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三対の狛犬が本殿を守る神社 [狛犬・寺社(滋賀県)]

滋賀県東近江市五個荘金堂町、大城神社。
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重要伝統的建造物群保存地区に指定されている五個荘金堂町地区の一角に鎮座。
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この取材した日は大阪まで出る用事があり、
その途中で金堂町の重伝建地区を視察したことで同社にも立ち寄ることが出来たもの。

由緒書きの社歴によると、
推古天皇29年(621年)に厩戸皇子(聖徳太子)が小野妹子に令して当地に作らせた
金堂寺の護法鎮守の為として創始されたのが起源とされています。
↓境内入口の由緒書き。
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五個荘金堂町地区は重伝建の名に相応しい、近世の農村集落を感じさせる景観で、
大城神社もその一角をなす神社として雰囲気がとてもよい、重厚感もある境内となっています。
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正面の鳥居と脇参道の鳥居×2。
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主祭神は高皇産霊神と菅原道真。
ゆえに境内には牛さんがいます。
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脇参道の傍らに建つ社務所。
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境内真ん中の立派な拝殿。
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傍らに建つ、屋台蔵(?)、神楽殿(?)、絵馬殿(?)。
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狛犬は本殿前に計3対いました。
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まず一番手前、本殿に続く石段の両脇に鎮座。
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大正9(1920)年9月建立。
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台座裏側に奉献主の名前などとともに“石寅作”と小さく刻まれています。
近畿から東海にかけての各地に同名の石材店があることから、
そのうちのどこかが手がけたものと思われます。
地元にはそういう屋号の石屋はないのかな?
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このテの浪速タイプの子はこちらではごくありふれた型なのかもしれませんが
普段自分は見かけることがないので、やはり新鮮です。
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吽形は角あり。
足座の正面には天神様の梅紋が入っています。
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二対目。
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昭和35(1960)年3月建立。
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岡崎現代型ですが、この時代のものは本場岡崎でしっかりと作られている印象。
海外生産品ではないということで・・・。
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三対目。
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建立年不明。
三対のなかでもっとも小型。
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石の様子などからもっとも古いものであろうと思われますが、
本殿を囲う玉垣のなかにあるため二対目と同様本体に近づくことが叶わない為、
刻字があるのか否かもハッキリとは確認できません。
玉垣の外から見る限りではなにも記載がなさそうではありますが。
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いわゆる浪速型の典型からは外れていますが、
尻尾のデザインにそれらしい要素を感じます。
吽形には角のような突起。
幕末頃の作品には丁髷のようなタイプのものが見受けられますが、
なんとなくそれっぽいように見えなくもないので、近世の作かもしれませんね。

それぞれ(三対目もたぶん)製作年代がことなる三対の狛犬たち。
参道の各所に据えられていることは間々ありますが、
こうして本殿前に続けてドンというのはあまり見かけるものではないので、
なかなかいいものを見させていただきました。

たまたま運よく立ち寄ることが出来た、大城神社。
よかったです。
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(撮影日:2014年12月12日)




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となりの、火の見櫓 [その他]

以前(今年の6月)、信州大学の学生たちが中心になって運営している
町のコミュニティースペース「となりの、」で狛犬講座の開催したと記事にもしましたが、
今度はおなじ「となりの、」主催で火の見櫓講座を開催されまして。
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といっても自分は講師役ではなく、講師はまいどお馴染み透明タペストリーのU1教授。
火の見櫓については松本平を中心に各地で500基以上はすでに観察していて、
過去にも数度にわたって講座を開催していることもあって、
今回も非常に内容の濃い、ボリュームのある講義をしていただきました。
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学生さんに限らない話ですが、消防団の経験もまだない若い人たちにとって
火の見櫓は新鮮な話であるようで、基礎的な内容のお話でも
教授の時に軽妙なトークの効果もあってみんな楽しく聴講していました。

90分の予定を軽く超過する座学も延長などまたく気にせずあっという間に終わり、
後半は会場のすぐ近所にある火の見櫓を実地見学。
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その後、車で移動してカタクラモール近くに立つ火の見櫓を見学に行きました。
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とくにカタクラモールの櫓は以前にも記事で取り上げたように、
モールの再開発に伴う消防団詰所移転にからんで解体撤去が確定しているため、
その見納めのような意味もありました。
当ブログ「カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後」(2014年9月6日記事)

みんなそれぞれに興味津々で櫓を見上げています。
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この日参加した若者たちが少しでも火の見櫓に関心を抱いてもらい、
各地の集落景観の失われつつある要素を目に焼き付けてもらえるようになれば、
今日の講座開催の意義はあったかなと思う次第。

ちなみにカタクラモールの櫓の解体については来年2月と決まったようです。
以前のエントリー記事では市長へのメール投稿から
一部パーツ保存と現状調査による図面作成など資料保存を実施する意向である旨、
市役所担当課より通知があったことを掲載しましたが、
いちおうこの件については現在進行中の模様ですので、
またなにかしらのアクションがあれば記事にして報告できるかと思います。

(2014年12月7日)

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