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松本型狛犬との類似性? [狛犬・寺社(東京都)]

10月の東京狛犬取材ツアーで巡った神社は4社。
(ほぼ半日ではこのあたりが限界)

昼間に他の仕事を済ませつつ、夕暮れ時にかろうじて訪問できたのがこちら。
東京都目黒区、下目黒の大鳥神社。
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山手線目黒駅から権之助坂を西へと下った先、
都道317号との交差点角に鎮座している神社で、
江戸期には目黒不動、金比羅権現と並び目黒の三社様と呼ばれていたそうです。

境内はきれいに整備されていて、いかにも都会の神社。

ご祭神は日本武尊。
相殿として国常立尊と弟橘媛命。

境内の由緒書きによると同社の由来は景行天皇時代に遡るそうで、
日本武尊に所縁が深く、社号も尊に由来するもののようです。
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立派な拝殿、そして本殿。
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末社の目黒稲荷神社。
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社務所。
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神楽殿。
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庚申塔(青面金剛像)など。
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片隅には切支丹灯篭なるものがありました。
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さて、狛犬です。
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今回の時間が限定される取材ツアーで同社の狛犬をチョイスしたのは
この子の画像を下調べ中に見かけたことによるのですが。
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この表情、というかたてがみの様子。
左右にぐわっと広がるたてがみのデザインは、松本型の狛犬を想起させます。

というか、狛犬のアップ画像だけを見せられたりしたら
松本エリアのどこの神社だろう?と思ってしまうかもしれないほど。

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『大正五年(1916)九月吉日』建立。
『溝口石工 内藤慶雲』とあります。

内藤慶雲は川崎市の溝ノ口を中心に仕事をしていた石工とのことで、
この名前の刻まれた狛犬も都内や川崎市内などに数多く残っているそうですね。

ただ、それらの狛犬は作風の大きく異なるものが多く、
内藤慶雲の名を用いた作品は複数人によっているというのが通説のようです。
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松本型狛犬というのは基本的に江戸狛犬の流れにあるものと位置付けできますが、
その殆どは現在も松本市内で営業されている田近石材店さんの
当時の親方(二代目の田近勝之助など)の手によるもの。
そんななか、安曇野市下鳥羽の大同神社に居る松本型狛犬一対だけは、
白鳥文治郎(ほか2名)の名前が台座に彫られています。
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(↑安曇野市下鳥羽の大同神社にいる狛犬。以前の取材記事はこちら

大同神社の子は松本型としては典型的なデザインですが、
その特徴であるたてがみのワイドな広がりもさることながら、
胴体の皮膚というか体毛を表現しているのであろう鑿跡の様子が
内藤慶雲作の大鳥神社の子達と非常に似通っています。
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(上が大鳥神社の狛犬。下が安曇野の大同神社の狛犬。)

このような鑿の入れ方が狛犬制作の技術として珍しくないのか否か、
自分はまだそんなに数多くの取材を重ねたわけではないのでよく分かりません。
ただ、これまで500対近く出会った狛犬のなかでは、
この感じの鑿跡は大同神社とこの大鳥神社の2対のみしか見た記憶がありません。

尾のまとめ方も違うといえば違うかもしれませんが、
先入観を持った目で見てしまうとつい両者似通って見えてしまいます。
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(同じく上が大鳥神社、下が大同神社。)

顔の向きを含め細かな相違点も認められますし、
今回たまたま似たようなデザインの子に巡りあっただけかもしれません。
ただ、たてがみだけでなく子獅子の顔つきや鞠といった似たデザインを見てみると、
単純に偶然では済ませられない印象を感じてしまうのも否めない事実。
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(同じく・・・以下略w)

じつは以前より大同神社の狛犬は白鳥文治郎作ではないのではないかという疑念があり、
余計にそうした受け止め方をしてしまったのかもしれません。

まさか大鳥神社の子達を作った内藤慶雲が、安曇野の大同神社の子達までも・・・?

大同神社の子達が大鳥神社の子達と同じ大正5年建立というのは、偶然?

ちなみに大同神社の子が白鳥文治郎と違うのではという疑念の理由は
大同神社の子以外の松本型狛犬はすべて田近氏の制作であるということと、
田近氏作の別の神社の狛犬と作風があまりに似すぎているということ。
そして白鳥文治郎の名が刻まれた大同神社以外の狛犬を2対知っていますが、
そのいづれも岡崎現代型で自身の手によるものではないことなどから。

そんな以前からの疑念に加え、今回新たに大鳥神社の内藤慶運狛犬が加わり、
これらの狛犬たちの出自に関する関心がますます高まってしまいました。

続報があれば、また追々記事にして行きたいと思いますが、
また次に東京方面でじっくり狛犬取材をする時間が取れれば、
内藤慶雲のその他の狛犬を幾つか見て巡ってみたいとも考えています。
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以上で10月15日取材ツアーの記事は終わりです。

(取材日:2015年10月15日)



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素盞雄神社の獅子山と狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

東京都荒川区南千住の素盞雄神社。
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先日の東京日帰り取材ツアー(仮称?)にて
限られた時間内でどの神社を巡ろうかと思案した結果、
前から会いたかった獅子山の狛犬がいるところへ、というわけで訪れてみました。

所在地の千住は日光街道の初宿。
その南側に出来た宿場町が町の起源とのことらしく、
隅田川を渡る手前に鎮座しているのが同社。
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御祭神は
素盞雄大神と飛鳥大神。
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旧日光街道に面した側の鳥居をくぐると参道両脇に灯篭・・・の遺構?
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灯篭だったのかなんなのかよく分かりませんが、
災害か何かの影響で本体が失われたのでしょうか。

台座のレリーフにいる狛犬のデザインがいいですね。
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参道を進むと右手奥に参集殿。
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突き当たりにそびえるのは地元で有名な大銀杏だそうで。
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御社殿正面は左に回りこんだ先。
拝殿。
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神楽殿。
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境内社。
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境内には富士塚がありましたが、瑞光石という名の由緒書きが。
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瑞光石はご祭神が降り立った場所で、幕末になって富士塚を築き
浅間神社が祀られることになったのだそうです。
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そしてこの浅間神社ここに狛犬が一対。
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なかなか素朴な時代を感じさせる狛犬。
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残念ながら脚部など一部に欠損が見られますが、
頭部にくぼみを持つなど江戸中期までの狛犬にしばし見られる特徴も確認できます。

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足座部分に文字が刻まれていて、建立年を記しているようなのですが判読できず。
ネットに出回る情報によると宝暦10年(1760)という解説がありました。

さらに荒川区有形民俗文化財指定の庚申塔群の前にも
黄色い前掛けが印象的な狛犬がいました。
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社殿正面、境内南側に立つ鳥居をくぐった場所に、さらに狛犬一対が。
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文化五年(1806)戊辰閏六月吉日、建立。
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決して大柄ではないですが厳しい表情と分厚い胸板が迫力を感じさせるのと、
たてがみがけっこう長めなのが印象的ですね。
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特徴なのは頭頂部の様子。
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頭に窪みを持つデザインは江戸期の狛犬に見かけますが、
阿形は窪みがあるように思われつつ逆に突起しているようにも見え、
吽形は窪みの中に小さな石のつぶてがあるようにも見えます。
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台座の文字。
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「新吉原角町松葉屋半蔵」。

松葉屋は吉原の有名な引手茶屋とのこと。
自分は全然知らなかったのですが、平成の御世となるまで
その後継となる店が存続していたのですね。
もちろんかつての茶屋としてではなく、吉原の芸者衆によるお座付きや
花魁ショーなどの形で江戸文化の保存継承の役割も担う現代的な事業としてですが。

ところでこの狛犬の台座に「昭和10年」の年号と「市勢久次郎」の氏名が記されていました。
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なにかの事情から復献したとかそういうことになるんでしょうかね?
銘文の事由がよく分からないです。

そして最後に拝殿正面に鎮座する獅子山。
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立派なお山に立派な狛犬たちの姿。
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事前にネットで紹介されている情報で少し予習していましたが、
なるほど高い評価を得ているだけのことはある獅子山だと思いました。
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胴体や表情の彫りは極端な凝った部分を見せていないですが、
なにより持ち上げた尻部から立ち流れる尾のデザインというか
技術が素晴らしいと思います。
イメージとしては山の頂上に吹く風になびく尾とたてがみ、って感じでしょうか。

背後というかお尻側から見た姿も堂々としたものです。
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この角度から見ると尾の造形の良さがよく分かりますね。

また、自分が「おっ?」と思ったのは吽形の親獅子の目。
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正面から観賞しているとさほど感じなかったのですが、
その直下にいる子獅子との関係を撮ろうとアングルを探っていた時、
親獅子の視線が子獅子のほうに向けられているような印象を持ちました。

目玉は、まあ着色されていてその黒目の向きが少し下方に向けられている感じで、
考えすぎかもしれませんけどなんとなくほのぼのした印象でいいなと思った次第です。

建立年代の詳細は不明ですが、
狛犬の杜別館さまのサイトにあった情報に依れば
推定ですが明治22年以降の建立ではないか、とのことでした。
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この日の取材ツアーは時間の都合で他の訪問予定地やその他スケジュールを考えると
足を運ぶのは躊躇われていたのですが、
この獅子山はじめ境内の狛犬たちに出会うことが出来、
断念することなく訪れてよかったと改めて思うことができました。

素盞雄神社HP



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三社様の狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

いまや世界的な観光スポットとなった
東京台東区浅草、浅草寺。
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の、本堂東隣に鎮座する浅草神社。
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土師真中知命(はじのまつらのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)

社伝による創建の伝承はいろいろ物語があるようですが、
実際は平安末期~鎌倉期にかけて祭神の後裔が
崇祖の思いから創建したものであろうとされているようです。
詳しくはこちらの由緒書き、または同社HPへ。
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浅草神社HP

狛犬ですが、同社には自分が確認しただけで三対います。
まず正面鳥居をくぐって拝殿に向かう途中の一対。
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がっしりした石組みの上に蹲踞する江戸獅子。
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足座がなくそのまま石組みに本体が据えられていて、
石組みにいろいろ文字が刻まれています。

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「天保七(1836)丙申三月」。
建立や奉献の文字はないですが、
まあこれを建立年と考えて差し支えないでしょう。

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「山川町大工虎五郎」。
山川町というのはかつて浅草にあった町名のようですね。

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「象潟町 大岩」。
象潟も浅草にかつてあった町名のようです。
こちらが石工さんの名前になるのでしょうか?
などと思っていると別の石にも文字が刻まれていました。

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「田町 文三郎」。
こちらも町名と名前のみで奉献主なのか石工なのか判然としません。

詳しく調査したわけではないのでなんともいえませんが、
常識で考えて大工がこれを彫り上げたとは想像できないので
少なくとも虎五郎は奉献主と置いて差し支えないと思います。

では田町の文三郎と象潟町の大岩が石工かどうかの検証ですが、
刻まれた名前のパターンからすれば文三郎が虎五郎とともに献主で
大岩を石工と考えるのが普通のような気もします。

ネット上でも、とくに狛犬の杜別館さんに詳しい解説付きで掲載がありましたが、
やはり石工=象潟町の大岩、献主=田町の文三郎&山川町虎五郎、
となされていました。

ただ、奉献主として並ぶ両名の名前のうち、
虎五郎は台座上部に横書きで、文三郎は石工であろうとされている大岩と
同じようなデザインパターンで縦書きによって施されています。
どうもそのへんが自分的にしっくり来なくて、でも資料不足なのでなんともいえず。
もしかして自分が知らないだけで“象潟町の大岩さん”というのは
石工さんとして史料にも名をのぞかせている人なのかもしれませんが。
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次に拝殿前の一対。
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三段組のしっかりした台座の上にブロンズ像の蹲踞タイプ。
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台座に献主と奉献事由、建立年が記されています。
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「浅草神社社殿復元記念 三社睦会 昭和三十八(1963)年五月」。

浅草神社の本殿及び幣殿、そして拝殿は国重要文化財指定。
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社伝によると本殿などは慶長2(1649)に将軍家光公により建立寄進とあります。
その復元ということですから、なにか大改修でもあったのでしょうかね。

ちなみにウィキペディアでは重文指定を昭和36年としているのですが、
同社HPでは昭和26年となっています。
おそらくウィキの誤記だろうと思い、文化庁のデータベースで念のためチェックしたら
昭和21年指定とありました。・・・はてさて、どゆこと?

三対目は同社に限らずこの日の取材ツアーでもっとも出会いたかった一対。
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参道や拝殿前ではなく、すでにご隠居さんとして境内の一角にて
静かに余生を過ごしているといった感じの一対です。

夫婦狛犬として紹介されているようで、由緒書きが用意されていました。
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ここにも書かれていますが、足座の部分に文字が刻まれていまして。
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「諸願成就」

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「品川町裏河岸 鈴木平吉」

石工名と建立年は残念ながら刻まれていないようです。
上の由緒書きでは1600年代後半~1700年代前半と推定していますが、
まあおそらくその頃の可能性がもっとも高いと自分も思います。

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同時代の江戸狛犬は数多く取材したわけではないですが、
スタンダードなデザインといっていいのではないでしょうか。

この子の存在を知り、いつか会ってみたいと思ったのには理由があって、
それは穂高神社若宮社の狛犬たちのルーツを知る手がかりになるのではと思ったから。
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若宮社前の狛犬一対は明和6年の制作で、
江戸で作られて穂高神社まで運ばれてきたことは判っているのですが、
具体的な出生の状況(彫った石工さんとか)までは情報がハッキリしません。

本ブログ(2013/01/13)穂高神社の記事

浅草神社のこの夫婦狛犬と称されている子たちは、事前にネットに出回る画像を見る限り
穂高の子たちと大きさや全体の造形が似通っている印象があったため、
ひょっとするとなにかしら繋がりがあるのでは?と期待して訪れてみたのですが。。。
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結論から言って、まあ当然かもですが、とくに手がかりになるようなことは何も無し。
全体の大きさなどはたしかに似ているところはありますが、
細かなデザインはぜんぜん違いました。
頭部の窪みが両社の狛犬ともに存在する特徴とはいえ、
この子たちに限らず江戸中期の狛犬にはよく見かけるものですし、
だいいち穂高神社の子は首を振っていますが、この夫婦狛犬は正面を見据えています。
劇的な展開も多少は期待しましたが、残念ながら同一石工さんではないでしょう。
いづれにしても石工名が残っていないのは惜しいですね。

ただ、年代的にそう遠くない時期に制作された両者だろうと思います。
穂高の子達の奉献主が江戸深川在住の商人だったことを合わせ考えると、
同じ石工さんの作品ではないにしても、浅草のお宮で楽隠居(?)中の夫婦狛犬さんたちとは
ひょっとしたら親戚筋に当たるかもしれない、、、、とか、いろいろと楽しい妄想はつきません。

ところで足座の側面側に刻まれている文字についてですが。
まあ文字の内容は上にも書いた通りで、それはべつにいいんですけど、
現在置かれている状態で阿吽とも向かって左手側面に文字があるのです。
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つまり、元あった状態に阿吽の顔が向き合って正対していたとすると
阿形は参道手前側に文字があり、吽形は参道奥側に文字があったことになります。

また、顔が正対せず参道に対して平行に据えられていたと考えると、
阿形は参道内側に文字が向き、吽形は参道外側に文字が向いていたことになります。

まあ狛犬に文字を刻む位置程度、どうでもいいっちゃあそうなんですが、
それが全く異なる内容同士ならまだしもなんですが、
同じ奉献主の名前の刻字だったので、なんとなく違和感を覚えた次第です。
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さて、本殿の北側に末社の被官稲荷社へと移動。
社殿前にお約束の狐さんがいました。
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手にしているのは鍵のようですが、房付きの立派な仕様ですね。

同社の由緒はこちら。
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江戸後期の町火消しとして有名な新門辰五郎ゆかりの社ということのようです。

小ぶりな一間社流造の本殿は幕末に祀られて以降、
関東大震災も東京大空襲も無事に生き長らえた、貴重な社殿とのこと。
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ところで浅草神社は浅草寺の本堂すぐの位置に隣接しています。
その浅草寺の境内一角に恵比須・大黒天堂という小さなお堂があり、
本尊の石像は江戸前期の作とされているそうなのですが、
そのお堂の前にも小ぶりで可愛らしい古い狛犬さんが一対鎮座しています。
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阿吽で正面に向き、少し顔を持ち上げているような格好で蹲踞していました。
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先ほどの浅草神社の夫婦狛犬とどことなく雰囲気は似ており
制作も同年代くらいかなという印象も在ります。
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その制作年、ネット上の情報では延宝三年との話が一部出回っていましたが、
お堂脇の由緒書きでこの年代が示しているのは恵比須と大黒天の石像のことで、
この解説を読む限りでは狛犬まで含まれるとは考えづらいところです。
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自分が見た限りでは狛犬本体にそれらしき刻字がありませんでした。
もしかしたら赤い前掛けをめくってみたらお腹あたりに刻まれていたのかどうだか。
あるいは寺に残る古文書などにはその旨が明記されているけれども
現地の由緒書きではたまたまそこまで明示されていないだけ、なのかもしれません。

いづれにしても、見た目の印象から江戸中期頃の作品ではなかろうかと
自分も考えるところではありますけれども。
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浅草寺界隈はまたしてもゆっくり楽しむことができませんでした。
前回訪れたのはもう9年近く前の初詣。
二年参りで死ぬ思いをしながらの参拝だったりしたので、
そのときは落ち着いて浅草を楽しむこともなく。
そして今回もまた日帰り所用のついでに敢行した取材だったため
狛犬の撮影以外にほとんど時間を使うこともなく退散してしまいました。
ホントは仲見世あたりでもう少しゆっくりしたかったのですが。

とくにこの仲見世の様子の写真。
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じつはこの画像の右手には浅草寺本坊の伝法院があるのですが、
その仲見世に面した一角に立派な薬医門が立っています。
その薬医門、じつは松本市小俣の、とあるお屋敷に建てられていた門ということで
それが訳あって伝法院へと移築されたのだという話を以前にある方から伺いまして。
これは浅草に出向いたら写真を撮っておかねば、と思っていたのですが、
なんと現地に行くと同門の前のフェンスには何枚もの「写真撮影禁止」の張り紙。
理由は書かれていないのですが、ここは幼稚園の通用門がすぐ隣にあり、
もしかするとそのプライバシーの問題などからそうなされてしまっているのかもしれません。
真相は不明ですが、いづれにしても禁止の張り紙を無視してまで撮影できるほど
非常識な人間にはなれない自分なので、泣く泣く撮影は諦めた次第でした。

でも、ネットを見るとけっこう写真が出回っているんですよね。
そんなのを見ていると撮影してもなにも言われないのではと思ったりもしますが、
事情が分からないうちはやはり撮るのは躊躇われますし、仕方ないですね。

ということで、最後の一枚は伝法院の撮影不許可な薬医門の兄弟門だとされている、
安曇野市堀金岩原にある、大庄屋山口家の薬医門です。ご参考まで。
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(取材日:2015年10月15日)



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