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二対の野村保泉(保太郎) [狛犬・寺社(安曇野市)]

長野県安曇野市豊科高家、真々部諏訪神社。
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安曇野市の南部にあり、戦国時代に甲斐武田氏が戦略拠点として
一帯の道整備や真々部城を築くなどしてまとまった集落が形成されたそうです。
近世になっても松本から北へ向かう主要街道の一本となるなど、
街道に沿って南北に長い集落が確立し、そのまま現在に至っています。
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同社はこの真々部集落から西へとまっすぐ伸びる長い参道の先に鎮座。
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境内入口に設けられた案内板によると、武田氏が同地に城を築いた頃に
諏訪明神を勧請したと伝えられているとあります。
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芝生で整備されたきれいな境内に設けられた土俵を脇に見ながら進むと
正面に立派な神楽殿があり、その手前に狛犬が一対います。
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制作「東都 原型 三木宗策  石匠 野村保泉」
建立年「昭和9(1934)10月」
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台座には諏訪大社上社と同じ4根諏訪梶の神紋が彫り込まれています。
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全体のデザインはふつうに岡崎古代型。
首元には鈴もちゃんとついています。
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でも原型作者がいるようです。

三木宗策は大正から昭和初期にかけて活躍した彫刻家。
木彫りの作家とのことで、となるとこの狛犬の原型も木彫りで創作したということなのでしょう。

野村保泉は今更語るまでもない、この業界では有名人。
石工界のブランドのひとつ「井亀泉」の流れを汲む昭和初期に活躍した石工で、
東京都内だけでなく各地に保泉名義の作品が残されているようです。

安曇野でもここだけでなく、穂高神社の狛犬が有名で、
こちらは地元の彫刻家「小川大系」が原型を作り、
それをもとに保泉が石彫りして奉献されたものとなっています。

そして三木宗策&野村保泉のコラボ作品となると
業界では東京の日枝神社にいる狛犬にピンと来る方も少なくないかもしれません。
日枝神社の子達は以前に記事をエントリーしましたが、
この記事を書いた頃はまだ真々部の狛犬達は未確認でした。

で、原型&石工の両作家が一致しているだけでも「へぇ~」ってなもんですが、
建立年月もじつは日枝神社と真々部諏訪神社で一緒なんですね。

石工については、野村保泉のもとにも弟子や職人が何名も居たという話なので、
工房全体で作り上げたものと考えれば、同時進行またはそれに近い工程で
2対の狛犬を仕上げたと考えてみても、決して不思議な話ではないと思います。
原型のほうも普通に順を追って制作したと考えればべつにどうってことないのですが、
興味が引かれるのは真々部の神社と野村保泉との繋がりです。
有名石工集団なので安曇野までその名が轟いていたのかもしれませんし、
同社に所縁のある人が東京に居たのかも知れません。
はたまた野村保泉ではなく三木宗策のほうに繋がりがあったのか。
ただ、それにしても日枝神社の大作と原型作家だけでなく建立月まで一緒と言うのも、
なんだか不思議な話ではありますね。
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そして同社にはもう一対、狛犬が鎮座しています。
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それは境内社の神明社前に居る子たちなのですが、
こちらもまた興味深い名前が台座に刻まれています。
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台座の文字ですが、
建立年は昭和10(1935)年1月。
そして阿吽ともに東京市と刻まれた下に
阿形は「酒井八右衛門」、吽形「野村保太郎」とあります。

建立年は神楽殿前の狛犬とわずか3ヶ月の差。
神社側からの制作依頼自体は2対同時だったかもしれません。
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石工ですが、野村保太郎は野村保泉の実名。
各地にある彼の作品は屋号の保泉の名前と
実名の保太郎と2種類の記銘が見られるようですが、
察するに保泉名義の狛犬は工房全体で(または弟子を使って)彫った場合で、
保太郎名義の場合は彼自身が直接彫った場合ということなのか、
どういう解釈が正しいのか自分はよく分かっていません。
が、今のところ自分なりには制作者が工房全体と個人の場合で
区別しているのだろうと考えることにしています。
(正確なところをご存知の方いらっしゃったら教えてください。)

酒井八右衛門は井亀泉ブランドの名跡だったそうですが、
検索して調べたネットに出回る情報によれば、
昭和初期頃の酒井八右衛門は三代目にあたり、
すでに石工として彫り仕事はしていなかったとのこと。

酒井八右衛門と野村保太郎の名前が同時に刻まれているものとしては
神田明神の狛犬の事例が見られます。
神田明神の刻銘には「石材 酒井八右衛門」「石匠 野村保太郎」とあります。
(さらに原型作者として「池田勇八」の名も刻まれています。)
これは石材の調達、またはプロデュース的な仕事までを酒井八右衛門が請負い、
施工(彫刻)を弟子筋にあたる野村保太郎に依頼したという流れだと考えるのが普通でしょう。

となると、真々部神社神明社の狛犬たちについても、
あるいは神田明神の役割分担と同じことがあったというふうに十分考えられるわけですが、
さて真実はどこにあるのでしょうね。
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境内は社殿を含め、とてもきれいに整備されています。

社務所。
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拝殿。
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本殿は視界が悪くハッキリ見えませんでしたが、
案内板によれば穂高神社御遷宮祭の折りの払い下げの社とのこと。
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本殿と神明社の合間に鎮座する境内社。
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有明山神燈。
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御嶽大権現。
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キレイな芝生が西に傾きかけた陽の光を浴びて眩しかったです。
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(撮影日:2014年5月3日)


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