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河岸段丘上の高台にたつ神社 [狛犬・寺社(安曇野市)]

長野県安曇野市豊科高家、熊倉地区の春日神社。
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熊倉地区は犀川に面した一帯でありながら、河岸段丘の台地上にあり、
春日神社の境内周辺はそのさらに一段高い場所に鎮座しています。
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境内入口の由緒書き(史跡由来碑)によれば、
社伝では創建は大同4(809)年に奈良春日大社より分霊し、
梓川治水開拓神として今とは異なる地に鎮座していたそうです。
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また当初の呼び名は熊倉神社とされていたようですが、
明治35(1902)年に春日大社から分霊を事実として認められ、
以降春日神社と呼称するようになったと言います。

御祭神は、
天児屋根命
経津主命
武甕槌命
瀬織津姫命

上の三神は春日大社の主祭神がたですが、
瀬織津姫命は治水の神様として、全国各地で河川に近い神社などで
祀られていることが多いようです。

境内入口の石段を上ると狛犬一対がお出迎え。
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大正14(1925)年4月建之。
石工:白鳥文治郎。
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石工として記銘のある白鳥文治郎は松本の石工さんで、
安曇野界隈では狛犬に限らず時折石造文化財で見かける名前です。
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しかしながら、狛犬のデザインは岡崎型。
尾のデザインが典型的でよく見かけるクネクネした立ち尾ではないですが、
この房毛の付き尾タイプは大正期制作の岡崎型では事例があるようですし、
素材の石については詳しくないですが花崗岩であることくらいは分かります。
表情の様子も初期の岡崎現代型の類型に属すると考えて差し支えないかと。

ということは、文治郎は石工としての元請け的立場であって、
発注から現地での設置奉献に関する作業を実施したということで、
実際に狛犬を彫った制作者は岡崎石工など別に存在するということになりますが、
台座の記銘からはそうした情報は残念ながら伝わってきません。
神社の資料などがあればなにかしら分かるかもしれませんが。
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ちなみに奉献者は「寄附人 穂高町 山葵商 丸山伊七」となっています。
穂高の人が熊倉の神社に奉献したというのも珍しいですが、
この熊倉出身の方なのか、あるいは同社や熊倉と深い繋がりがあったのでしょうか。
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境内はゆったりしていてとてもきれいに整備されていました。
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境内社。
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社務所。
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拝殿。
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本殿。
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そして境内裏手(北側)には山車の保管庫と並び、
かつて犀川の熊倉渡しで使用されていた舟が展示保存されています。
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(熊倉は塩の道「旧千国街道」の犀川舟渡しの場所として有名。)

玉垣の外側になるので境外社の括りにしてもいいのでしょうか。
御嶽社や若宮八幡社などが並んで鎮座しています。
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最初に触れたように春日神社一帯は段丘の小高い丘の上にあります。
熊倉は古代から近世、近代にかけて、さまざまな歴史の顔を持つ、
安曇野のなかでもミステリー性の高いエリアといえますが、
そこに居る狛犬もまた、謎含みのある子達だったといえるかもしれません。
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(撮影日:2014年5月3日)


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