元号的に希少な万延年間の狛犬 [狛犬・寺社(北安曇郡)]
長野県北安曇郡池田町、会染の宇佐八幡宮。
長野県神社庁のHPによると、創建は建久年間(1190~1199)で
豊前国の宇佐八幡宮より勧請を受けて産土神としたと伝えられているそうです。
ご祭神は誉田別命と建御名方命。
同社の取材はずいぶん前で、2011年12月。画像はうっすら雪化粧。
じつはU1教授がブログで万延2年建立の道祖神について記事をアップされたのを見て、
そういえば宇佐八幡の狛犬も万延の制作だったなあと、ふと思い出しまして。
で、そういえば記事にするのをすっかり忘れていたなぁ、ということもふと思い出し(^^;
最近通りがかった折に眺めた境内の様子は取材当時から変化していなさそうだったので、
再取材はせずそのまま当時の画像を使用してお送りしたいと思います。
同社は池田町役場のあたりから約2キロほど南下した田園地帯に
この付近では珍しく西面して鎮座しています。
鳥居はさほど大きくないですが、明るい朱塗りが印象的。
鳥居をくぐると柵に囲われた石灯籠が目に付きますが、
これは万延2年正月吉日と刻まれています。(たぶん、正月だと思われる。)
このあと紹介する狛犬と並び、これもまた元号として貴重な存在かも。
境内まんなかに大きな神楽殿。
拝殿と一間社流造の本殿。
境内の一角に拝殿の新築記念碑と再新築記念碑が並立しています。
県神社庁HPの解説によれば大正14年(1925)と昭和4年(1929)に
社殿が焼失し再建されたとありますので、
おそらくはそのことを記念する石碑なのでしょう。
石碑に並んで境内社の神様たち。
高良神社。天照皇大神宮、鹿島神社、山之神神社、金比羅神社、
津島神社、天満宮神社、大巳貴命、少名彦命、柏木神社。
石神石仏も勢ぞろい。
御嶽大神と如意輪観音。
青面金剛×2。
道祖神×2。
養蚕大神と二十三夜塔。
そして狛犬たちは拝殿の前に一対。
建立年は『万延元申年(1860)八月吉(辰?)』。
万延は1860年4月から1861年3月までの一年足らずの短い元号でした。
よって国内どの地域でも万延時代に出来た文化財などの類は
おそらく数の上で非常に珍しい存在ではなかろうかと思われるので、
この狛犬たちも例に漏れずけっこう珍しいものと言ってもいいかもしれません。
そしてデザインにも注目。
まず非常にユニークな面立ち。
赤塚冨士夫の漫画に登場しそうな顔つきじゃないですか?
まんまるい輪郭におかっぱのような髪型、というかたてがみ。
憎めない表情をしています。
ところで幕末といえば少しずつ狛犬の数も全国的には増え始めた時期とはいえ、
それでもここ信州松本平一円ではまだまだ数えるほどしか奉献された例がなく、
近在で最も古いのは明和6年(1769)建立の穂高神社の狛犬。
宇佐八幡宮の子たちはこの穂高神社の狛犬たちを参考に
彫られたのではないだろうかというのが自分なりの推測だったりします。
顔つきは大きく異なるものの、体全体の大きさがほぼ同じ程度。
寸胴のボディラインも共通しており、なにより前脚の股が彫り抜かれていないのが特徴。
股や腹部の彫り抜きがないのは江戸前中期の狛犬に時折見かける姿だと思うのですが、
穂高神社の子たちは江戸で制作されて手車に乗せて運ばれてきた事実があり、
股の彫り抜きがないのはとくに運搬中の破損リスク軽減を図った意味が強いのではと
推測することもできるだろうと考えています。
いっぽうの宇佐八幡の子たちの素材はおそらく地元で産出された御影石。
とくに運搬リスクという点をさほど考慮せずともよかったと思われますし、
またたてがみのデザインが阿吽で異なっている点などを加味してみると、
やはりこれは石造狛犬として近在で参考に出来る唯一の存在と言ってよい
穂高神社の狛犬を、模倣というほどではないにしても少なからず参考には
していたであろういうのも的外れな見解ではないと思っているのですが。
顔つきがあまりに違うこともあるので、その他のイメージで
たまたま似たように思えてしまっているだけかもしれませんが、
はてさて真実はどうなのでしょうね?
宇佐八幡宮、境内もゆったりとしたところで、
目の前には田園風景が広がり、開放的な神社です。
(取材日:2011年12月28日)
長野県神社庁のHPによると、創建は建久年間(1190~1199)で
豊前国の宇佐八幡宮より勧請を受けて産土神としたと伝えられているそうです。
ご祭神は誉田別命と建御名方命。
同社の取材はずいぶん前で、2011年12月。画像はうっすら雪化粧。
じつはU1教授がブログで万延2年建立の道祖神について記事をアップされたのを見て、
そういえば宇佐八幡の狛犬も万延の制作だったなあと、ふと思い出しまして。
で、そういえば記事にするのをすっかり忘れていたなぁ、ということもふと思い出し(^^;
最近通りがかった折に眺めた境内の様子は取材当時から変化していなさそうだったので、
再取材はせずそのまま当時の画像を使用してお送りしたいと思います。
同社は池田町役場のあたりから約2キロほど南下した田園地帯に
この付近では珍しく西面して鎮座しています。
鳥居はさほど大きくないですが、明るい朱塗りが印象的。
鳥居をくぐると柵に囲われた石灯籠が目に付きますが、
これは万延2年正月吉日と刻まれています。(たぶん、正月だと思われる。)
このあと紹介する狛犬と並び、これもまた元号として貴重な存在かも。
境内まんなかに大きな神楽殿。
拝殿と一間社流造の本殿。
境内の一角に拝殿の新築記念碑と再新築記念碑が並立しています。
県神社庁HPの解説によれば大正14年(1925)と昭和4年(1929)に
社殿が焼失し再建されたとありますので、
おそらくはそのことを記念する石碑なのでしょう。
石碑に並んで境内社の神様たち。
高良神社。天照皇大神宮、鹿島神社、山之神神社、金比羅神社、
津島神社、天満宮神社、大巳貴命、少名彦命、柏木神社。
石神石仏も勢ぞろい。
御嶽大神と如意輪観音。
青面金剛×2。
道祖神×2。
養蚕大神と二十三夜塔。
そして狛犬たちは拝殿の前に一対。
建立年は『万延元申年(1860)八月吉(辰?)』。
万延は1860年4月から1861年3月までの一年足らずの短い元号でした。
よって国内どの地域でも万延時代に出来た文化財などの類は
おそらく数の上で非常に珍しい存在ではなかろうかと思われるので、
この狛犬たちも例に漏れずけっこう珍しいものと言ってもいいかもしれません。
そしてデザインにも注目。
まず非常にユニークな面立ち。
赤塚冨士夫の漫画に登場しそうな顔つきじゃないですか?
まんまるい輪郭におかっぱのような髪型、というかたてがみ。
憎めない表情をしています。
ところで幕末といえば少しずつ狛犬の数も全国的には増え始めた時期とはいえ、
それでもここ信州松本平一円ではまだまだ数えるほどしか奉献された例がなく、
近在で最も古いのは明和6年(1769)建立の穂高神社の狛犬。
宇佐八幡宮の子たちはこの穂高神社の狛犬たちを参考に
彫られたのではないだろうかというのが自分なりの推測だったりします。
顔つきは大きく異なるものの、体全体の大きさがほぼ同じ程度。
寸胴のボディラインも共通しており、なにより前脚の股が彫り抜かれていないのが特徴。
股や腹部の彫り抜きがないのは江戸前中期の狛犬に時折見かける姿だと思うのですが、
穂高神社の子たちは江戸で制作されて手車に乗せて運ばれてきた事実があり、
股の彫り抜きがないのはとくに運搬中の破損リスク軽減を図った意味が強いのではと
推測することもできるだろうと考えています。
いっぽうの宇佐八幡の子たちの素材はおそらく地元で産出された御影石。
とくに運搬リスクという点をさほど考慮せずともよかったと思われますし、
またたてがみのデザインが阿吽で異なっている点などを加味してみると、
やはりこれは石造狛犬として近在で参考に出来る唯一の存在と言ってよい
穂高神社の狛犬を、模倣というほどではないにしても少なからず参考には
していたであろういうのも的外れな見解ではないと思っているのですが。
顔つきがあまりに違うこともあるので、その他のイメージで
たまたま似たように思えてしまっているだけかもしれませんが、
はてさて真実はどうなのでしょうね?
宇佐八幡宮、境内もゆったりとしたところで、
目の前には田園風景が広がり、開放的な神社です。
(取材日:2011年12月28日)