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神紋付巨大狛犬とはじめちゃん [狛犬・寺社(岐阜県)]

岐阜県高山市、漆垣内町の二之宮神社。
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国道158号の松ノ木町東交差点を東進する道を進み、
漆垣内町の信号を過ぎたすぐの場所に鎮座しています。
他のウェブサイトでは国道361号沿いと記されているものを見かけますが、
現在の地図情報によれば平成20年に国道が別ルートに路線移行したことで
前面道路は現在国道ではなく市道となっているようです。

隣接して地区の公民館があり、さらに敷地の一角に消防団詰所。
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残念ながら火の見やぐらは残っていませんでしたが、
素敵な火消しのイラストが描かれたシャッターの傍らに、、、
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半鐘、ありました♪
木槌もちゃんとぶら下げてあるということは
まだなにかの際には打鐘しているということでしょうかね。

さて、神社に参ります。
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さっそく参道入口に巨大な狛犬が一対お出迎え。
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昭和25年(1950)8月建立。
石工:浜○○一
(正しく判読できません。求む情報。)

本体でおそらく4尺は軽く超える石を使っている大型の狛犬。
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戦後数年を経ているとはいえ、昭和のこの時期にこれだけの大きさの狛犬を
制作したというのはなかなかのものです。

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台座上部正面に御神紋と思われるものが刻まれていました。
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菊水ですね。

狛犬を過ぎた先に鳥居。
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正面に神楽殿。
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小屋梁の太さが足りていないせいでしょう、
殿内に4本の柱が立ち、梁を持ち支えていました。

宝蔵、かな。
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境内社。
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弥勒菩薩の由緒書きがありました。

石造祠の境内社群。
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拝殿。
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本殿は市の有形文化財指定のようで、由緒書きがありました。

が、肝心の本殿の様子はご覧のとおり。
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期待のはじめちゃんはこの囲いのなかにいるのですが、
神様に失礼ない程度(←と勝手に自己判断)に下方から覗き込んでみました。
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結果、撮影できたのは下から見上げるだけの、ピンボケだらけの写真ばかり。
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もっと間近でじっくり観察してみたかったですが、
これ以上の踏み込みはよろしくないと思い断念。
自撮り棒のようなもので遠隔操作撮影すればあるいはかもですが、
持っていたとしても、それも神域を侵すような印象も在るし、積極的になれません。
狛犬たちを愛でたいという感情と神域侵すべからずの理性との戦い。
狛犬巡りをしていると時々遭遇する葛藤ですねw。

まあ撮影は難しい状況でしたが、神殿を静かに守り続けるはじめちゃんの様子を
ライブで直接見ることができたことだけでも良しとしましょう。

帰りがけに撮った最後の一枚。
正体を曝け出すことなく神殿の脇に在ってそっと静かに聖域を守り続ける。
そんな様子が伺える、なにげにお気に入りのショットです。
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(取材日:2015年12月29日)



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お猿のはじめちゃん [狛犬・寺社(岐阜県)]

2015年の年の瀬も迫ったある日、飛騨高山方面に出かけました。
いろいろ所用があったためですが、ついでにいくつかの神社めぐりを実行。
そのレポを順次アップして行きます。

岐阜県高山市、丹生川町新張の日枝神社。
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信州から安房峠を越えて飛騨の国へと通じる国道158号は
高山市街地へ入る手前、丹生川支所を過ぎたところで南へ折れますが、
これを直進して国府のほうへとしばらく走ると車窓左手に同社が見えてきます。

鎮守の杜に守られた、こじんまりした境内。
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社務所。
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境内社。
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拝殿。
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訪れた日は未明に降った雪がうっすらと積もった状態。
児童公園も兼ねたような境内の様子はけっこう好きかも。
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集落にどのくらいの子供たちが暮らしているのか分かりませんが、
鎮守の杜で狛犬さんに見守られながら遊びにふける子供たちの姿って
郷愁を誘われるような風景です。

さて、そんな狛犬ですが、拝殿前に一対。
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平成14年9月吉日建立の岡崎現代型。
しかし同社の主役は当然ながらこの子たちにはあらず。

主役は覆い屋のトタンに囲まれた本殿の縁側に座っていました。
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そう、狛犬ではなくお猿さん。
しかもデザイン的に見て、お猿のはじめちゃんと解釈してもいいでしょう。
じっさいネットではそのように紹介されている情報が出ていますね。

雌雄がしっかりあるようで、本殿向かって右は雄、同左は雌。
いづれも片膝を立てた姿が仏像の半跏思惟像を想起させます。
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雄は手になにか抱いています。
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子猿かなという印象ではありますが、棒状(巻物?)のようなイメージも。

一方のメスはおっぱいがしっかりデザインされています。
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ということで考えれば、雄の手元はやはり子猿と考えるのが自然ですかね。

顔の彫りは素朴ですが、猿のそれと分かるしっかりとしたもの。
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いづれにしても、神殿はじめ狛犬のメッカともいえる飛騨地方にあっても
特殊といえるお猿さんのはじめちゃんは大変貴重な存在だと思います。

背中に裏書きがあるかなと思ったのですが、目にできる範囲では確認できず。
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はじめちゃんは足座の裏側に建立年など彫られているパターンも少なくないので、
あるいはひっくり返すと何か出てくるかもしれませんね。
求む追加情報、ということで。

取材は昨年暮れのことですが、申年一番の記事エントリーとして
相応しい子たちかなと思い、元日の今日アップさせていただきました。
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(取材日:2015年12月29日)



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松本型狛犬との類似性? [狛犬・寺社(東京都)]

10月の東京狛犬取材ツアーで巡った神社は4社。
(ほぼ半日ではこのあたりが限界)

昼間に他の仕事を済ませつつ、夕暮れ時にかろうじて訪問できたのがこちら。
東京都目黒区、下目黒の大鳥神社。
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山手線目黒駅から権之助坂を西へと下った先、
都道317号との交差点角に鎮座している神社で、
江戸期には目黒不動、金比羅権現と並び目黒の三社様と呼ばれていたそうです。

境内はきれいに整備されていて、いかにも都会の神社。

ご祭神は日本武尊。
相殿として国常立尊と弟橘媛命。

境内の由緒書きによると同社の由来は景行天皇時代に遡るそうで、
日本武尊に所縁が深く、社号も尊に由来するもののようです。
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立派な拝殿、そして本殿。
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末社の目黒稲荷神社。
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社務所。
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神楽殿。
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庚申塔(青面金剛像)など。
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片隅には切支丹灯篭なるものがありました。
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さて、狛犬です。
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今回の時間が限定される取材ツアーで同社の狛犬をチョイスしたのは
この子の画像を下調べ中に見かけたことによるのですが。
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この表情、というかたてがみの様子。
左右にぐわっと広がるたてがみのデザインは、松本型の狛犬を想起させます。

というか、狛犬のアップ画像だけを見せられたりしたら
松本エリアのどこの神社だろう?と思ってしまうかもしれないほど。

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『大正五年(1916)九月吉日』建立。
『溝口石工 内藤慶雲』とあります。

内藤慶雲は川崎市の溝ノ口を中心に仕事をしていた石工とのことで、
この名前の刻まれた狛犬も都内や川崎市内などに数多く残っているそうですね。

ただ、それらの狛犬は作風の大きく異なるものが多く、
内藤慶雲の名を用いた作品は複数人によっているというのが通説のようです。
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松本型狛犬というのは基本的に江戸狛犬の流れにあるものと位置付けできますが、
その殆どは現在も松本市内で営業されている田近石材店さんの
当時の親方(二代目の田近勝之助など)の手によるもの。
そんななか、安曇野市下鳥羽の大同神社に居る松本型狛犬一対だけは、
白鳥文治郎(ほか2名)の名前が台座に彫られています。
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(↑安曇野市下鳥羽の大同神社にいる狛犬。以前の取材記事はこちら

大同神社の子は松本型としては典型的なデザインですが、
その特徴であるたてがみのワイドな広がりもさることながら、
胴体の皮膚というか体毛を表現しているのであろう鑿跡の様子が
内藤慶雲作の大鳥神社の子達と非常に似通っています。
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(上が大鳥神社の狛犬。下が安曇野の大同神社の狛犬。)

このような鑿の入れ方が狛犬制作の技術として珍しくないのか否か、
自分はまだそんなに数多くの取材を重ねたわけではないのでよく分かりません。
ただ、これまで500対近く出会った狛犬のなかでは、
この感じの鑿跡は大同神社とこの大鳥神社の2対のみしか見た記憶がありません。

尾のまとめ方も違うといえば違うかもしれませんが、
先入観を持った目で見てしまうとつい両者似通って見えてしまいます。
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(同じく上が大鳥神社、下が大同神社。)

顔の向きを含め細かな相違点も認められますし、
今回たまたま似たようなデザインの子に巡りあっただけかもしれません。
ただ、たてがみだけでなく子獅子の顔つきや鞠といった似たデザインを見てみると、
単純に偶然では済ませられない印象を感じてしまうのも否めない事実。
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(同じく・・・以下略w)

じつは以前より大同神社の狛犬は白鳥文治郎作ではないのではないかという疑念があり、
余計にそうした受け止め方をしてしまったのかもしれません。

まさか大鳥神社の子達を作った内藤慶雲が、安曇野の大同神社の子達までも・・・?

大同神社の子達が大鳥神社の子達と同じ大正5年建立というのは、偶然?

ちなみに大同神社の子が白鳥文治郎と違うのではという疑念の理由は
大同神社の子以外の松本型狛犬はすべて田近氏の制作であるということと、
田近氏作の別の神社の狛犬と作風があまりに似すぎているということ。
そして白鳥文治郎の名が刻まれた大同神社以外の狛犬を2対知っていますが、
そのいづれも岡崎現代型で自身の手によるものではないことなどから。

そんな以前からの疑念に加え、今回新たに大鳥神社の内藤慶運狛犬が加わり、
これらの狛犬たちの出自に関する関心がますます高まってしまいました。

続報があれば、また追々記事にして行きたいと思いますが、
また次に東京方面でじっくり狛犬取材をする時間が取れれば、
内藤慶雲のその他の狛犬を幾つか見て巡ってみたいとも考えています。
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以上で10月15日取材ツアーの記事は終わりです。

(取材日:2015年10月15日)



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素盞雄神社の獅子山と狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

東京都荒川区南千住の素盞雄神社。
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先日の東京日帰り取材ツアー(仮称?)にて
限られた時間内でどの神社を巡ろうかと思案した結果、
前から会いたかった獅子山の狛犬がいるところへ、というわけで訪れてみました。

所在地の千住は日光街道の初宿。
その南側に出来た宿場町が町の起源とのことらしく、
隅田川を渡る手前に鎮座しているのが同社。
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御祭神は
素盞雄大神と飛鳥大神。
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旧日光街道に面した側の鳥居をくぐると参道両脇に灯篭・・・の遺構?
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灯篭だったのかなんなのかよく分かりませんが、
災害か何かの影響で本体が失われたのでしょうか。

台座のレリーフにいる狛犬のデザインがいいですね。
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参道を進むと右手奥に参集殿。
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突き当たりにそびえるのは地元で有名な大銀杏だそうで。
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御社殿正面は左に回りこんだ先。
拝殿。
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神楽殿。
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境内社。
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境内には富士塚がありましたが、瑞光石という名の由緒書きが。
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瑞光石はご祭神が降り立った場所で、幕末になって富士塚を築き
浅間神社が祀られることになったのだそうです。
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そしてこの浅間神社ここに狛犬が一対。
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なかなか素朴な時代を感じさせる狛犬。
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残念ながら脚部など一部に欠損が見られますが、
頭部にくぼみを持つなど江戸中期までの狛犬にしばし見られる特徴も確認できます。

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足座部分に文字が刻まれていて、建立年を記しているようなのですが判読できず。
ネットに出回る情報によると宝暦10年(1760)という解説がありました。

さらに荒川区有形民俗文化財指定の庚申塔群の前にも
黄色い前掛けが印象的な狛犬がいました。
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社殿正面、境内南側に立つ鳥居をくぐった場所に、さらに狛犬一対が。
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文化五年(1806)戊辰閏六月吉日、建立。
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決して大柄ではないですが厳しい表情と分厚い胸板が迫力を感じさせるのと、
たてがみがけっこう長めなのが印象的ですね。
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特徴なのは頭頂部の様子。
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頭に窪みを持つデザインは江戸期の狛犬に見かけますが、
阿形は窪みがあるように思われつつ逆に突起しているようにも見え、
吽形は窪みの中に小さな石のつぶてがあるようにも見えます。
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台座の文字。
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「新吉原角町松葉屋半蔵」。

松葉屋は吉原の有名な引手茶屋とのこと。
自分は全然知らなかったのですが、平成の御世となるまで
その後継となる店が存続していたのですね。
もちろんかつての茶屋としてではなく、吉原の芸者衆によるお座付きや
花魁ショーなどの形で江戸文化の保存継承の役割も担う現代的な事業としてですが。

ところでこの狛犬の台座に「昭和10年」の年号と「市勢久次郎」の氏名が記されていました。
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なにかの事情から復献したとかそういうことになるんでしょうかね?
銘文の事由がよく分からないです。

そして最後に拝殿正面に鎮座する獅子山。
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立派なお山に立派な狛犬たちの姿。
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事前にネットで紹介されている情報で少し予習していましたが、
なるほど高い評価を得ているだけのことはある獅子山だと思いました。
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胴体や表情の彫りは極端な凝った部分を見せていないですが、
なにより持ち上げた尻部から立ち流れる尾のデザインというか
技術が素晴らしいと思います。
イメージとしては山の頂上に吹く風になびく尾とたてがみ、って感じでしょうか。

背後というかお尻側から見た姿も堂々としたものです。
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この角度から見ると尾の造形の良さがよく分かりますね。

また、自分が「おっ?」と思ったのは吽形の親獅子の目。
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正面から観賞しているとさほど感じなかったのですが、
その直下にいる子獅子との関係を撮ろうとアングルを探っていた時、
親獅子の視線が子獅子のほうに向けられているような印象を持ちました。

目玉は、まあ着色されていてその黒目の向きが少し下方に向けられている感じで、
考えすぎかもしれませんけどなんとなくほのぼのした印象でいいなと思った次第です。

建立年代の詳細は不明ですが、
狛犬の杜別館さまのサイトにあった情報に依れば
推定ですが明治22年以降の建立ではないか、とのことでした。
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この日の取材ツアーは時間の都合で他の訪問予定地やその他スケジュールを考えると
足を運ぶのは躊躇われていたのですが、
この獅子山はじめ境内の狛犬たちに出会うことが出来、
断念することなく訪れてよかったと改めて思うことができました。

素盞雄神社HP



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三社様の狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

いまや世界的な観光スポットとなった
東京台東区浅草、浅草寺。
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の、本堂東隣に鎮座する浅草神社。
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土師真中知命(はじのまつらのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)

社伝による創建の伝承はいろいろ物語があるようですが、
実際は平安末期~鎌倉期にかけて祭神の後裔が
崇祖の思いから創建したものであろうとされているようです。
詳しくはこちらの由緒書き、または同社HPへ。
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浅草神社HP

狛犬ですが、同社には自分が確認しただけで三対います。
まず正面鳥居をくぐって拝殿に向かう途中の一対。
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がっしりした石組みの上に蹲踞する江戸獅子。
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足座がなくそのまま石組みに本体が据えられていて、
石組みにいろいろ文字が刻まれています。

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「天保七(1836)丙申三月」。
建立や奉献の文字はないですが、
まあこれを建立年と考えて差し支えないでしょう。

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「山川町大工虎五郎」。
山川町というのはかつて浅草にあった町名のようですね。

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「象潟町 大岩」。
象潟も浅草にかつてあった町名のようです。
こちらが石工さんの名前になるのでしょうか?
などと思っていると別の石にも文字が刻まれていました。

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「田町 文三郎」。
こちらも町名と名前のみで奉献主なのか石工なのか判然としません。

詳しく調査したわけではないのでなんともいえませんが、
常識で考えて大工がこれを彫り上げたとは想像できないので
少なくとも虎五郎は奉献主と置いて差し支えないと思います。

では田町の文三郎と象潟町の大岩が石工かどうかの検証ですが、
刻まれた名前のパターンからすれば文三郎が虎五郎とともに献主で
大岩を石工と考えるのが普通のような気もします。

ネット上でも、とくに狛犬の杜別館さんに詳しい解説付きで掲載がありましたが、
やはり石工=象潟町の大岩、献主=田町の文三郎&山川町虎五郎、
となされていました。

ただ、奉献主として並ぶ両名の名前のうち、
虎五郎は台座上部に横書きで、文三郎は石工であろうとされている大岩と
同じようなデザインパターンで縦書きによって施されています。
どうもそのへんが自分的にしっくり来なくて、でも資料不足なのでなんともいえず。
もしかして自分が知らないだけで“象潟町の大岩さん”というのは
石工さんとして史料にも名をのぞかせている人なのかもしれませんが。
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次に拝殿前の一対。
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三段組のしっかりした台座の上にブロンズ像の蹲踞タイプ。
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台座に献主と奉献事由、建立年が記されています。
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「浅草神社社殿復元記念 三社睦会 昭和三十八(1963)年五月」。

浅草神社の本殿及び幣殿、そして拝殿は国重要文化財指定。
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社伝によると本殿などは慶長2(1649)に将軍家光公により建立寄進とあります。
その復元ということですから、なにか大改修でもあったのでしょうかね。

ちなみにウィキペディアでは重文指定を昭和36年としているのですが、
同社HPでは昭和26年となっています。
おそらくウィキの誤記だろうと思い、文化庁のデータベースで念のためチェックしたら
昭和21年指定とありました。・・・はてさて、どゆこと?

三対目は同社に限らずこの日の取材ツアーでもっとも出会いたかった一対。
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参道や拝殿前ではなく、すでにご隠居さんとして境内の一角にて
静かに余生を過ごしているといった感じの一対です。

夫婦狛犬として紹介されているようで、由緒書きが用意されていました。
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ここにも書かれていますが、足座の部分に文字が刻まれていまして。
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「諸願成就」

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「品川町裏河岸 鈴木平吉」

石工名と建立年は残念ながら刻まれていないようです。
上の由緒書きでは1600年代後半~1700年代前半と推定していますが、
まあおそらくその頃の可能性がもっとも高いと自分も思います。

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同時代の江戸狛犬は数多く取材したわけではないですが、
スタンダードなデザインといっていいのではないでしょうか。

この子の存在を知り、いつか会ってみたいと思ったのには理由があって、
それは穂高神社若宮社の狛犬たちのルーツを知る手がかりになるのではと思ったから。
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若宮社前の狛犬一対は明和6年の制作で、
江戸で作られて穂高神社まで運ばれてきたことは判っているのですが、
具体的な出生の状況(彫った石工さんとか)までは情報がハッキリしません。

本ブログ(2013/01/13)穂高神社の記事

浅草神社のこの夫婦狛犬と称されている子たちは、事前にネットに出回る画像を見る限り
穂高の子たちと大きさや全体の造形が似通っている印象があったため、
ひょっとするとなにかしら繋がりがあるのでは?と期待して訪れてみたのですが。。。
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結論から言って、まあ当然かもですが、とくに手がかりになるようなことは何も無し。
全体の大きさなどはたしかに似ているところはありますが、
細かなデザインはぜんぜん違いました。
頭部の窪みが両社の狛犬ともに存在する特徴とはいえ、
この子たちに限らず江戸中期の狛犬にはよく見かけるものですし、
だいいち穂高神社の子は首を振っていますが、この夫婦狛犬は正面を見据えています。
劇的な展開も多少は期待しましたが、残念ながら同一石工さんではないでしょう。
いづれにしても石工名が残っていないのは惜しいですね。

ただ、年代的にそう遠くない時期に制作された両者だろうと思います。
穂高の子達の奉献主が江戸深川在住の商人だったことを合わせ考えると、
同じ石工さんの作品ではないにしても、浅草のお宮で楽隠居(?)中の夫婦狛犬さんたちとは
ひょっとしたら親戚筋に当たるかもしれない、、、、とか、いろいろと楽しい妄想はつきません。

ところで足座の側面側に刻まれている文字についてですが。
まあ文字の内容は上にも書いた通りで、それはべつにいいんですけど、
現在置かれている状態で阿吽とも向かって左手側面に文字があるのです。
151015asakusa71.JPG
つまり、元あった状態に阿吽の顔が向き合って正対していたとすると
阿形は参道手前側に文字があり、吽形は参道奥側に文字があったことになります。

また、顔が正対せず参道に対して平行に据えられていたと考えると、
阿形は参道内側に文字が向き、吽形は参道外側に文字が向いていたことになります。

まあ狛犬に文字を刻む位置程度、どうでもいいっちゃあそうなんですが、
それが全く異なる内容同士ならまだしもなんですが、
同じ奉献主の名前の刻字だったので、なんとなく違和感を覚えた次第です。
151015asakusa36.JPG

さて、本殿の北側に末社の被官稲荷社へと移動。
社殿前にお約束の狐さんがいました。
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151015asakusa51.JPG151015asakusa52.JPG
手にしているのは鍵のようですが、房付きの立派な仕様ですね。

同社の由緒はこちら。
151015asakusa49.JPG
江戸後期の町火消しとして有名な新門辰五郎ゆかりの社ということのようです。

小ぶりな一間社流造の本殿は幕末に祀られて以降、
関東大震災も東京大空襲も無事に生き長らえた、貴重な社殿とのこと。
151015asakusa53.JPG

ところで浅草神社は浅草寺の本堂すぐの位置に隣接しています。
その浅草寺の境内一角に恵比須・大黒天堂という小さなお堂があり、
本尊の石像は江戸前期の作とされているそうなのですが、
そのお堂の前にも小ぶりで可愛らしい古い狛犬さんが一対鎮座しています。
151015asakusa55.JPG
151015asakusa57.JPG

阿吽で正面に向き、少し顔を持ち上げているような格好で蹲踞していました。
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151015asakusa60.JPG151015asakusa61.JPG

先ほどの浅草神社の夫婦狛犬とどことなく雰囲気は似ており
制作も同年代くらいかなという印象も在ります。
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151015asakusa64.JPG151015asakusa65.JPG

その制作年、ネット上の情報では延宝三年との話が一部出回っていましたが、
お堂脇の由緒書きでこの年代が示しているのは恵比須と大黒天の石像のことで、
この解説を読む限りでは狛犬まで含まれるとは考えづらいところです。
151015asakusa56.JPG

自分が見た限りでは狛犬本体にそれらしき刻字がありませんでした。
もしかしたら赤い前掛けをめくってみたらお腹あたりに刻まれていたのかどうだか。
あるいは寺に残る古文書などにはその旨が明記されているけれども
現地の由緒書きではたまたまそこまで明示されていないだけ、なのかもしれません。

いづれにしても、見た目の印象から江戸中期頃の作品ではなかろうかと
自分も考えるところではありますけれども。
151015asakusa66.JPG151015asakusa67.JPG

浅草寺界隈はまたしてもゆっくり楽しむことができませんでした。
前回訪れたのはもう9年近く前の初詣。
二年参りで死ぬ思いをしながらの参拝だったりしたので、
そのときは落ち着いて浅草を楽しむこともなく。
そして今回もまた日帰り所用のついでに敢行した取材だったため
狛犬の撮影以外にほとんど時間を使うこともなく退散してしまいました。
ホントは仲見世あたりでもう少しゆっくりしたかったのですが。

とくにこの仲見世の様子の写真。
151015asakusa68.JPG
じつはこの画像の右手には浅草寺本坊の伝法院があるのですが、
その仲見世に面した一角に立派な薬医門が立っています。
その薬医門、じつは松本市小俣の、とあるお屋敷に建てられていた門ということで
それが訳あって伝法院へと移築されたのだという話を以前にある方から伺いまして。
これは浅草に出向いたら写真を撮っておかねば、と思っていたのですが、
なんと現地に行くと同門の前のフェンスには何枚もの「写真撮影禁止」の張り紙。
理由は書かれていないのですが、ここは幼稚園の通用門がすぐ隣にあり、
もしかするとそのプライバシーの問題などからそうなされてしまっているのかもしれません。
真相は不明ですが、いづれにしても禁止の張り紙を無視してまで撮影できるほど
非常識な人間にはなれない自分なので、泣く泣く撮影は諦めた次第でした。

でも、ネットを見るとけっこう写真が出回っているんですよね。
そんなのを見ていると撮影してもなにも言われないのではと思ったりもしますが、
事情が分からないうちはやはり撮るのは躊躇われますし、仕方ないですね。

ということで、最後の一枚は伝法院の撮影不許可な薬医門の兄弟門だとされている、
安曇野市堀金岩原にある、大庄屋山口家の薬医門です。ご参考まで。
yamaguchike.JPG

(取材日:2015年10月15日)



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東京にいる手向山神社タイプ [狛犬・寺社(東京都)]

先日、とある所用で東京へ日帰りで出かけ、ついでに神社巡りをしてきました。
ということで突然ですが数回ほど東京の狛犬紹介を続けます。

東京都台東区鳥越の鳥越神社。
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JR総武線浅草橋駅から北へ徒歩約10分ほど、
都会の真ん中に鎮座しています。
151015torigoe18.JPG

境内外の歩道脇に掲示されていた区教育委員会の由緒書きによると
創建は白雉二年(651)。
ご祭神は日本武尊、天児屋根命、徳川家康。
社号の由来その他もろもろは以下をどうぞ↓。
151015torigoe13.JPG

社号標の揮毫は鳩山一郎。
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石造の鳥居をくぐると境内は左に折れ、
正面奥に立派な拝殿が見えました。
151015torigoe2.JPG
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本殿はこちら。
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西参道の鳥居。
151015torigoe5.JPG

境内社の志志岐神社はご祭神が豊玉姫命。
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穂高神社主祭神の穂高見命の長姉神であり、
神武天皇のおばあちゃんにあたる神様。

福寿神社。
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神楽殿(?)。
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手水舎。
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祖霊舎。
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社務所。
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狛犬は拝殿前に一対いました。
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銘板によると、昭和7年(1932)6月1日建立。
151015torigoe32.JPG151015torigoe31.JPG
151015torigoe36.JPG151015torigoe35.JPG
そして昭和25庚寅歳5月吉日修復とあります。
戦時中の空襲などで被災して復旧されたということなのでしょうかね?
修復理由は記載がなく、銘板は寄進者氏名がずらっとあるのみです。
151015torigoe34.JPG151015torigoe33.JPG
151015torigoe38.JPG151015torigoe37.JPG

デザインは見ての通り、奈良の手向山神社にいる鎌倉時代作といわれる
奈良市の文化財指定も受けている狛犬のコピーです。

大きさは大型の部類に入ると思いますが、図体のわりに頭の小さい点が特徴で、
吽形に角が付き、阿形が立ち耳で吽形が折れ耳の点もオリジナル同様です。
151015torigoe26.JPG151015torigoe27.JPG

銘板には「狛犬彫刻 八柳五兵衛」とあり、さらに
阿形には「施工者 加瀬又右衛門」、吽形には「施工者 高橋金三郎」とあります。

八柳氏は彫刻家とのことですが、八柳氏が原型を作り、
阿吽をそれぞれの石工が請け負ったということになるのか、
あるいは八柳氏が狛犬制作を手がけ、台座設置を含むその他の石工作業を
施工者の名がある2人が請け負ったということになるのか。
銘板に刻まれた肩書きから察すると後者のような気もするのですが。

靖国神社にいる籠神社型の狛犬も同じ八柳(恭次)氏の名が刻まれており、
そこにも別途石工の名(小澤映二)が刻まれていて、
靖国の子たちと同じようなシステム(?)で制作されたのかもしれませんが、
そもそも靖国の場合も彫刻家と石工の分業体制がいまいちハッキリしていないので
その点については今回もノーコメント。
なにはさておき、自分としては手向山神社のオリジナルをまだ取材していないので、
コピーながらもこちらで同デザインを拝見できたのは有意義なことでした。
151015torigoe24.JPG151015torigoe25.JPG
151015torigoe28.JPG151015torigoe29.JPG

あと手向山神社のコピーがここに存在する理由については、
インターネット上で少し検索した限りでは明確なものが見出せませんでした。
同社から直線距離にして2キロちょっとの程近い日本橋を守護する獅子像が
同じ手向山神社の狛犬を参考にしたとされていますが、
現在の日本橋が完成したのは明治44年ということですから、
そのへんの話がなにかしら影響と言うか背景にあったのではとも
考えられなくもないと思うのですが、、、考えすぎでしょうかね?

境内に張られていた台東区の神社マップ。
151015torigoe15.JPG
神社巡りの好きな人にはこういう地図は楽しくていいですね。
151015torigoe30.JPG

(取材日:2015年10月15日)



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算額のある神社の神殿狛犬 [狛犬・寺社(下高井郡)]

一ヶ月近く、更新がご無沙汰でした。
じつはまだ6月の北信シリーズが終わってませんw
続けます。。。

長野県下高井郡木島平村、往郷字中島の水穂神社。
20150608mizuho1.JPG
国道403号から県道451号に入り、
露天風呂が有名な馬曲温泉へ向かう道中にあります。

馬曲温泉に行く道すがら、振り返ると同社の杜がこんな感じに。
20150608mizuho25.JPG

境内正面は県道から一本脇道に入ったところからで、
朱塗りの両部鳥居の傍らに社号票。
旧社格は郷社のようです。
20150608mizuho2.JPG
20150608mizuho24.JPG

拝殿本殿ともに赤い屋根なのは、雪国仕様ってことでしょうか?
20150608mizuho3.JPG
20150608mizuho4.JPG

境内にこんな案内板がありました。
20150608mizuho5.JPG
日本独自に発展した数学を和算といいますが、
算額はその和算を絵馬にして神社や寺に奉納したものを指します。
自分はまったくといっていいほど算額について知識がなかったのですが、
数学を記した算額を奉納するというのは日本独自の文化なのだそうですね。
ネットで検索していたらこんな算額をテーマにしたサイトがありました。
http://www.wasan.jp/

このサイトの情報によると全国で820あまりの算額が存在し、
長野県下にもかなりの数の算額が存在しているようですが、
どういうわけか安曇野を含む中信地区には殆ど存在しないらしく、
故に自分が算額について疎かったのもそのせいだと思うことにしましたw。

ちなみに同社の算額は社殿内で拝観できませんでした。。。

以下、境内の様子。
20150608mizuho19.JPG
20150608mizuho6.JPG
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20150608mizuho8.JPG
20150608mizuho9.JPG
十一面観音の石像を神社の境内で見かける機会は少ないので新鮮な感覚。

さて、狛犬。
20150608mizuho10.JPG20150608mizuho11.JPG
参道狛犬は岡崎現代型が一対。
20150608mizuho12.JPG20150608mizuho13.JPG
20150608mizuho14.JPG20150608mizuho15.JPG
昭和11年(1936)11月3日奉献。
献主や宮司と思しき人物名などは台座に記載あるのですが
文字は読み取りづらくなっており、石工名については記載自体なさそうです。
20150608mizuho16.JPG20150608mizuho17.JPG
20150608mizuho18.JPG

オリジナルは居ないのだな、などと思いつつ、
境内社を覗き込む・・・もとい、参拝すると
社の前に小さな狛犬たちたいました。
20150608mizuho20.JPG
20150608mizuho21.JPG
なぜか阿吽が左右反対の作。
20150608mizuho22.JPG20150608mizuho23.JPG
埃をかぶっていて判りづらいのですが、
木製のようでもあり、陶器のようにも見えます。

算額が見られなかったのは残念ですが、
どこかで見る機会があるかな?
20150608mizuho26.JPG

(取材日:2015年6月8日)



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診療所の時計台とコラボ? [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡木島平村、上木島の火の見やぐら。
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国道403号沿いで、対面に大町区民会館と消防倉庫らしきものがありました。
20150608oomachi6.JPG

4脚柱の中層タイプ。
少しひん曲がった避雷針付8角形屋根に丸型見張り台。
20150608oomachi2.JPG
屋根尖端に蕨手はなし。

踊り場は脚柱内で最小限の大きさ。
20150608oomachi3.JPG

脚部は正面のみアーチでその他は方杖のようなデザイン。
20150608oomachi4.JPG

そしてハシゴは地面まで伸びておらず、上り始め部分は
たまに見かける足掛けフックを利用することになっています。
20150608oomachi5.JPG

隣接している建物は村の診療所。
20150608oomachi7.JPG
時計台の塔が設けられているのは火の見やぐらを意識してのことでしょうか。
おそらく、そうではないとは思いますが。

(取材日:2015年6月8日)




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山里の村境を守る火の見やぐら [火の見櫓(下高井郡)]

前エントリーの山ノ内町(たぶん)北限の火の見やぐらから
国道403号をさらに北上すると同町の裏落合集落。
そこから目の前の谷越しに対岸に見える集落に目を向けると
一基の火の見やぐらの聳え立つ姿を見つけることが出来ます。
20150608nukasen1.JPG20150608nukasen2.JPG
谷向こうに見える集落は、
長野県下高井郡木島平村上木島の糠千地区。

20150608nukasen3.JPG
屋根上部の避雷針は失われていますが、
塗装はきれいで輝いて見えます。

踊り場にスピーカーがにぎやかに装備されていますが
見張り台には木槌の存在も確認でき、
まだ打鐘されているのかなと期待も膨らみます。
20150608nukasen4.JPG
20150608nukasen5.JPG

脚部は正面側のみアーチで足元まで伸びているのがいいです。
20150608nukasen6.JPG

火の見やぐら近くの交差点角にポンプ置き場が設けられていました。
20150608nukasen7.JPG

鄙びた農村に立つ火の見やぐら。
あぁ、日本の田舎の風景ですなぁ。
20150608nukasen8.JPG

(取材日:2015年6月8日)



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山ノ内町北限か? [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡山ノ内町夜間瀬、表落合消防器具置場の火の見やぐら。
20150608omoteochiai1.JPG
中野市方面から国道403号線を北上した表落合地区の国道沿いに立っています。

ここから少し走ると間もなく木島平村に入ってしまう場所。
山ノ内町の北の端は別の場所のほうが突出していますが、
火の見やぐらの立ちそうな場所としてはここらあたりしかないと思われ、
ここが山ノ内町内の火の見やぐらの北限ではなかろうかと推測。

4脚柱でやや細身。
20150608omoteochiai2.JPG
8角形屋根+丸型見張り台はこの地方でよく見かけるパターン。
屋根の先端は蕨手仕様。

脚部から踊り場直下までは直線的な絞込みで、
そこから最上部にかけては真っ直ぐ伸びきっていますね。
20150608omoteochiai3.JPG
20150608omoteochiai4.JPG

足元にくっついていたコレ。
20150608omoteochiai5.JPG
旗竿挿しのような感じもしますが、なんでしょうかね?

全体に塗装の剥げ具合がやや目立つのが気になります。
20150608omoteochiai6.JPG

山ノ内町(たぶん)北限の称号を守り続けてほしいものです。
20150608omoteochiai7.JPG

(取材日:2015年6月8日)



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