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スリムな足元の小屋(?)が気になる [火の見櫓(長野市)]

このところ狛犬ネタの蔵出し記事アップをしていますが、
今回は火の見やぐらの取材済み未掲載ネタをエントリー。

火の見やぐらは狛犬と違って取材後に撤去されてしまった事例もあり、
取材以降時間がたつとまだ残存しているのか確認できない遠方のものは
なんとなく記事にするのが躊躇われてしまっていたのですが、
先日たまたま3年前に取材をしたことがあった北信エリアの火の見やぐらを
久しぶりに再訪することができ、その大半の残存を確認することが出来ました。

というわけで、3年前に取材した当時の画像を利用しつつ、
しばらく記事をエントリーしたいと思います。

まずは、、、長野市若穂綿内町の火の見やぐら。
120430watauchi1.JPG
長野道須坂インターより国道403号を南下。
旧長野電鉄綿内駅近くの交差点脇の神社の境内傍らに立っています。

比較的細身のタイプ。
120430watauchi2.JPG
120430watauchi3.JPG
8角形の屋根に丸型の見張り台。
踊り場は変則的な三層構成のようです。

ユニークなのは2層目の踊り場レベルまで
ブレースにリング式ターンバックルが使用されているのに
それより上層では等辺山形鋼が用いられていること。
120430watauchi13.JPG
ちょうどその2層目の踊り場下部で柱脚の継ぎ手があるので
上層と下層の制作段階で別のブレース方式を採用したと推測できますが、
具体的にそうすることの理由ってなにかあったのでしょうか。

そしてそんなブレース以上に気になるのが
足元を跨いでいる倉庫のような構造物。
120430watauchi4.JPG
スリムなやぐらの内側にすっぽり収まるコンクリートブロックで作ったもの。
かつて付いていたらしい扉も今はなく、内部には消火栓とホースの設備のみ。
120430watauchi8.JPG120430watauchi9.JPG
しかし過去にはなにか違うものが設置、装備されていたのでしょう。
昔ながらの古い小型の消防ポンプなどでも収納されていたのでしょうかね?
120430watauchi5.JPG
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120430watauchi7.JPG

銘板は寄贈者の名前と建設年が記されていますが、鉄工所名は不明。
120430watauchi10.JPG
寄贈 昭和32年9月24日 田尻木材株式会社

なぜか火の見やぐらの背後に転んでいた、昔の道標。
120430watauchi11.JPG
大正4年12月建立と記されています。

神社の境内の傍らに立っている火の見やぐら。
狛犬がいれば、おいしいツーショット画像も取れたのですが、
残念ながら同社には狛犬たちは不在でした。
120430watauchi12.JPG

(取材日:2012年4月30日)



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鬼無里神社境内に立つ火の見櫓 [火の見櫓(長野市)]

長野市鬼無里、鬼無里神社境内に立つ火の見櫓。
2012.10.04.kinasah1.JPG
前エントリーの続編ですが、
神社の下を走る道路からは木立に隠れて見えづらい状態なので、
境内に足を踏み入れて初めて存在に気づきませんでした。

規模が小さいのは、ひとえに集落の一段高い位置に境内があることが
理由となっているに違いないでしょう。

4脚柱型で、1辺が梯子になっていて昇降できるようにしています。
2012.10.04.kinasah4.JPG
関西に取材に行くとこの類型をよく見かけました。

色は茶系で塗装されており、状態を見る限りでは決して悪い感じはしません。
半鐘もしっかり付属したままで、今でも使用されているのでしょうかね。
2012.10.04.kinasah2.JPG
2012.10.04.kinasah3.JPG

取材当日は人気がない静かな境内でしたが、
近所の子供たちの遊び場としてはかっこうの場所です。
自分たちの子供の頃だったら、かくれんぼとかぜったいにやってそうですね。
2012.10.04.kinasah5.JPG
2012.10.04.kinasa19.JPG

狛犬同様、この火の見櫓もそんな遊びに夢中になる子供たちを
ずっとこの場に佇んで静かに見守り続けてくれていたのでしょうか。
そんなふうに想像が膨らんだりもしますが、
この先も可能な限り長くこの地で元気で居続けて欲しいと願います。

(撮影日:2012年10月4日)


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善光寺の守り神(?) [火の見櫓(長野市)]

火の見櫓の記事エントリーは鮮度が命。

取材した火の見櫓がその1ヶ月後に解体撤去されたとか実際あった事実ですし、
そういうことが決して稀とはいえない状況なのが火の見櫓の悲しい現実。
なのでこれまで取材しておきながら記事アップが遅れてしまったものは
その存在が現時点でも確認できるものに限定してきました。
近所に立っていていつでも目にすることができるとか、
タイミングよく再訪することができたとか。

今回のエントリーはそのいづれのパターンでもない昨年4月取材の火の見櫓。
本来なら記事にアップするのはためらわれるところなのですが、
まあこれに関しては解体されているなんて心配は、今のところないでしょう。

長野市、善光寺の仁王門脇に立つ火の見櫓。
2013.02.27.zenkouji1.JPG
観光や参拝のお客さんたちの多くが記念写真を撮っているポイントですが、
ふつう、火の見ヤグラーでなければ傍らに立つ火の見櫓など見向きもしません。
2013.02.27.zenkouji2.JPG
見向きしないどころか、脳内センサーは感知すらしていないはず。
が、正面の仁王門より脇の火の見櫓のほうに気が走ってしまうのは
まさに火の見ヤグラーの中毒症状の現れwww。
2013.02.27.zenkouji3.JPG
スタンダードな4脚タワーですが、
ブレースにターンバックルを使用せず
山形鋼と平鋼を組み合わせて構成しています。
2013.02.27.zenkouji5.JPG
2013.02.27.zenkouji6.JPG
あまり見かけないパターンですね。

屋根と踊り場はそれぞれ四角形に丸形。
2013.02.27.zenkouji7.JPG
手摺はシンプルな縦格子ですが、根元のあたりを外に向かって膨らませていて
単調な手摺にちょっとしたメリハリをつけていますね。

世界遺産を目指しているという話の善光寺ですが、
そうでなくても木造建築の密集するエリア。
実際に半鐘を叩いたりしているのかは定かではないですが、
火の見櫓の存在意義は、ここではまだ保たれていくべきでしょうね。
2013.02.27.zenkouji4.JPG

(撮影日:2012年4月30日)


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石柱で固定された火の見櫓@長野市小柴見 [火の見櫓(長野市)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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久しぶりに北信方面にお出かけ。
で、当然ながら行く先々で火の見櫓を見かけるわけですが、
今回はこんな珍しいのを目にしました。
2012.05.01.1.JPG
長野市小柴見(だと思う)地区に立つ火の見櫓。
隣接の消防団詰所(器具置場)と共に老朽化が進んでいる、
ということを除けば、ごくありふれた立ち姿。
(いや、老朽化が進んでいるのもある意味ありふれた姿かも。。。)

北信のタワー型では比較的4本脚のほうが多い印象ですが、
これは3本脚タイプ。

で、なにが珍しいかというと、足元の様子なのですが。。。
2012.05.01.3.JPG
3本ある鉄骨の足元に寄り添うように立てられた石柱。
櫓の足がこの石柱にアンカーで固定されていまして。
2012.05.01.4.JPG
2012.05.01.6.JPG
鉄骨のほうの足元をみると、普通なら存在しない
地面レベルでの横軸の梁が3点を結んでいるのですが、
ぱっと見た感じだけだとタワーを地べたにドンと据えただけで
地面との固定は添わせた石柱に任せているようにも見えたり。
(櫓の足元は土のままで、花がきれいに植えられていました。)
2012.05.01.5.JPG
現況から察するに、すぐ傍らを水路が流れ、
東側には裾花川もあったりと地盤的に鉄骨埋設で始末をつけるには
問題がいろいろあったのではないかなと勝手に推測。
2012.05.01.2.JPG
石なら水気の多い場所でも大丈夫でしょ?
となったかどうかは知りませんが、なんとなくそんな印象、かな?
2012.05.01.7.JPG
石柱には「昭和十六年建設之」と記されています。
現存の火の見櫓としてはけっこう古い時代のものですね。
というか、戦時中の金属供出で解体されずに残ったのが不思議。
上記の碑文もなんだか続きの文字がありそうで、それも気になる。。。
どなたかこの火の見櫓の詳しいネタをお持ちでしたらぜひコメントを。


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