元号的に希少な万延年間の狛犬 [狛犬・寺社(北安曇郡)]
長野県北安曇郡池田町、会染の宇佐八幡宮。
長野県神社庁のHPによると、創建は建久年間(1190~1199)で
豊前国の宇佐八幡宮より勧請を受けて産土神としたと伝えられているそうです。
ご祭神は誉田別命と建御名方命。
同社の取材はずいぶん前で、2011年12月。画像はうっすら雪化粧。
じつはU1教授がブログで万延2年建立の道祖神について記事をアップされたのを見て、
そういえば宇佐八幡の狛犬も万延の制作だったなあと、ふと思い出しまして。
で、そういえば記事にするのをすっかり忘れていたなぁ、ということもふと思い出し(^^;
最近通りがかった折に眺めた境内の様子は取材当時から変化していなさそうだったので、
再取材はせずそのまま当時の画像を使用してお送りしたいと思います。
同社は池田町役場のあたりから約2キロほど南下した田園地帯に
この付近では珍しく西面して鎮座しています。
鳥居はさほど大きくないですが、明るい朱塗りが印象的。
鳥居をくぐると柵に囲われた石灯籠が目に付きますが、
これは万延2年正月吉日と刻まれています。(たぶん、正月だと思われる。)
このあと紹介する狛犬と並び、これもまた元号として貴重な存在かも。
境内まんなかに大きな神楽殿。
拝殿と一間社流造の本殿。
境内の一角に拝殿の新築記念碑と再新築記念碑が並立しています。
県神社庁HPの解説によれば大正14年(1925)と昭和4年(1929)に
社殿が焼失し再建されたとありますので、
おそらくはそのことを記念する石碑なのでしょう。
石碑に並んで境内社の神様たち。
高良神社。天照皇大神宮、鹿島神社、山之神神社、金比羅神社、
津島神社、天満宮神社、大巳貴命、少名彦命、柏木神社。
石神石仏も勢ぞろい。
御嶽大神と如意輪観音。
青面金剛×2。
道祖神×2。
養蚕大神と二十三夜塔。
そして狛犬たちは拝殿の前に一対。
建立年は『万延元申年(1860)八月吉(辰?)』。
万延は1860年4月から1861年3月までの一年足らずの短い元号でした。
よって国内どの地域でも万延時代に出来た文化財などの類は
おそらく数の上で非常に珍しい存在ではなかろうかと思われるので、
この狛犬たちも例に漏れずけっこう珍しいものと言ってもいいかもしれません。
そしてデザインにも注目。
まず非常にユニークな面立ち。
赤塚冨士夫の漫画に登場しそうな顔つきじゃないですか?
まんまるい輪郭におかっぱのような髪型、というかたてがみ。
憎めない表情をしています。
ところで幕末といえば少しずつ狛犬の数も全国的には増え始めた時期とはいえ、
それでもここ信州松本平一円ではまだまだ数えるほどしか奉献された例がなく、
近在で最も古いのは明和6年(1769)建立の穂高神社の狛犬。
宇佐八幡宮の子たちはこの穂高神社の狛犬たちを参考に
彫られたのではないだろうかというのが自分なりの推測だったりします。
顔つきは大きく異なるものの、体全体の大きさがほぼ同じ程度。
寸胴のボディラインも共通しており、なにより前脚の股が彫り抜かれていないのが特徴。
股や腹部の彫り抜きがないのは江戸前中期の狛犬に時折見かける姿だと思うのですが、
穂高神社の子たちは江戸で制作されて手車に乗せて運ばれてきた事実があり、
股の彫り抜きがないのはとくに運搬中の破損リスク軽減を図った意味が強いのではと
推測することもできるだろうと考えています。
いっぽうの宇佐八幡の子たちの素材はおそらく地元で産出された御影石。
とくに運搬リスクという点をさほど考慮せずともよかったと思われますし、
またたてがみのデザインが阿吽で異なっている点などを加味してみると、
やはりこれは石造狛犬として近在で参考に出来る唯一の存在と言ってよい
穂高神社の狛犬を、模倣というほどではないにしても少なからず参考には
していたであろういうのも的外れな見解ではないと思っているのですが。
顔つきがあまりに違うこともあるので、その他のイメージで
たまたま似たように思えてしまっているだけかもしれませんが、
はてさて真実はどうなのでしょうね?
宇佐八幡宮、境内もゆったりとしたところで、
目の前には田園風景が広がり、開放的な神社です。
(取材日:2011年12月28日)
長野県神社庁のHPによると、創建は建久年間(1190~1199)で
豊前国の宇佐八幡宮より勧請を受けて産土神としたと伝えられているそうです。
ご祭神は誉田別命と建御名方命。
同社の取材はずいぶん前で、2011年12月。画像はうっすら雪化粧。
じつはU1教授がブログで万延2年建立の道祖神について記事をアップされたのを見て、
そういえば宇佐八幡の狛犬も万延の制作だったなあと、ふと思い出しまして。
で、そういえば記事にするのをすっかり忘れていたなぁ、ということもふと思い出し(^^;
最近通りがかった折に眺めた境内の様子は取材当時から変化していなさそうだったので、
再取材はせずそのまま当時の画像を使用してお送りしたいと思います。
同社は池田町役場のあたりから約2キロほど南下した田園地帯に
この付近では珍しく西面して鎮座しています。
鳥居はさほど大きくないですが、明るい朱塗りが印象的。
鳥居をくぐると柵に囲われた石灯籠が目に付きますが、
これは万延2年正月吉日と刻まれています。(たぶん、正月だと思われる。)
このあと紹介する狛犬と並び、これもまた元号として貴重な存在かも。
境内まんなかに大きな神楽殿。
拝殿と一間社流造の本殿。
境内の一角に拝殿の新築記念碑と再新築記念碑が並立しています。
県神社庁HPの解説によれば大正14年(1925)と昭和4年(1929)に
社殿が焼失し再建されたとありますので、
おそらくはそのことを記念する石碑なのでしょう。
石碑に並んで境内社の神様たち。
高良神社。天照皇大神宮、鹿島神社、山之神神社、金比羅神社、
津島神社、天満宮神社、大巳貴命、少名彦命、柏木神社。
石神石仏も勢ぞろい。
御嶽大神と如意輪観音。
青面金剛×2。
道祖神×2。
養蚕大神と二十三夜塔。
そして狛犬たちは拝殿の前に一対。
建立年は『万延元申年(1860)八月吉(辰?)』。
万延は1860年4月から1861年3月までの一年足らずの短い元号でした。
よって国内どの地域でも万延時代に出来た文化財などの類は
おそらく数の上で非常に珍しい存在ではなかろうかと思われるので、
この狛犬たちも例に漏れずけっこう珍しいものと言ってもいいかもしれません。
そしてデザインにも注目。
まず非常にユニークな面立ち。
赤塚冨士夫の漫画に登場しそうな顔つきじゃないですか?
まんまるい輪郭におかっぱのような髪型、というかたてがみ。
憎めない表情をしています。
ところで幕末といえば少しずつ狛犬の数も全国的には増え始めた時期とはいえ、
それでもここ信州松本平一円ではまだまだ数えるほどしか奉献された例がなく、
近在で最も古いのは明和6年(1769)建立の穂高神社の狛犬。
宇佐八幡宮の子たちはこの穂高神社の狛犬たちを参考に
彫られたのではないだろうかというのが自分なりの推測だったりします。
顔つきは大きく異なるものの、体全体の大きさがほぼ同じ程度。
寸胴のボディラインも共通しており、なにより前脚の股が彫り抜かれていないのが特徴。
股や腹部の彫り抜きがないのは江戸前中期の狛犬に時折見かける姿だと思うのですが、
穂高神社の子たちは江戸で制作されて手車に乗せて運ばれてきた事実があり、
股の彫り抜きがないのはとくに運搬中の破損リスク軽減を図った意味が強いのではと
推測することもできるだろうと考えています。
いっぽうの宇佐八幡の子たちの素材はおそらく地元で産出された御影石。
とくに運搬リスクという点をさほど考慮せずともよかったと思われますし、
またたてがみのデザインが阿吽で異なっている点などを加味してみると、
やはりこれは石造狛犬として近在で参考に出来る唯一の存在と言ってよい
穂高神社の狛犬を、模倣というほどではないにしても少なからず参考には
していたであろういうのも的外れな見解ではないと思っているのですが。
顔つきがあまりに違うこともあるので、その他のイメージで
たまたま似たように思えてしまっているだけかもしれませんが、
はてさて真実はどうなのでしょうね?
宇佐八幡宮、境内もゆったりとしたところで、
目の前には田園風景が広がり、開放的な神社です。
(取材日:2011年12月28日)
商家と土蔵に挟まれ、消防倉庫の上に立つ [火の見櫓(下高井郡)]
長野県下高井郡山ノ内町平穏、沓野の火の見やぐら。
前エントリーの天川神社より西に向かって下る旧道(?)沿いに立っています。
細い道の両側は古い民家や商家、土蔵などが建ち並び、
さながらどこぞの宿場町にも似たような雰囲気があり、
なかなかいい感じの町並みに火の見やぐらもマッチングしています。
今でこそ近所に空き地も散見されている現状ですが、
おそらくこのやぐらが出来た当時は建設できる余裕のある土地がなかったのでしょう。
間口が一間半もないような小さな消防倉庫の屋根の上に乗っかるように建てられています。
消防倉庫の内部を覗いてみると、なかなかレトロなホース車があったり。
やぐらの構造はいたってシンプルで、スッキリしたデザインです。
やぐら自体は決して高層ではないものの、一段高い屋根上にあることと
町並みが坂になっていることから、高さの割には見通しはよさそうです。
山火事防止の幕とも相性よくて。
街路の先に見えるのは、、、妙高山?
意図的か偶然か、山留めになっている街路は好きです。
いつまで残ってくれるか、末永く地域のシンボルタワーであり続けて欲しいものです。
(取材日:2015年5月4日)
前エントリーの天川神社より西に向かって下る旧道(?)沿いに立っています。
細い道の両側は古い民家や商家、土蔵などが建ち並び、
さながらどこぞの宿場町にも似たような雰囲気があり、
なかなかいい感じの町並みに火の見やぐらもマッチングしています。
今でこそ近所に空き地も散見されている現状ですが、
おそらくこのやぐらが出来た当時は建設できる余裕のある土地がなかったのでしょう。
間口が一間半もないような小さな消防倉庫の屋根の上に乗っかるように建てられています。
消防倉庫の内部を覗いてみると、なかなかレトロなホース車があったり。
やぐらの構造はいたってシンプルで、スッキリしたデザインです。
やぐら自体は決して高層ではないものの、一段高い屋根上にあることと
町並みが坂になっていることから、高さの割には見通しはよさそうです。
山火事防止の幕とも相性よくて。
街路の先に見えるのは、、、妙高山?
意図的か偶然か、山留めになっている街路は好きです。
いつまで残ってくれるか、末永く地域のシンボルタワーであり続けて欲しいものです。
(取材日:2015年5月4日)
渋温泉の御柱が立つ神社
長野県下高井郡山ノ内町、平穏の天川神社。
湯田中渋温泉郷の渋温泉の外れに鎮座する神社で、
諏訪系ということで境内には御柱も立っています。
最新の御柱祭は2010年に執り行われたらしく、次回は2016年。
温泉街の中心エリアから御柱を曳かれる様子を見ることが出来るそうです。
ご祭神は健御名方命ほか、おおぜいの神様たち。
境内の様子ですが、なぜか拝殿の写真撮影をすっかりド忘れ。
本殿はこちら。
秋葉山と大山祇命。
神輿殿と神楽殿。
狛犬は境内の参道途中に一対。
岡崎現代型。
建立:「昭和10年(1935)9月」
石工:「長野市 石匠 内田島吉」
寄進人:「東京市 兒玉彦治」
長野市の石工さん名がありますが、狛犬は手配だけして
現地での施工を請け負ったということですね。
ありがちな岡崎型ですが、諏訪梶の彫られた台座とセットになっているのも
“信州の岡崎型”としてのありがちな組み合わせですかね。
(取材日:2015年5月4日)
湯田中渋温泉郷の渋温泉の外れに鎮座する神社で、
諏訪系ということで境内には御柱も立っています。
最新の御柱祭は2010年に執り行われたらしく、次回は2016年。
温泉街の中心エリアから御柱を曳かれる様子を見ることが出来るそうです。
ご祭神は健御名方命ほか、おおぜいの神様たち。
境内の様子ですが、なぜか拝殿の写真撮影をすっかりド忘れ。
本殿はこちら。
秋葉山と大山祇命。
神輿殿と神楽殿。
狛犬は境内の参道途中に一対。
岡崎現代型。
建立:「昭和10年(1935)9月」
石工:「長野市 石匠 内田島吉」
寄進人:「東京市 兒玉彦治」
長野市の石工さん名がありますが、狛犬は手配だけして
現地での施工を請け負ったということですね。
ありがちな岡崎型ですが、諏訪梶の彫られた台座とセットになっているのも
“信州の岡崎型”としてのありがちな組み合わせですかね。
(取材日:2015年5月4日)
梶の葉と真田六文銭 [狛犬・寺社(長野市)]
このところまともな休日が確保できなくてゆったりと新規(神社)の取材が出来ずにいるのですが、
それでも5月から6月にかけて、幾度か北信方面に仕事で出かけた折に
その所用の前後に時間を少し確保して、火の見やぐら神社の取材に奔走しました。
このところずっと続いている北信シリーズがまさにその取材報告なわけですが。。。
長野市平林、安達神社。
コンビニストアに隣接している鎮守の杜という、
ミスマッチというか現代的というか、、、な境内周辺の様子。
場所は善光寺方面からまっすぐ東へ向かう国道406号線沿いになります。
実際のところ、当初から取材する目的があったわけではなく、
コンビニに用があったので車を停めたところ、
たまたま隣が神社だったので、じゃあついでに、、、となった次第。
境内入口すぐの鳥居。
その両部鳥居のすぐ左右に鎮座する岡崎現代型。
昭和29年5月建立。
石工名は彫られていませんでした。
いわゆる「あちこちに居る子」ということと、
社殿で氏子さんたちが大勢集まってなにやら会合しておられ、
ちょっと気持ちが落ち着かなかったので写真はこれだけ。
現地には由緒書きがなくて取材時点で祭神は不明でしたが、
神紋が梶だったので諏訪系の建御名方命だろうと思いこんでいたところ、
それは間違いではなかったですが、主祭神として五十猛命の名が挙げられていました。
あと、譽田分命を含めて三柱の神様だそうです。
ネットに出回る情報ではこのほか、木花咲屋姫命 を加えているところもあります。
さて、どの情報が正しいのでしょう?
本殿はこちら。
やはり瓦葺ですね。
摂社の白鳥社、、、だったかな?
六文銭の幕が印象的です。
六文銭といえば、来年の大河ドラマで脚光を浴びる(予定の)真田家の家紋。
その真田家の御城下だった同じ市内の松代に真田家が崇敬した白鳥神社があるので、
もしかするとそこからの勧請かもしれません。違うかもしれませんが。
皇大神宮の社殿前にはもう一対の小ぶりな狛犬たちがいました。
こちらは子取り玉取り。
台座に「昭和62年9月吉日 竣工記念」とあります。
なんの竣工記念なのか?
まあ普通に考えれば、こちらの皇大神宮の社殿完成が、
ということなのでしょうが、これだけでは余所者にはよく分かりませんね。
市街地の一角ということで境内はさほど広くはなかったですが、
とてもすっきりして氏子さんたちがきれいに整備されている様子でした。
(取材日:2015年5月4日)
それでも5月から6月にかけて、幾度か北信方面に仕事で出かけた折に
その所用の前後に時間を少し確保して、火の見やぐら神社の取材に奔走しました。
このところずっと続いている北信シリーズがまさにその取材報告なわけですが。。。
長野市平林、安達神社。
コンビニストアに隣接している鎮守の杜という、
ミスマッチというか現代的というか、、、な境内周辺の様子。
場所は善光寺方面からまっすぐ東へ向かう国道406号線沿いになります。
実際のところ、当初から取材する目的があったわけではなく、
コンビニに用があったので車を停めたところ、
たまたま隣が神社だったので、じゃあついでに、、、となった次第。
境内入口すぐの鳥居。
その両部鳥居のすぐ左右に鎮座する岡崎現代型。
昭和29年5月建立。
石工名は彫られていませんでした。
いわゆる「あちこちに居る子」ということと、
社殿で氏子さんたちが大勢集まってなにやら会合しておられ、
ちょっと気持ちが落ち着かなかったので写真はこれだけ。
現地には由緒書きがなくて取材時点で祭神は不明でしたが、
神紋が梶だったので諏訪系の建御名方命だろうと思いこんでいたところ、
それは間違いではなかったですが、主祭神として五十猛命の名が挙げられていました。
あと、譽田分命を含めて三柱の神様だそうです。
ネットに出回る情報ではこのほか、木花咲屋姫命 を加えているところもあります。
さて、どの情報が正しいのでしょう?
本殿はこちら。
やはり瓦葺ですね。
摂社の白鳥社、、、だったかな?
六文銭の幕が印象的です。
六文銭といえば、来年の大河ドラマで脚光を浴びる(予定の)真田家の家紋。
その真田家の御城下だった同じ市内の松代に真田家が崇敬した白鳥神社があるので、
もしかするとそこからの勧請かもしれません。違うかもしれませんが。
皇大神宮の社殿前にはもう一対の小ぶりな狛犬たちがいました。
こちらは子取り玉取り。
台座に「昭和62年9月吉日 竣工記念」とあります。
なんの竣工記念なのか?
まあ普通に考えれば、こちらの皇大神宮の社殿完成が、
ということなのでしょうが、これだけでは余所者にはよく分かりませんね。
市街地の一角ということで境内はさほど広くはなかったですが、
とてもすっきりして氏子さんたちがきれいに整備されている様子でした。
(取材日:2015年5月4日)
善光寺三鎮守、妻科神社 [狛犬・寺社(長野市)]
長野市南長野、妻科の妻科神社。
湯福神社、武井神社と並ぶ善光寺三鎮守の一社。
場所は善光寺から見て南西の方角にあり、
長野県庁本庁舎の北側の閑静な住宅街の一角に在ります。
創建年は不明ながらも、情報によれば善光寺開山より歴史が古いとされる古社で、
延喜式における式内社であり、旧社格においては県社となります。
ご祭神は八坂刀売命。
相殿として建御名方命と彦神別命。
湯福神社や武井神社同様に諏訪大社系の神社ですが、
ここでは旦那様ではなく奥方が主祭神として祀られているようですね。
木造の両部鳥居をくぐって境内へ。
一段高いところにたつ拝殿。
そのさらにもう一段、高台に建っているのが本殿。
下からだと見えづらく、横に回ってみましたが、、、あまり代わり映えせず。
拝殿向かって右側には天神社。
覆い屋かと思って近付いてみると、これ自体が神殿でした。
失礼ながら内部を拝観すると、真ん中に菅公と思しき人物の像。
そしてその両脇には木造と思しき狛犬が一対。
いかんせん内部は暗すぎて、フラッシュを焚いてもこの程度でブレまくり。
拝殿前に戻ると、両脇手前には御柱。
諏訪系の神社独特の世界ではありますが、
安曇野では普段見かけないのですよね、御柱って。
なのでこうして諏訪大社以外で御柱を目にすると新鮮な感覚になります。
こちらは昭和6年4月14日建立、県社昇格記念の灯篭(?)。
ケヤキの大木が多いのはありがちな話ですが、
それぞれに名札のようなものが取り付けられているのが不思議。
氏子の町内ごとの神輿庫。
社務所かと思ったら地区の公民館で。
社務所はこちらでした。
さて、狛犬たちは参道入口の鳥居前両脇に居まして。
居たのは、いかにもといった感じの岡崎現代型。
建立年ですが、阿形の台座には「大正9年(1920)秋 御柱祭記念」とあります。
一方で吽形の台座には「大正10年 9月建設」とあります。
御柱祭に合わせて奉献しようとしたところ、ことのほか設置まで時間がかかり、
けっきょく一年越しになってしまった、、、といった感じなのでしょうかね? よく知りませんが。
多数の奉献者氏名のほか、石工名も確認できました。
「岡崎 酒井孫兵エ 刻」
前エントリー記事の武井神社に引き続き2対目の酒井孫兵衛。
どうして「衛」だけがカタカナで「エ」なのだろうか?
武井神社は大正15年でしたので、こちら妻科神社のほうが年長さん。
デザインは子取り玉取りなのが大きく異なりますが、(←※)
基本的な容姿はほぼ一緒ですね、当たり前ですが。
ただ、細かな(毛並みとか)部分を見てみると、若干の違いが感じられます。
(※なにをトチ狂ったか、武井神社も子取り玉取りのデザインでした。失礼しましたm(__)m)
今回は仕事で遠征したついでの早朝6時頃の訪問で時間的余裕がない取材でしたが、
岡崎現代型でもスルーせずにしっかり観察して各地のものを比較してみると
いろいろ見えてくるものがあって、これはこれで楽しそうですね。
(取材日:2015年6月16日)
湯福神社、武井神社と並ぶ善光寺三鎮守の一社。
場所は善光寺から見て南西の方角にあり、
長野県庁本庁舎の北側の閑静な住宅街の一角に在ります。
創建年は不明ながらも、情報によれば善光寺開山より歴史が古いとされる古社で、
延喜式における式内社であり、旧社格においては県社となります。
ご祭神は八坂刀売命。
相殿として建御名方命と彦神別命。
湯福神社や武井神社同様に諏訪大社系の神社ですが、
ここでは旦那様ではなく奥方が主祭神として祀られているようですね。
木造の両部鳥居をくぐって境内へ。
一段高いところにたつ拝殿。
そのさらにもう一段、高台に建っているのが本殿。
下からだと見えづらく、横に回ってみましたが、、、あまり代わり映えせず。
拝殿向かって右側には天神社。
覆い屋かと思って近付いてみると、これ自体が神殿でした。
失礼ながら内部を拝観すると、真ん中に菅公と思しき人物の像。
そしてその両脇には木造と思しき狛犬が一対。
いかんせん内部は暗すぎて、フラッシュを焚いてもこの程度でブレまくり。
拝殿前に戻ると、両脇手前には御柱。
諏訪系の神社独特の世界ではありますが、
安曇野では普段見かけないのですよね、御柱って。
なのでこうして諏訪大社以外で御柱を目にすると新鮮な感覚になります。
こちらは昭和6年4月14日建立、県社昇格記念の灯篭(?)。
ケヤキの大木が多いのはありがちな話ですが、
それぞれに名札のようなものが取り付けられているのが不思議。
氏子の町内ごとの神輿庫。
社務所かと思ったら地区の公民館で。
社務所はこちらでした。
さて、狛犬たちは参道入口の鳥居前両脇に居まして。
居たのは、いかにもといった感じの岡崎現代型。
建立年ですが、阿形の台座には「大正9年(1920)秋 御柱祭記念」とあります。
一方で吽形の台座には「大正10年 9月建設」とあります。
御柱祭に合わせて奉献しようとしたところ、ことのほか設置まで時間がかかり、
けっきょく一年越しになってしまった、、、といった感じなのでしょうかね? よく知りませんが。
多数の奉献者氏名のほか、石工名も確認できました。
「岡崎 酒井孫兵エ 刻」
前エントリー記事の武井神社に引き続き2対目の酒井孫兵衛。
どうして「衛」だけがカタカナで「エ」なのだろうか?
武井神社は大正15年でしたので、こちら妻科神社のほうが年長さん。
基本的な容姿はほぼ一緒ですね、当たり前ですが。
ただ、細かな(毛並みとか)部分を見てみると、若干の違いが感じられます。
(※なにをトチ狂ったか、武井神社も子取り玉取りのデザインでした。失礼しましたm(__)m)
今回は仕事で遠征したついでの早朝6時頃の訪問で時間的余裕がない取材でしたが、
岡崎現代型でもスルーせずにしっかり観察して各地のものを比較してみると
いろいろ見えてくるものがあって、これはこれで楽しそうですね。
(取材日:2015年6月16日)
善光寺三鎮守、武井神社 [狛犬・寺社(長野市)]
長野市長野東町、武井神社。
ふたつ前のエントリー記事の湯福神社と同様、
善光寺七社であり、そして善光寺の三鎮守の神様です。
湯福神社が善光寺西側一帯の町内を氏子としているのに対し、
この武井神社は東側の19町を氏子にしているとのことです。
由緒書きはこちら↓。
ご祭神は健御名方神。
相殿神に前八坂刀売神と彦神別神の二柱。
ということで、境内には御柱がズンと立っています。
数年前に建て替え工事を行ったらしい、まだ真新しい拝殿の内部に神殿狛犬が一対。
阿形に角、吽形に宝珠が、それぞれの頭に備わっています。
近付いて見られないので年代は不明ですが、そう古い時代のものではなさそう。
でもしっかりと彫り込まれていていい感じです。
本殿。
氏子会館(?)。
そして社務所。
拝殿本殿その他建築物はみな瓦葺なのは
やはり善光寺というお寺の鎮守という性格からでしょうか。
境内の摂末社。
猿田彦神と松尾社。
稲荷社。
その稲荷社の隣に写っている社殿は天神社、三峯社、金比羅社。
うっかり写真を撮り忘れ。
雷電の力石なるものもありました。
そして参道狛犬はこちら。
典型的な岡崎現代型。
大正15年(1926)5月建設。
一方の台座には大正丙寅年御柱祭記念とあります。
建設委員の名前が列挙されている一方で石工名もありました。
岡崎 酒井孫兵衛 刻。
酒井孫兵衛は岡崎石工のなかで最も有名といっていい名跡で
岡崎現代型のデザインを開発確立させた、当時の岡崎を代表する石工ですが、
たぶん自分は酒井孫兵衛の作品を直接目にしたのはこれが初めてだと思います。
(記憶違いでなければ)
自分は岡崎現代型についてこれまで石工ごとの特長とか
そうした細かいこだわりを持たずに、ぶっちゃけスルーに近い状況だったのですが、
少しずつその微細な違いや特徴などに気が向くようになってきました。
といっても、どこがどう異なるのか、石工ごとの特徴がどんなものなのか、
これといって語れるほどのものはまだ持つに至っていないのですが。
(大陸から輸入されている“なんちゃって岡崎”に興味が向かないのは相変わらずですし。)
なんにせよ、酒井孫兵衛作との(たぶん)初対面だった武井神社。
印象に残る神社でした。
(取材日:2015年5月4日)
ふたつ前のエントリー記事の湯福神社と同様、
善光寺七社であり、そして善光寺の三鎮守の神様です。
湯福神社が善光寺西側一帯の町内を氏子としているのに対し、
この武井神社は東側の19町を氏子にしているとのことです。
由緒書きはこちら↓。
ご祭神は健御名方神。
相殿神に前八坂刀売神と彦神別神の二柱。
ということで、境内には御柱がズンと立っています。
数年前に建て替え工事を行ったらしい、まだ真新しい拝殿の内部に神殿狛犬が一対。
阿形に角、吽形に宝珠が、それぞれの頭に備わっています。
近付いて見られないので年代は不明ですが、そう古い時代のものではなさそう。
でもしっかりと彫り込まれていていい感じです。
本殿。
氏子会館(?)。
そして社務所。
拝殿本殿その他建築物はみな瓦葺なのは
やはり善光寺というお寺の鎮守という性格からでしょうか。
境内の摂末社。
猿田彦神と松尾社。
稲荷社。
その稲荷社の隣に写っている社殿は天神社、三峯社、金比羅社。
うっかり写真を撮り忘れ。
雷電の力石なるものもありました。
そして参道狛犬はこちら。
典型的な岡崎現代型。
大正15年(1926)5月建設。
一方の台座には大正丙寅年御柱祭記念とあります。
建設委員の名前が列挙されている一方で石工名もありました。
岡崎 酒井孫兵衛 刻。
酒井孫兵衛は岡崎石工のなかで最も有名といっていい名跡で
岡崎現代型のデザインを開発確立させた、当時の岡崎を代表する石工ですが、
たぶん自分は酒井孫兵衛の作品を直接目にしたのはこれが初めてだと思います。
(記憶違いでなければ)
自分は岡崎現代型についてこれまで石工ごとの特長とか
そうした細かいこだわりを持たずに、ぶっちゃけスルーに近い状況だったのですが、
少しずつその微細な違いや特徴などに気が向くようになってきました。
といっても、どこがどう異なるのか、石工ごとの特徴がどんなものなのか、
これといって語れるほどのものはまだ持つに至っていないのですが。
(大陸から輸入されている“なんちゃって岡崎”に興味が向かないのは相変わらずですし。)
なんにせよ、酒井孫兵衛作との(たぶん)初対面だった武井神社。
印象に残る神社でした。
(取材日:2015年5月4日)