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きっかけは明和6年 [狛犬・寺社(安曇野市)]

僕がこのブログを立ち上げることにしたのは
ひとえに狛犬と火の見櫓が好きだから、なわけですが、
その狛犬探究の道に引きずり込まれたのは
遡ること250余年も前のこと、、、なわけはなく。

明和6年(1769)に奉献された、穂高神社若宮社の狛犬たちとの出会いが
そのきっかけだったのでした。

その辺の経緯は過去エントリーにも記したことがありますので
一緒にご覧頂ければ。
「安曇野で(たぶん…)いちばんの古株」
https://koma-yagura.blog.ss-blog.jp/2013-01-11

地元の穂高神社にはよく足を運んでいます。
都度、境内にいる明和生まれと昭和生まれ(←字が似てる)の
二対の狛犬たちを顔を合わせていますが、
やはり明和の子たちは表情も愛嬌があり
長年風雪に耐えてきた風格も備わっていて、
とてもお気に入りです。
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上記のエントリー記事を書いたのは平成24年(2012)。
じつはこの時は安曇野市で最古の石造狛犬という認識だったのですが、
その後、市内の某神社において明和よりさらに古い
元禄時代作とされる石造の神殿狛犬の存在が確認され、
それ以降は「(石造の)参道狛犬として市内最古」という表現に切り替えています。
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数年の間に変化したのはその”肩書”だけではありません。
2枚の写真をご覧頂いて、変化がお分かりになるでしょうか?
左が平成22年(2010)の写真、右が令和2年(2020)現在の写真です。
2013.01.13.wakamiya13.jpg200728.1.JPG

まあすぐに気づきますよね。
そう、若宮社に向かって右手前にあった、ご祭神を紹介する立て看板。
その配置が変更され、御社の右隅、阿形狛犬の後ろのほうへ移動しているのです。
じつは以前、神社関係者の方と狛犬のことで話をしている際、
「看板が狛犬の前にあってねぇ、写真撮ろうとするとねぇ・・・。」
なんて、つい(わざと?)口を滑らせたことがあったのですが、
それがきっかけで場所が狛犬の後方へ移動したのではないかと考えています。
移動は数か月前のことで、まだ神社に経緯の確認はしていませんが、
いづれにしても、狛犬愛好者にとっては朗報このうえないことです。
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もともと看板があった場所にはその痕跡が。

また看板がもうひとつ増えていることもお気づきでしょうか?
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向かって左、吽形狛犬の真後ろに小さな立て看板。
じつは狛犬についての紹介でして、僕がベースの作文をさせて頂き、
神社側で少し加筆の上、立て看板になりました。
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この狛犬は明和6年に穂高出身で江戸の大商人になった井口郡有という人が
江戸で制作させた一対を手車に乗せて穂高に運び奉献したという言い伝えで、
その井口郡有の末裔の方が、ぜひ狛犬と、同時に奉納された随身像について
紹介する立て看板を設置したいというお気持ちがあり、
私がそのお手伝いをさせて頂いたという次第です。

看板ばかりでゴチャゴチャしないよう、なるべく控えめな大きさにしてもらい、
それでもこの狛犬が一人でも多くの人に関心を持っていただけるようになれば、
紹介看板を書かせて頂いた者として嬉しく思います。

本来ならこの子たちを市の文化財に指定してもらった暁に
紹介文を書けたならよかったのですが、それにはまだもう少し時間が必要のようです。
これから仕切り直して市内狛犬全調査を再開せねばと、決意しているところです。

同社にいるもう一対の子については、また改めて。
200728.16.JPG
過去の同社記事ではこっちの子たちはあまり詳しく採り上げなかったので、
もう少し詳しく記してみたいと思います。

(撮影日:令和2年(2020)7月28日。一部を除く)
(令和4年2月28日:一部修正)
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何年ぶりの更新か [ごあいさつ]

最後にブログ記事をエントリーしたのはいつのことだったか。。。

記事管理を確認したら、最後の記事は2016年5月18日でした。
なんと4年以上も放置状態だったとは。
手抜きもここまでくると立派なものです(どこが!?)

なんでここまで放置状態が続いたかというと、
まあ仕事の環境がガラッと変わったりとか、いろいろありまして。。。

と、言い訳しても誰得?な話なので、過去の話はこれくらいにして。
今日、4年2か月と10日ほどの空白期間を終了し、
気持ち新たに、でもマイペースを崩さず、ボチボチ再開して行きたいと思います。

あ、でも一言だけこれまでのことについて。
長年の放置にもかかわらず、どこかで検索されて引っ掛かったからなのか、
管理人実質不在状態のブログを閲覧して下さった方、
また閲覧だけにとどまらず、ご丁寧にコメントまで下さった方、
本当にありがとうございました。
それぞれのコメントからすでに数か月から数年が過ぎており、
今更レスコメもどうかと思いますので、
この場からお礼を申し上げたいと思います。
改めまして、ありがとうございました。
ヘタレな管理人ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

ということで、リスタートする「狛犬を巡る火の見ヤグラ―な日々」。
私の暮らす信州を中心に、各地の狛犬と火の見櫓について
採り上げているこのブログですが、放置期間の間にいろいろありました。

まず4年ちょっと間に解体撤去された火の見櫓の多数に上ること。
当ブログで記事にした子たちでもすでに姿を消してしまった子も少なからず。
しかし一方で、私の敬愛する火の見ヤグラ―師匠であるU1教授が
とうとう火の見櫓の本を出版された、という嬉しいニュースがあったり。
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狛犬についてはさすがに撤去消失などということはないものの、
でも経年変化(劣化)で状態のよろしくない子たちが顕在化している状況も気になるところ。
そんななか、狛犬をテーマにしたまちあるきガイドツアーの案内人を務めたり、
狛犬に関する評論を依頼されて新刊本の何頁か狛犬ネタを書いたり、
はたまたラジオで狛犬についてあーだこーだと気ままにトークを繰り広げたり。
ブログは滞りつつも狛犬との関係性はなんだかんだと保たれていた数年でした。
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ただ、ブログが放置される前に続けていた安曇野市内の狛犬全調査が
3分の1ほど進んだところで完全停止状態になっているのは問題で。
念願の狛犬の文化財指定など、尽きない夢は実現されぬままです。

また火の見櫓も狛犬も、記事にはしていないだけで現地鑑賞&調査は
ときおり実施していましたから、撮り溜めた画像もけっこうあります。
記事エントリー再開にあたってそれらを順次紹介しようかとも考えたのですが、
文化財調査のこともあるので安曇野市に棲む狛犬紹介を優先したいと思います。
もっとも、ふらふらな管理人ですので、どう展開するかまったく分かりませんが。

というわけで、再開第一弾の記事は、やっぱりこの子たちから。
この子の近況を語ることが、再開にあたっての大切な儀礼かなと思いまして。
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(次エントリーに続く・・・)

記:令和2年(2020)7月28日
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