スリムな足元の小屋(?)が気になる [火の見櫓(長野市)]
このところ狛犬ネタの蔵出し記事アップをしていますが、
今回は火の見やぐらの取材済み未掲載ネタをエントリー。
火の見やぐらは狛犬と違って取材後に撤去されてしまった事例もあり、
取材以降時間がたつとまだ残存しているのか確認できない遠方のものは
なんとなく記事にするのが躊躇われてしまっていたのですが、
先日たまたま3年前に取材をしたことがあった北信エリアの火の見やぐらを
久しぶりに再訪することができ、その大半の残存を確認することが出来ました。
というわけで、3年前に取材した当時の画像を利用しつつ、
しばらく記事をエントリーしたいと思います。
まずは、、、長野市若穂綿内町の火の見やぐら。
長野道須坂インターより国道403号を南下。
旧長野電鉄綿内駅近くの交差点脇の神社の境内傍らに立っています。
比較的細身のタイプ。
8角形の屋根に丸型の見張り台。
踊り場は変則的な三層構成のようです。
ユニークなのは2層目の踊り場レベルまで
ブレースにリング式ターンバックルが使用されているのに
それより上層では等辺山形鋼が用いられていること。
ちょうどその2層目の踊り場下部で柱脚の継ぎ手があるので
上層と下層の制作段階で別のブレース方式を採用したと推測できますが、
具体的にそうすることの理由ってなにかあったのでしょうか。
そしてそんなブレース以上に気になるのが
足元を跨いでいる倉庫のような構造物。
スリムなやぐらの内側にすっぽり収まるコンクリートブロックで作ったもの。
かつて付いていたらしい扉も今はなく、内部には消火栓とホースの設備のみ。
しかし過去にはなにか違うものが設置、装備されていたのでしょう。
昔ながらの古い小型の消防ポンプなどでも収納されていたのでしょうかね?
銘板は寄贈者の名前と建設年が記されていますが、鉄工所名は不明。
寄贈 昭和32年9月24日 田尻木材株式会社
なぜか火の見やぐらの背後に転んでいた、昔の道標。
大正4年12月建立と記されています。
神社の境内の傍らに立っている火の見やぐら。
狛犬がいれば、おいしいツーショット画像も取れたのですが、
残念ながら同社には狛犬たちは不在でした。
(取材日:2012年4月30日)
今回は火の見やぐらの取材済み未掲載ネタをエントリー。
火の見やぐらは狛犬と違って取材後に撤去されてしまった事例もあり、
取材以降時間がたつとまだ残存しているのか確認できない遠方のものは
なんとなく記事にするのが躊躇われてしまっていたのですが、
先日たまたま3年前に取材をしたことがあった北信エリアの火の見やぐらを
久しぶりに再訪することができ、その大半の残存を確認することが出来ました。
というわけで、3年前に取材した当時の画像を利用しつつ、
しばらく記事をエントリーしたいと思います。
まずは、、、長野市若穂綿内町の火の見やぐら。
長野道須坂インターより国道403号を南下。
旧長野電鉄綿内駅近くの交差点脇の神社の境内傍らに立っています。
比較的細身のタイプ。
8角形の屋根に丸型の見張り台。
踊り場は変則的な三層構成のようです。
ユニークなのは2層目の踊り場レベルまで
ブレースにリング式ターンバックルが使用されているのに
それより上層では等辺山形鋼が用いられていること。
ちょうどその2層目の踊り場下部で柱脚の継ぎ手があるので
上層と下層の制作段階で別のブレース方式を採用したと推測できますが、
具体的にそうすることの理由ってなにかあったのでしょうか。
そしてそんなブレース以上に気になるのが
足元を跨いでいる倉庫のような構造物。
スリムなやぐらの内側にすっぽり収まるコンクリートブロックで作ったもの。
かつて付いていたらしい扉も今はなく、内部には消火栓とホースの設備のみ。
しかし過去にはなにか違うものが設置、装備されていたのでしょう。
昔ながらの古い小型の消防ポンプなどでも収納されていたのでしょうかね?
銘板は寄贈者の名前と建設年が記されていますが、鉄工所名は不明。
寄贈 昭和32年9月24日 田尻木材株式会社
なぜか火の見やぐらの背後に転んでいた、昔の道標。
大正4年12月建立と記されています。
神社の境内の傍らに立っている火の見やぐら。
狛犬がいれば、おいしいツーショット画像も取れたのですが、
残念ながら同社には狛犬たちは不在でした。
(取材日:2012年4月30日)