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集落外れにポツリと佇む [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、高井新堀地区の火の見やぐら。
20150504.shinbori2.JPG
これもまた、5月の高山村訪問時に新たに出会った一基。
新堀区公会堂の建物がある敷地内に立っています。

県道54号線から少し入った先にあるのですが、
立地的になんとなく違和感がありました。
20150504.shinbori1.JPG
背後に山を背負い、公会堂があるとはいえ集落の中心は県道を挟んだ反対側。
隣地は自動車整備工場のような建物と、一歩出た県道沿いにはホームセンター。

やぐら本体も、どことなく新しい雰囲気ですね。
銘板がないので詳細は不明ですが、
リベットを使用していない点で比較的新しい年代のものと推測できます。
なによりブレースが上下で異なるという高山村スタンダードではなく
全段リング式ターンバックルを使用している点にある意味新鮮さを感じたりして。
20150504.shinbori3.JPG
20150504.shinbori4.JPG
20150504.shinbori5.JPG
柱脚と横架材は溶接ですが、ブレース端部はボルト接合。
内側のブレースの棒鋼をひん曲げて固定しているのがなんとなく珍しいような。
20150504.shinbori7.JPG

現在でも半鐘をたたいているのかどうかは分かりませんが、
メンテナンスはしっかりしているのか塗装がきれいなまま保たれていて、
やぐら全体が明るく輝いていました。
20150504.shinbori6.JPG

(取材日:2015年5月4日)



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バス停付きの火の見やぐら [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、水口地区の火の見やぐら。
20150504mizunaka1.JPG
こちらも前エントリーの赤和地区同様、
3年前の取材時ではなく今年のGWの再訪時に新たに出会ったもの。

赤和地区から車を走らせていると、彼方の集落の一角に火の見やぐらを発見。
20150504mizunaka8.JPG20150504mizunaka9.JPG
画像だけでなく肉眼でもけっこう遠めだったのですが、
それでも発見できるのはヤグラーの千里眼といっていいのでしょうかw

やぐらそのものは高山村スタンダードとでもいうべきスタイル。
20150504mizunaka2.JPG
20150504mizunaka3.JPG
20150504mizunaka5.JPG
20150504mizunaka6.JPG
4脚柱、8角形屋根&丸型見張り台、そして上下で異なる仕様のブレース。

脚部は正面のみアーチで、その他3方は足固めのような横材を装備。

銘板らしきものはありましたが、錆びついて字がかすれて残念ながら判読不能。
20150504mizunaka4.JPG
その代わりといってはなんですが、足元のバス停がいい感じです。
20150504mizunaka10.JPG
「水中火の見」

以前池田町にも火の見バス停がありましたが、
そちらの火の見やぐらは残念ながら解体撤去されてしまいました。

火の見やぐらの記憶がバス停の名前だけということにならないよう、
こちらでは末永く集落のシンボルタワーとして生き続けて欲しいと思います。
20150504mizunaka7.JPG

(取材日:2015年5月4日)




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旧高井村消防発祥の地 [火の見櫓(上高井郡)]

前エントリー記事までの高山村に建つ火の見やぐらたちは
3年前の春に取材した火の見やぐらを最近になって再訪し、
その存在を再確認できたことでようやく記事アップに至ったものばかり。
ここからは、3年前には取材できておらず、
今回の再訪で取材を行った高山村のその他の火の見やぐらたちをいくつか紹介。

長野県上高井郡高山村、赤和地区の火の見やぐら。
20150504akawa1.JPG
2階建ての消防団詰所の傍ら、三叉路の交差点脇に佇んでいます。

4脚柱のスタンダードモデルで、ブレースも下半分がリング式ターンバックルで
上半分が平鋼&山形鋼の組み合わせという、同地方特有のデザイン。

ただ屋根はこの辺でよく見かける8角形ではなく4角形。
20150504akawa2.JPG
先端の蕨手の柄の部分が長めなのと、避雷針のデザインが特徴的ですね。

正面中央には金属切抜き文字で「赤和分団」とあります。
20150504akawa3.JPG

脚部がユニークで、建物側の2辺がリング式ターンバックルのブレース。
20150504akawa4.JPG
そして道路に面した2辺がアーチになっているのですが、
2辺だけアーチというのも珍しい気がします。

銘板がありました。
「鉄骨建築 警鐘ロー
 高田鉄工所
 上田市川原柳町
 TEL 上田730」
20150504akawa5.JPG
珍しくも上田市から馳せ参じたようです。
警鐘楼の楼がカタカナなのがいいですね。

足元正面には注連縄の張られた道祖神文字碑があるのですが、
その傍らに記念標柱があり「高井村消防発祥の地」とあります。
20150504akawa6.JPG
20150504akawa7.JPG
どうやら昭和31年まで存在した旧高井村における
消防活動組織(消防組?)の始まった記念の場所のようですね。

そして同じ標柱には「阿弥陀堂半鐘」とも書かれています。
具体的な解説がなかったので意味するところがよく分からないのですが、
見張り台に装備されている半鐘のことを指しているのでしょうか?
20150504akawa8.JPG
むかしこの地か近所にあった阿弥陀堂の半鐘を
そのまま火の見やぐらの半鐘に転用したということだと思うのですが、
地域の歴史を紐解いたわけではないのでハッキリしません。
でも、たぶんそういうことではなかろうかと・・・。

なにげない集落の一角に立つ平均的な火の見やぐらのような第一印象でしたが、
細かく見ていくと歴史的にもデザイン的にも突っ込みどころの多いやぐらでした。
20150504akawa9.JPG

(取材日:2015年5月4日)



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塗装が真新しい火の見やぐら [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、中原地区の火の見やぐら。
20120430nakahara6.JPG
県道66号線沿いに鎮座する山田神社の交差点を北に入ると、
すぐ先にこの火の見やぐらが堂々とした姿で立っていました。

スラッとした細身のスタイル。
同地方でよく見かける8角形屋根&丸型見張り台と
同地方では少数派な丸型踊り場の組み合わせ。

半鐘は見張り台と踊り場の双方に付属されています。
ブレースにはターンバックルは使用されておらず、
山形鋼と平鋼の組み合わせで構成されている模様。

脚部は4面ともブレースは入っておらず、正面がアーチで
その他の面は斜材が申し訳程度に設けられているのみ。
20120430nakahara3.JPG

梯子は基本的に柱脚内を登るタイプなのですが、
脚部から一段目の踊り場へは脚に溶接されたステップを利用して。
20120430nakahara4.JPG
子供たちが容易に悪ふざけで上ったりしないよう配慮した作りなのでしょうか。
仮にそうであっても、このステップなら小学生程度なら
じゅうぶん昇降できてしまうような感じではあるのですが。
20120430nakahara2.JPG

よくよく見ると隣接している建物の軒先が一部カットされているようです。
20120430nakahara5.JPG
これだけ密接しているとやぐらが雪止めになってしまいそうですね。

数年前に再塗装を施したらしく、写真では分かりづらいですが
取材時には銀色がとてもきれいに光っていました。
ただプロポーションや全体の見栄えは好印象ながらも
そのスリムさゆえに脚部の様子がいささか華奢に見えて
ちょっと不安定な感覚も。
斜材が脚の端部まで伸びきっていればまた違った印象になったかもしれません。
20120430nakahara1.JPG

(取材日:2012年4月30日)



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“忘れ去られた”を地で行く [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、なかひら地区の火の見やぐら。
20120430nakahira1.JPG
火の見やぐらといっても、その姿はご覧のとおり。
三脚柱で背丈の低い、見張り台の装備されていない
簡易な半鐘塔といった感じ。
それでも同エリアでスタンダードなブレースの構成
(上部山形鋼、下部リング式ターンバックル)はしっかり守られて(?)います。

その肝心の半鐘の姿はすでになく、
全体に錆びもひどくてメンテナンスは久しくなされていない様子。
20120430nakahira2.JPG
おまけに脚部の一本が車にでもぶつけられたのか、内側へひん曲がっています。
20120430nakahira3.JPG

このやぐらは旧山田村役場跡があり、
20120430nakahira4.JPG
すぐ近所では有名な枝垂桜が春には美しい姿を見せてくれています。
20120430nakahira5.JPG
桜目当ての観光客は県道沿いの臨時駐車場に車やバスを止めて
そこから火の見やぐらの傍らを歩いて桜鑑賞に訪れているのですが、
当然ながら老朽化した火の見やぐらなどには誰も見向きもしません。

寂しい限りですが、3年前にこのやぐらを取材した折には
老い先短いなという印象でしかなかったので
先日3年ぶりに再訪して変わらぬ姿を目にしたときは
正直いってビックリしました。
普通だったらまだ残ってくれていたことで嬉しさが先に来るのですが、
今回だけは「えっ!?まだ立ってるのっ?」って感じで(苦笑)

まだ老朽化も感じさせず現役で活躍することだって十分可能な火の見やぐらが
あっという間に撤去されていく現状を考えると
誰が見ても撤去解体処分されて不思議でないこの子が健在というのは
ある意味立派である意味不思議なことではあります。

次に同地を訪れるのがいつになるやら分かりませんが、
そのときまだ残っていたら、その生命力の強さに感嘆することでしょう。
さて、どうなりますか。
20120430nakahira6.JPG

(取材日:2012年4月30日)



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火の見やぐらと辻半鐘のツーショット [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、宮関地区の火の見やぐら。
20120430miyaseki1.JPG
以前は宮村といったそうですが、隣接の関場地区と一緒になって
いまでは宮関という名の地区名で語られているそうです。

火の見やぐらは県道66号線より脇道に入ってすぐの場所に立っています。
やぐらそのものは同地方では比較的スタンダードなデザインで、
踊り場はカンガルーポケットタイプでホース干し設備が付属しています。
20120430miyaseki2.JPG
20120430miyaseki3.JPG
8角形屋根&丸型見張り台のセットは毎度おなじみ状態ですが、
ここまで目にしてきた混成ブレース[上部が山形鋼で下部がリング式ターンバックル)
の構成とはなっておらず、ある意味新鮮な印象にもなったりします。

銘板は須坂市の下田鉄工所製作を記していますが、
建設年の部分はブランクになっていてよくわかりません。
20120430miyaseki4.JPG

坂道となっている道路向かいには消防屯所。
20120430miyaseki6.JPG

そしてその坂道を少し上った先には辻半鐘がありました。
20120430miyaseki7.JPG
20120430miyaseki9.JPG
20120430miyaseki8.JPG
昔の電柱に使われていたような木柱に吊るされた半鐘。
木槌もしっかりしたものが装備されているので、
いまでも何かの際には打鐘しているのでしょうね。

火の見やぐらと数十メートルほどしか離れていないため、
こんなツーショットも撮影できます。
20120430miyaseki10.JPG

そしてここから少し離れたところ、建物の軒先にもまた半鐘を発見。
20120430miyaseki12.JPG
20120430miyaseki13.JPG
神社に隣接している(境内?)建物は、ここ関場地区の公会堂とのことで、
道路に近い建物際に1基、そして玄関先には立派な半鐘が1基、
それぞれ吊るされていました。
20120430miyaseki14.JPG
20120430miyaseki11.JPG

なかなか見かけない貴重な様子ですが、
こうした辻半鐘が多いのも、高山村内の火の見やぐら数の多さが
関係しているのでしょうかね?
世の中に半鐘文化というものがあるのだとすれば、
高山村のその水準はけっこう高い地域だといえるかもしれません。
20120430miyaseki5.JPG

(取材日:2012年4月30日)



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高山村では意外と少ない?円型踊り場 [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、天神原の火の見やぐら。
20120430tenjinhara1.JPG
山田温泉へと向かう県道66号線沿いに立っています。
建物と消防団倉庫に挟まれた狭い隙間にひょこっと立っています。

例によって、8角形屋根&丸型見張り台といった高山村スタンダード。
20120430tenjinhara2.JPG
そして例によってブレースも山形鋼&リング式ターンバックルのセット。
20120430tenjinhara3.JPG
しかし踊り場が円形(丸型)というのは、高山村界隈では
比較的珍しいのではないでしょうか。
少なくとも3年前の取材時に付近ではこのほかにもう1基見かけただけでした。
踊り場の形状としては柱脚内部で納まっている四角型か、
U1教授命名のカンガルーポケット型が地域の主流のような印象です。

銘板は火の用心看板が被さってきていますが、ギリギリ文字は読み取れました。
20120430tenjinhara4.JPG
「山田村消防団
 天蕨分団
 昭和30年12月製作
 施工者 下田鉄工所」

ブレースの入れ方は地域の共通事項のような感じが無きにしも非ずですが、
脚部の納め方や上述の踊り場の形状などから鉄工所の個性が見えてきますね。

この写真は、同地区から少し下った先にある蕨温泉付近から撮影したもの。
20120430tenjinhara5.JPG
ここの温泉施設脇に立つ火の見やぐらは現在温泉広告塔へと転職(?)しており、
そのことはずいぶん以前に記事をエントリーしました。
今回の再訪でもまだ転職状態で現役でいることを確認したので、
別件ですがいちおう掲載しておきます。↓↓
20120430tenjinhara6.JPG

(取材日:2012年4月30日)



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対岸からも目立つ火の見やぐら [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、荻久保地区の火の見やぐら。
20120430ogikubo1.JPG
山田温泉などを抜ける松川の谷の右岸にある集落で、
対岸側の道路を走っていると木々の合間から
この背の高い火の見やぐらを望むことができます。
20120430ogikubo6.JPG

8角形屋根&丸型見張り台の高山村スタンダード(?)の組み合わせ。
20120430ogikubo4.JPG

そしてブレースはここもまた山形鋼&リング式ターンバックルの併用タイプ。
20120430ogikubo5.JPG

しかしながら鉄工所は山田温泉の田幸鉄工所ではない様子。
20120430ogikubo3.JPG
「山田村消防団
 荻久保分団
 施工 昭和31年4月
 江澤鉄工所・・・」

同じ須坂市の鉄工所のようですが、
これではこのブレース形状の特殊である理由を
同一鉄工所の個性と片付けることができなくなりました。
広く解釈すれば須高地域の特徴と括ってしまえばいいわけですが、
それではなんとなくしっくりしません。
はてさて、どうしたものか。。。
20120430ogikubo2.JPG

(取材日:2012年4月30日)



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鄙びた温泉街のシンボルタワー [火の見櫓(上高井郡)]

長野県上高井郡高山村、山田温泉の火の見やぐら。
20120430yamadaspa1.JPG
温泉街自体は小規模ながらも風情ある様子が人気の山田温泉。
その中心スポットに立っている火の見やぐらは
まさに山里の温泉街のシンボルタワーであり、
防災の象徴的存在に感じられます。

制作はこの地方ではおなじみの鉄工所。
20120430yamadaspa4.JPG
「山田村消防団温泉分団
 竣工 昭和三十一年四月
 施工者 田幸鉄工所・・・」

温泉分団というのがいいですね。

足元にはやたら背丈のある消火栓が立っていました。
20120430yamadaspa5.JPG
これって雪国仕様ってことなのでしょうかね?

屋根=8角形の見張り台=丸型の、同地方でよく見かける組み合わせ。
20120430yamadaspa2.JPG

ブレースの組み合わせはやはり上半分が山形鋼、下半分がリング式ターンバックル。
20120430yamadaspa3.JPG
これまた同地方でよく見かけるタイプではあるのですが、
やはりこれは鉄工所のオリジナルと考えてしまってもいいのでしょうか。
地元のヤグラーさんには結論の出ている謎かもしれませんが、
自分で解答を得るにはもう少し材料を揃える必要がありそうです。
20120430yamadaspa6.JPG

(取材日:2012年4月30日)



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姿を消していた火の見やぐら [火の見櫓(上高井郡)]

3年前の取材した火の見やぐらで今年の再訪にて撤去済みを確認したうちの1基。

長野県上高井郡高山村、牧地区の火の見やぐら、、、でした。
20120430maki1.JPG
撤去されたのは2012年6月。
自分が取材したのは同年4月30日ですから、それからほぼ一ヵ月後。
まさにこの火の見やぐらの最後の雄姿だったわけですね。
たしか取材後にこのやぐらのブログ記事を書こうとしていた矢先に
ネットで同やぐらのことを調べていたときに撤去の話を知ったと記憶しています。
そのことがあって、同じ日に高山村周辺で調査取材した火の見やぐらたちの記事を
ブログにアップするのが躊躇われてしまったというわけで。

改めて撤去後の現地を再訪。
20120430maki2.JPG20120430maki3.JPG
やぐらの立っていた場所は背後の民家の塀が延長され、きれいに囲われていました。
きっともとから同家の敷地を借地として利用させてもらっていたのでしょうね。
同じ敷地の一角に立っていた道路標識も同じく撤去(移転)されていました。

高山村のなかでも同地区は標高の高い地域にあるうえ、
やぐらそのものもかなり高層なので、けっこう目立つ存在だったのですけどね。
20120430maki4.JPG
20120430maki5.JPG
20120430maki7.JPG

銘板によれば長野市の鉄工所の制作と分かりました。
20120430maki6.JPG
「昭和三十年竣工
 松澤工業株式会社製作
 長野市長門町一〇七九」

三十の文字が手直しされている風に見えますが、
算用数字を漢字に直したりとかしたのでしょうかね?
製作したその年を間違えたということもないとは思いますが。

いづれにしても、今はもう見ることのできない火の見やぐら。
集落のシンボルタワーも時代の流れには抗えない現実は寂しいことですね。
20120430maki8.JPG

(取材日:2012年4月30日/2015年5月4日)



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