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日本書紀で神宮と呼ばれた神宮 [狛犬・寺社(奈良県)]

奈良県天理市、石上神宮。
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天理教教会本部のある天理市は宗教都市として有名ですが、
天保9年に天理教がはじめられるより遥か昔より同地に鎮座する古社。
日本書紀に登場する「神宮」とは伊勢神宮とこの石上神宮の二社のみで、
日本最古の神社のひとつとして名を馳せています。

古代の武門の棟梁である物部氏の氏神であり、
ヤマト政権の武器庫としての役割もあったのではと考えられているそうです。

ご祭神
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

配祀神
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇(しらかわてんのう)
市川臣命(いちかわおみのみこと)

県道51号より参道を西に向かって歩くとすぐに大鳥居。
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元日の取材で露店が並び、境内は多くの初詣客でにぎわっていました。

参道左手に社務所。
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右手には山の辺の道が続いています。
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社殿は参道から左右に折れる形で配されていて、
参道北面に重要文化財の楼門が出迎えてくれます。
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拝殿は国宝。
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同神宮への崇敬が厚かった白河天皇が鎮魂祭のために、
永保元年(1081)に宮中の神嘉殿を寄進されたものと伝えられています。
建築様式では鎌倉時代初期の建立と考えらているそうですが、
拝殿としては現存する最古のものであるとのこと。

拝殿奥には本殿がありますが、本来同神宮には本殿はありませんでした。
ご神体は記紀神話に登場する神剣「韴霊(ふつのみたま)」で、
これが禁足地と呼ばれる境内の聖域に土中深くに祀られているという伝承がありました。
明治7年8月に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査したところ、
多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、
伝承が正しかったことが証明され、明治43年から大正2年にかけて
神剣「韴霊」を奉安するために本殿を建立し現在に至っているとのことです。

楼門の向かい側に鎮座するのは摂末社。
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画像の摂社、出雲建雄神社は式内社。

同社の拝殿はもと内山永久寺(同神宮付近に在った古寺)鎮守の住吉社の拝殿だったもの。
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保延3(1137)年に建立され、その後13~14世紀頃の改築を経て
現在の構造・形式になったと考えられています。
内山永久寺は鳥羽天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院でしたが、
同寺は廃仏毀釈の影響により明治9年に廃寺に追い込まれてしまいました。
その後も鎮守社の住吉社は残されていましたが、住吉社本殿が明治23年に放火により焼失。
拝殿だけが荒廃したまま残されていたため出雲建雄神社の拝殿として
大正3年(1914)に現在地に移築されました。
現在は内山永久寺の数少ない遺構として国宝に指定されています。

ということで、同神宮には狛犬はいませんでしたが、
うっすら雪化粧した神宮の姿はとても厳かで元日に気持ちを新たにするのに
とてもよい参詣となりました。
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以上で大晦日から元日にかけての岐阜~奈良~和歌山方面の取材ネタは終了です。
(1月中に書き終えられてよかった。。。)

石上神宮公式HP

(取材日:2015年1月1日)



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戦艦大和ゆかりの古社 [狛犬・寺社(奈良県)]

奈良県天理市新泉町、大和神社。
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御祭神は
日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)
八千戈大神(やちほこのおおかみ)
御年大神(みとしのおおかみ)

同社HPの由緒によれば、
日本大国魂大神は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、
宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されていたものの、
崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ天照大神を皇女豊鋤入姫命をして
倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、
市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であるとしています。
要するに、伊勢神宮などと並び随一の古さを誇る古社ということになるわけですね。
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また同社は奈良時代、朝廷の命により唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、
その他使臣が出発に際して当社へ参詣し、交通安全を祈願したとされています。
そうした航海安全を古来より祈願されていたことから、
太平洋戦争当時には「戦艦大和」の守護神とされ、
同艦には大和神社の分霊が祀られていたそうで、
同社の祖霊社には戦艦大和が撃沈した際の殉死者2736名の御霊が祀られています。
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祖霊社。
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名神大社であり、二十二社のうち中七社のひとつ。
旧社格は官幣大社で現在は別表神社。

境内は上ツ道と言われる古代官道沿いにあります。(近世の名称は上街道)
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長い参道先に二の鳥居があり、その脇には今では珍しい下馬札。
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現代風にいえば下車札、になりますかね。
ちなみに境内入口から続く参道の長さは
戦艦大和の全長263メートルとほぼ同じ長さになるそうです。

拝殿と本殿。
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拝殿は壁のない吹き抜けになっており、本殿は春日造。

その手前に狛犬が一対います。
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明治22(1889)年丑2月建立。

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浪速狛犬。
凛々しい姿ですね。
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社務所。
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増御子神社。
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ご祭神は猿田彦大神と天鈿女命。

境内には他にも数社の摂末社が在りましたが、
大晦日で境内もバタバタした空気だったのと、夕刻近付いていたので、
境内の諸社参拝は省略しました。

学生時代に奈良県に住んでいたころ、一度だけ参拝したことがありましたが、
簡単にお参りだけしてすぐ立ち去ったとかすかに記憶しています。
当時から狛犬はもちろん古事記の世界などさほど強い関心もなかったのですが、
同社の由緒など少しでも分かっていれば、もっとじっくりと参詣していたことでしょう。
関西には若かりし頃に参詣した神社もけっこうあるのですが、
そうした神社を再訪問するたび、そのような気持ちにさせられてしまいます。

(取材日:2014年12月31日)

大和神社公式HP




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鎌倉末期の石造神殿狛犬 [狛犬・寺社(奈良県)]

奈良県奈良市都祁友田町の都祁水分(つげみくまり)神社。
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奈良市といっても2005年に編入合併した旧都祁村の一角にあり、
立地は市街地からは相当離れた山里になります。
名阪国道針インターより車で数分という立地にあります。
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付近一帯は奈良盆地から一段上がった、標高がおよそ500mほどの高原。
取材日は大晦日イブでしたが、前日までに降雪があったのか、
日陰には雪が積もり残っていました。

由緒書きによると、、、
『水の神「都祁水分神社」は、大和の国水分四社(都祁、宇陀、吉野、葛城)のひとつで、
速秋津彦命、天之水分神、国之水分神が祭られています。
水分は、“水配:山から流れる水が別れる所”を言い、当地では大和川と木津川の分配を
司る神として古くから崇敬されてきました。
(以下、略・・・)』

延喜式にもある由緒ある神社のようで(式内大社)、
国重要文化財の本殿はじめ、貴重な文化財も数多く残されているようです。

遠めに見ると神社の敷地は境内=鎮守の森になっているというより、
一回り大きな森の中に境内が設けられているといった印象。
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一の鳥居から長い参道を歩いた先、
注連縄柱をくぐると神楽殿が正面に。
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社務所。
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両脇に舞台?
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肝心の拝殿と本殿は迂闊にも撮影忘れ。
本殿、国重文だというのに、またしても不覚。。。

拝殿前の狛犬。
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大正7年(1918)4月建立。
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胸板の厚い、立派な浪速型です。
が、ここで有名なのはこの子達ではなく。。。

神殿前に鎮座する狛犬一対。
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なんと鎌倉末期の作ということらしく、
それが事実ならかなり保存状態のよい、貴重なものといえるわけで。

アップで撮った画像しか残していなくて説明が難しいのですが、
本殿の前(向拝の真下あたり)に一対で鎮座していて、
その本殿は格子塀で囲われているため、撮影がけっこう難しくて。
上の画像もその格子の合間から許される(であろう)範囲で
かろうじて撮影したもの。

願わくばもうちょっとしっかりした形で鑑賞したかったところですが、
神社の公式HPがあるので、ちゃんとした画像はそちらで鑑賞できます。

都祁水分神社公式HP

っていうか、けっこう田舎の人気のない神社だという現地の印象ながら、
用意されたHPはけっこうしっかりした作りで、ちょっとびっくりしました。

(撮影日:2013年12月30日)


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国内最古(?)の石造狛犬はお寺にあり [狛犬・寺社(奈良県)]

タイトルの国内最古に?マークをつけているのは
ひとえにそれが100%断言できるものではないということもありますが、
純然たる国産狛犬ではないよ、という意味合いも幾らか込められているためで。

奈良県奈良市、東大寺。日本が世界に誇る名刹。
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一般的に言って狛犬というと神社と相場が決まっているように思われがちですが、
お寺に据えられているのも決して珍しいわけではありません。

その代表格なのがこの東大寺南大門の狛犬。
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建久7年(1196)建立。
記銘のある石造狛犬としては国内最古といわれており、
国の重要文化財指定を受けています。

古代に大陸から伝わった守護獣としての獅子が発展し、
日本独自の獅子狛犬の形態が確立。
しばらくは宮中や朝廷に所縁の深い寺社の神殿などのみに置かれていた、
いわゆる“神殿狛犬”のみの時代が続きましたが、
やがて神殿の奥から縁側へ、そして参道へとその位置を移動させ、
木造が主流だったそれまでから屋外の風雨に耐えられるようにと
石造りによって発展を続けることになりました。

しかしこの東大寺の狛犬を制作したのは中国=宋の国の石工で、
石材も宋から輸入された外材を用いています。
デザインも獅子狛犬という日本独自の形態ではなく
まさに中国獅子のデザインのそれです。
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この点からこれを国産最古の石造狛犬とすることに
疑問を呈する人もいますが、まあ作り手と材料が外国の人と物だとしても、
“国内で作られた”という括りは間違いではないですしね。
あまり細かいことは気にしないようにしましょう。
(東大寺ではこれを狛犬ではなく獅子像として紹介しているので、
ここでもその解説に倣って以下、獅子(像)と表記します。)

この獅子像は国内最古という肩書きを持つこともあってか、
後世に全国各地の神社でこれを模倣した狛犬が制作されました。
とくにその尊大な(?)態度から、国威発揚的に作られることも少なくなく、
狛犬家の間では護国神社型=招魂社系の一類型として括られたりしています。

それにしても、、、この獅子像はちょっと不遇といっていい状況。
超有名な東大寺の、有名な南大門の、さらに有名な仁王像の立つ、
その真裏(北)側に据えられているのですが、殆どの参拝客(観光客)は
この獅子像に見向きもしません。
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国重文指定を受けているといっても、こんなもんです。
(かくいう私も、狛犬の道にのめり込む前は存在すら知りませんでしたが。。。)

仁王像との位置関係は、こんな感じ。
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おまけに周囲が金網に囲まれているため、写真の撮りにくいことといったら。

それでもなんとか網に焦点を合わせることなく、隙間から頑張って撮ってみました。
2体とも口を大きく開き、ぐっと胸を反らせ、首には鈴飾りのベルトを巻いているなど、
いかにも中国獅子のデザイン。
台座も須弥座となっていて、周囲に浮き彫りが施されています。
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純粋な狛犬のスタイルとは異なりますが、
いろんな意味で後世の狛犬制作に影響を及ぼした大作です。
みなさんもこれからもし東大寺を訪問する機会があれば、
仁王さまだけでなくぜひこの中国獅子の一対もしっかり鑑賞してみてください。
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2013.01.29.toudaiji11.JPG2013.01.29.toudaiji12.JPG

(撮影日:2012年10月9日)


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