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取り残された火の見やぐらの台柱、続報 [火の見櫓(安曇野市)]

今年の1月にエントリーした記事、「取り残された火の見やぐらの台柱」。
かつて火の見やぐらの脚部を固定するために用いられた石の柱が、
3本あったうち1本のみとなってしまっていた、というような話でした。
img113.jpg150806koujindou4.JPG
上の写真左が台柱撤去ビフォア、右はアフター。

道路工事かなにかの影響で撤去されたのであろう2本は
工事業者がそのまま持ち出して処分してしまったのだろうと推測していたのです、、、が。

じつは今日、ひょんなことから残りの2本を見つけてしまいまして。
それが、こちら。
150806koujindou1.JPG
お分かりいただけただろうか?(←なぜか心霊特番ナレーション風w)

ここは同じ市内の同じ地区内、牧地区荒神堂集会所。
その門柱としてなんと再利用されていたのでした。

集会所はもとあった場所から西へ150メートルほど行った目と鼻の先。
しょっちゅう通っている道なのに、ぜんぜん気づきませんでした。

片方の柱には、たしかに“穂高町消防団”の文字が。
もう片方にはもともとなにも刻まれていなかったようです。
150806koujindou2.JPG150806koujindou3.JPG

もともとあった場所よりもいくらか高めに据えられている様子です。
火の見やぐらの台柱としてならある程度の深さが必要であったでしょうが、
門柱で支えるものがなく、倒壊の心配がない程度に埋設は浅く出来るでしょうから、
門柱らしくなるべく背を高く立派に据えたのかもしれません。

火の見ヤグラーとしては元の場所に3本並んで立っているのが理想でありますが、
必要から単純に撤去処分にしてしまわず、このように地域の集会所の門柱として
再活用をしてくれているのも、これはこれでほっこりします。

御影石を門柱に使用した施設や民家は安曇野に数多く存在しますが、
火の見やぐらを支えていた柱を利用したというのはなかなかないでしょう。
ただの門柱としてではなく、地域防災、地域づくりのシンボルタワーでもあった
火の見やぐらの存在を後世に伝える遺構として、大切に残されて欲しいものです。

(取材日:2015年8月6日)



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