安曇追分の神社 [狛犬・寺社(安曇野市)]
安曇野市穂高北穂高、島新田の青嶋神社。
安曇野市でもっとも北寄りと言ってもいい地域。
境内のすぐ東側を大糸線、少し離れて国道147号、
そして西側にはかつての千国街道だった道が南北に走っています。
神社の北東あたりは安曇追分と呼ばれる街道の交差点で
最寄の大糸線の駅名も安曇追分駅なのですが、
かつての道の様子を考えると千国街道は同神社の正面
つまり東側を通過していたであろうと推察されます。
そんな青嶋神社の参道は現国道より。
線路を渡ると鎮守の森が展開します。
犀宮社ほどではないですが、ここも鳥居を抜けるとすぐ電車が走っているという
環境的に危なっかしい状態ですね。
こじんまりした境内に立派な拝殿。
狛犬はその正面に一対。
平成16年9月吉日建立。
見事な平成時代の岡崎現代型。
近年に建立された同類の子達は、玉の内側が彫られていないパターンが多いです。
子獅子も同じく稚拙な印象が否めないのですが、
ここまで来ると岡崎で日本人の石工さんが作ったものと同列に
岡崎現代型などと括るのは躊躇われます。
本来の岡崎現代型は神殿狛犬を発展させた優れたデザインなんですけどね。
拝殿脇の社務所。
境内末社。
石造物は大切に守られていて、青面金剛は元禄7年(1694)という年代物。
本殿は規模の大きい立派な一間社流造。
神社庁HPによるとご祭神は日本武尊とのことでした。
(撮影日:2014年10月12日)
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安曇野市でもっとも北寄りと言ってもいい地域。
境内のすぐ東側を大糸線、少し離れて国道147号、
そして西側にはかつての千国街道だった道が南北に走っています。
神社の北東あたりは安曇追分と呼ばれる街道の交差点で
最寄の大糸線の駅名も安曇追分駅なのですが、
かつての道の様子を考えると千国街道は同神社の正面
つまり東側を通過していたであろうと推察されます。
そんな青嶋神社の参道は現国道より。
線路を渡ると鎮守の森が展開します。
犀宮社ほどではないですが、ここも鳥居を抜けるとすぐ電車が走っているという
環境的に危なっかしい状態ですね。
こじんまりした境内に立派な拝殿。
狛犬はその正面に一対。
平成16年9月吉日建立。
見事な平成時代の岡崎現代型。
近年に建立された同類の子達は、玉の内側が彫られていないパターンが多いです。
子獅子も同じく稚拙な印象が否めないのですが、
ここまで来ると岡崎で日本人の石工さんが作ったものと同列に
岡崎現代型などと括るのは躊躇われます。
本来の岡崎現代型は神殿狛犬を発展させた優れたデザインなんですけどね。
拝殿脇の社務所。
境内末社。
石造物は大切に守られていて、青面金剛は元禄7年(1694)という年代物。
本殿は規模の大きい立派な一間社流造。
神社庁HPによるとご祭神は日本武尊とのことでした。
(撮影日:2014年10月12日)
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平成の制作とは思い難い [狛犬・寺社(安曇野市)]
安曇野市穂高有明、耳塚地区の香取神社。
霊峰有明山を背景にしたのどかな田園風景の広がる集落の外れに
同地区の産土神が祀られています。
神社正面は左右に道路が伸びていて、
鳥居を抜けて境外に出るといきなり田んぼといった状況。
そしていきなり出迎えてくれる狛犬一対。
平成14年3月吉日建立。
と、台座には記されているのですが、
狛犬本体の様子を見る限りでは10歳そこそこには思えません。
平成にもなると、たいてい神社に奉献されるのは岡崎現代型で、
そのうちの大半は中国製であるといわれています。
しかしながらここに居る子は、鬣の様子こそややおとなしめながらも
顔つきは松本地域で見られる松本型のそれにほぼ類するデザインの印象。
ただし尾は立ち尾のままで足座に流れる特徴は見られません。
似ているものを探すとすれば、
松本の並柳神明宮に居る子たちに顔つきは似ていなくもないですが、
同社の狛犬を制作した伊藤石材の伊藤さんからは香取神社の話を
伺ったことはなく、同じ作者という推測をたてるには情報不足。
狛犬サイトの大家「神社探訪・狛犬見聞録」さんでは
台座だけ交換したのでは?と推測を立てているようですが、
たしかにそういう可能性は高いですね。
↑この子たちが並柳神明宮の狛犬。
はてさて、真相やいかに?
きれいに整備された境内には立派な神楽殿と拝殿。
その奥には一間社流造の本殿。
由緒書きがないので詳細不明ですが、社号からして
ご祭神は経津主神と考えて差し支えないでしょう。
末社。
一角の覆い屋には道祖神が2体のほか、
大黒様と恵比寿様の珍しい立体像が祀られていました。
(撮影日:2014年10月12日)
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霊峰有明山を背景にしたのどかな田園風景の広がる集落の外れに
同地区の産土神が祀られています。
神社正面は左右に道路が伸びていて、
鳥居を抜けて境外に出るといきなり田んぼといった状況。
そしていきなり出迎えてくれる狛犬一対。
平成14年3月吉日建立。
と、台座には記されているのですが、
狛犬本体の様子を見る限りでは10歳そこそこには思えません。
平成にもなると、たいてい神社に奉献されるのは岡崎現代型で、
そのうちの大半は中国製であるといわれています。
しかしながらここに居る子は、鬣の様子こそややおとなしめながらも
顔つきは松本地域で見られる松本型のそれにほぼ類するデザインの印象。
ただし尾は立ち尾のままで足座に流れる特徴は見られません。
似ているものを探すとすれば、
松本の並柳神明宮に居る子たちに顔つきは似ていなくもないですが、
同社の狛犬を制作した伊藤石材の伊藤さんからは香取神社の話を
伺ったことはなく、同じ作者という推測をたてるには情報不足。
狛犬サイトの大家「神社探訪・狛犬見聞録」さんでは
台座だけ交換したのでは?と推測を立てているようですが、
たしかにそういう可能性は高いですね。
↑この子たちが並柳神明宮の狛犬。
はてさて、真相やいかに?
きれいに整備された境内には立派な神楽殿と拝殿。
その奥には一間社流造の本殿。
由緒書きがないので詳細不明ですが、社号からして
ご祭神は経津主神と考えて差し支えないでしょう。
末社。
一角の覆い屋には道祖神が2体のほか、
大黒様と恵比寿様の珍しい立体像が祀られていました。
(撮影日:2014年10月12日)
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