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KURAで狛犬が紹介されました [その他]

本日(2015年4月20日)発売された月刊誌「KURA」(2015年5月号)にて、
安曇野の狛犬三対が紹介されました。
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“信州を愛する大人の情報誌”というキャッチコピーで人気の
長野県ローカルの情報月刊誌KURA。
そのなかの連載企画の「信州発世界へ THE FLAT HEAD STORY」では
アメリカンカジュアルブランド“フラットヘッド”の小林社長が登場し、
県内各地を毎回ところを変えて紹介しているのですが、
その今月号が安曇野市ということになりまして。

毎回旅の仲間としてゲストが登場するようで、今回はなんとあの小松美羽さん。
銅版画家として世界的にも有名な小松さんは狛犬研究家としての顔も持ち、
自身で雑誌に狛犬ネタの連載を持つほどの狛犬業界(?)では有名なお方。

今回の取材訪問先のひとつとして穂高神社がピックアップされており、
とくに狛犬についてぜひ案内してほしいというわけで、
窓口になっていた安曇野市のほうから私に要請があったのが先月のこと。

観光ガイドの活動をしている関係からメディア取材の協力を時折頼まれますが、
今回は神社全般というより狛犬を見たいとリクエストがあったらしく、
市の担当者から要請を受けた段階では「狛犬のリクエストなんて珍しい」
と思ったのですが、ゲストが小松美羽さんと聞かされてすぐ納得しました。
狛犬研究家(一部ではコマ女とも)として有名な小松さんは信州出身ということもあり、
いつか機会があればお会いして狛犬談義をしたいと願っていたのですが、
今回思わぬ形でそれが実現することなり、嬉しくもあり、有難くもありました。

神社以外にも美術館を巡ったりするのでタイムスケジュールがきつかったのですが、
それでも穂高神社以外にも信州では珍しい獅子山をもつ伍社宮も紹介したいと伝えると、
急遽予定を変更して獅子山取材もしていただく事ができました。

発売されたKURAを買って中身を拝見。
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合計4ページあるコーナーの先頭ページでいきなりドカンと
穂高神社の若宮社前の狛犬をまじまじ見つめる大写しの写真が。

狛犬の紹介そのものは部分的なものではありますが、
限られた誌面事情を考えれば十分すぎるほどの内容かと思います。
とくに伍社宮の獅子山については当日になって無理やりねじ込んだ取材でしたので、
掲載していただけただけでもありがたい話です。

穂高神社狛犬を二対、そして伍社宮の獅子山と合わせて合計で三対の狛犬。
いづれも自分を介したメディア露出は数年前の「松本平タウン情報誌」以来二度目。
ですが今回はあとにしっかり残りやすい月刊誌ということもあり、
その意味でもけっこう貴重な成果ではないかなと感じています。

そして当日の小松美羽さんとの狛犬トーク。
短いひとときでしたが、とても楽しかったです。
取材した狛犬について解説しているときはもちろん、
取材の合間のちょっとした時間もふたりで狛犬談義に花が咲いて、
しまいには企画の主役である小林社長に苦笑されてしまう始末で(^^;

そんな楽しいひとときをピックアップしたKURAの記事。
県内各地の書店で販売中です。ぜひお手にとってご覧ください。

最後に改めまして、
今回安曇野の狛犬を紹介する機会を与えてくださった
フラットヘッド小林社長と小松美羽さんに感謝したいと思います。
ありがとうございました。

下の写真は取材時の様子です。
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火の見やぐらセメタリー・・・ [その他]

安曇野市某所でこのような場所を見つけたと、火の見ヤグラー仲間から情報を得ました。
そして、出かけてみました。
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解体された火の見やぐらの見張り台たちの、いまの姿です。
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なんとも寂しい光景ですね。
解体撤去されたあとはすぐ鉄の再利用へ回されたりするのかと思っていましたが、
一時的かもしれませんがこのような場所に放置されているとは思いもよりませんでした。

昨年あたりから安曇野でも火の見やぐらの撤去解体が加速度を増し、
これまで取材に当たって当ブログに記事を掲載したやぐらたちのなかにも
現在すでに姿を消してしまったものも数基存在します。
ここに置かれていたのは三基とも3脚柱の安曇野スタンダードともいえるタイプのようで、
屋根と見張り台ともに六角形で避雷針もまだくっついたまま。

うち左端の一基は屋根の塗装のはげ具合などから推測するに、
昨年まで安曇野市三郷の二木地区に立っていたやぐらではなかろうかと思うのですが。
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違うかな? どうだろう?
少なくともデザインのタイプとしてはこれとほぼ同類型のやぐらですね。
この二木地区の火の見やぐらは背後屋敷林とマッチしたいい集落景観だったのですが、
今でももうこの風景を目にすることは出来なくなってしまいました。

見張り台たちの周辺にはやぐら本体や梯子の一部も放置されていました。
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なんというか、おそらく関心のない人からみれば
ただの産業廃棄物、鉄屑にしか見えないかもしれません。
幹線道路から奥まった敷地のさらに奥に無造作に放置されたこれらの存在に
気づく人も殆どいないでしょう。

火の見ヤグラーの目から見ると、ただただ切なさだけが募ってくる光景。

大切にしていたオモチャの人形が持ち主の子供に遊んでもらえなくなったあと、
不用品として処分に出されてしまった様子をなぜだか思い浮かべてしまいました。

そういえば自分の子供時代、もう遊ばなくなったオモチャなんかも
捨てることが出来ずにいつまでも取っておいたなあ。
いや、中年になった今でもなかなか物が捨てられない性分なのは変わりがない。
三つ子の魂百までといいますが、火の見やぐらにこだわってる原点って
あんがいそんなところにあったりして。

(取材日:2015年4月12日)
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難波橋のライオン [その他]

このところ新規の取材に行けずに悶々としているので、
鬱憤晴らし(?)で過去に取材したのに記事にしていなかったものを
順次あげていくことにしたいと思います。
どこまで続くかわかりませんがw

昨年暮れに大阪へ出向いた際に無理やり時間を作って寄り道した、、、難波橋。
中之島の風景がいい角度で眺められるビューポイントですね。
20141213.naniwabashi1.JPG
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そんな大都会の橋のたもと、
どこからどう見ても周囲に神社や火の見やぐらがあるようには見えません。
そこにあるのはただの狛、、、否、ライオン像が一対のみ。
(正確に言えば、橋の両端に一対ずつ、計二対となります。)
20141213.naniwabashi3.JPG20141213.naniwabashi4.JPG

難波橋は堺筋にあり、中之島の両側を流れる堂島川と土佐堀川を渡る橋。
歴史は古く、現在は天神橋&天満橋と並び浪華三大橋と称されているそうで、
江戸時代には公儀橋と呼ばれる幕府の公共工事による橋であったとのこと。
現在の橋は大正4年(1915)築造で、昭和50年の架け替え大改修を経て今に至っており、
ライオン像はその大正4年の新築当時に設置されたものだそうですが、
ネット情報によればヨーロッパの有名な橋にならってライオンの石像が設置されたとあります。
(外部リンク:京阪電車「京阪沿線の名橋を渡る:難波橋」
20141213.naniwabashi9.JPG

その他ネットに出回っている情報のなかで確かなのは、
この像の作者が兵庫県三田市出身の彫刻家、天岡均一であるということ。
その発注者は当時の大阪市長、池上四郎。
台座を含めた高さが約3.5mで、素材は花崗岩製。
そのほか、Wikipediaなどには天王寺動物園のライオンがモデルだとか、
和歌山にこれと瓜二つのライオン像があることから、その設置場所の当時の所有主である
相場師の松井伊助が寄贈したという説があるらしいですが、
その辺の仮説は裏付けがまだ取れていない模様です。
20141213.naniwabashi7.JPG20141213.naniwabashi8.JPG

橋げたに動物や霊獣の類が据えられる例は他にも見受けられます。
日本でもっとも有名なのは、やはり東京日本橋の獅子と麒麟の像でしょうか。
古来、橋は異界と人間界を結ぶ要所であるとされていることから、
こうした霊獣の類が据えられるのは神社における狛犬と同じ役割を
担ってのことと定義づけられることが一般的のようで、
日本橋もそうした意味が込められていると語られています。

では難波橋のライオンたちにその役割が与えられていたのかどうか。
ネットでざっくり調べた限りでは、そこまで詳しく出回っていないようなので、
どなたかご存知の方いらっしゃったら教えていただければうれしいです。

仮にヨーロッパの橋のそれを真似たとする上述の説明が事実だとすれば、
ヨーロッパではライオンは守護獣としての役割を担っていたとされていますから
難波橋でもそうした役割があったとしても決して不思議ではないと思われます。
ましてや北詰南詰ともに阿吽一対で作られているわけですから、
神社の狛犬と同じ発想をもって作られたと考えるのは自然なことかもしれません。
もちろん、そこまでの意味はなかったという考えも否定できるものではないですが。

そんな詳細がよく分からないなかで自分が気になるのは、阿吽になっているその左右の配置。
神社などにいる狛犬たちは向かって右を阿形、向かって左を吽形とするのが基本です。
ところが難波橋のライオンの阿吽はそれとは逆で、手前から向かって左が阿形、
向かって右側が吽形として配置されています。
20141213.naniwabashi5.JPG20141213.naniwabashi6.JPG
そして東京日本橋の橋詰に配置されている獅子像もまた、
じつは同じように向かって左が阿形、向かって右が吽形になっているのです。
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(↑東京日本橋の獅子像)

単なる偶然かもしれません。しかし神社に数多くの狛犬が奉献されている大正時代でもあり、
作者の天岡均一も阿吽の基本配置の知識がなかったとは考えにくい話です。
しかも明治44年(1911)に作られた日本橋の獅子&麒麟像から約4年後に
この難波橋が築造されライオン像が据えられたということからすると、
あるいは日本橋を意識するかたちでライオンが作られたという想像も膨らんでしまいます。

あとひとつ、ふと思ったのは橋の南詰が北浜というその立地。
北浜といえば三越(大阪店。2005年閉店。)。
そして三越といえばライオン像。
(過去エントリー記事「三越の狛犬・・・もとい、ライオン

東京日本橋の三越本店にライオン像の設置されたのは大正3年(1914)で
北浜の開店は大正6年(1917)。北浜の開店時期から考えれば
橋のライオンとの関連性は低いですし、そもそも有名百貨店といえども
公共の橋のそれと民間との関係を論じるのはかなり無理があるとは思いますが、
東京の三越本店の立地が日本橋の橋のたもとであり、
難波橋と堺筋沿いにあった大阪三越店が目と鼻の先の距離であることを考えると、
無理を承知でどうしてもそうした想像を膨らませてしまいます。

まあ三越と橋の関係性についての“妄想”に近い想像はさておき、
明治後期から大正にかけての日本というと、日露戦争を経験する中で
よりいっそうの近代化=西洋化が都市部において進行していった時期だったでしょうし、
そんな時代背景のなかで西洋風のライオン像を制作することは、
官民問わず、ある意味その当時のトレンドだったのかもしれないですね。

北浜といえば大阪取引所(旧大阪証券取引所)。
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公正な商取引ができているか、ライオンさんがしっかり睨みをきかせていましたとさ。

(取材日:2014年12月13日)



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上伊那の火の見やぐら講座に参加してみた [その他]

伊那市で火の見やぐらに関する講座が開かれるとの情報を得て、
今日はずっと仕事の予定でしたがなんとか都合をつけて行ってきました。

伊那市立図書館が主催(?)する伊那谷自由雑学大学の講座の一環らしく、
「千差万別 変幻自在 火の見やぐら このディープな世界」という物々しい(?)タイトル。
2015.02.01.1.JPG
講師は地元伊那市の牧田豊氏。
10年ほど前から火の見やぐらに魅せられて以来、上伊那地区のやぐらを中心に
各地の火の見やぐらを取材して自分なりの分析分類を行っているそうで、
その研究の成果の発表を画像で紹介しながら披露されていました。
火の見やぐらに没頭したことを、病気にかかったと表現されているのは共感ですねw
2015.02.01.2.JPG
タイトルにもあるように火の見やぐらはそれ自体がじつにさまざまな個性を持っていて
誤解を恐れずにいえば「みんなちがってみんないい」というのが火の見やぐらの世界観。
ということで、そのみんなちがってなんちゃらを見る側の視点に置き換えてみても、
ヤグラーの数だけその楽しみ方のパターンが存在するといっても過言ではないはず。

たとえば講師の方の場合は全体デザインのパターンによって類型分類されていて、
それぞれに第一発見ポイントの地名を型名に名付けるなど
ユニークな分類法を楽しんでいらっしゃる様子。
もっとも、類型をまとめるには火の見やぐらはあまりに個性があり過ぎるので、
現状の類型はゆうに30を超えているとのこと。
おそらくこれからも初見のデザインがどんどん増えていくでしょうけれど、
類型整理もけっこう苦労するのではないかと、他人事ながら心配にもなります。

なんにしても、氏はこれまでに500基近くの火の見やぐらを取材されているらしく、
地元だけでなく遠くは青森県まで行かれているところをみると
氏の火の見やぐらへの強い愛情がひしひしと感じられるというものです(^^)

また講座を終えたあとで挨拶かたがた立ち話をさせて頂いたのですが、
火の見やぐらは貴重な文化遺産だという氏の考えには同感するところ大でした。

講座のなかでは穂高町の黒部ダムやぐらも紹介して頂いたのが嬉しかったですね。
(これ↓)
2015.02.01.4.JPG
過去エントリー記事1.2013年9月2日
過去エントリー記事2.2014年3月9日

今回の講座参加者はおそらく伊那市と周辺にお住まいの方が殆どだったでしょうが、
こうして各地で火の見やぐらに関する講座などが開催されることで
わずかずつでも一般市民への啓蒙が進んでくれればいいなと思った次第。

フェイスブックにて火の見やぐらの情報共有ページがあるということなので、
自分も参加して楽しませてもらうことにしました。
自分やU1教授が火の見やぐら講座を開いた際も受講参加者は多数でした。
どの地域でも火の見ヤグラーとその予備軍は相当数居るのかもしれませんね。
そんなことを感じさせてくれる、楽しい講座のひとときでした。

下の画像は講座からの帰り道、三州街道沿いで見かけた火の見やぐら。
火の用心のイルミネーション、ほっこりしますね。
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となりの、火の見櫓 [その他]

以前(今年の6月)、信州大学の学生たちが中心になって運営している
町のコミュニティースペース「となりの、」で狛犬講座の開催したと記事にもしましたが、
今度はおなじ「となりの、」主催で火の見櫓講座を開催されまして。
2014.12.07.1.JPG

といっても自分は講師役ではなく、講師はまいどお馴染み透明タペストリーのU1教授。
火の見櫓については松本平を中心に各地で500基以上はすでに観察していて、
過去にも数度にわたって講座を開催していることもあって、
今回も非常に内容の濃い、ボリュームのある講義をしていただきました。
2014.12.07.2.JPG
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学生さんに限らない話ですが、消防団の経験もまだない若い人たちにとって
火の見櫓は新鮮な話であるようで、基礎的な内容のお話でも
教授の時に軽妙なトークの効果もあってみんな楽しく聴講していました。

90分の予定を軽く超過する座学も延長などまたく気にせずあっという間に終わり、
後半は会場のすぐ近所にある火の見櫓を実地見学。
2014.12.07.4.JPG

その後、車で移動してカタクラモール近くに立つ火の見櫓を見学に行きました。
2014.12.07.6.JPG
とくにカタクラモールの櫓は以前にも記事で取り上げたように、
モールの再開発に伴う消防団詰所移転にからんで解体撤去が確定しているため、
その見納めのような意味もありました。
当ブログ「カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後」(2014年9月6日記事)

みんなそれぞれに興味津々で櫓を見上げています。
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この日参加した若者たちが少しでも火の見櫓に関心を抱いてもらい、
各地の集落景観の失われつつある要素を目に焼き付けてもらえるようになれば、
今日の講座開催の意義はあったかなと思う次第。

ちなみにカタクラモールの櫓の解体については来年2月と決まったようです。
以前のエントリー記事では市長へのメール投稿から
一部パーツ保存と現状調査による図面作成など資料保存を実施する意向である旨、
市役所担当課より通知があったことを掲載しましたが、
いちおうこの件については現在進行中の模様ですので、
またなにかしらのアクションがあれば記事にして報告できるかと思います。

(2014年12月7日)

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講座「火の見櫓っておもしろい アップグレード版」参加しました [その他]

本日夕方、カフェバロの第14回ミニミニ講座開催ということで、
「火の見櫓っておもしろい アップグレード版」に参加してきました。
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講師はご存知火の見櫓師匠の「透明タペストリー」U1教授。

同タイトルの前回講座から約3年近く。
今年に入って新聞やラジオ、テレビなどへの露出が一気に増え、
火の見やぐらの啓蒙活動がいっそう活発になってきた教授ですが、
当然3年の間に各地の火の見やぐらを取材して仕込んだ新ネタも数多く。
2014.07.05.2.JPG
講座の内容はこれまでのおさらい的な内容も踏まえつつ、
新ネタを程よくちりばめた充実の内容で、予定時間をオーバーするかたちで
大いに楽しめた講座となりました。

特に今回は受講者として、かつて父親が鉄工所の社長で
数多くの火の見やぐらを手がけていたという方(Oさん)がご来場。
昭和30年頃に建設された火の見やぐらの設計図など貴重なものを持ち込んで下さり、
教授の解説を交えつつゲストみんなで火の見ヤグラー垂涎の一級資料を拝見したのでした。

じつは塩尻市在住のOさんとは先月に一度すでにお会いしていまして、
その際にお父様の火の見やぐら建設に関わった際の資料などを拝見し、
建設当時のことなど貴重な話を取材することが出来たのでした。

今回、U1教授の講座開催を聞きつけて資料持参でご参加頂いたわけですが、
本当に希少価値の高い資料(図面、建設当時の写真など)で、
文化財保護的な視点からも大変有効なものでしょう。
このような貴重な資料に行き逢えた素敵な出会いに感謝感謝。

Oさんご自身は鉄工業とは異なる事業の経営をされていますが、
残された貴重な資料を整理して自主的に冊子にまとめあげており、
制作したその冊子の資料も本当に素晴らしいものでした。

火の見やぐら自体は各地で風前の灯を点しているといった現状ですが、
そんな危機的状況から思いもよらない出会いが生まれたのは奇妙なものですが、
こうした小さな繋がりが火の見やぐら保全にいい効果が生まれることを
ささやかながら期待するものです、ハイ。

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設計図、もちろんすべて手書きです。
しかもドラフターなどというハイカラなものなど使わず、
お父様がコタツテーブルやちゃぶ台の上に紙を置いて画を描いていたそうです。
素敵です。
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となりの、狛犬 [その他]

昨日のことですが、、、
松本市内にて、狛犬講座をさせていただきました。

「となりの、」という、信州大学の学生さんたちが中心になって運営されている
コミュニティースペース(?)が松本キャンパス近くのまちなかにあるのですが、
そこの先生と学生さんたちと縁あってお付き合いが始まり、
狛犬講座、ぜひやりましょ!ということになって実現した次第で。

内容は過去に開催した狛犬講座入門編のリメイクしたもので、
いくらか新ネタを投入したものの、一般的な狛犬世界を感じてもらうには
ちょうどよいグレードの内容であったかなと思います。
2014.06.01.tonarino1.JPG
2014.06.01.tonarino2.JPG

で、今回は初の試みとして実際に近所の神社を巡って
生で狛犬たちを観察する実践編を導入してみました。
主催の先生と学生さんの発案ですが、これはいいですね。
座学でもいちおうの知識は入るし、画像だけでもある程度は楽しめますが、
それでもライブ鑑賞に勝るものはありませんから。
とくに松本市街地ということで、1時間半ほどだったのですが
3箇所ほどじっくり見学できるほど近所に神社が固まっているので、
これは次回も使えるなと感じた次第。
2014.06.01.tonarino3.jpg
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ちなみに今回巡った神社は、四柱神社、深志神社、御嶽大神の三社です。
当初徒歩で巡る予定でしたがこの時期にしては強烈な暑さだったため、
急きょ車に乗り合わせて巡回しました。結果的に時間短縮できてよかったです。

参加者は当初学生さんだけなのかなと思っていましたが、
情報を聞きつけてけっこう遠方の方もいらっしゃいまして、
須坂市や小川村といったところや、なんと京都からのお客さまもいらっしゃって。
いやはや、狛犬ワールド恐るべしといったところですね。

こうやって少しずつ狛犬たちの魅力が伝わって行く様子が
とても嬉しく楽しく感じます。
早速第二回目の講座の話まで出てきましたから、
そのうち企画が持ち上がることでしょう。
またネタを仕込んでおかなくては(^^)

ところでこの画像は会場となった「となりの、」の近所に立つ火の見やぐら。
2014.06.01.tonarino6.jpg
じつは講座のオフタイム中に火の見やぐらが話題になりまして、
火の見やぐら講座もぜひ!という話も持ち上がりました。
実現すれば、講師はもちろんU1教授にお出ましいただくこということになりますね。
狛犬に続き、若い子達に火の見やぐらの魅力を伝えるチャンス到来です(^^)
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火の見やぐら on abn [その他]

少し報告が遅くなってしまいました。。。

先日、5月27日に火の見やぐらがテレビにて放送されました。
abn長野朝日放送にて平日夕方放送されている“abnステーション”という番組で、
そのなかのミニ特集のようなコーナーで県内各地の火の見やぐらを紹介するというもの。

今月半ば頃から二週連続で各地の火の見やぐらを取材してまわり、
数箇所のやぐらを映像と画像にて紹介してもらいました。

番組のキャスターでもあり、同特集の企画者でもある草田アナも
もともと映像を取る際に火の見やぐらを風景要素として捉えることがあったものの、
今回の取材を通じて改めて火の見やぐらへの関心が高まったとのことでした。

ローカル番組なので長野県内でしか放送されなかったのが残念でしたが、
内容は短い時間ながらもコンパクトにまとまっていて、
ユニークなデザインや美しいフォルム、歴史的な要素をまとった地域遺産として、
一般の人の関心に訴えるには上々の内容だったのではないでしょうか。

春先からこっち、新聞やらラジオやらとメディアへの出演が続きましたが、
このテレビ放送にてひとまず一段落です。
ただ、今度は狛犬に関する作業が長期にわたって続くことになったのですが、
その件については別に記事をエントリーしたいと思います。

番組では先日の新聞記事同様、
透明タペストリーのU1教授とふたりで出演しました
専門的な部分を含め、コメントは教授にお任せして、
自分は適当にニヤニヤ笑ってました(^^;
お忙しいところ、取材に一緒に行って頂いた教授が講師を務められる
カフェバロのミニミニ講座「火の見やぐらって面白い」の第二弾も、まもなく開催。
楽しみが続きますね。

以下、番組に登場した火の見やぐらたちの画像。
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新聞記事掲載の反響 [その他]

こちらのブログではまだ報告をしていませんでしたが。。。

先日、4月18日付けの信濃毎日新聞にて
火の見櫓に関する記事を取り上げていただきました。

同紙内の信州ワイドという全県版の一角、1ページの4分の1ほどの大きさで
『われら「火の見ヤグラー」』というタイトルでかなり目立つ記事。

2014.04.30.1.jpg

内容は、火の見ヤグラー師匠と私のふたりが
火の見櫓に惹かれるようになった経緯から
火の見櫓の現状と鑑賞の楽しみ方など
ごく一般的な話にまとめられています。

以前、松本地域ローカルタブロイド紙「松本平タウン情報」に
同じく師匠とふたり共同で火の見櫓について取り上げられたことがありましたが、
今回は約48万部の発行部数がある新聞の全県版ということで
その反響も少なからずといった感じでして。

記事の出た当日から早速、知人に「読んだよ」とあちこちで言われたり、
紙面に載った本名から自分の連絡先を捜し当てて
ご丁寧にEメールを送ってくれた読者の方がいらっしゃったり、
新聞配達をしてくれている販売店が記事部分をラミネートしてわざわざ届けてくれたり、
「火の見櫓について自分なりに考察した文章があるので」と
そのレポートを郵便で送ってくれた方がいらっしゃったのにはビックリしました(^^;
その他、信毎の会社のほうにも読者から問合せなどがあったようです。

とにかくその反響の大きさに驚きつつも、
やはり各地には普段から火の見櫓に関心を持っている方が
少なからずいらっしゃるのだなと、同好の士の存在の大きさを
改めて感じることが出来た次第です。

自分がこうしてブログで取材レポートをアップしているのと同様に
他にも全国各地で火の見櫓研究家(愛好家)がHPやブログなどで
情報をアップされている方がいらっしゃいますが、取材に出る際には
折に触れてそうした他サイトの情報を参考にさせてもらうこともしばしば。
でもウェブ上に公開していないながらもファンである方がたくさんいるのですよね。

記事のおしまいのほうで、私は「(火の見櫓を)まちづくりに活用できる」とコメントしました。
もともと火の見櫓に関心をもったのは、その立ち姿が印象的で
日本の集落景観に嵌った様子が癒されるなぁと感じて、
それ以来気になって仕方がなくなり、ついにブログを構成するようになったわけですが、
最近は火の見櫓を地域づくりのランドマークとして位置付けることで
その背負ってきた集落の歴史や構造物としての機能美や技術観察など
いろんな形で今後のまちづくりに活用できるのではと考えるようになり、
穂高のまちなかを中心に安曇野で活動を少しずつ広めはじめたところです。

各地で解体撤去がどんどんと進行していく中、
もちろんすべての火の見櫓を保存しようとか、保存できると考えているわけではありません。
ただ、なかには「この子だけは失くしちゃダメでしょ」っていう子もたくさんいるわけで。
今までは関心がなかったから、その価値に気づいていなかっただけ。
だから解体撤去の話が出ても、とくにそのままスルーされてしまっているのが現状。
でも、改めてたくさんの人に関心を持ってもらうことで、
本当に残していくべき町や村の歴史ってなんなんだろう?と
少し立ち止まって考えてもらうことが出来たのならば、
こうして新聞記事にしてもらったり、ブログで記事エントリーを継続することに
意義があったかなと思います。

今年の2月、U1教授を講師に火の見櫓講座を開催しました。
全国的には過去2回、火の見櫓サミットが青森県と静岡県で開催されましたが、
その後はとくに他地域が手を上げることもなくそれで終わってしまっているようです。
いつか長野県でもサミットなりフォーラムが開けるようになればと考えているところで、
まあ実現するかどうか分かりませんが、いつかは、、、ということで(^^;

「火の見櫓からはじまる、まちづくり」っていうのも、ときにはアリなんじゃないでしょうか。
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三越の狛犬・・・もとい、ライオン [その他]

今朝の信濃毎日新聞。
毎週末連載の信毎こども新聞というコーナーにて
東京日本橋にある三越本店のライオン像が生誕100年を迎えたとの記事が。

で、今週東京へ出かけた際に自分も三越に立ち寄って
ライオンさんたちと対面してきたので、そのネタをちょこっと。

三越本店の正面玄関にライオン像が一対で据えられたのは
大正3年(1914)のこと。
それから数えて今年が100周年ということで、
三越では記念イベントや特別販売などを実施しており、
目玉として現在は閉店されてしまった各地の三越のお店で
かつて活躍していて今は地下で静かに眠りについていた
兄弟ライオンたちを一斉に特別展示するという企画がありました。
期間限定だったのですが、なんとか期間中に上京できまして。

本店正面玄関常設の一対は昨年にも取材済み。
今回再訪してみると、100歳のお祝いということで
花壇に囲まれて華やかに彩られていました。
2014.04.08.mitsukoshi1.JPG2014.04.08.mitsukoshi2.JPG
昨年の取材では三井家守護神の三囲神社を取材した折、
同社に移設されていた旧三越池袋店のライオン像を見たので、
その流れで本店の常設ライオンも取材したのですが、
今回はそれ以外の像に逢えるということで期待して来てみたのですが。。。

まあ、当たり前ですがまったく同じ型から制作されているので、
外観が瓜二つなのは当たり前で。

本店は本館と新館に分かれていますが、
出入口を中心に両館のあちこちに分散していたので、
三越なんぞ生まれてこの方まったくご縁のない生活をしている身としては
土地勘ならぬ店勘のない状態で探し回るのはけっこう大変でした。

いちおう、発見したライオンたちの画像は以下のとおり。
2014.04.08.mitsukoshi3.JPG
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地階の食品フロアにはチョコレートで出来たライオン(@_@)
本館1階の中央ホールにはなんと金箔のライオンが!

一部の子達はお召し物を羽織っておりました。
けっこう似合ってます(^^;

他にもあと2体は居たはずですが、すでに撤収済みだったのと
居場所が分からぬままタイムアウトとなってしまったのと。
まあデザインは瓜二つなのでとくに惜しいという気も起こらなかったですが。

三越ライオンの由来を遡ると、
100年前に制作された本店常設の子達は
トラファルガーのネルソン提督像の足元に鎮座するライオンたちを
モデルにしているということ。
ネルソンのそれも三越の場合も、守護獣としての位置付けには変わりなく、
それはすなわち狛犬の存在意義と根っこのところで共通しているということ。

ライオンはその力強さは権力の象徴であるのと同時に、
主(三越の場合、お店だけではなく顧客の意味)を守護する大切な役割をもつわけですね。

ということで、獅子つながりで記事アップしました。

(撮影日:2014年月8日)

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