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とうとう解体作業が始まりました [火の見櫓(松本市)]

以前から何度か記事に取り上げてきた、松本市中央の火の見やぐらの解体問題。
2014.01.22.chuou.JPG(2014年1月22日撮影)

消え行く運命
カタクラモール再開発と火の見やぐら」(別ブログ「まちづくり・・・安曇野暮らし」)
カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後

カタクラモール再開発に伴い、カタクラの借地に建っていた
松本市消防団第3分団の屯所が土地明け渡しを求められたことから移転することとなり、
同敷地に立っている火の見やぐらが解体撤去されることになったという話で、
当初は昨秋予定の工事だったものが少し延びていたようですが、
今日現場に足場が組み立てられ、いよいよ解体工事が始まってしまう状況となりました。
2015.02.26.chuo1.JPG
2015.02.26.chuo2.JPG

松本へは普段用がなければ出かけることもないため、あやうく気づかぬまま
解体が進行するところでしたが、火の見ヤグラー師匠の透明タペストリー、U1教授から
今日連絡が入りまして。運よく仕事で出かける所用があったので寄り道して
夕方に小雨降るなか、最後の雄姿を見届けてきました。

大正15年建設という、現存の火の見やぐらとしてはかなり古い年代のもので、
全国に数箇所ある登録有形文化財の火の見やぐらたちと比べても
そん色ない希少価値を持っていると考えられます。

火の見やぐらの保存活用について市に提案した結果、
解体は変更できないものの図面保存と現物の一部保存をする方向で
市が動いてくれたため、かすかな記憶と記録は残されることになりましたが、
やはりそこにあるべきものが失われてしまうという寂しさは禁じ得ません。

デザイン的には特別装飾に凝ったものではありませんが、
既存のホース干し用のフックなど見ると、さり気ない飾りが施されているのが分かります。
2015.02.26.chuo3.JPG

今は周囲にビルも建ち、電柱や電線も邪魔して街路の彼方からは少し見えづらいですが、
周囲が木造2階建て民家ばかりだったであろう建設当時には非常に目立ち、
防災だけに限らない地域住民のシンボルタワーとして圧倒的な存在感があったと思います。
2015.02.26.chuo4.JPG

そちらこちらは近隣に新たに建設された消防団屯所。
背後にホース干し塔がひょろっと立っているのが見えます。
2015.02.26.chuo5.JPG

すでに解体の話が固まってしまった後でのアクションであったため、
そうした話題が出る前に動いていればあるいは、という思いもしているため、
非常に残念な思いではありますが、まったく無に帰してしまうよりは
上記のように行政当局にその価値について一定の理解を示してもらえたことは
今後の火の見やぐらの文化遺産としての価値啓蒙の上で
ささやかながらも価値ある一歩だったと考えるようにしたいと思います。

それにしても、、、あぁ、切ない(>_<)

(取材日:2015年2月26日)
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カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後 [火の見櫓(松本市)]

当ブログにて今年1月22日ににエントリーした火の見やぐらに関する記事。

消え行く運命

松本市内のカタクラモール一帯の再開発に伴い、
片倉工業が所有する土地に建っている消防団詰所が移転を余儀なくされ、
その移転に際して傍らの火の見やぐらが解体撤去されることになったという話。
2014.01.22.chuou.JPG
2014.01.22.chuou7.JPG
大正15年建設という、現存する火の見やぐらとしては歴史の古い
希少価値の高いやぐらということで何とか保存できないものかというのが
上記のブログの大筋で、その後関連ブログの「まちづくり・・・安曇野暮らし」にても
追加記事を6月にエントリーしました。

カタクラモール再開発と火の見やぐら

じつはこの上記ブログ記事と前後して、
松本市長宛てにメールを出しておりまして、内容は
「大正年代の火の見やぐらは貴重だから、例えばカタクラ側と協議して
新しいショッピングモールエリア内で保存再活用の道を模索できないか」
というようなもの。
もちろん自分なんぞが松本市長と面識があろうはずもなく、
市のホームページで一般募集している市長への手紙という投書コーナーを
利用しての意見提案だったわけなんですが、このたび
市のほうからその回答書が文書できちんと届きまして。

以下、その回答文書の内容を抜粋。

『消防第3分団の土地は片倉工業株式会社の土地を無償貸借しており、
火の見やぐらと詰所など建造物の所有&管理は松本市。
来年3月には構造物は撤去し、更地にして同社へ返却予定。
火の見やぐらは火の見の役割を終えており、新たな活用がなされていない、
老朽化による安全問題があるなどから、やぐらの活用を事業者に求めるのは困難。
・・・・・
但し、やぐらは大正15年築造で市内で最古の部類に入ると思われ、
形状も他の櫓とは趣を異にするものである。
現地での保存活用は難しいが、現状の図面作成や写真撮影による
記録保存調査を行うとともに、銘板など部分保存をし、活用方法を今後検討する。』

とまあ、抜粋というかほぼ全内容を要約したようなものですが。
結論から言うと、理想とする櫓のままでの保全は残念ながら無理ということです。
これは予算や民間事業者の事情もあるので難しいことは承知していました。
ただ、闇雲に解体撤去されて跡形もなく、人々の記憶からも消し去られてしまうような
寂しくも悲しい事態だけは回避できそうな"微かな可能性”だけは残されました。

記録画像や図面以外の実体として残されるのが銘板や半鐘だけなのか
あるいはその他の構造部位も相応に保存されることになるのかは
まだなんともいえませんが、少なくとも松本市行政として
火の見やぐらにほんのわずかでも関心を向けて頂いたことについては
前向きに捉えたいと思います。
もちろん、理想はやぐら全体の保全活用だったので、
寂しさが募るのは違いないのですが。。。

銘板とか半鐘などのちっちゃなパーツだけでなく、
もう少し容量の大きい、全体の何割かという形が認められるのであれば、
各地でたまにみかける見張り台&屋根部の保存転用などは
比較的現実的な話として可能性があるのではないかと思ったりもします。
近隣の実例では、大町市のあずまやへの転用例や、
山形村の小学校敷地への移転例などがあります。

大町市、宮の森自然園の見張り台転用例
山形村小学校に残る見張り台の移転例

というわけで、黙っていては解体撤去作業の際に銘板と半鐘だけ取り外して
あとの活用方法が見つからずに倉庫で埃にまみれるという可能性も無きにしも非ずなので、
今度はこの見張り台を半鐘とセットで新装カタクラモールの敷地に設置して、
来場する客のくつろぎスペースに活用するという提案を市にしてみようかと考えております。

(今回は同じ内容の記事を別宅ブログ「まちづくり・・・安曇野暮らし」でも掲載します。)
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松本市島内の火の見やぐら [火の見櫓(松本市)]

長野県松本市島内、小宮地区の火の見やぐら。
2014.05.27.komiya2.JPG
国道158号を市街から上高地方面へと走り、
下新交差点を北に入ってしばらく走ると右手に立っています。

小宮公民館の道路向かいの駐車場のような広場の隅に立っているのですが、
やはりもう使用されなくなって久しいのか、ずいぶん錆がきつく出ています。
2014.05.27.komiya3.JPG
2014.05.27.komiya4.JPG
2014.05.27.komiya5.JPG
半鐘もすでに撤去されてしまっているようです。

代わりに踊り場の手摺に手回しサイレンの装置が付けられていますね。
2014.05.27.komiya6.JPG

脚部のアーチが微妙な点を除けば悪いプロポーションではないと思います。
一歩引いた場所から周辺の家屋越しに見える様子もいい感じ。
2014.05.27.komiya1.JPG
ただ、いかんせん塗装の剥げ具合はいかんともしがたいです。
もったいないといえばもったいない。

(撮影日:2014年5月27日)


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銭湯近くの火の見やぐら [火の見櫓(松本市)]

松本市北深志の火の見やぐら。
2014.05.10.kitahukashi2.JPG
善光寺街道・・・に、正確に言って該当するのかどうか分かってないのですが、
松本のご城下から善光寺方面へと抜ける旧道のような存在の道路脇に立っています。
2014.05.10.kitahukashi1.JPG
松本城の北~北東部に位置する北深志地区の一角。
市街地のご多分に漏れず古い建物がどんどん撤去解体されて
町の様子が変化してきているようではありますが、
それでも昭和~大正・明治を感じさせる民家や商店も散見され、
古きよき城下町の雰囲気がまだ残っているかなという街角。
2014.05.10.kitahukashi3.JPG
2014.05.10.kitahukashi4.JPG
2014.05.10.kitahukashi5.JPG
4脚柱のタワー型なのですが、
どうもずんぐりむっくりという言葉が似合いそうな。

松本市の市街地に残る火の見やぐらとしては
以前エントリーした中央4丁目の火の見やぐらがありますが、
既報のとおり、こちらはカタクラモール再開発の絡みによって
間もなく解体撤去が確定しているやぐらのため、
市街地残存のやぐらとしてこの北深志のものはますます希少性が高くなってきますね。
この子もいつまで生き長らえることができるか、微妙なところではありますが。。。
2014.05.10.kitahukashi6.JPG

(撮影日:2014年5月10日)


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消え行く運命 [火の見櫓(松本市)]

北東北取材ツアーのレポートエントリーが続いていますが、
ここで臨時ニュースです。(←なんか変?)

今朝の信濃毎日新聞、そして市民タイムスの記事で
松本市の消防団屯所移転の話が載りました。
img065.jpg
移転計画があるのは、あがたの森公園にも程近い、
中央4丁目にある松本市消防団第3分団の屯所。
2014.01.22.chuou2.JPG
屯所移転の理由は土地の貸借問題。
まず屯所の建っている所が片倉工業という民間企業の所有地で、
松本市がこれを昭和13年より無償で借り受けているという場所です。
そして同社が運営する大型商業施設「松本カタクラモール」一帯の再開発計画が進行中で、
同屯所の建つ土地もその計画の中に含まれる場所であるため、
同社から屯所移転の依頼が数年前にあり、貸借契約の切れる今年11月末をめどに
12月からの新施設利用を目指すとのこと。
まあ無償で借りている土地となれば移転も致し方ないことでしょう。

カタクラモール一帯の再開発問題はいま松本市にとって大きな課題となっており、
行政だけでなく民間団体や市民活動のレベルでずいぶん前から
開発計画に対する積極的な提言や集会などが行われているところだったりします。
とくに計画用地のなかには松本の近代遺産と括られるべき、
旧片倉製糸紡績松本製糸工場(現カフラス)の建物も含まれていて、
それらの保存活用して欲しいという声も市民から少なからず出ています。
2014.01.22.chuou10.JPG
2014.01.22.chuou9.JPG

そんななか発表された屯所移転問題。
当然、自分的に気になるのは屯所の傍らにそびえ立つ火の見櫓の身の処し方。
2014.01.22.chuou.JPG
「解体撤去→ハイッ、おつかれっ!・・・の流れだろうなぁ~」と思いつつ、
いちおう念のため市役所の担当課に取材。
結果「解体した後は移転などは行いません。」ということでした、やっぱり(>_<)
2014.01.22.chuou3.JPG
新設される屯所の側では、ホース干し塔など現状の用途を満たすものを
新たに設けることになるとの回答で。
2014.01.22.chuou4.JPG 2014.01.22.chuou5.JPG
まあ確かに現状として火の見の使途がなくなってしまっている以上、
安くはないコストをかけてでも移設保存するというのは、
行政の常識からすれば考えられないことではあるでしょう。

ただ、火の見ヤグラーのはしくれとしては残念でなりません。

とくにこの櫓は大正15年10月製作ということで、
現存する鉄骨タワー型の火の見櫓としては全国レベルでみても
相当古い時代のものであるといえます。
2014.01.22.chuou7.JPG

国の登録有形文化財になっている鉄骨タワー型の火の見櫓は全国で数件あります。

福井県若狭町  木造   江戸期
京都府京都市  鉄骨造 大正12年
岡山県岡山市  鉄骨造 大正13年
石川県金沢市  鉄骨造 大正13年
岐阜県高山市  木造  昭和 7年
岐阜県各務原市 鉄骨造 昭和12年
静岡県富士市  鉄骨造 昭和26年

(下の画像は京都市竹田にある大正12年製の火の見櫓)
2013.04.06.takeda12.JPG

年代だけに限って言えばじゅうぶん登録有形文化財の資格があるといっていいかもしれません。
画像はないですが、金沢のものなどは上半分を切り取った状態でも文化財登録されていますからね。
この中央4丁目の火の見櫓は、デザインとしては松本界隈でよく見かけるスタンダードタイプですけど、
であればこそ地域の安全遺産の象徴として保存活用される道が
模索されてもいいのではないかなと思うのですが。。。
屯所移転+土地明け渡し+予算がないという三重苦の前には
一介の火の見ヤグラーの力ではどうしようもないのが切ないです。

せめて記録として在りし日の姿をとどめて置こうと思い、
ある日突然始まってしまうかもしれない撤去前にと、
今日仕事の合間、時間を作って現地に足を運んできた次第です。
2014.01.22.chuou11.JPG
2014.01.22.chuou8.JPG
2014.01.22.chuou6.JPG

(撮影日:2014年1月22日)


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駐車スペースにもなっている? [火の見櫓(松本市)]

松本市波田、下波田の火の見櫓。
2013.01.21.shimohata1.JPG
民家や堂、神社が建ち並ぶ古くからの集落の中心地。
7区公民館に隣接していて、下波田のバス停も火の見櫓正面に立っています。
足元には道祖神や秋葉様の石碑もあります。
2013.01.21.shimohata5.JPG
2013.01.21.shimohata6.JPG

2013.01.21.shimohata2.JPG
隣に立つのは山車の保管庫でしょうね。
波田地区のことはあまり詳しくないのですが、
鎮守の神様のお祭り日にはここから山車が運び出されるのでしょう。

見張り台にはラッパのようなスピーカーがうじゃうじゃ。
2013.01.21.shimohata3.JPG

踊り場は2段になっていて、下段側は脚内の半分ほどの面積。
2013.01.21.shimohata7.JPG

足元の4面のうち道路側のみアーチ状に仕上ています。
2013.01.21.shimohata4.JPG
こういう場合、たいてい梯子は脚内に付いているための進入口になっているのですが、
ここの梯子の脚部は外部側に設置されています。
ベースのコンクリートを見ると法を取っているので、
駐車スペースとして活用されている(いた)ようですね。
たしかに、背丈の高いタイプでなければ入庫できそうな感じです。

(撮影日:2012年12月27日)


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正統派半鐘付きのホース干し塔 [火の見櫓(松本市)]

このブログは狛犬と火の見櫓に特化したブログ。
休日だけでなく仕事で出かけたところで出会った狛犬や火の見櫓を記事にしていますが、
ちょっと油断していると取材したネタがどんどんたまってしまって焦ります。
それでも狛犬の場合はそう滅多に消滅したり移設されたりはしないのでいいのですが、
火の見櫓のほうは昨今の事情からいつ何時解体されてしまうか分からない状況なので、
取材から数ヶ月も経てしまうと記事にすることに若干の躊躇いがあったりもします。

2012.08.29.okada1.JPG
松本市岡田伊深。
ただし火の見櫓ではなくホース干し塔と称すべきタイプ。
なのでその存在目的からして当面消滅する心配はないかと思うので、躊躇い無くアップ(^^)

取材当日、近在の集落に火の見櫓を発見できなくて、
目の前に消防団倉庫があることから、きっとこの場所に火の見櫓があって
のちに現在のホース干し塔が建てられたのではなかろうかと、勝手に推測。
(間違ってたらごめんなさい。)

2012.08.29.okada2.JPG
半鐘をしっかり吊り下げています。

2012.08.29.okada3.JPG
役割からして合理的でシンプルなスタイルなのですが、
やはり見た目の美しさという点では正直なところ微妙な感じです。

(撮影日:2012年8月29日)


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松本市奈川の火の見櫓4(追加調査) [火の見櫓(松本市)]

数ヶ月前に奈川地区の火の見櫓を立て続けに調査紹介しましたが、
透明タペストリーにて先日、同じく奈川の火の見櫓が一気に紹介されて、
自分の見落としていた火の見櫓のあることが判明。
っていうか、奈川は現場通いの道すがらにあるものだけを見ていて、
通り道から離れた場所のチェックが今まで出来ていなかったので、
これを良い機会とばかりに2箇所ほど新規開拓をば。

神谷集落の火の見櫓。
2012.08.30.1.jpg
まるでロケットのようなスタイル。
屋根が特徴的なんですね。
同じ奈川村内でもこの手のものは他には見当たらない模様。
2012.08.30.2.jpg
2012.08.30.3.jpg
タワー型なんだけれども背が低くて、
見張り台が4角形なのに屋根は10角錐。
うーん、面白い。

黒川渡集落の火の見櫓。
2012.08.30.4.JPG
黒川渡は地域が広いのかな?
普段は奈川支所や子安諏訪神社のあるバイパスを使うので、
所謂旧道となってしまった黒川渡の中心地は走らなくなってしまい、
その結果見落としてしまった火の見櫓。

幹線道路から川を挟んだ対岸の集落内に発見。
2012.08.30.5.JPG
近づいてみると、普通の民家の敷地内のような、
すぐに民家で行き止まりみたいな路地の傍らに立ってます。

半鐘、でかっ!
2012.08.30.6.JPG
なんとなく、見張り台についていたものを下ろしてきたような。
ハシゴをよくご覧あれ。
途中で切り離して半鐘を叩くところまで斜め掛けに直してる。
2012.08.30.7.JPG
見張り台に上がるの、怖い。
いや、降りる時のほうが怖いか?
っていうか、もう上に上ることもないか。。。

赤錆が激しくて、予算がつけばあとは一気に・・・
という印象をどうしても抱いてしまうのがちょっと切ない。。。

(撮影日:2012年8月25日、28日)


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丸柱の火の見櫓@松本市大村 [火の見櫓(松本市)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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松本市大村の火の見櫓。
2012.08.04.1.JPG
タワー型の場合、柱などに使用される鋼材はL型が多い印象ですが、
これは珍しく丸型。
2012.08.04.4.JPG
2012.08.04.3.JPG
ブレースのターンバックルが標準的なリング式でないのも珍しい。

背丈はさほどではない、こじんまりしたタイプで、
細い路地が迷路のように入り組む地域のなかで
ひっそりと、という感じでたたずんでいます。
2012.08.04.2.JPG
頭頂部に避雷針があるのは分かるとして、
それに付属している丸いものはなに?
まさか擬宝珠??
思わず爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」を思い出しました。
2012.08.04.5.JPG
地域の子供たちが悪さをして櫓によじ登った過去があるのでしょうね、きっと。
分団名以外すべてひらがなで書かれているところが、
対象年齢を想像させてほほえましいというか、なんというか。
子供でなくても登ってみたい衝動に駆られますけどね。
・・・それはヤグラーだけか。


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小祠とツーショットの火の見櫓 [火の見櫓(松本市)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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松本市梓川の大宮熱田神社から程近い場所に立つ火の見櫓。
上の原北部地区集落センターの敷地内にあります。
2012.06.28.1.JPG(2012.06.27撮影。以下同じ)
左の祠とバランスをとっているかのごとく、控えめな高さ。

このテの高さの櫓は安曇野南部から梓川、安曇、奈川
といったエリアでけっこうみかけます。
まったく瓜二つなものもあれば、
似ているんだけれどびみょーに違うとか、いろいろ。
いづれにしても立地が異なるから見え方も変わって面白いものです。
2012.06.28.2.JPG
2012.06.28.3.JPG
塗装も近年施し直したのか、比較的しっかりしていますね。
半鐘の脇に木槌とゴム槌(?)がふたつも。
消防信号表示板が半鐘の位置にあるということを含め
かなり気合の入った印象。
いまでも半鐘が日常的に使われているのか、気になるところです。

気になるといえば、迂闊にも祠の神様がどなたなのか
チェックを忘れてしまいました。
近所を通ったら再訪したいと思います。


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