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三社様の狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

いまや世界的な観光スポットとなった
東京台東区浅草、浅草寺。
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の、本堂東隣に鎮座する浅草神社。
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土師真中知命(はじのまつらのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)

社伝による創建の伝承はいろいろ物語があるようですが、
実際は平安末期~鎌倉期にかけて祭神の後裔が
崇祖の思いから創建したものであろうとされているようです。
詳しくはこちらの由緒書き、または同社HPへ。
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浅草神社HP

狛犬ですが、同社には自分が確認しただけで三対います。
まず正面鳥居をくぐって拝殿に向かう途中の一対。
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がっしりした石組みの上に蹲踞する江戸獅子。
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足座がなくそのまま石組みに本体が据えられていて、
石組みにいろいろ文字が刻まれています。

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「天保七(1836)丙申三月」。
建立や奉献の文字はないですが、
まあこれを建立年と考えて差し支えないでしょう。

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「山川町大工虎五郎」。
山川町というのはかつて浅草にあった町名のようですね。

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「象潟町 大岩」。
象潟も浅草にかつてあった町名のようです。
こちらが石工さんの名前になるのでしょうか?
などと思っていると別の石にも文字が刻まれていました。

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「田町 文三郎」。
こちらも町名と名前のみで奉献主なのか石工なのか判然としません。

詳しく調査したわけではないのでなんともいえませんが、
常識で考えて大工がこれを彫り上げたとは想像できないので
少なくとも虎五郎は奉献主と置いて差し支えないと思います。

では田町の文三郎と象潟町の大岩が石工かどうかの検証ですが、
刻まれた名前のパターンからすれば文三郎が虎五郎とともに献主で
大岩を石工と考えるのが普通のような気もします。

ネット上でも、とくに狛犬の杜別館さんに詳しい解説付きで掲載がありましたが、
やはり石工=象潟町の大岩、献主=田町の文三郎&山川町虎五郎、
となされていました。

ただ、奉献主として並ぶ両名の名前のうち、
虎五郎は台座上部に横書きで、文三郎は石工であろうとされている大岩と
同じようなデザインパターンで縦書きによって施されています。
どうもそのへんが自分的にしっくり来なくて、でも資料不足なのでなんともいえず。
もしかして自分が知らないだけで“象潟町の大岩さん”というのは
石工さんとして史料にも名をのぞかせている人なのかもしれませんが。
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次に拝殿前の一対。
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三段組のしっかりした台座の上にブロンズ像の蹲踞タイプ。
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台座に献主と奉献事由、建立年が記されています。
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「浅草神社社殿復元記念 三社睦会 昭和三十八(1963)年五月」。

浅草神社の本殿及び幣殿、そして拝殿は国重要文化財指定。
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社伝によると本殿などは慶長2(1649)に将軍家光公により建立寄進とあります。
その復元ということですから、なにか大改修でもあったのでしょうかね。

ちなみにウィキペディアでは重文指定を昭和36年としているのですが、
同社HPでは昭和26年となっています。
おそらくウィキの誤記だろうと思い、文化庁のデータベースで念のためチェックしたら
昭和21年指定とありました。・・・はてさて、どゆこと?

三対目は同社に限らずこの日の取材ツアーでもっとも出会いたかった一対。
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参道や拝殿前ではなく、すでにご隠居さんとして境内の一角にて
静かに余生を過ごしているといった感じの一対です。

夫婦狛犬として紹介されているようで、由緒書きが用意されていました。
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ここにも書かれていますが、足座の部分に文字が刻まれていまして。
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「諸願成就」

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「品川町裏河岸 鈴木平吉」

石工名と建立年は残念ながら刻まれていないようです。
上の由緒書きでは1600年代後半~1700年代前半と推定していますが、
まあおそらくその頃の可能性がもっとも高いと自分も思います。

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同時代の江戸狛犬は数多く取材したわけではないですが、
スタンダードなデザインといっていいのではないでしょうか。

この子の存在を知り、いつか会ってみたいと思ったのには理由があって、
それは穂高神社若宮社の狛犬たちのルーツを知る手がかりになるのではと思ったから。
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若宮社前の狛犬一対は明和6年の制作で、
江戸で作られて穂高神社まで運ばれてきたことは判っているのですが、
具体的な出生の状況(彫った石工さんとか)までは情報がハッキリしません。

本ブログ(2013/01/13)穂高神社の記事

浅草神社のこの夫婦狛犬と称されている子たちは、事前にネットに出回る画像を見る限り
穂高の子たちと大きさや全体の造形が似通っている印象があったため、
ひょっとするとなにかしら繋がりがあるのでは?と期待して訪れてみたのですが。。。
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結論から言って、まあ当然かもですが、とくに手がかりになるようなことは何も無し。
全体の大きさなどはたしかに似ているところはありますが、
細かなデザインはぜんぜん違いました。
頭部の窪みが両社の狛犬ともに存在する特徴とはいえ、
この子たちに限らず江戸中期の狛犬にはよく見かけるものですし、
だいいち穂高神社の子は首を振っていますが、この夫婦狛犬は正面を見据えています。
劇的な展開も多少は期待しましたが、残念ながら同一石工さんではないでしょう。
いづれにしても石工名が残っていないのは惜しいですね。

ただ、年代的にそう遠くない時期に制作された両者だろうと思います。
穂高の子達の奉献主が江戸深川在住の商人だったことを合わせ考えると、
同じ石工さんの作品ではないにしても、浅草のお宮で楽隠居(?)中の夫婦狛犬さんたちとは
ひょっとしたら親戚筋に当たるかもしれない、、、、とか、いろいろと楽しい妄想はつきません。

ところで足座の側面側に刻まれている文字についてですが。
まあ文字の内容は上にも書いた通りで、それはべつにいいんですけど、
現在置かれている状態で阿吽とも向かって左手側面に文字があるのです。
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つまり、元あった状態に阿吽の顔が向き合って正対していたとすると
阿形は参道手前側に文字があり、吽形は参道奥側に文字があったことになります。

また、顔が正対せず参道に対して平行に据えられていたと考えると、
阿形は参道内側に文字が向き、吽形は参道外側に文字が向いていたことになります。

まあ狛犬に文字を刻む位置程度、どうでもいいっちゃあそうなんですが、
それが全く異なる内容同士ならまだしもなんですが、
同じ奉献主の名前の刻字だったので、なんとなく違和感を覚えた次第です。
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さて、本殿の北側に末社の被官稲荷社へと移動。
社殿前にお約束の狐さんがいました。
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手にしているのは鍵のようですが、房付きの立派な仕様ですね。

同社の由緒はこちら。
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江戸後期の町火消しとして有名な新門辰五郎ゆかりの社ということのようです。

小ぶりな一間社流造の本殿は幕末に祀られて以降、
関東大震災も東京大空襲も無事に生き長らえた、貴重な社殿とのこと。
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ところで浅草神社は浅草寺の本堂すぐの位置に隣接しています。
その浅草寺の境内一角に恵比須・大黒天堂という小さなお堂があり、
本尊の石像は江戸前期の作とされているそうなのですが、
そのお堂の前にも小ぶりで可愛らしい古い狛犬さんが一対鎮座しています。
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阿吽で正面に向き、少し顔を持ち上げているような格好で蹲踞していました。
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先ほどの浅草神社の夫婦狛犬とどことなく雰囲気は似ており
制作も同年代くらいかなという印象も在ります。
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その制作年、ネット上の情報では延宝三年との話が一部出回っていましたが、
お堂脇の由緒書きでこの年代が示しているのは恵比須と大黒天の石像のことで、
この解説を読む限りでは狛犬まで含まれるとは考えづらいところです。
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自分が見た限りでは狛犬本体にそれらしき刻字がありませんでした。
もしかしたら赤い前掛けをめくってみたらお腹あたりに刻まれていたのかどうだか。
あるいは寺に残る古文書などにはその旨が明記されているけれども
現地の由緒書きではたまたまそこまで明示されていないだけ、なのかもしれません。

いづれにしても、見た目の印象から江戸中期頃の作品ではなかろうかと
自分も考えるところではありますけれども。
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浅草寺界隈はまたしてもゆっくり楽しむことができませんでした。
前回訪れたのはもう9年近く前の初詣。
二年参りで死ぬ思いをしながらの参拝だったりしたので、
そのときは落ち着いて浅草を楽しむこともなく。
そして今回もまた日帰り所用のついでに敢行した取材だったため
狛犬の撮影以外にほとんど時間を使うこともなく退散してしまいました。
ホントは仲見世あたりでもう少しゆっくりしたかったのですが。

とくにこの仲見世の様子の写真。
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じつはこの画像の右手には浅草寺本坊の伝法院があるのですが、
その仲見世に面した一角に立派な薬医門が立っています。
その薬医門、じつは松本市小俣の、とあるお屋敷に建てられていた門ということで
それが訳あって伝法院へと移築されたのだという話を以前にある方から伺いまして。
これは浅草に出向いたら写真を撮っておかねば、と思っていたのですが、
なんと現地に行くと同門の前のフェンスには何枚もの「写真撮影禁止」の張り紙。
理由は書かれていないのですが、ここは幼稚園の通用門がすぐ隣にあり、
もしかするとそのプライバシーの問題などからそうなされてしまっているのかもしれません。
真相は不明ですが、いづれにしても禁止の張り紙を無視してまで撮影できるほど
非常識な人間にはなれない自分なので、泣く泣く撮影は諦めた次第でした。

でも、ネットを見るとけっこう写真が出回っているんですよね。
そんなのを見ていると撮影してもなにも言われないのではと思ったりもしますが、
事情が分からないうちはやはり撮るのは躊躇われますし、仕方ないですね。

ということで、最後の一枚は伝法院の撮影不許可な薬医門の兄弟門だとされている、
安曇野市堀金岩原にある、大庄屋山口家の薬医門です。ご参考まで。
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(取材日:2015年10月15日)



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東京にいる手向山神社タイプ [狛犬・寺社(東京都)]

先日、とある所用で東京へ日帰りで出かけ、ついでに神社巡りをしてきました。
ということで突然ですが数回ほど東京の狛犬紹介を続けます。

東京都台東区鳥越の鳥越神社。
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JR総武線浅草橋駅から北へ徒歩約10分ほど、
都会の真ん中に鎮座しています。
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境内外の歩道脇に掲示されていた区教育委員会の由緒書きによると
創建は白雉二年(651)。
ご祭神は日本武尊、天児屋根命、徳川家康。
社号の由来その他もろもろは以下をどうぞ↓。
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社号標の揮毫は鳩山一郎。
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石造の鳥居をくぐると境内は左に折れ、
正面奥に立派な拝殿が見えました。
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本殿はこちら。
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西参道の鳥居。
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境内社の志志岐神社はご祭神が豊玉姫命。
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穂高神社主祭神の穂高見命の長姉神であり、
神武天皇のおばあちゃんにあたる神様。

福寿神社。
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神楽殿(?)。
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手水舎。
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祖霊舎。
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社務所。
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狛犬は拝殿前に一対いました。
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銘板によると、昭和7年(1932)6月1日建立。
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そして昭和25庚寅歳5月吉日修復とあります。
戦時中の空襲などで被災して復旧されたということなのでしょうかね?
修復理由は記載がなく、銘板は寄進者氏名がずらっとあるのみです。
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デザインは見ての通り、奈良の手向山神社にいる鎌倉時代作といわれる
奈良市の文化財指定も受けている狛犬のコピーです。

大きさは大型の部類に入ると思いますが、図体のわりに頭の小さい点が特徴で、
吽形に角が付き、阿形が立ち耳で吽形が折れ耳の点もオリジナル同様です。
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銘板には「狛犬彫刻 八柳五兵衛」とあり、さらに
阿形には「施工者 加瀬又右衛門」、吽形には「施工者 高橋金三郎」とあります。

八柳氏は彫刻家とのことですが、八柳氏が原型を作り、
阿吽をそれぞれの石工が請け負ったということになるのか、
あるいは八柳氏が狛犬制作を手がけ、台座設置を含むその他の石工作業を
施工者の名がある2人が請け負ったということになるのか。
銘板に刻まれた肩書きから察すると後者のような気もするのですが。

靖国神社にいる籠神社型の狛犬も同じ八柳(恭次)氏の名が刻まれており、
そこにも別途石工の名(小澤映二)が刻まれていて、
靖国の子たちと同じようなシステム(?)で制作されたのかもしれませんが、
そもそも靖国の場合も彫刻家と石工の分業体制がいまいちハッキリしていないので
その点については今回もノーコメント。
なにはさておき、自分としては手向山神社のオリジナルをまだ取材していないので、
コピーながらもこちらで同デザインを拝見できたのは有意義なことでした。
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あと手向山神社のコピーがここに存在する理由については、
インターネット上で少し検索した限りでは明確なものが見出せませんでした。
同社から直線距離にして2キロちょっとの程近い日本橋を守護する獅子像が
同じ手向山神社の狛犬を参考にしたとされていますが、
現在の日本橋が完成したのは明治44年ということですから、
そのへんの話がなにかしら影響と言うか背景にあったのではとも
考えられなくもないと思うのですが、、、考えすぎでしょうかね?

境内に張られていた台東区の神社マップ。
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神社巡りの好きな人にはこういう地図は楽しくていいですね。
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(取材日:2015年10月15日)



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算額のある神社の神殿狛犬 [狛犬・寺社(下高井郡)]

一ヶ月近く、更新がご無沙汰でした。
じつはまだ6月の北信シリーズが終わってませんw
続けます。。。

長野県下高井郡木島平村、往郷字中島の水穂神社。
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国道403号から県道451号に入り、
露天風呂が有名な馬曲温泉へ向かう道中にあります。

馬曲温泉に行く道すがら、振り返ると同社の杜がこんな感じに。
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境内正面は県道から一本脇道に入ったところからで、
朱塗りの両部鳥居の傍らに社号票。
旧社格は郷社のようです。
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拝殿本殿ともに赤い屋根なのは、雪国仕様ってことでしょうか?
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境内にこんな案内板がありました。
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日本独自に発展した数学を和算といいますが、
算額はその和算を絵馬にして神社や寺に奉納したものを指します。
自分はまったくといっていいほど算額について知識がなかったのですが、
数学を記した算額を奉納するというのは日本独自の文化なのだそうですね。
ネットで検索していたらこんな算額をテーマにしたサイトがありました。
http://www.wasan.jp/

このサイトの情報によると全国で820あまりの算額が存在し、
長野県下にもかなりの数の算額が存在しているようですが、
どういうわけか安曇野を含む中信地区には殆ど存在しないらしく、
故に自分が算額について疎かったのもそのせいだと思うことにしましたw。

ちなみに同社の算額は社殿内で拝観できませんでした。。。

以下、境内の様子。
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十一面観音の石像を神社の境内で見かける機会は少ないので新鮮な感覚。

さて、狛犬。
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参道狛犬は岡崎現代型が一対。
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昭和11年(1936)11月3日奉献。
献主や宮司と思しき人物名などは台座に記載あるのですが
文字は読み取りづらくなっており、石工名については記載自体なさそうです。
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オリジナルは居ないのだな、などと思いつつ、
境内社を覗き込む・・・もとい、参拝すると
社の前に小さな狛犬たちたいました。
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なぜか阿吽が左右反対の作。
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埃をかぶっていて判りづらいのですが、
木製のようでもあり、陶器のようにも見えます。

算額が見られなかったのは残念ですが、
どこかで見る機会があるかな?
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(取材日:2015年6月8日)



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診療所の時計台とコラボ? [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡木島平村、上木島の火の見やぐら。
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国道403号沿いで、対面に大町区民会館と消防倉庫らしきものがありました。
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4脚柱の中層タイプ。
少しひん曲がった避雷針付8角形屋根に丸型見張り台。
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屋根尖端に蕨手はなし。

踊り場は脚柱内で最小限の大きさ。
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脚部は正面のみアーチでその他は方杖のようなデザイン。
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そしてハシゴは地面まで伸びておらず、上り始め部分は
たまに見かける足掛けフックを利用することになっています。
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隣接している建物は村の診療所。
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時計台の塔が設けられているのは火の見やぐらを意識してのことでしょうか。
おそらく、そうではないとは思いますが。

(取材日:2015年6月8日)




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山里の村境を守る火の見やぐら [火の見櫓(下高井郡)]

前エントリーの山ノ内町(たぶん)北限の火の見やぐらから
国道403号をさらに北上すると同町の裏落合集落。
そこから目の前の谷越しに対岸に見える集落に目を向けると
一基の火の見やぐらの聳え立つ姿を見つけることが出来ます。
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谷向こうに見える集落は、
長野県下高井郡木島平村上木島の糠千地区。

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屋根上部の避雷針は失われていますが、
塗装はきれいで輝いて見えます。

踊り場にスピーカーがにぎやかに装備されていますが
見張り台には木槌の存在も確認でき、
まだ打鐘されているのかなと期待も膨らみます。
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脚部は正面側のみアーチで足元まで伸びているのがいいです。
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火の見やぐら近くの交差点角にポンプ置き場が設けられていました。
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鄙びた農村に立つ火の見やぐら。
あぁ、日本の田舎の風景ですなぁ。
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(取材日:2015年6月8日)



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山ノ内町北限か? [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡山ノ内町夜間瀬、表落合消防器具置場の火の見やぐら。
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中野市方面から国道403号線を北上した表落合地区の国道沿いに立っています。

ここから少し走ると間もなく木島平村に入ってしまう場所。
山ノ内町の北の端は別の場所のほうが突出していますが、
火の見やぐらの立ちそうな場所としてはここらあたりしかないと思われ、
ここが山ノ内町内の火の見やぐらの北限ではなかろうかと推測。

4脚柱でやや細身。
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8角形屋根+丸型見張り台はこの地方でよく見かけるパターン。
屋根の先端は蕨手仕様。

脚部から踊り場直下までは直線的な絞込みで、
そこから最上部にかけては真っ直ぐ伸びきっていますね。
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足元にくっついていたコレ。
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旗竿挿しのような感じもしますが、なんでしょうかね?

全体に塗装の剥げ具合がやや目立つのが気になります。
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山ノ内町(たぶん)北限の称号を守り続けてほしいものです。
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(取材日:2015年6月8日)



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なんとなく体格が太くて [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡山ノ内町夜間瀬、須賀川地区の火の見やぐら。
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中野市街や湯田中温泉エリアから国道403号線を北上し、
須賀川地区の郵便局付近の交差点脇に立っています。

前エントリーでは首が細く頭でっかちなアンバランスやぐらを紹介しました。
こちらのやぐらはアンバランスという印象はなく、
むしろ脚部と頭部のバランスは決して悪いわけではないと思えなくもないのですが、
かといって印象がよく感じないのは、体格がズンッて感じがするからではないかと。
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首が太めな印象に加えて腰周りのムチムチ感。
途中の踊り場もちっちゃい印象を受けます。
実際には頭部の見張り台も踊り場も普通の大きさだと思うのですが。

あとやはり柱の絞り込みが曲線ではなく直線的だというのも
印象を大きく左右している要因かと思われ。

脚部の広がり具合は決して巾広ではないですが、高さに比して悪くないと思います。
これで多少なりとも柱が上部に行くにしたがってカーブしていれば
いいプロポーションになったでしょうし、結果として首にあたる部分も
程よく絞り込まれてより美しい姿に仕上がったのではないでしょうかね。
まあ、あくまで個人的好みの範疇ではありますが。

U1教授は火の見やぐらのプロポーションについて
逓減率を用いて解説されたことがありましたが、
このやぐらを逓減率ではかってみたらどうなるでしょうね。
たぶん安定性とかバランスがイマイチな数値になるような気がします。
(↑適当に言ってますw)
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(取材日:2015年6月8日)



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スリムな頭でっかち [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡山ノ内町、戸狩の火の見やぐら。
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前エントリーの戸狩部詰所から東へ少し走った集落の一角に立っています。
近所のバス停は「原」とあるので、細かくは原地区というのでしょうかね、よく知りませんが。

見た目に屋根と見張り台はおそらくは至極ノーマルな大きさと思われますが、
いささかボディの絞り込みがきつすぎやしないですか。
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なんともいえない、びみょーなアンバランス加減。
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脚部はそうでもないですが、やはり頭を支える首のあたりの細さですかね。
なにかの弾みで首がもげそう。

このレベルの華奢なスタイルはたまに見かけることはありますが、
その場合は頭の部分もそれなりに小ぶりになっていることが多いと思うのです。

普段はやぐらの各パーツをクローズアップする画像を多用しますが、
それではこの子の特徴はかえって掴みにくくなりますね。
やはり今回は引きの写真で、どうぞ。
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(取材日:2015年6月8日)



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山ノ内町戸狩部詰所の火の見やぐら [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡山ノ内町、戸狩部詰所前の火の見やぐら。
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このところ続いた山之内町の火の見やぐらのエントリー記事では
湯田中渋温泉郷エリアのものでしたが、
今回の戸狩部は温泉エリアとは国道292号を挟んだ反対側にあります。

遠くからでもけっこう目立つ存在。
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八角形屋根+丸型見張り台に比較的大きめな印象の半鐘。
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踊り場は四角形。
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消防信号板はなぜかハシゴを数段上がった高さに備わっているのですが、
上る前にここで打鐘信号を確認して、覚えて上るということなのでしょうかね。
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っていうか、それ以前にもはや判読不能なほど錆びきってますけど。

銘板はクリアで文字もしっかり読み取れます。
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「山之内町消防団
 戸狩分団
 施行日 昭和37年10月
 施行者 有限会社下田鉄工所
 須坂市 」

施行ではなく施工だと思うのですが、まあ細かいことはこのさい。。。

よく見るとハシゴの一段目にあたる部分に足掛けがありません。
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最初からなのか途中で外したのかは分かりませんが、
悪戯に子供が上らないようにしたのであれば、なんとなく中途半端な感が否めず。
そういう意味でないのなら大人もこれでは上りにくいであろうと思いますが、
どういう理由からなのでしょうね?

背丈もそこそこあり、多少塗装が色落ちしていますが、
スタイルも悪くない感じなので、総合的な評価はそこそこと考えていいでしょう。
(↑なぜか上から目線?)
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(取材日:2015年6月8日)



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頭の上にあるものは・・・ [狛犬・寺社(中野市)]

長野県中野市、諏訪町の王日神社。
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中野市街地の一角、中心エリアからやや東に入ったあたり、
境内西側に隣接して同地方で中世において支配した高梨氏の館跡があります。

境内へと続く参道入口には朱塗りの両部鳥居。
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境内に入ったところで振り返ると、参道はこんな感じ。
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ご祭神は
建御名方神(たけみなかたのかみ)
天水分神(あめのみくまりのかみ)
軻遇突智神 (かぐつちのかみ)

もともと別の場所に鎮座し日野社と称していたそうですが、
観応2年(1351)に現在地に遷座したとされています。
その他、詳しい由緒については拝殿前の由緒書きにて↓。
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拝殿の裏手に回ると本殿はこんな感じ、、、と思ってみたのですが、
ホントに本殿でいいんですよね?
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拝殿に隣接して、西宮神社。
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少し離れて秋葉社。
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そして松尾社。
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その松尾社の隣にやたらとでっかい恵比寿様と大黒様。
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社務所と神楽殿。
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こちらは宝蔵?。
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ご神木は樹齢600年推定。
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中野祇園祭の天王神輿が有名なのだそうです。
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さて、肝心の狛犬は境内入口に一対、
自然石積みの台座の上にやや大型な子達が座っています。
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建立年不明ですが、石工は名前が刻まれていました。
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「越後高田長門區 石工美術師 長瀬義一」

世話人の名前も台座の一角に記されているのですが、
字が不明瞭になっているので、画像のみ。
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建立年のことですが、旧高田長門町が周辺町人町とともに
新たに誕生する高田町に編入されたのが明治22年。
台座の文字が長門町ではなく長門區となっていることから推測するに、
この狛犬の生まれ年は明治22年以降ではないかと考えられると思います。
真実やいかに?

さて、デザインのほうですが。
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なかなか胸板も厚くてがっしりした体格の子達です。
ボディ全体の瘤の具合もしっかりしています。

いちおう正調阿吽の配置デザインですが、
前歯を閉じ合わせているか否かの違いだけなので、ちょっと分かりづらいです。
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走り毛は分かりますが、これは胸毛と言っちゃっていいのでしょうかね?
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尾も巻き毛からの流れが印象的。
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気になるのは頭の上。
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まあ普通に考えて宝珠なのでしょうが、
吽形がわりとキレイに整った形をしている一方で
阿形のほうはなんだかゴツゴツした印象で、
違うものだと言われても納得してしまいそうなほど。
あるいは阿形のそれはもしや角のつもりか?
いやいや、角にしては丸くてひしゃげすぎているし。。。

いろいろ関心をそそられる狛犬ですが、
岡崎現代型の多い北信のなかではこうしたオリジナルな子は
貴重な存在でいいですね。
上越方面の狛犬調査はまだしことがないのでよく分かりませんが、
あちらではこの子のようなデザインの子がたくさんいるのでしょうか。
越後は新潟市内を中心に魚沼や十日町近辺を幾つか巡っただけなので、
いちどじっくり上越にも取材に行ってみたいです。
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(取材日:2015年5月4日)



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