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稜線の藩境に祀られる神社 [狛犬・寺社(松本市)]

取材済み→記事なしネタの蔵出しが続きます。。。

松本市神田、千鹿頭神社。
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住所表記で里山辺とされている情報も見られるのは
両者の地区境になっている千鹿頭山の尾根沿いが境内になっているため。
そして境内の入口は両地区にありまして、自分は今回神田側から参詣。
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朱塗りの鳥居をくぐると社務所の脇を抜ける、
参道というよりハイキングコースみたいな道が続きます。
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一汗かきながら稜線まで登ると、社殿が見えてきました。
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その手前に聳え立つ2本の柱は御柱。
境内の由緒書きによれば諏訪信仰と縁のある千鹿頭大神を祀り、
御柱祭りは卯年と酉年に執り行われるとのこと。
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ふたつの社殿が並立しています。
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もともとひとつの社殿で奉じられていた同社でしたが、
江戸初期の元和4年(1618)に山の稜線を境にして
神田側を高遠藩領、反対側を従前の松本藩領と分割されたことにより、
それぞれの側で社殿を持つことになったのでした。

現在の神田側(旧高遠藩)の社殿は正徳5年(1715)に、
林&大嵩側(旧松本藩領)の社殿は元文5年(1740)に、それぞれ建築。
両社殿ともに現在では市の有形文化財に指定されています。

ともに一間社流造で一見同じようなデザインですが、
向拝など細かな部位の装飾など相違が見られて興味深いです。
よく見ると注連縄の吊るし方も微妙に違っているように見えます。

拝殿も両藩ごとに設けられていて、茅葺と銅板葺の二種類。
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御柱は当然ながら本殿背後にも二柱が立っています。
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境内の本殿際や稜線上の離れた場所に立つ摂末社。
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そしてお目当ての狛犬は本殿前に一対。
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寛政7年(1795)7月建立。
18世紀末の作品ともなれば松本市内ではかなり古い部類に属します。
自分が知っている松本市内で年代の銘がある最古の狛犬は
女鳥羽川沿いに立つ亘理神社の明和6年(1769)年になるのですが、
その狛犬とはどことなくデザインに似通った印象を受けます。
建立年の差が四半世紀というのは同一作者の可能性も否定できませんが、
仮に異なる石工の作であったとしても、まだこの地方で狛犬の存在が
ほとんどない状態であることを考えると、亘理神社の子達を
参考に制作されたという可能性も十分あり得るところだと考えられます。
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両狛犬たちの共通性はそのようにいくつか考えられるとして、
一方で大きく異なるのは阿吽が通常と左右反対に据えられていること。
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なにゆえ阿吽の配置をこうしたのか不明ですが、
もともと縦置きだったのでしょうかね?

そしてそれよりも気になるのが置かれている環境。
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これも玉垣と言っちゃっていいものかどうだか。
コンクリートの塀の間際に据えられているため、
正面からは体の下半分ほどが隠れてしまって見えない状態で、非常に具合が悪い。
本殿も文化財指定を受けるほどの貴重な存在で、
稜線で分かれた藩境に本殿が二社並び立つ貴重な文化遺産なのに、
塀がこれではいただけないなと。
まあ、ブロック塀にしたことには理由があるのかもしれませんが、
それにしてもちょっと、ね。

とまあ狛犬の環境にやや不満がありつつも、
少し歩いた先にある展望台から望む景色は最高で良かったです。
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松本市街地と背景の北アルプスの様子は汗をかきながら登拝するだけの
価値はありますね。

(取材日:2013年3月9日)




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信濃国の国府八幡 [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市筑摩、筑摩神社。
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松本市民の憩いの広場、あがたの森公園より県道63号を南進、
薄川にかかる筑摩橋を渡ると目の前に鎮守の森が待ち構えています。

参道入口は南側。
その入口付近に鎮座する境外摂社(?)。
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一の鳥居には八幡宮の扁額。
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ご祭神は、
譽田別命
息長帯比売命
多紀理比売命
狹依毘売命
多岐都比売命

長野県神社庁記載の由緒を参考にすると、
同社は信濃国司時代に創建がさかのぼり、国府八幡とも称され、
歴代信濃守護職の小笠原氏の祖神として崇敬されてきたそうです。
明治維新前までは八幡宮と称していたそうですが、
明治5年に県社に昇格すると同時に筑摩神社と改称しました。
現在本殿は国の重文に、拝殿は県宝に指定されています。
また境内に現存する銅鐘も市有形文化財に指定されています。

境内の解説板。
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社務所。
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二の鳥居。
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一の鳥居を振り返ると古木がこんな感じで。
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神門。
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こちらが県宝の拝殿。
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こちらは国重文の本殿。
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貴重な桧皮葺の三間社流造の立派な建物です。
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本殿縁側には隋神像がいました。
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市有形文化財の銅鐘はこちら。
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境内社群。
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日露戦役大捷記念碑。
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お目当ての狛犬は参道途中にいます。
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昭和5(1930)年11月3日建立。
刻者:田近勝之、田近正一。
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ご存知、田近石材店の作品です。
田近氏の狛犬は台座の背丈がけっこう高めなのですが、
同社の台座はそのなかでもかなり高い部類に入るのではないでしょうか。
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高い位置から見下ろす表情が威圧的でもあり、
しっかり聖域を守るという強い意志が感じられます。
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たてがみがガバッと左右に展開するワイルドな松本型の風貌は相変わらずですが、
顎下まで伸びたたてがみの広がりと顔の大きさ、体つきとのバランスが絶妙で、
これまで見た松本型のなかでは一番気に入っています。

子獅子を抱きかかえていない(=存在しない)のも、じつは私的には高得点。

足座への尾の流れ方も程よく、その直下の台座最上段の化粧の取り方も
さり気ない意匠が威厳の高さを増している感じがします。
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背中側を見ても造形に無理がなく、尾の一部が足座へ微妙に被るデザインが
程よい感じがしていい具合です。
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台座最上段は装飾台とこれも凝ったデザイン。
この高さでやると安定感が気になりますが、
見た目の感じではさほど不安な印象はないですね。
台座下部から狛犬に至るバランスが程よさを保っているからでしょうね。

あと、台座に記された多数の奉献者(寄付人)名を見てみると、
ある一面の右端に「片倉松本製糸所」とありました。
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巷で話題の片倉工業の松本製糸場が奉献者に名を連ねていた理由は定かでないですが、
当時の地域住民との繋がりの様子を示す一端を垣間見ることが出来ますね。

筑摩神社は松本市街の神社では比較的境内が広いほうだと思うのですが、
道路向かいの一角も森が一体化しており、
そちらにもお宮がありまして。
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五條天神社は松本町医会(現松本市医師会)が
京都の五條天神社から勧請したものだそうで、
詳しくは由緒書きを。
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神社周辺は北側に薄川が流れ、
南側一帯は閑静な住宅街が続いています。
由緒ある古社の風格漂う、素敵な神社でした。
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(撮影日:2014年6月1日)


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岡崎現代型を模倣するとこうなる? [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市梓川倭、大和神社。
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安曇野の広域農道にもあたる県道48号沿い、
梓川の倭交差点より少し南に下ったところに鎮座しています。
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境内はさほど大きくなく、国道際に立つ鳥居をくぐると、
すぐに参道が90度曲がり、すぐに拝殿へとたどり着きます。
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同社は招魂社であるらしく、
拝殿正面には英霊の神霊名の記された額が掲示され、
拝殿下には招魂殿の標柱が所在無さげに置かれています。
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本殿は覆い屋に覆われていて、
小規模ながらもしっかりした神明造です。
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狛犬は拝殿前に一対。
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建立年も石工名も不明ですが、
石材店の名前は刻まれていました。
しかも、阿形が永田石材店、吽形が上條石材店。
一体ずつ、ふたつの石材屋さんが共同制作したということなのでしょうか。
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デザインはフリーで制作したと思うのですが、
全体のイメージがどことなく岡崎現代型に近いものがありまして。
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表情はともかく、立ち尾のくねくね感がそのまんまですし、
吽形の子獅子と阿形の玉の押さえ方や雰囲気も岡崎を想像させますね。
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っていうか、ホントに岡崎産の狛犬を“輸入”した可能性もなくはないですが、
本場岡崎の石工が制作したものとすればどうしても稚拙な印象を拭えません。
細部のデザインが阿吽でまったく異なる部分が幾つか見られる点も
複数の石屋が関わったとじゅうぶん考えられる要因です。
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ただし、背中側から見ると分かりやすいのですが、
上体がいくらか前傾(参道入口の方向へ)しています。
原石からの取り合いをきちんと考えていないとうまくまとまらないので、
この点はしっかりと作られているのかなという感じがします。

松本の石材店のオリジナルということであれば、
もしかすると初めて制作したものであったのかもしれませんね。
仮に岡崎現代型を模倣したとすれば大正末期~昭和初期にかけて
ではなかろうかと推測しますが、はてさて。

小さな神社ですが、個性的なのか画一的なのかよく分からない
不思議な狛犬と出会うことが出来たのが印象的でした。

(撮影日:2014年5月27日)


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子獅子が可愛い松本型狛犬 [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市梓川倭、岩岡神社。
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松本市街方面から県道320号を西に向かい、
梓川を渡ってすぐ、県道と梓川堤防の間に挟まれるような位置に鎮座しています。

長い未舗装の参道の先に一の鳥居。
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その鳥居をくぐるとすぐ左右に狛犬が一対。
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昭和11(1936)年3月建立。
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背の高い台座にしっかり乗せられています。

たてがみの大きく広がる松本型の特徴がある狛犬。
しかし松本型を数多く手がける田近石材の作品ではないようで、
いつも目に出来る台座の記銘が今回は見当たりません。
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作風も似ていますが、記銘もないということは別の石工さんなのでしょう。

目玉が特徴的なんですよね。
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ちょうど黒目にあたる部分を丸く彫り込んで表現していいます。

足座に尾の絡んでいない点が江戸~松本型の標準的な特徴を掴んでいなくて、
それがかえって個性を醸し出している感じもします。
(阿形の子獅子の尾だけは足座に絡んでますが。)

あと、子獅子がいい感じですね。
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阿形のほうが親を見上げている様子、吽形が毬の紐と戯れる様子。

昭和11年といえば2月に二・二六事件も発生したように、政情不安定のなか
戦争への道を一気に突き進んでいくという激動期の入口となった年です。
第二次大戦直前となるこの時期は、同時に狛犬文化全盛の終末期。
松本型狛犬も成熟して安定したスタイルが確立された時期といえるかもしれません。
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奉献されたのは東京在住の小松茂という方。
地元とゆかりのある方なのでしょうね。

拝殿。
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社務所。
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本殿は覆い屋のなか。
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ご祭神は、
瀬織津姫神
建御名方神。

摂社。
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境内脇の県道は車の往来が激しい場所ですが、
鎮守の森はとても静かでゆっくり過ごすことの出来る神社でした。
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(撮影日:2014年5月27日)


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松本市、四柱神社 [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市大手、四柱神社。
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松本市街地のまん真ん中、松本駅から松本城へと向かう道すがらにあり、
境内正面には女鳥羽川が流れ、昔懐かしい風情の縄手通りが整備されていて、
地元住民だけでなく観光客の参拝も多い様子の神社です。
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ご祭神。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)

神話の世界の造化三神+神宮の神様をお祀りしている同社は
明治に入ってから創建された新しい神社だそうです。

神社庁HPによれば
『明治天皇御親政に当り、惟神の大道を中外に宣布し給う思召しを以て、
筑摩県庁の所在地である松本に、明治7年2月神道中教院
(宮村町長松院跡、後神道事務分局)が設立され、
院内に天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神の
四柱の大神が奉斎されてきたが、明治12年10月、新たに一社を興し、四柱神社として、
現在地に厳かに鎮斎され、隣接して神道事務分局も新築せられたのである。』
とあります。

女鳥羽川側の正面には御幸橋。
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明治天皇行幸の折、行幸当日朝に完成したばかりのこの橋を両陛下が渡り、
その後、御幸橋と命名されたのだそうです。

拝殿。
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社務所。
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狛犬はまず拝殿前に一対。
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大正13年4月建立。
石工:田近勝之、田近正一。

おなじみ、田近石材制作の松本型狛犬です、、、が。
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立派な狛犬なのにこの由緒書き看板の配置。

同社に限らず、こういうパターンってけっこう全国各地で見かけます。
いかに狛犬という存在が“空気”になってしまっているかの証拠ですね。
境内広いんですから、もうちょっと位置ずらしてもいいんじゃないですか?
と、狛犬ファンとしてはひと言物申したい(^^;
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もう一対、参道狛犬は境内社の招魂殿前に鎮座。
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護国神社とはべつに旧松本市内の殉難者の霊を祀っています。

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狛犬は小ぶりな岡崎現代型のデザイン。
建立年は不明、というか、昭和32年10月1日再建とあります。
台座が砂岩系で、花崗岩の狛犬本体と不釣合いな古い様子なので、
おそらく先代狛犬がなにかしらの事情で失われ、
この子達が再建されたものであると推測されます。
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招魂殿ということから連想して、先代はブロンズ製だったのではないでしょうか。
戦時中の金属供出でブロンズ狛犬が徴収されていった歴史は各地にありますから。
このへん、社務所で調べればなにか分かるかもしれませんでしたが、
当日は時間がなかったので、また機会を改めて取材できればと思います。

あと、同社には社殿内、本殿前に神殿狛犬が一対いるのですが、
拝殿の外からでは遠く室内が暗すぎて、手持ちカメラでの撮影は不可能でした。
神社の方に伺うと、年代は新しくて昭和9年の作品とのことでした。
これもいつか改めて取材できればいいなと思います。

周囲をマンションなど高層の建物に囲まれた神社ですが、
東京などの都会で見かける神社と似た空気を感じて、
ある意味信州の神社らしくない新鮮な感覚を覚える神社です。
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(撮影日:2014年5月27日)


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境内は駐車場? [狛犬・寺社(松本市)]

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以下の本文、2014年6月30日に記事アップ後、一部加筆訂正しています。
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長野県松本市深志、冨士浅間金刀比羅神社。
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前エントリーの深志神社表参道を出てすぐの場所に鎮座しています。
一見すると町なかの月極駐車場って感じがありありなんですが。
いや、じっさいに駐車場として使われている様子ではありますね。
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こじんまりした拝殿。
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その後方、左に金刀比羅神社、右に冨士浅間神社。
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駐車場、、、もとい、境内の入口はちゃんと鳥居がありまして、
その傍らに狛犬がいます。
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昭和6(1931)年11月建立。
石工:田近正一。
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全体には松本型のごく標準デザインで、
ご存知田近石材店による作品です。
(有)田近石材本店HP

じつは冒頭に書いた加筆訂正したというのはその点についてで、
元の文章では、この冨士浅間神社の狛犬はもともとお隣の深志神社にあったもの、
という表記をしてありました。
その根拠は田近石材さんのHPに掲載されていた一枚の写真だったのですが、
それは誤掲載であることが分かり、深志神社から移設した経緯に疑問を感じた点は
きれいにクリアになったので、改めて訂正し、元の文章は削除いたしました。

田近石材店の田近勝之、田近正一の両氏の銘による狛犬は
松本市内を中心にかなりの個数が制作されています。
江戸狛犬をベースにアレンジした亜流のイメージがある松本型狛犬ですが、
他の地域ではあまり見かけない鬣の左右へワイドに広がるデザインが特徴的で、
狛犬の地域性の豊かさを象徴するようで自分はけっこう気に入っています。

松本型は他の石工さんの手による作品も見られますが、
田近氏のそれは数が圧倒的で、松本型=田近といってもいいほどですね。

田近石材本店のHPには市内各地に存在する狛犬が紹介されています。
とくに制作当時の古い画像がけっこう載っているのが必見です。

松本型狛犬は取材済みでまだ記事エントリーできていない子達もけっこういるので、
なるべく早くアップして行きたいです。
いつになるか、まったく先行き読めませんが。。。
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(撮影日:2014年5月10日)


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松本平随一の天神様 [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市深志、深志神社。
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神社の由緒によると、
暦応2年(1339)9月9日、信濃国司小笠原貞宗公による創建と伝えられています。
諏訪大社より分霊を受けて「宮村明神」と通称。
永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(松本城)を築き移るに及び産土神と尊敬し、
社殿を西面に直し城の巽の鎮護神としました。
以下、由緒書きをご参照下さいませ。
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社殿が西面しているということで、参道も西側より進入となります。
一の鳥居を抜けてすぐ朱塗りの二の鳥居。
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そのすぐ手前に狛犬が一対います。
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享和元(1801)辛酉年2月23日建立。
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松本市内では古い部類に入る狛犬だと思います。
台座にあれやこれやと文字が多く刻まれているのですが、
享和元年に建立された後、台座などが崩れたかなにかのようで、
その後明治32(1899)年4月25日に再建立し、
さらに昭和27(1952)年5月27日に再々建立となった模様。
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阿吽が左右反対なんです。
理由はよく分かりません。
何度か台座の据え換えなど行っているようですから、
元は縦置きだったものを横置きにすることになって、
その際に首振りの都合から横置きとしたのでしょうか。
現在の向かって右側にいる吽形にのみ角がある様子から見ても、
再建の折に反転させたと考える説に一定の根拠を与えています。
が、真実は定かではありませんので、あくまで勝手な推測です。
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表情は悪戯っぽさがある一方で厳つさはないので親しみが持てます。

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尾は浪速のデザインを連想させますね。

明るい朱塗りの手水舎。
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社名は深志ですが、ご祭神が天神様なので、、、
牛。
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こちらは木製の牛。
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恵比寿殿。
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神楽殿。
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舞台庫。
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拝殿。
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本殿。
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手前から八坂神社、天満宮、宮村宮。

拝殿前にも狛犬が一対います。
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昭和3(1928)年6月25日建立。
縣社昇格記念による奉献のようです。
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体格がけっこう大型の子なんですが、
顔も比例してけっこうデカく、しかもけっこう人面顔。
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ハッキリした犬歯があったりするわけですが、
こんな面長の子達は他で見かけたことがないです。
上下にひしゃげて横長になった顔なら見たことありますが。
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尾は渦巻状ですが、再度は足座に絡んでいます。
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社殿に隣接して社務所と梅風閣という式場ホールが建ち並んでいます。
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松本市内で最も有名で大きな神社のひとつですからね。
Jリーグ松本山雅の新年度参拝の神社でもあります。

南参道入口付近には境内社が集まっています。
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深志神社。
すぐ東隣にまつもと市民芸術館があるなど、市街地の真っ只中にあり、
周辺地区は古くからの民家が建ち並ぶ狭い路地街となっているので
初めての人だと道が分かりづらいかもしれない場所。
でも神苑はゆったりしていて明るく開放的で、素敵な神社です。
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(撮影日:2014年5月10日)


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松本にいる明和6年の狛犬 [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市大手一丁目、今町亘理神社。
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市街地を流れる女鳥羽川沿いにあり、
近年急速にマンション街のような感じになりつつあるご近所の中、
こじんまりした境内が待ち構えています。
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境内手前に立つ禁札舎には英語表記。
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社名の亘理=“わたり”の名称由来は由緒書きにありました。
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どうやら女鳥羽川の渡し場安全祈願の意味を込めたものとのことだそうで、
これによれば亘理神社と今町五柱神社の二社が合祀されたとあります。
ただ、奥州は現在の宮城県内に亘理郡という地方がありますが、
それとはなにか関係ないのでしょうかね。
ご祭神に森陸奥六郎義隆が祀られていますけど、亘理郡とは関係ないのかな?

ご祭神は
倉稲魂命
誉田別尊
森陸奥六郎義隆
などをはじめ、他に5柱。

創建年は亘理神社が安政4(1857)年、今町五柱神社が大正2年(1913)。
両者の合祀は昭和26(1951)年となっています。

ただ長野県神社庁の紹介によれば、
「宝永3年当村字南に勧請、文政4年吉田家の許可を得て天白稲荷と称し安政4年当地移す。」
とあります。
宝永3年=1706年。
文政4年=1821年。

以上を踏まえて狛犬鑑賞に移るとですね、、、
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参道左右に2対の狛犬がいますが、まず手前側。
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明和6(1769)己丑年9月吉日建立。
境内の由緒書きにある神社の創建年との整合性がたたないために
この建立年を見て迷いが生じましたが、帰宅後上記HPの紹介文を読んで納得しました。
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デザインですが、顔つきを見て一瞬浪速型かと思ってしまいました。
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京都あたりで見かける江戸末期~明治期の狛犬の印象になんとなく近かったので。

明和6年といえば、穂高神社若宮社の狛犬が真っ先に思い浮かびます。
若宮社のほうは同年4月建立なので、たった5ヶ月ほどの差。
たてがみや尾のデザイン、体長などもけっこう似通っています。
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2014.06.26.watari24.JPG2014.06.26.watari25.JPG
若宮社の狛犬は江戸で制作され穂高まで運ばれてきたとのことですが、
亘理神社の子達も同じ系譜である可能性はあんがい低くないと思います。
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吽形の足座正面側に建立年が記銘されているのも、若宮社と同じですし。
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江戸中期の作品に時折見かける頭頂部の窪みが確認できるのも若宮と同じですね。
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若宮の子を模倣して地元の石工により制作された可能性も無きにしも非ずですが、
素材が同一のような気がしますし、やはり江戸で作られたものを運ばれてきたのでしょうか。

そして足座に刻まれた「○に羽」の文字が気になります。
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亘理神社はもともと折井家個人の神社だったとありますが、
○に羽が同家の屋号などと関係があったのでしょうかね。
あるいは制作した石工の屋号かなにかなのか?

この足座、現在は台座の石にコンクリート固定されてしまっていますが、
もとは単純な四角平面ではなく下部が彫り込みがあったようで
側面には簡単ながらも化粧デザインが施されています。
化粧はともかく、こういう感じのマーク入りはあまり見かけないですね。

いづれにしても、松本市内で自分が取材した狛犬のうち
年銘がはっきり刻まれているものとしては最古の石造狛犬となりました。
自分は“はじめちゃん”を含めた年代古い子ばかり追っかけているわけではないですが、
それでも江戸中期という希少性の高い子達と出会うと嬉しくなりますね。

市内には他にも年銘不明な江戸中期頃ではないかと推測される子達もいますが、
もしも明和6年より以前建立の子達がいれば、ぜひ情報をお寄せ下さい(^^)v

明和生まれの子達のすぐ奥にはもう一対の狛犬たち。
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こちらは建立年不明なんです、が。。。
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なんなんでしょ?
阿形は玉取り、吽形は子取り。
で、玉も子獅子も明らかに後世の後付け。
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でも前脚の様子なんかは単純な付け足しじゃなくて
もともとそこに何か(子とか玉)が存在していたような動きですよね。
なにかしらの事情で破損したので、新たに作り直したということなんでしょうかね。
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裏事情はよく分かりませんが、
子獅子はありがちな普及品のような感じなので、
もうちょっと工夫が欲しかったですね。
玉もせっかくなのだからデザインを取って松本てまりをイメージしたものにするとか。
多分に予算の都合であろうかとは思うのですが、ちょっと惜しいです。

目が赤く着色されていたようで、塗装が伝ってきているのが
なんとなく赤い涙を流しているかのようで、ちょっと切ない印象。
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本殿と拝殿。
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境内の奥に祀られている石仏。
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境内はまちなかの片隅に立つ神社らしくこじんまりですが、
氏子(崇敬者)のみなさんが清掃などまめにされていらっしゃるのか、
とても清潔な感じでした。
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社務所と思しき隣家が町内の公民館だったようで、
地域の住民自治と神様との一体感が残されているような印象です。
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神社前を流れる女鳥羽の川の様子も、雰囲気があっていいですね。
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(撮影日:2014年6月26日)


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名水井戸脇の御嶽大神 [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市丸の内、御嶽大神。
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松本城からみて北東寄りに鎮座。
付近はまだお殿様がいた時代には三の丸北東隅となり、
北門馬出(うまだし=虎口の外側に曲輪を築いて防御力を高めたもの)があった場所です。
現在でも同社の背後となる東側は外堀がそのままの遺構となって現存しています。
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境内の入口は商家と商家の合間の路地から。
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小さな平屋建て民家のような建物が社殿で、
正面に鳥居が立っていないとすぐにそれと分からないような雰囲気。
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上述の江戸時代には境内に位置する場所に隅櫓が建っていたとのこと。

現在は各種の石造物が社殿前に並び立っています。
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道祖神もあり、
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こちらは摩利支天。
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狛犬は社殿前に居るのですが。。。
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建立年不明ですが、記銘が右横書きなので、
昭和10年代以前のものだろうと推測できます。
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で、素材はどうやらコンクリート製ではないかと思われ。
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左官塗りで仕上げられたような全体の様子。
その上からかなりぶ厚めに本体全体に塗装が施されており、
経年劣化を抑えているような感じです。
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デザインは松本型を参考に作られているかなといった印象ですね。

そしてそして、ユニークなのはその狛犬の前に居るもう一対のこの子達。
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狛犬?
いや、ふつーにライオンでしょう。
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いちおう、阿吽にはなっているようで、
これもまたコンクリートで左官仕事で仕上げられたようです。
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境内の隣はミニ公園になっています。
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水汲み場としての井戸が設けられて、落ち着けるスポットです。
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(撮影日:2014年5月10日)


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松本城の鬼門を守る松本型狛犬 [狛犬・寺社(松本市)]

長野県松本市女鳥羽、岡宮神社。
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長野県神社庁のHPでは地名は旭のようですが、
道路向かいの社務所が旭のようで、実際の境内は女鳥羽になるようです。

同社は松本城からみて北東の方角に位置し、創建年不明ですが
鬼門鎮護の社として、また北深志地域一帯の総鎮守として崇敬されてきました。
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ご祭神は、
建御名方命、誉田別命、伊邪那美命。

正面境内入口に立つ台輪鳥居は鉄骨の控え柱があり、耐震補強が施されています。
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右に社務所を見ながら歩いた先に御神門。
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そのすぐ先に立派な拝殿が控えています。
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本殿。
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寛文3(1663)年建立の本殿は元禄13(1700)年寄進の神輿とともに
市の重要文化財に指定されています。

本殿向かって右側の、事代主社と愛染殿。
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同向かって左側の境内社。
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狛犬は拝殿正面に左右一対。
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大正14(1925)年5月建立。
石工:田近勝之、田近正一。

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松本平界隈でよく見かける田近氏制作の松本型狛犬。
鼻の下の丸まった様子や、なにより鬣のぐわっと広がる様子。
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参道に対し横置きで、首はやや入口側へ振っているものの
基本的には正対している感じに見えます。
標準的という言い方が適切かどうか不明ですが、
松本型としてのお手本のようなスタイルで、いいですね。
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岡宮神社は南の深志神社と並んで松本のご城下の鎮守神として
崇敬厚い社であったようですが、現代の佇まいは深志神社とは対照的に
とても静かな境内で、参拝者もゆったり参拝できる空気が漂っていました。
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(撮影日:2014年5月10日)


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