
平成(昭和?)年間の祈平和の従軍記念碑が並び立っています。
それぞれの時代背景を映した記念碑ですね。
狛犬は拝殿前に岡崎現代型が一対。
昭和63年3月吉日建立。
そして同社のシンボル(?)でもある、表題にも書いた
年銘のある狛犬として長野県内最古の説もある子達は
拝殿を抜けて本殿の縁側にそっと静かに鎮座しています。
延宝6年建立、、、のようです。
のようですというのは、自分は現地で年号を確認できずじまいで。
検索した情報によれば、ということにしておきますが、
きちっと観察調査した人の情報のようなので、間違いはないと思います。
(ただし出回っている情報は延保と誤表記されているものを見かけますが)
本体は制作年代の割には状態は比較的よさそうにも見えます。
おそらくずっと神殿の屋根掛かりの場所に据えられていたのでしょう。
縁側とはいえこの点は非常に大きかったのだろうと思います。
とはいえ、表情はさすがに風化の進行もあって目鼻の様子は
ほとんど分からなくなってしまっているのが残念です。
というか、もともと彫りがそんなに深くないんでしょうね。
素朴感が可愛いはじめちゃんでした。
(撮影日:2014年5月4日)
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安政5年の稲荷狐 [狛犬・寺社(飯田市)]
飯田市愛宕町、愛宕稲荷神社。
狛犬は居ないのですが、安政5年の狐さんがいるということなので、
予定を組んで訪ねてみました。
飯田市市街地、国道256号三州街道の国合同庁舎前交差点より東に入ると、
突き当たりに境内入口があります。
社殿は回り込む形になるので、表参道がこちらであるのかは分かりません。
社殿正面側(東側)には石段があり、こちらが正式な参道になるのかもしれませんね。
長野県神社庁HPによると、同社の創建は文治年間、
飯坂城主坂西由政が伏見稲荷より勧請し、知久町南端に奉祀したのが始まりとのこと。
文禄年間、飯田城主京極高知が城下の掛道を整理する際、
飯坂城跡で当時愛宕山地蔵寺の境内であった当地へ奉遷。
その時から「愛宕稲荷神社」と称するようになったとのことです。
その後、明治44年に境内に祀られていた愛宕社を合祀しました。
境内社。
市天然記念物に指定されているエドヒガンザクラの古木。
本殿は屋根だけ。
幾つかの鳥居をくぐった先、肝心の狐さんは拝殿前に居ました。
安政5年午5月吉日建立。
いかにも狐らしい狐の表情。
阿形のほうは出っ歯が特徴ですね。
狐というのは狛犬と違ってデザインがリアルなのが普通で、
ここの子達も例に漏れずリアルなんですが、
それでも後姿を見るとプロポーションが微妙なのが分かりますね。
同社にはこの子達とは別に拝殿脇にもう一対の狐たちが居ました。
こちらは昭和5(1930)庚午年7月建立。
石工:布施菊三郎。
この石工名は飯田界隈の狛犬はじめ石造物ではよく名が出てくるようです。
飯田市というのは段丘が大きくて崖地が多い土地なのは以前から知っていますが、
ここ愛宕神社はその段丘の上にあって、境内からは“対岸”がよく見通せます。
町全体が坂の町の様相なのですが、坂のある町が好きなものとしては
飯田の市街地もゆっくりと歩いて巡ってみたいところだと改めて思いました。
(撮影日:2014年5月4日)
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狛犬は居ないのですが、安政5年の狐さんがいるということなので、
予定を組んで訪ねてみました。
飯田市市街地、国道256号三州街道の国合同庁舎前交差点より東に入ると、
突き当たりに境内入口があります。
社殿は回り込む形になるので、表参道がこちらであるのかは分かりません。
社殿正面側(東側)には石段があり、こちらが正式な参道になるのかもしれませんね。
長野県神社庁HPによると、同社の創建は文治年間、
飯坂城主坂西由政が伏見稲荷より勧請し、知久町南端に奉祀したのが始まりとのこと。
文禄年間、飯田城主京極高知が城下の掛道を整理する際、
飯坂城跡で当時愛宕山地蔵寺の境内であった当地へ奉遷。
その時から「愛宕稲荷神社」と称するようになったとのことです。
その後、明治44年に境内に祀られていた愛宕社を合祀しました。
境内社。
市天然記念物に指定されているエドヒガンザクラの古木。
本殿は屋根だけ。
幾つかの鳥居をくぐった先、肝心の狐さんは拝殿前に居ました。
安政5年午5月吉日建立。
いかにも狐らしい狐の表情。
阿形のほうは出っ歯が特徴ですね。
狐というのは狛犬と違ってデザインがリアルなのが普通で、
ここの子達も例に漏れずリアルなんですが、
それでも後姿を見るとプロポーションが微妙なのが分かりますね。
同社にはこの子達とは別に拝殿脇にもう一対の狐たちが居ました。
こちらは昭和5(1930)庚午年7月建立。
石工:布施菊三郎。
この石工名は飯田界隈の狛犬はじめ石造物ではよく名が出てくるようです。
飯田市というのは段丘が大きくて崖地が多い土地なのは以前から知っていますが、
ここ愛宕神社はその段丘の上にあって、境内からは“対岸”がよく見通せます。
町全体が坂の町の様相なのですが、坂のある町が好きなものとしては
飯田の市街地もゆっくりと歩いて巡ってみたいところだと改めて思いました。
(撮影日:2014年5月4日)
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