東京にいる手向山神社タイプ [狛犬・寺社(東京都)]
先日、とある所用で東京へ日帰りで出かけ、ついでに神社巡りをしてきました。
ということで突然ですが数回ほど東京の狛犬紹介を続けます。
東京都台東区鳥越の鳥越神社。
JR総武線浅草橋駅から北へ徒歩約10分ほど、
都会の真ん中に鎮座しています。
境内外の歩道脇に掲示されていた区教育委員会の由緒書きによると
創建は白雉二年(651)。
ご祭神は日本武尊、天児屋根命、徳川家康。
社号の由来その他もろもろは以下をどうぞ↓。
社号標の揮毫は鳩山一郎。
石造の鳥居をくぐると境内は左に折れ、
正面奥に立派な拝殿が見えました。
本殿はこちら。
西参道の鳥居。
境内社の志志岐神社はご祭神が豊玉姫命。
穂高神社主祭神の穂高見命の長姉神であり、
神武天皇のおばあちゃんにあたる神様。
福寿神社。
神楽殿(?)。
手水舎。
祖霊舎。
社務所。
狛犬は拝殿前に一対いました。
銘板によると、昭和7年(1932)6月1日建立。
そして昭和25庚寅歳5月吉日修復とあります。
戦時中の空襲などで被災して復旧されたということなのでしょうかね?
修復理由は記載がなく、銘板は寄進者氏名がずらっとあるのみです。
デザインは見ての通り、奈良の手向山神社にいる鎌倉時代作といわれる
奈良市の文化財指定も受けている狛犬のコピーです。
大きさは大型の部類に入ると思いますが、図体のわりに頭の小さい点が特徴で、
吽形に角が付き、阿形が立ち耳で吽形が折れ耳の点もオリジナル同様です。
銘板には「狛犬彫刻 八柳五兵衛」とあり、さらに
阿形には「施工者 加瀬又右衛門」、吽形には「施工者 高橋金三郎」とあります。
八柳氏は彫刻家とのことですが、八柳氏が原型を作り、
阿吽をそれぞれの石工が請け負ったということになるのか、
あるいは八柳氏が狛犬制作を手がけ、台座設置を含むその他の石工作業を
施工者の名がある2人が請け負ったということになるのか。
銘板に刻まれた肩書きから察すると後者のような気もするのですが。
靖国神社にいる籠神社型の狛犬も同じ八柳(恭次)氏の名が刻まれており、
そこにも別途石工の名(小澤映二)が刻まれていて、
靖国の子たちと同じようなシステム(?)で制作されたのかもしれませんが、
そもそも靖国の場合も彫刻家と石工の分業体制がいまいちハッキリしていないので
その点については今回もノーコメント。
なにはさておき、自分としては手向山神社のオリジナルをまだ取材していないので、
コピーながらもこちらで同デザインを拝見できたのは有意義なことでした。
あと手向山神社のコピーがここに存在する理由については、
インターネット上で少し検索した限りでは明確なものが見出せませんでした。
同社から直線距離にして2キロちょっとの程近い日本橋を守護する獅子像が
同じ手向山神社の狛犬を参考にしたとされていますが、
現在の日本橋が完成したのは明治44年ということですから、
そのへんの話がなにかしら影響と言うか背景にあったのではとも
考えられなくもないと思うのですが、、、考えすぎでしょうかね?
境内に張られていた台東区の神社マップ。
神社巡りの好きな人にはこういう地図は楽しくていいですね。
(取材日:2015年10月15日)
ということで突然ですが数回ほど東京の狛犬紹介を続けます。
東京都台東区鳥越の鳥越神社。
JR総武線浅草橋駅から北へ徒歩約10分ほど、
都会の真ん中に鎮座しています。
境内外の歩道脇に掲示されていた区教育委員会の由緒書きによると
創建は白雉二年(651)。
ご祭神は日本武尊、天児屋根命、徳川家康。
社号の由来その他もろもろは以下をどうぞ↓。
社号標の揮毫は鳩山一郎。
石造の鳥居をくぐると境内は左に折れ、
正面奥に立派な拝殿が見えました。
本殿はこちら。
西参道の鳥居。
境内社の志志岐神社はご祭神が豊玉姫命。
穂高神社主祭神の穂高見命の長姉神であり、
神武天皇のおばあちゃんにあたる神様。
福寿神社。
神楽殿(?)。
手水舎。
祖霊舎。
社務所。
狛犬は拝殿前に一対いました。
銘板によると、昭和7年(1932)6月1日建立。
そして昭和25庚寅歳5月吉日修復とあります。
戦時中の空襲などで被災して復旧されたということなのでしょうかね?
修復理由は記載がなく、銘板は寄進者氏名がずらっとあるのみです。
デザインは見ての通り、奈良の手向山神社にいる鎌倉時代作といわれる
奈良市の文化財指定も受けている狛犬のコピーです。
大きさは大型の部類に入ると思いますが、図体のわりに頭の小さい点が特徴で、
吽形に角が付き、阿形が立ち耳で吽形が折れ耳の点もオリジナル同様です。
銘板には「狛犬彫刻 八柳五兵衛」とあり、さらに
阿形には「施工者 加瀬又右衛門」、吽形には「施工者 高橋金三郎」とあります。
八柳氏は彫刻家とのことですが、八柳氏が原型を作り、
阿吽をそれぞれの石工が請け負ったということになるのか、
あるいは八柳氏が狛犬制作を手がけ、台座設置を含むその他の石工作業を
施工者の名がある2人が請け負ったということになるのか。
銘板に刻まれた肩書きから察すると後者のような気もするのですが。
靖国神社にいる籠神社型の狛犬も同じ八柳(恭次)氏の名が刻まれており、
そこにも別途石工の名(小澤映二)が刻まれていて、
靖国の子たちと同じようなシステム(?)で制作されたのかもしれませんが、
そもそも靖国の場合も彫刻家と石工の分業体制がいまいちハッキリしていないので
その点については今回もノーコメント。
なにはさておき、自分としては手向山神社のオリジナルをまだ取材していないので、
コピーながらもこちらで同デザインを拝見できたのは有意義なことでした。
あと手向山神社のコピーがここに存在する理由については、
インターネット上で少し検索した限りでは明確なものが見出せませんでした。
同社から直線距離にして2キロちょっとの程近い日本橋を守護する獅子像が
同じ手向山神社の狛犬を参考にしたとされていますが、
現在の日本橋が完成したのは明治44年ということですから、
そのへんの話がなにかしら影響と言うか背景にあったのではとも
考えられなくもないと思うのですが、、、考えすぎでしょうかね?
境内に張られていた台東区の神社マップ。
神社巡りの好きな人にはこういう地図は楽しくていいですね。
(取材日:2015年10月15日)