とうとう解体作業が始まりました [火の見櫓(松本市)]
以前から何度か記事に取り上げてきた、松本市中央の火の見やぐらの解体問題。
(2014年1月22日撮影)
「消え行く運命」
「カタクラモール再開発と火の見やぐら」(別ブログ「まちづくり・・・安曇野暮らし」)
「カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後」
カタクラモール再開発に伴い、カタクラの借地に建っていた
松本市消防団第3分団の屯所が土地明け渡しを求められたことから移転することとなり、
同敷地に立っている火の見やぐらが解体撤去されることになったという話で、
当初は昨秋予定の工事だったものが少し延びていたようですが、
今日現場に足場が組み立てられ、いよいよ解体工事が始まってしまう状況となりました。
松本へは普段用がなければ出かけることもないため、あやうく気づかぬまま
解体が進行するところでしたが、火の見ヤグラー師匠の透明タペストリー、U1教授から
今日連絡が入りまして。運よく仕事で出かける所用があったので寄り道して
夕方に小雨降るなか、最後の雄姿を見届けてきました。
大正15年建設という、現存の火の見やぐらとしてはかなり古い年代のもので、
全国に数箇所ある登録有形文化財の火の見やぐらたちと比べても
そん色ない希少価値を持っていると考えられます。
火の見やぐらの保存活用について市に提案した結果、
解体は変更できないものの図面保存と現物の一部保存をする方向で
市が動いてくれたため、かすかな記憶と記録は残されることになりましたが、
やはりそこにあるべきものが失われてしまうという寂しさは禁じ得ません。
デザイン的には特別装飾に凝ったものではありませんが、
既存のホース干し用のフックなど見ると、さり気ない飾りが施されているのが分かります。
今は周囲にビルも建ち、電柱や電線も邪魔して街路の彼方からは少し見えづらいですが、
周囲が木造2階建て民家ばかりだったであろう建設当時には非常に目立ち、
防災だけに限らない地域住民のシンボルタワーとして圧倒的な存在感があったと思います。
そちらこちらは近隣に新たに建設された消防団屯所。
背後にホース干し塔がひょろっと立っているのが見えます。
すでに解体の話が固まってしまった後でのアクションであったため、
そうした話題が出る前に動いていればあるいは、という思いもしているため、
非常に残念な思いではありますが、まったく無に帰してしまうよりは
上記のように行政当局にその価値について一定の理解を示してもらえたことは
今後の火の見やぐらの文化遺産としての価値啓蒙の上で
ささやかながらも価値ある一歩だったと考えるようにしたいと思います。
それにしても、、、あぁ、切ない(>_<)
(取材日:2015年2月26日)
(2014年1月22日撮影)
「消え行く運命」
「カタクラモール再開発と火の見やぐら」(別ブログ「まちづくり・・・安曇野暮らし」)
「カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後」
カタクラモール再開発に伴い、カタクラの借地に建っていた
松本市消防団第3分団の屯所が土地明け渡しを求められたことから移転することとなり、
同敷地に立っている火の見やぐらが解体撤去されることになったという話で、
当初は昨秋予定の工事だったものが少し延びていたようですが、
今日現場に足場が組み立てられ、いよいよ解体工事が始まってしまう状況となりました。
松本へは普段用がなければ出かけることもないため、あやうく気づかぬまま
解体が進行するところでしたが、火の見ヤグラー師匠の透明タペストリー、U1教授から
今日連絡が入りまして。運よく仕事で出かける所用があったので寄り道して
夕方に小雨降るなか、最後の雄姿を見届けてきました。
大正15年建設という、現存の火の見やぐらとしてはかなり古い年代のもので、
全国に数箇所ある登録有形文化財の火の見やぐらたちと比べても
そん色ない希少価値を持っていると考えられます。
火の見やぐらの保存活用について市に提案した結果、
解体は変更できないものの図面保存と現物の一部保存をする方向で
市が動いてくれたため、かすかな記憶と記録は残されることになりましたが、
やはりそこにあるべきものが失われてしまうという寂しさは禁じ得ません。
デザイン的には特別装飾に凝ったものではありませんが、
既存のホース干し用のフックなど見ると、さり気ない飾りが施されているのが分かります。
今は周囲にビルも建ち、電柱や電線も邪魔して街路の彼方からは少し見えづらいですが、
周囲が木造2階建て民家ばかりだったであろう建設当時には非常に目立ち、
防災だけに限らない地域住民のシンボルタワーとして圧倒的な存在感があったと思います。
そちらこちらは近隣に新たに建設された消防団屯所。
背後にホース干し塔がひょろっと立っているのが見えます。
すでに解体の話が固まってしまった後でのアクションであったため、
そうした話題が出る前に動いていればあるいは、という思いもしているため、
非常に残念な思いではありますが、まったく無に帰してしまうよりは
上記のように行政当局にその価値について一定の理解を示してもらえたことは
今後の火の見やぐらの文化遺産としての価値啓蒙の上で
ささやかながらも価値ある一歩だったと考えるようにしたいと思います。
それにしても、、、あぁ、切ない(>_<)
(取材日:2015年2月26日)