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消え去った火の見やぐらたち [火の見櫓(北安曇郡)]

また1基、、、もとい、2基の貴重な火の見やぐらが
この世から姿を消しました。

北安曇郡池田町。
大町市の仁科神明宮に程近い正科地区の火の見やぐら。
過去記事:2011年10月28日「屋根をまたいだ火の見櫓」
140420.1.JPG
二階建て消防団屯所を大きく跨いだ独特の姿がユニークで、
遠望すると背景の北アルプスと相性のよかった火の見でしたが、
この春屯所建替えに伴い、撤去されてしまいました。
2011.10.28.2.JPG150418.3.JPG
(↑ビフォアアフター)
この建て替え工事は冬の間続けられていて、
2月初旬頃に訪問した際にはすでに櫓の姿はどこにもありませんでした。
そのとき近所の住民にヒアリングしたところ
「よく分からないけど、また(火の見やぐらを)立て直すんじゃないのかな。」
などと話されたりもしたので、かすかな期待を抱いてはいたのですが、
やはりこのご時世、いちど解体した火の見やぐらがそのまま立て直されるなど、
よほどのことがない限りあり得ないこととですよね。

140420.2.JPG150418.4.JPG
左はほぼ一年前の今頃に撮影したもの。右は本日。
満開の桜の姿は相変わらずなのに、そこに火の見やぐらの姿はない。

消防屯所は公民館などと同じ敷地に建っているのですが、
敷地内には先行して設置されていた防災無線塔のほか、
今回新たにホース干し塔が増設されたようです。

こんなこと言うと消防団関係者にどやされそうですが、
やはり味気なさは否めません。
そして、、、寂しいです。

そして、もう一基。同じく池田町で撤去解体されたのがこちら。
120705.3.JPG
池田町内鎌地区の火の見やぐら。
過去記事:2012年7月7日「バス停になった火の見櫓」

一見これといって奇抜な特徴のないように見える火の見やぐらですが、
過去記事にも書いたとおり、脚部の石の台柱に「大正」の文字が読み取れ、
おそらく大正年間に建築されたものであろうと推測されていました。
120705.2.JPG
裏付けを取っていないので確証はないのですが、推測どおりだとすれば
ひじょうに歴史的に価値ある火の見やぐらであったということになります。

先日も松本市中央で大正15年建立の火の見やぐらが解体されたばかりですが、
ひょっとするとそれより古いやぐらだった可能性もあったわけです。
地域の安全遺産として戦時の金属供出令にも負けずに生き残ったのならば
文化財の価値もあったと思うのですが、今となっては後の祭りです。

120705.1.JPG150418.1.JPG
(↑ビフォアアフター)
こちらは屯所は建て替えではなく改築だった模様で、
火の見やぐらの解体はそれに合わせたものだっただろうと推測。
ちなみに同所は町営バスの停留所になっていて、
バス停の名前が「内鎌火の見前」なんですよね。
150418.2.JPG
バス停は火の見やぐらがなくなっても、そのままのようです。
火の見やぐらが確かにここに存在したという証明としてのバス停。
なんだかこれはこれで、切ないものですね。

それにしても、、、
火の見やぐらのサンクチュアリとも語られるほど
その存在数(残存数)を誇っていた信州長野県でしたが、
ここ数年の撤去解体ペースの加速度合いを目の当たりにするにつれ、
もはやサンクチュアリなどと呼べる次元ではなくなってしまったかもしれません。

(取材日:2015年4月18日)
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白馬村堀之内の火の見やぐら [火の見櫓(北安曇郡)]

長野県北安曇郡白馬村神城、堀之内地区の火の見やぐら。
2014.05.14.horinouchi1.JPG
白馬村から長野方面へと向かう県道33号線沿い、
堀之内の集落の入口付近に立っています。
2014.05.14.horinouchi2.JPG
3脚柱でけっこうスリムなデザイン。
北安曇の特に池田町あたりでよく見かけるタイプ。
2014.05.14.horinouchi6.JPG
2014.05.14.horinouchi5.JPG

半鐘はまだ見張り台に残っています。
2014.05.14.horinouchi3.JPG2014.05.14.horinouchi4.JPG
毎度おなじみ(?)中山式半鐘ですね。

角度的にもなんとかギリで白馬三山を背景に入れた写真が取れました。
取材日、もうちょっとスッキリした青空だったら完璧だったんですけどね。
2014.05.14.horinouchi7.JPG

(撮影日:2014年5月14日)


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あの屯所跨ぎ櫓の将来がちょっと不安 [火の見櫓(北安曇郡)]

前エントリーの堀之内の火の見櫓と狛犬のツーショットを撮影しに行ったついでに、
すぐ隣の集落になる正科地区の火の見櫓を久しぶりに見に行ってみました。

2014.04.20.shoushina3.JPG
2014.04.20.shoushina4.JPG
池田町正科地区の火の見櫓は消防屯所の近所でも真横でもなく、
まさにその屯所の真上、というか一体になって立っています。

屯所や倉庫跨ぎの火の見櫓というと、長野県内では南信の
とくに茅野や原村あたりでよく見かけたりしましたが、
比較的おとなしいデザインが多い安曇野や大北界隈では
跨ぎタイプの火の見櫓は非常に珍しいものといえます。

しかもここのは南信で見られるのとはひと味違います。
2014.04.20.shoushina1.JPG
南信あたりで見られる跨ぎタイプは、だいたいが通常のタワー型で
末広がりの足元の内側に小屋があったり、建物の一部を
櫓の脚などが貫通しているという具合なんですが、
ここのは2階建ての建物の両脇に鉄骨柱を真っ直ぐに立て、
見事にごっそり跨ぎきっているという、なんとも大胆なデザイン。
2014.04.20.shoushina7.JPG

しかも屋根上部に設けられた広いステージのような踊り場でかなり高さがあるので、
そこに半鐘が設けられているだけでも十分なはずなのに、
そこに加えて通常の火の見櫓の見張り台部分をわざわざ付け足したような感じで。
2014.04.20.shoushina8.JPG
桜の花や建物の屋根越しに見張り台だけに絞って撮影すると
普通にタワー型の火の見櫓かと見紛うほど。
2014.04.20.shoushina5.JPG
2014.04.20.shoushina9.JPG

この火の見櫓が拙ブログに初登場したのはかれこれ2年半前
それ以来の再訪でしたが、鋳物の渋い半鐘も相変わらず存在感たっぷりで、
デザインも銀色の塗装も変わらずに輝いてきれいでした。
2014.04.20.shoushina6.JPG

がっ!、、、、、、

このひさびさの再訪で、ちょっと気になる情報を小耳に挟んでしまいまして。

「正科地区の火の見櫓、ひょっとして解体の危機かっ!?」

じつは桜や背景のアルプスなんかを含めて写真を撮っていた傍で
田んぼ仕事をしていた近所のお父さんがいらっしゃって、
目が合ったので、「怪しいものではございません」という意味も込めて
話しかけるなかで火の見櫓の話題を振ってみたんですけどね。

(前略)
自分「屯所を跨いでいる火の見櫓って、けっこう希少価値なんですよねえ。」
お父さん「へえ、そうかい?地元にいりゃあなんとも思わんけどなぁ。」
自分「なんであんなふうに造ったんでしょうね?」
(中略)
お父さん「今度、詰所の建替えやることになったんだけどな。」
自分「えっ!? 詰所って、、、建替えるんですかっ!?」
お父さん「そう。この前、みんなで集まってそう決まったでね。」
自分「えっ!? ってことは、あの火の見櫓はどうなるんですかっ!?」
お父さん「さあ、火の見櫓の話はよく知らんけど。」
(後略)

ってな会話に発展しちゃいまして。
でもってお父さんは最初自分が詰所解体&新築の見積りを出すために
調査に来た人間だと勘違いしていたらしいです。

いやはや、それにしても心配です。
確かに屯所の建物は1階がCB造で2階は木造(・・・なのか?)。
詳細は分かりませんが、古ぼけてきたというのは事実なのでしょう。
で、火の見櫓は一見すると屯所から独立して跨いでいるようにも見えるのですが、
細かなところを見ると部分的に建物の構造に組み込まれている箇所もあるんですよね。
2014.04.20.shoushina11.JPG
2014.04.20.shoushina12.JPG

もちろん、解体作業の中で切り離してしまうことも可能でしょうが、
普通に考えればこの跨ぎ櫓をそのまま残した状態で
屯所だけ解体して新築しなおすというのは手間も金もかかる話に違いなく、
ついでに解体しちゃえとなってもなんら不思議なことではありません。

隣接して防災無線塔がすでに完備されているという現状を鑑みれば、なおさら。
2014.04.20.shoushina10.JPG

正科のみなさんがどういう判断を下されているのか、
お父さんの話からは想像を膨らませるしかないわけですが、
願わくば、この希少性の高い火の見櫓。
次世代屯所に生まれ変わってもこのまま跨ぎ櫓として
生き長らえて欲しいと願ってやみません。

話し相手になっていただいたお父さんは
「そんなに珍しいものとは知らなかったからねぇ。
またみんなにそんな話をしておくわ。」
と、別れ際に語って下さいました。

果てさて、どうなりますことやら。。。
2014.04.20.shoushina2.JPG

(撮影日:2014年4月20日)


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狛犬に見つめられる火の見櫓 [火の見櫓(北安曇郡)]

前エントリーの続き。

北安曇郡池田町、堀之内地区に立つ火の見櫓。
2014.04.20.horinouchi1.JPG
同地区の三嶋大明神(三嶋神社)の境内に立っているおかげで、
同社拝殿前の狛犬とのツーショット写真を撮影できるというのが前エントリー。

単体の火の見櫓について解説しておきたいと思いますが、、、
2014.04.20.horinouchi4.JPG
まあ、ごく普通(?)の池田町でよく見かけるデザインでしょうかね。

2014.04.20.horinouchi6.JPG
3脚柱で足長スリム体型。
爪先立ちしているかのようなデザインが池田町のスタンダード。

2014.04.20.horinouchi5.JPG
半鐘はすでに撤収されてしまったようです。

近所には防災無線塔が機能しているようでしたから、
ここの櫓もあるいは老い先短いのでしょうか。

今のうち、集落景観の要素としての櫓の思い出画像を撮りためておきます。
吽形狛犬とのツーショット画像も含めて。
2014.04.20.horinouchi3.JPG
2014.04.20.horinouchi2.JPG

(撮影日:2014年4月20日)


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ポールが貫通する火の見櫓 [火の見櫓(北安曇郡)]

北安曇郡小谷村、姫川温泉の火の見櫓。
2012.09.21.himekawa2.JPG
この先にある大網地区へ、今年は幾度となく通っているけれど、
じつはこの火の見櫓に気づいたのはつい数日前。
今年に入ってからでも往復にして少なくとも10回以上は前を通過している。
にもかかわらず、、、いやはや、火の見ヤグラー初心者に降格ですな。

形状は一本のポールが中心を貫き、
それに屋根を含めた櫓が取り付くスタイル。
見張り台の高さそのものはさほどではない。
いや、むしろ相当低い部類に入ると思う。
2012.09.21.himekawa3.JPG
2012.09.21.himekawa4.JPG
その見張り台から梯子をつたって屋根上に出て、
さらに電柱を上るようにポールをよじ登るようにしつらえてある。
おそらくホース干し用途の梯子だろうと思われ。

姫川温泉自体が寂れた感の否めないのが残念なところ。
そんな温泉街に似合ってしまっている火の見櫓の現状が
またさらに寂しさを募らせてしまってます。
2012.09.21.himekawa1.JPG
温泉の案内看板はまだ新しいです。

(撮影日:2012年9月21日)


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見晴らしのよい火の見櫓 [火の見櫓(北安曇郡)]

長野県北安曇郡小谷村、塩坂の火の見櫓。
2012.09.02.shiosaka1.JPG
とくべつ集落の一角に立っているというわけでもなく。

強いて言えば、南向き斜面にあって見晴らしがとてもよいということ。
半鐘を叩けばさぞかしよく響き渡ったであろうと思います。

屋根は豪雪地のこの辺りではポピュラーなとんがり帽子。
2012.09.02.shiosaka4.JPG
背があまり高くないので、冬季は半分くらい埋もれているのかも。
事実、国道を糸魚川に向けて走らせれば塩坂トンネルに入る直前に
必ずその存在に気づくはずなのに、自分が初めて存在に気づいたのは
今年の雪解け以降。真冬に走ったときにはまったく分かりませんでした。
2012.09.02.shiosaka3.JPG
2012.09.02.shiosaka5.JPG
塩坂はむかし、千国街道が通っていた場所。
塩の道らしい地名ですね。

現在では新道の整備された国道148号線がすぐ傍らを通過。
道の駅小谷も火の見櫓から見通せる場所に立っています。
2012.09.02.shiosaka2.JPG

(撮影日:2012年9月2日)


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千国街道に立つ火の見櫓@小谷村大網 [火の見櫓(北安曇郡)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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今年になってから仕事の用で幾度か小谷村の大網を訪れています。
千国街道の糸魚川から数えて3番目の宿場がこの大網。
2012.08.01.4.JPG
現在の糸魚川と信州を結ぶ国道158号は姫川沿いを走っていますが、
昔の街道は川べりからかなり上がった場所を通過していたのですね。
2012.08.01.6.JPG
名峰、雨飾山に見守られるようにして佇む大網の集落は、
姫川温泉などのある姫川沿いから一段も二段も上がった高地に拓けた、
日本昔話に登場しそうな静かな山里です。

で、村の中心にある鎮守の神様の境内に立つ、火の見櫓。
2012.08.01.1.JPG
規模は小さめで、けっこう錆も入っていますが
なんとなく味わいがあります。
こういう山里はこれくらいの大きさのものが似合いますね。
2012.08.01.2.JPG
2012.08.01.3.JPG
屋根は避雷針などなく、雪対策だと思いますがけっこう尖っていますね。
やはりこういう部分は地域性が現れます。

小谷村は全国有数の豪雪地帯。
なかでも大網は半端でない雪の量を誇って(?)います。
2012.08.01.5.JPG
この写真は同じ火の見櫓を今年の2月に撮影したもの。
今回撮影した上の写真と見比べると、積雪のすごさが分かろうというもの。
あとちょっとでハシゴを使わなくても見張り台に登れそうな感じですが、
やはりこれはスリーシーズン用の火の見櫓、って印象が強いです。
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バス停になった火の見櫓 [火の見櫓(北安曇郡)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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池田町内鎌の火の見櫓。

消防団詰所とのセットは定番ですが、
防災無線アンテナとスピーカーを火の見櫓に
セットしなかったのはプラスの点数。
隣に立つアンテナ&スピーカー塔とツインタワーですね。
2012.07.07.1.JPG
ハシゴが踊り場までは外付けで、そこから見張り台まで内側。
踊り場と見張り台が揃って6角形というスタイルは、たぶん少数派。
でも池田町では6角形の見張り台は、逆に多数派のような気が。

半鐘はがっつりしたものがまだしっかり吊るされていますね。
2012.07.07.2.JPG

火の見櫓は地域のシンボルタワー。
集落の中心地で、さまざまな機能を持つ
ステーション的な場所にある場合も多くて。

例えばこの内鎌。
火の見櫓の近所には公民館があり、
地域の人向けの図書館あり、
その傍らには地蔵堂もあり。
そして、バス停。
2012.07.07.4.JPG
まあシンボルタワーということで、
いちばん説明がつきやすいでしょうしね。

で、ここでもうひとつ注目なのは櫓の足元。
2012.07.07.3.JPG
以前、長野市で見かけた火の見櫓と同じように
足元を石柱で固定しているタイプで、
こちらはそれに加えてコンクリートで固められていますが、
石柱には「大正」の文字が読み取れます。
2012.07.07.5.JPG
しかし、よりにもよってこの石柱だけ
他の2本と違ってコンクリートで大きく根巻きされていて、
詳しい年月の読み取れないのが残念。

鉄塔部分は戦後の再建なのか、
それとも大正期からこのままなのか。
地元民に確認取れなかったのでなんともいえませんが、
まあ普通に考えれば前者でしょうね。

戦時の金属供出でいったんなくなった櫓を、戦後新たに立て直して
石柱だけはもとからあったものを使い続けたと考えるか、
あるいは先代は木造火の見櫓で、後年にこの鉄塔になったと考えるべきか。。。

池田町の火の見櫓には足元のデザインがこれと似たトラスの型がありますね。

その他は・・・あれこれと情報求む・・・。


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屋根をまたいだ火の見櫓(池田町) [火の見櫓(北安曇郡)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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池田町正科で見つけた火の見櫓。
2011.10.28.1.JPG
消防団詰所の屋根に乗っかっている、、、というより
建物と同化して存在しているという感じですか。

2階建て建物の2階入口まで同じ階段で上り、
その踊り場から梯子で屋根上部の踊り場へ。
タワー型の上部だけを切り取って据えつけたかのような外観です。
もしかしたら本当に元々あった櫓の上部を切り取って設置したのかも。
踊り場や柱脚が建物と一部一体となっているのと
ベースのコンクリートは近年のものではなさそうなので
以前からこの状態だっただろうと想像。
2011.10.28.2.JPG

塗装は最近になって施したらしく、おひさまの光に輝いていましたが、
そのおかげで渋い色合いの半鐘がかえって目立って見えていました。
2011.10.28.3.JPG

築造年など近所の人に聞けば分かるかな?とも思ったけれども、
道行く人は誰もなく、時間も無かったので調査はまたの機会に。
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