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天野の里の木造火の見やぐら【再掲】 [火の見櫓(和歌山県)]

和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野。
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先の記事で再掲した丹生都比売神社と同様に、
こちらも数年前にエントリーした木造火の見やぐらの再掲です。
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過去記事「世界遺産を見守る木造の火の見やぐら

やぐらというより、いわゆる”火の見はしご”の類。
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上述の前記事では村の中継点か、のような内容で記しましたが、
集落外れに位置する丹生都比売神社の境内進入路脇に立っており、
もしかすると神社に有事が発生した際に
集落へ事態を知らせるために用意がされたものなのかもしれません。

もっとも、木槌がはしご周辺には見られないことから、
現在では退役してしまっているのかもしれませんが。
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進入路脇で、水路を挟んで駐車場もありますが、
木造ということで仮に劣化して倒壊の可能性があったとしても
さしあたり害をなすほどの状況ではないと思われ、
故に撤去されることもなく、そのままとなっているのかもしれず。

山里の味わいある、いまは希少価値の高い火の見はしご。
いつまでも長生きしてほしいです。
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【撮影日:令和2年(2020)8月12日】

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何度目の参拝か・・・ [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山県伊都郡かつらぎ町、丹生都比売神社。
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生まれ故郷から車で少し走った高地、天野の里に鎮座する古社へは
幼いころから親に連れられ、よく参拝していました。
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「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産の構成資産となっており、
自分自身が遠く信州で暮らすようになってからも
和歌山へ戻るたびに、時間の許す限り参詣することにしています。
2020年夏。コロナ禍のなかで人の集まる場所は避ける旅のなか、
今回も静かに参拝をさせていただきました。

当ブログで採り上げるのは二度目ですかね。
(前回:「世界遺産の神社にいる狛犬」)

静かな里山の懐に抱かれた境内。
鎮守の森の緑とのコントラストが眩しいほどに
美しい朱塗りの社殿。
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平成5年(1993)に奉献されたブロンズの獅子・狛犬は相変わらずの様子。
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この子は重要文化財に指定されている計4対いる木造狛犬のうちの一対のレプリカで、
その木造の子たちは同社所蔵のほか京都国立博物館でも保存されているとのこと。
ブロンズとしても二代目で、初代は戦時の金属供出でやむなく。。。
なお重文となった獅子・狛犬の四対は、同社HPにて画像で紹介されています。
無断転載は出来ませんので、よろしければそちらにて鑑賞してみてください。

丹生都比売神社公式HP
(外部リンクへ移動します)

本殿は四殿に主祭神が祀られています。
【第一殿】丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
【第二殿】高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
【第三殿】大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)
【第四殿】市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)

主神の丹生都比売大神は天照大神の妹神。
現在のかつらぎ町三谷の地に降臨して紀州と大和の地を巡り、
農耕を伝えたのち、ここ天野の地に鎮座。
そして密教の根本道場を求めていた弘法大師(空海)の前に現れたのが、
第二神である御子神の高野御子大神。
高野御子大神は通称狩場明神ともいわれ、
白と黒の犬を連れた狩人に化身して大師の前に現れ、
神社へ案内し更に高野山へ導いたとのこと。
空海は神様の導きによってその神域を借り受け、
そこに真言密教の総本山である高野山を開いた。
古くから日本人の心にある祖先を大切にし、
自然に感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、
当社と高野山により神仏が共存する日本の宗教観が形成されていったのでした。

ユネスコが高野山などを世界遺産と認定した理由としても
こうした神仏融合の文化が千数百年の間、脈々と受け継がれてきた
そのユニークな(他に類を見ない)点があげられたそうです。

で、前回同社を記事にアップしたのは平成24年(2012年)訪問時の様子。
その当時は楼門越しにしか目にしづらかった本殿でしたが、
現在は楼門を外れた脇のほうから直接本殿を拝観できるよう
神社側が計らいをしてくれています。
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この時期は樹木の葉が茂って少し見えづらいところもありますが、
以前に比べればはるかによくて、ありがたいです。

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(これは昨冬撮影した様子)

で、今回は境内社の佐波神社のこと。
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本殿向かって右のほうに、静かに鎮座している同社は
明治期に(おそらく神社合祀令により)上天野地区の諸社が合祀されたもの。
その社の手前に真新しい石造の獅子・狛犬が一対います。
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令和元年(2019)7月吉日建立。
昨年12月に参詣した際に初めて出逢った子たちでしたが、
個人的には他社も含めて令和生まれの狛犬たちで出逢ったのは
今のところこの子たちだけという、現時点では貴重な存在です。

そして注目したいのは、この時代の建立にもかかわらず、
デザインが岡崎現代型ではないという点。
これまで出会った平成生まれはごく一部を除いてほぼ100%に近い確率で
判で押したように岡崎型ばかりでした。
ところがこの子は先述した重文の木造狛犬の一対をベースとしたものと思われ、
同社の狛犬ファミリーの正統なニューフェイスと位置付けられると思います。
僕が偉そうに言える立場ではありませんが、伝統の踏襲という意味でも
素敵な奉献といえるのではないでしょうか。

また、同社本殿には縁側部分に木造の狛犬が一対います。
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素朴なデザインです。
建立年代など詳細はわからず、神社関係者にも尋ねることが出来なかったのですが、
明治期に諸社合祀のうえ同社境内に奉られた御社とのことですから、
同じく明治生まれということになるでしょうか?
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もしかすると、合祀された諸社のどこかで、それ以前より
存在していた可能性があります。
天野の関係者の方でもどなたでも構いませんが、
なにか情報をお持ちの方がいらっしゃったらぜひお知らせください。

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天野の里は「にほんの里100選」にも選ばれている、のどかな農村です。
かつて町石道で歩いて高野山を目指した参詣者は
途中で同社へ参拝してから入山したとのこと。
車で高野山へ向かう現在も、ほんの少しの寄り道で立ち寄れますので、
ぜひ同社へお参りをして地主神にご挨拶して頂いてから、
高野山詣でに向かわれてはいかがでしょうか。
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【撮影日:令和2年(2020)8月12日】


タグ:神社 狛犬
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境内社の小さな子 [狛犬・寺社(長野市)]

長野県長野市、芹田下神社。
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同社には小ぶりで可愛い狛犬がいるとの情報があり、
以前から訪れたくてなかなか時間が取れなかったのですが、
先日仕事(狛犬関係ではない)で朝から長野市だったため、
少し早めに到着して以前から気になっていた同社を訪問。

時間が早朝7時前ということもありますが、
住宅街の先に鎮座する同社は静かな境内でした。
こじんまりしていますが、とてもきれいに環境が保たれています。

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鳥居の脇にはケヤキの巨木が立っており、
市の保存樹木に指定されている模様。

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境内の由緒書きによると、ご祭神は
南方刀美命(みなかたとみのみこと)
諏訪社ご祭神とされるタケミナカタ(建御名方神)の別称ともされる神名ですね。
かつては諏訪社と称していたようで、社殿には諏訪梶の御神紋もあります。

拝殿は寺のお堂のような外観で、茅葺+鋼板葺きの屋根が印象的。
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本殿は一間社流造。
腰壁が幣殿と合わせて鉄板にて保護されています。
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さて、狛犬は本殿脇の境内社の蠶神社にいました。
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記銘によると、御社は明治25年1月16日に建立。
石工は上水内郡旧吉村の田中重吉正信となっています。
但し狛犬は同じ石工が彫ったものかどうか、定かではありません。

御社の台座の両脇にポツンと蹲踞している、小ぶりな狛犬一対。
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阿形は有角、吽形は・・・これ、宝珠でしょうか?

顔はすこしひしゃげた感じ。
前髪をセンター分けしている感じは江戸っぽい印象。

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シンプルな彫りで、これといった秀でた特徴はないのですが、
岡崎型(現代と古代の両方)がかなりの頻度で出現する
長野市内の神社のなかでは、オリジナルというだけで希少性を感じます。

同社近くには芹田と名の付く神社はほかに上社、下社とあるそうです。
そちらにも機会があればぜひ足を運んでみたいと思います。
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【撮影日:令和2年(2020)8月2日】

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きっかけは明和6年 [狛犬・寺社(安曇野市)]

僕がこのブログを立ち上げることにしたのは
ひとえに狛犬と火の見櫓が好きだから、なわけですが、
その狛犬探究の道に引きずり込まれたのは
遡ること250余年も前のこと、、、なわけはなく。

明和6年(1769)に奉献された、穂高神社若宮社の狛犬たちとの出会いが
そのきっかけだったのでした。

その辺の経緯は過去エントリーにも記したことがありますので
一緒にご覧頂ければ。
「安曇野で(たぶん…)いちばんの古株」
https://koma-yagura.blog.ss-blog.jp/2013-01-11

地元の穂高神社にはよく足を運んでいます。
都度、境内にいる明和生まれと昭和生まれ(←字が似てる)の
二対の狛犬たちを顔を合わせていますが、
やはり明和の子たちは表情も愛嬌があり
長年風雪に耐えてきた風格も備わっていて、
とてもお気に入りです。
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上記のエントリー記事を書いたのは平成24年(2012)。
じつはこの時は安曇野市で最古の石造狛犬という認識だったのですが、
その後、市内の某神社において明和よりさらに古い
元禄時代作とされる石造の神殿狛犬の存在が確認され、
それ以降は「(石造の)参道狛犬として市内最古」という表現に切り替えています。
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数年の間に変化したのはその”肩書”だけではありません。
2枚の写真をご覧頂いて、変化がお分かりになるでしょうか?
左が平成22年(2010)の写真、右が令和2年(2020)現在の写真です。
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まあすぐに気づきますよね。
そう、若宮社に向かって右手前にあった、ご祭神を紹介する立て看板。
その配置が変更され、御社の右隅、阿形狛犬の後ろのほうへ移動しているのです。
じつは以前、神社関係者の方と狛犬のことで話をしている際、
「看板が狛犬の前にあってねぇ、写真撮ろうとするとねぇ・・・。」
なんて、つい(わざと?)口を滑らせたことがあったのですが、
それがきっかけで場所が狛犬の後方へ移動したのではないかと考えています。
移動は数か月前のことで、まだ神社に経緯の確認はしていませんが、
いづれにしても、狛犬愛好者にとっては朗報このうえないことです。
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もともと看板があった場所にはその痕跡が。

また看板がもうひとつ増えていることもお気づきでしょうか?
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向かって左、吽形狛犬の真後ろに小さな立て看板。
じつは狛犬についての紹介でして、僕がベースの作文をさせて頂き、
神社側で少し加筆の上、立て看板になりました。
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この狛犬は明和6年に穂高出身で江戸の大商人になった井口郡有という人が
江戸で制作させた一対を手車に乗せて穂高に運び奉献したという言い伝えで、
その井口郡有の末裔の方が、ぜひ狛犬と、同時に奉納された随身像について
紹介する立て看板を設置したいというお気持ちがあり、
私がそのお手伝いをさせて頂いたという次第です。

看板ばかりでゴチャゴチャしないよう、なるべく控えめな大きさにしてもらい、
それでもこの狛犬が一人でも多くの人に関心を持っていただけるようになれば、
紹介看板を書かせて頂いた者として嬉しく思います。

本来ならこの子たちを市の文化財に指定してもらった暁に
紹介文を書けたならよかったのですが、それにはまだもう少し時間が必要のようです。
これから仕切り直して市内狛犬全調査を再開せねばと、決意しているところです。

同社にいるもう一対の子については、また改めて。
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過去の同社記事ではこっちの子たちはあまり詳しく採り上げなかったので、
もう少し詳しく記してみたいと思います。

(撮影日:令和2年(2020)7月28日。一部を除く)
(令和4年2月28日:一部修正)
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何年ぶりの更新か [ごあいさつ]

最後にブログ記事をエントリーしたのはいつのことだったか。。。

記事管理を確認したら、最後の記事は2016年5月18日でした。
なんと4年以上も放置状態だったとは。
手抜きもここまでくると立派なものです(どこが!?)

なんでここまで放置状態が続いたかというと、
まあ仕事の環境がガラッと変わったりとか、いろいろありまして。。。

と、言い訳しても誰得?な話なので、過去の話はこれくらいにして。
今日、4年2か月と10日ほどの空白期間を終了し、
気持ち新たに、でもマイペースを崩さず、ボチボチ再開して行きたいと思います。

あ、でも一言だけこれまでのことについて。
長年の放置にもかかわらず、どこかで検索されて引っ掛かったからなのか、
管理人実質不在状態のブログを閲覧して下さった方、
また閲覧だけにとどまらず、ご丁寧にコメントまで下さった方、
本当にありがとうございました。
それぞれのコメントからすでに数か月から数年が過ぎており、
今更レスコメもどうかと思いますので、
この場からお礼を申し上げたいと思います。
改めまして、ありがとうございました。
ヘタレな管理人ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

ということで、リスタートする「狛犬を巡る火の見ヤグラ―な日々」。
私の暮らす信州を中心に、各地の狛犬と火の見櫓について
採り上げているこのブログですが、放置期間の間にいろいろありました。

まず4年ちょっと間に解体撤去された火の見櫓の多数に上ること。
当ブログで記事にした子たちでもすでに姿を消してしまった子も少なからず。
しかし一方で、私の敬愛する火の見ヤグラ―師匠であるU1教授が
とうとう火の見櫓の本を出版された、という嬉しいニュースがあったり。
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狛犬についてはさすがに撤去消失などということはないものの、
でも経年変化(劣化)で状態のよろしくない子たちが顕在化している状況も気になるところ。
そんななか、狛犬をテーマにしたまちあるきガイドツアーの案内人を務めたり、
狛犬に関する評論を依頼されて新刊本の何頁か狛犬ネタを書いたり、
はたまたラジオで狛犬についてあーだこーだと気ままにトークを繰り広げたり。
ブログは滞りつつも狛犬との関係性はなんだかんだと保たれていた数年でした。
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ただ、ブログが放置される前に続けていた安曇野市内の狛犬全調査が
3分の1ほど進んだところで完全停止状態になっているのは問題で。
念願の狛犬の文化財指定など、尽きない夢は実現されぬままです。

また火の見櫓も狛犬も、記事にはしていないだけで現地鑑賞&調査は
ときおり実施していましたから、撮り溜めた画像もけっこうあります。
記事エントリー再開にあたってそれらを順次紹介しようかとも考えたのですが、
文化財調査のこともあるので安曇野市に棲む狛犬紹介を優先したいと思います。
もっとも、ふらふらな管理人ですので、どう展開するかまったく分かりませんが。

というわけで、再開第一弾の記事は、やっぱりこの子たちから。
この子の近況を語ることが、再開にあたっての大切な儀礼かなと思いまして。
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(次エントリーに続く・・・)

記:令和2年(2020)7月28日
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火の見やぐら建設の記録動画(続報) [火の見櫓(安曇野市)]

前エントリーで記事にした火の見やぐら建設記録動画の件。

それを視聴したのは1週間ほど前のことだったのですが、
それは他の8ミリフィルム映像と合わせて編集しなおしたもの。
当然ながら尺の都合でオリジナルから大幅にカットされているわけで、
じゃあオリジナルを見ればもっと内容が充実しているであろうと思い、
付き合いのある教育委員会の伝手を頼って見せてもらうことに成功♪

オリジナル映像は7分ちょっとの尺がありました。
全般的な動画の流れは本編用に編集されたものと大差なかったですが、
惹かれたのはこの鉄骨造の火の見やぐらの先代にあたる
木造やぐらの映像が映っていた場面。

昔はよくあったと思われる3本脚タイプで、うち2本に横桟を渡して
それを梯子として活用していたというスタイルの模様。

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ちなみに前エントリーのものはスキャン画像の取り込みに成功したのですが
今回はPC画面をデジカメ撮影したものなので、画質が↓なのはご容赦を。

この動画は公開されているものではないのですが、
なんとか入手できないものかと現在交渉中(^^;
あぁ、やはり火の見ヤグラーの血が騒ぐww


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火の見やぐら建設の記録動画 [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市は昨年、合併誕生から10周年を迎えました。
その記念事業の一環の官民協働事業のひとつとして、
市民が保有する古い8ミリ動画を集めて資料整理し、
記録映画を制作するというものがありました。

で、完成したのがこちら。
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いま、安曇野市ではこの記録映画の出前講座を実施中で、
10人以上のグループからの申込があれば上映会を
催してくれることになっています。

そんな懐かしい記録映画のなかに、火の見やぐらが映っていました。
しかも、建設当時の記録映像です。
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場所は安曇野市堀金の田尻地区の火の見やぐら。
現在は残念ながら撤去解体されてしまっており、
なんとも口惜しいところではありますが、
在りし日の思い出というか、懐かしい出来立てホヤホヤ時代の
地域住民が力を合わせて建設していた当時の様子を知ることができる
大変貴重な動画は、火の見やぐら業界としては第一級の資料と
いえるのではないでしょうか。

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消防団が中心となり建設作業に従事している様子。
昭和30年代でもまだ正式呼称は警鐘楼。
ご婦人方はおにぎりなどの炊き出し部隊として活躍し、
クレーンなど使えないこの時代、みんなで引っ張って立ち上げます。

自分が生まれる前の時代。
でも、そんなに遠い昔話ではない頃の風景。

懐かしくもあり、寂しくもあり。

自分が見たDVDは他の資料映像とともに編集されたもの。
近日、火の見やぐら部分のオリジナルを視聴できる予定♪
あぁ、火の見ヤグラーの血が騒ぐw

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2本足が4本足に!? [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市明科、潮沢地区の火の見やぐら。
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国道19号から国道403号に入って筑北村方面へ少し車を走らせると、
道路沿いに消防団詰所と並んで立っている姿を見ることができます。
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田園風景が売りの安曇野市にあって貴重な里山集落の潮沢。
いろんな地域活動の縁があってしょっちゅう出かけるエリアなので
この火の見やぐらはもう数え切れないほど目にしているのですが、
その珍しい立ち姿が以前からずっと気になっていました。

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真横から見るとこんな感じ。
4本足のタワー型といえば東京タワーのような姿がセオリー。
近年新たに建てられたものだと絞りのないずん胴タイプも見られますが、
ここの子はそれらとはまたちょっと違う感じ。
片側が地面に対して垂直に立ち上がり、もう片方はわずかに傾斜している様子です。
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おまけに火の見やぐらとしては珍しい折板屋根を採用。
梯子は落下防止用の柵が、そして脚部は昇降用足掛けがちょこんと付け足されていますね。
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細かなところはさておき、全体的な形状の不思議さの疑問を解消すべく、
今回思い切って地元住民の方に取材を敢行。
(というほど仰々しいものではないのですが。)

もともと30数年ほど前までは木造の火の見やぐらが立っていたのですが、
詰所の建て替えに伴って新たに鉄骨造のやぐらを新築。
その際、ノーマルな3~4本足タワー型とせず、なぜか2本足で作ったのだそうです。
2本足やぐらの上部には当然ながら半鐘があり、消防団員は梯子を上って打鐘するわけですが、
やはり2本というのは鉄骨であってもグラグラして相当怖かったらしく。

その後、町からの助成金なども受けることができ、
2本の足を付け足してようやく安定感を出すことができたのでした。
それが今から数えて10数年ほど前のことで、屋根もその際に増設したもののようです。

ターンバックルがリング式ではなく建物でよく使用されるノーマルタイプが用いられているのも、
4本足タイプなのに山形鋼ではなく角型鋼がメインの脚部に使われたのも、
そういう背景から建築→改築されたものだったためのようです。
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なぜ鉄骨で2本足を作ってしまったのかについてはヒアリングを忘れてしまいましたが、
おそらく従前の木造やぐらが2本足の梯子型だったのかもしれませんね。
それで同じようなデザインでやってみたものの、ことのほか揺れがひどくて
困ったことになってしまったというのが真相ではなかろうかと推測。

のどかな里山の集落に立つ火の見やぐらとしては異質なイメージもしますが、
歴史を振り返るとなるほどなという印象になりますね。
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(取材日:2016年1月13日)


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弘仁年間作の噂があったはじめちゃん [狛犬・寺社(岐阜県)]

岐阜県高山市、江名子町の賀茂神社。
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2015年最後の神社取材先は、
じつは同社の狛犬が弘仁年間の作品で国内最古のものではないか、
という噂がまことしやかにささやかれていた賀茂神社となりました。

境内は集落のはずれの小高い丘の上にあります。
一の鳥居をくぐった先に社務所があり、
その対面の遊歩道のような参道の入口に最初の狛犬がまず一対お出迎え。
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平成5年(1993)6月建立。
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中田荘吉氏というのはおそらく奉献主のことでしょう。

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石工名は不明ですが、狛犬のデザインは先の桜ヶ丘八幡宮で見た
高忠の狛犬によく似ています。ファラオのあごひげなどはそのまんまですね。
じつはこの先、拝殿前にこれとそっくりの昭和生まれの狛犬がいるのですが、
ネットではその先代を真似て作ったものだろうとの見解が一般的のようです。
現在の地元の石工さんが先人のデザインを真似て作ったのでしょうかね。
であれば、このファラオ髭を持つ狛犬は高山地方の個性と考えてもいいのではないでしょうか。

ゆったりした参道を奥へと進みます。
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道が折れるところに宝蔵が建っていました。
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賀茂神社ということで葵紋ですが、ここは丸に二重葵のようです。

そしてこの宝蔵脇に立つ文化財の案内看板に
弘仁年間の噂がたったという、はじめ狛犬のアンサーが読み取れました。
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十数年前のネット上の狛犬愛好家の一部ウェブサイトに出回っていた
「賀茂神社のはじめ狛犬=弘仁年間説」は、どうやら狛犬違いだったようですね。

昔の情報を見ると、当時同社にあった案内板は自分が今回見たものとは異なり、
ただ同社の狛犬二対が他の社宝(神像、仏像など)と合わせて相当古く、
「弘仁時代、藤原末期、足利時代のものと推測される」などと書かれているのみだったらしく。
その不十分な解説から神殿にいる石造のはじめ狛犬の弘仁年間説が浮上したようですが、
実際にはこれと別の木造狛犬二対が神宝として存在するらしく、
現在掲示されている案内にはその旨がはっきりと記されていました。
もしかすると誰かから指摘なり照会があって、正しい内容で書き直したのかもしれないですね。

もともと弘仁年間の石造狛犬などという話自体、にわかに信じがたい話でしたから
だれもその噂話を真に受けてはいなかったでしょうが、
案内板がしっかり直されたということで、もやっとした部分がひとまずスッキリですね。
もっとも、残念ながら肝心のその神殿前のはじめちゃん本体については
姿をしっかりと間近で捉えることは叶いませんでしたが。。。
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あと、文化財となっている木造の狛犬二対も宝蔵に眠ったままで対面できませんでしたが、
その木造狛犬のことであろう関連の由緒書きが別に設けられていたので、以下掲載。
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簡単にいうと、南北朝時代、南朝方の武将がこの地に落ち延びてきた際、
ご神像などとともに持ち寄ったということのようですね。
その伝承どおりなら木造狛犬も弘仁年間ではなく南北朝期(室町前期)作となるでしょうか。
可能性の話として、弘仁年間の狛犬を都から持ち込んだとも考えられなくもないですが、
まあきわめて低い可能性としていいでしょう。
だいいち、木造とはいえ弘仁年間などとなれば、その一点だけで
重要文化財クラスになってしまうでしょうしね。

ということで、境内の様子と拝殿前の残りの一対を拝見して
同社の取材は終わりとすることに。

拝殿。
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秋葉社。
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狛犬はこちら。
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昭和15年(1940)3月建立。
日影長七氏はこれも奉献主と見るべきでしょうね。

石工名が発見できなかったのですが、
制作年代、そしてデザインから推察して、
高忠(高原忠次郎)の作品とも考えられますが、どうでしょうか。
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雪が被って少し分かりづらいですが、
サイドのたてがみのデザインは桜ヶ丘八幡のほうがストレートベースで
賀茂神社は巻き毛が強めという印象があります。

いっぽうで、尾っぽのデザインは非常に似通っていますね。
(上2枚が同社、下二枚が桜ヶ丘八幡の高忠作)
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中ほどのくねっとカーブする方向が左右で違っていますけど。

もし違う作者なら複数の石工が同類のデザインを制作したということで
さらに高山スタイルの狛犬として評価されるのではと思うので、
ここは高忠以外の人であることを期待したりしますが、さていかがなものでしょう。
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今回の高山市郊外の神社取材はこれにて終了。
はじめちゃんのメッカでもある飛騨路は狛犬研究家にとって魅力的な土地です。
今度はゆっくりと時間を確保して(できれば泊りがけくらいの気持ちで)巡って見たいです。
あ、あと雪のない時期が、やっぱりいいですね。
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(取材日:2015年12月29日)



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子獅子つき神殿狛犬と高忠の狛犬 [狛犬・寺社(岐阜県)]

岐阜県高山市、山口町の桜ヶ丘八幡神社。
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国道158号の松ノ木町中の交差点から数年前に国道昇格した
361号の新線を東南方向に向かい、山口集落あたりを東に入った高台に
同社は鎮座しています。

桜が有名なのでしょうか。境内の枝垂桜が市の保存樹木に指定されているようです。
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傍らに社務所を見つつ、
一の鳥居をくぐって先に進むと参道狛犬が一対お出迎え。
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昭和9年建立。
石工:高忠。
七十七翁記念。
木戸脇国之助。

木戸脇さんが喜寿の記念に奉献されたということなのでしょうか。

石工の高忠というのは、「神社探訪・狛犬見聞録」さんの情報によると
高原忠次郎というのが本名のようです。
この地方でいくつかの狛犬を制作された石工さんみたいですね。

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エジプトのファラオの付け髭を想起させる顎鬚が特徴的です。

耳がやや大きめで、吽形は角付き。
立ち尾は浪速型も連想できそうな立ち尾ですが、
くねっとしているあたりに個性を感じさせます。
全般に落ち着いたデザインですが、
石工のオリジナリティーが感じられていいのではないでしょうか。
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拝殿はこちら。
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賽銭箱についていた紋は八重桜のよう。
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八幡様の神紋は三つ巴が一般的ですが、
こちらは桜の名所ということで、やはり桜が神紋とされているのでしょうかね。

本殿は立派な、、、たぶん春日造。
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もう一対の狛犬はこちらの本殿前に鎮座しています。
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建立年、石工ともに不明。
神殿狛犬としてはやや大型。
そのまま参道狛犬として台座に乗っていても不思議ではない感じですね。
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吽形は角をつけています。

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吽形は子取り、阿形は玉取り。
玉の模様はもしかして桜の花びらでも意識したか?
子獅子は親に頭を押さえつけられてちょっと不満顔?

前エントリーの二之宮神社のように社殿がシートで覆われているわけではなかったので
それなりに撮影は出来たのですが、訪問時間がまだ早朝で周囲がまださほど明るくない上に
本殿周囲の柵越しに望遠撮影だったので、ピンボケになってしまったのは残念。
腕の未熟さをカバーしてくれるカメラではあるものの、もっと腕を磨かなくては思う次第。
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(取材日:2015年12月29日)


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