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赤羽要人シリーズパート2 [狛犬・寺社(塩尻市)]

塩尻市金井の三嶋山神社。
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かつての三州街道沿いに立つ、地域の鎮守の神様。
阿礼神社とは国道153号を挟んだ南側に鎮座していて、
阿礼神社に比べてこじんまりした境内ですが、
ここに居る狛犬はこれまた思いっきり個性的でして。
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昭和15年(1940)建立。
石工:赤羽要人。
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阿礼神社の大きいほうの狛犬と同じ石工さん。
デコラティブというか、ユーモラスというか、なんというか……。
鬣の様子など、ある意味本物の雄ライオンっぽいといえなくもないですが、
マンガちっくな表情は他にはない個性が溢れていますね。
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ちっちゃな神社だからといって侮っていてはいけない、という好事例。
今回はこの狛犬たちのことを知ったうえで訪問しているので
突然の出会いによる衝撃ではなかったですが、
「画像で見るより本物はずっといいね」というのも悪くないです。

面する道路は三州街道。
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隣地には消防団詰所があり、
境内から見た向こう正面には火の見櫓が立っていました。
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(撮影日:2013年1月6日)


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独創的な狛犬2対(赤羽要人シリーズパート1) [狛犬・寺社(塩尻市)]

塩尻市塩尻町、阿礼神社。
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旧中山道沿い、塩尻宿の一角に大きな鎮守の杜を抱えて鎮座しています。
塩尻宿は三州街道との分岐点でもあり、最盛期は旅籠が70軒以上もあり、
松本藩の玄関口、また江戸中期以降は天領としておおいに栄えたといいます。
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主祭神は素盞鳴命。
相殿神は大己貴命(大国主命)、誉田別命(応神天皇)。
素盞鳴命は建御名方の父ちゃん=大国主神の義父にあたるので、
諏訪大社の建御名方神とは血の繋がり(?)はないですが、
古代より諏訪と所縁があると考えても差し支えないでしょう。

創建年は不詳。
神社上流にある現代の五百砥山そのものをご神体としたのが起源のようで、
仁寿2年(852)に明神平に主祭神、相殿神を合祀。
建久2年(1191)、塩尻が東條と西條に分割され、地頭の塩尻氏が現在地に八幡宮を勧請。
これが現在の阿礼神社へと変遷して行きます。
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現在の社殿は寛保3年(1743)に再建されたもの。

ちなみに阿礼は阿禮と書くのが正式なのでしょうか。
「アレ」と読み、村落を意味する古代語らしいです。

狛犬。まず1対目。
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拝殿前で、2対のうち前方に鎮座しているほう。
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制作者:赤羽要人。

なかなかに珍しい表情です。
他では見られないオリジナルな顔立ち。顎ひげの様子などユニークですね。
建立年代不明ですが、他の神社にある赤羽氏の作品の制作年代からして
大正年間から昭和初期頃の作品ではないかと推測。
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江戸時代以前ならともかく、狛犬がどういったものかの詳しい情報が
すでにここ塩尻にも届いているであろうなか、こんなデザインで作ってしまう石工の
アイデアというか独創性は素晴らしいです。

もう1対。
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こちらは制作年代も制作者も不明。
珍しい、オリジナルな容姿ということでは負けていません。
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台座に復献とあります。
本体の様子などから、倒壊していたのかもしれません。
一部破損している部位はほとんどそのままで、
阿形はすでに顔が風化して表情が分からなくなっています。
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獅子というより犬に近いデザインの印象ですが、
年代が不明ながらも“はじめちゃん”の部類に入れてもよい、独創的な狛犬です。

(撮影日:2012年6月3日)


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ふたつの市町にまがたる信濃の国二ノ宮(其の一) [狛犬・寺社(塩尻市)]

長野県塩尻市、北小野の小野神社。
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三州街道(現国道153号)沿いに大きな鎮守の守を見せてくれています。
正月休みのあいだに初詣を兼ねて狛犬探訪に出かけましたが、
画像は昨年訪れた際のものを使用しています。

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信濃の国の二ノ宮として、また上伊那54ヶ村の総鎮守として
古より厚く崇敬されてきましたが、ここを語るには隣接の矢彦神社と共に
小野エリアの歴史を顧みる必要があるでしょうね。

まず行政区分は、北小野が塩尻市、その南部の小野地区が辰野町。
両者を合わせて地元では「両小野」と呼んでいるそうです。
経緯は安土桃山の末期まで遡り、飯田領と松本領の領地境争いに端を発し、
豊臣秀吉が仲裁に入り、小野エリアの北側を松本領、南側を飯田領と定め、
のちに小野神社の社叢も北を小野神社、南を矢彦神社として分割されたらしく。
ただし行政上の境界は神社より数百m南方の河川沿いになっているため、
矢彦神社はその境内のみが辰野町飛び地というかたちで納まっています。
まるで昔の西ベルリンみたいですね。
下は参考地図です。(クリックで拡大)
onoyahiko.png


そしてユニークなのは学校の扱いで、公立の小中学校は
「辰野町塩尻市小学校組合立両小野小学校」として辰野町側に、
「辰野町塩尻市中学校組合立両小野中学校」として塩尻市側に、
それぞれ存在し、両小野地域の子供は行政区をまたいで通学しているそうです。
(平成23年度から両小野学園として小中一貫教育を採っているそうな。)(←同校HPより)

話を神社に戻します。

小野神社は信濃の国二ノ宮として発展してきました。
主祭神は建御名方命で、諏訪大社同様に御柱を立てています。
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社叢が広大で、矢彦神社側と合わせておよそ36000平方メートルあり、
針葉樹広葉樹、多種多様な植物の入り混じった混合林は
現代では長野県の天然記念物の指定を受けています。
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本殿はじめ幾つかのものが県宝指定。
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立派な注連縄を飾った立派な拝殿。
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本殿は少し写真が撮りづらい環境でした。
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さて、狛犬。
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けっこうユニークな表情をしています。
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尻尾の姿も阿吽で異なっていて。
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大正7年8月建立の記銘。
石工らしき人物名が彫られていますが、苗字が判読不明で
彫刻とか石工の文字が見当たらないので、記すのは控えます。

自分が訪れたときはひっそりと静まり返った境内でしたが、
御柱祭りの時などは大勢の人で賑わうのでしょうね。

矢彦神社については次のエントリーで。

(撮影日:2012年9月15日)


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