カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後 [火の見櫓(松本市)]
当ブログにて今年1月22日ににエントリーした火の見やぐらに関する記事。
「消え行く運命」
松本市内のカタクラモール一帯の再開発に伴い、
片倉工業が所有する土地に建っている消防団詰所が移転を余儀なくされ、
その移転に際して傍らの火の見やぐらが解体撤去されることになったという話。
大正15年建設という、現存する火の見やぐらとしては歴史の古い
希少価値の高いやぐらということで何とか保存できないものかというのが
上記のブログの大筋で、その後関連ブログの「まちづくり・・・安曇野暮らし」にても
追加記事を6月にエントリーしました。
「カタクラモール再開発と火の見やぐら」
じつはこの上記ブログ記事と前後して、
松本市長宛てにメールを出しておりまして、内容は
「大正年代の火の見やぐらは貴重だから、例えばカタクラ側と協議して
新しいショッピングモールエリア内で保存再活用の道を模索できないか」
というようなもの。
もちろん自分なんぞが松本市長と面識があろうはずもなく、
市のホームページで一般募集している市長への手紙という投書コーナーを
利用しての意見提案だったわけなんですが、このたび
市のほうからその回答書が文書できちんと届きまして。
以下、その回答文書の内容を抜粋。
『消防第3分団の土地は片倉工業株式会社の土地を無償貸借しており、
火の見やぐらと詰所など建造物の所有&管理は松本市。
来年3月には構造物は撤去し、更地にして同社へ返却予定。
火の見やぐらは火の見の役割を終えており、新たな活用がなされていない、
老朽化による安全問題があるなどから、やぐらの活用を事業者に求めるのは困難。
・・・・・
但し、やぐらは大正15年築造で市内で最古の部類に入ると思われ、
形状も他の櫓とは趣を異にするものである。
現地での保存活用は難しいが、現状の図面作成や写真撮影による
記録保存調査を行うとともに、銘板など部分保存をし、活用方法を今後検討する。』
とまあ、抜粋というかほぼ全内容を要約したようなものですが。
結論から言うと、理想とする櫓のままでの保全は残念ながら無理ということです。
これは予算や民間事業者の事情もあるので難しいことは承知していました。
ただ、闇雲に解体撤去されて跡形もなく、人々の記憶からも消し去られてしまうような
寂しくも悲しい事態だけは回避できそうな"微かな可能性”だけは残されました。
記録画像や図面以外の実体として残されるのが銘板や半鐘だけなのか
あるいはその他の構造部位も相応に保存されることになるのかは
まだなんともいえませんが、少なくとも松本市行政として
火の見やぐらにほんのわずかでも関心を向けて頂いたことについては
前向きに捉えたいと思います。
もちろん、理想はやぐら全体の保全活用だったので、
寂しさが募るのは違いないのですが。。。
銘板とか半鐘などのちっちゃなパーツだけでなく、
もう少し容量の大きい、全体の何割かという形が認められるのであれば、
各地でたまにみかける見張り台&屋根部の保存転用などは
比較的現実的な話として可能性があるのではないかと思ったりもします。
近隣の実例では、大町市のあずまやへの転用例や、
山形村の小学校敷地への移転例などがあります。
大町市、宮の森自然園の見張り台転用例
山形村小学校に残る見張り台の移転例
というわけで、黙っていては解体撤去作業の際に銘板と半鐘だけ取り外して
あとの活用方法が見つからずに倉庫で埃にまみれるという可能性も無きにしも非ずなので、
今度はこの見張り台を半鐘とセットで新装カタクラモールの敷地に設置して、
来場する客のくつろぎスペースに活用するという提案を市にしてみようかと考えております。
(今回は同じ内容の記事を別宅ブログ「まちづくり・・・安曇野暮らし」でも掲載します。)
「消え行く運命」
松本市内のカタクラモール一帯の再開発に伴い、
片倉工業が所有する土地に建っている消防団詰所が移転を余儀なくされ、
その移転に際して傍らの火の見やぐらが解体撤去されることになったという話。
大正15年建設という、現存する火の見やぐらとしては歴史の古い
希少価値の高いやぐらということで何とか保存できないものかというのが
上記のブログの大筋で、その後関連ブログの「まちづくり・・・安曇野暮らし」にても
追加記事を6月にエントリーしました。
「カタクラモール再開発と火の見やぐら」
じつはこの上記ブログ記事と前後して、
松本市長宛てにメールを出しておりまして、内容は
「大正年代の火の見やぐらは貴重だから、例えばカタクラ側と協議して
新しいショッピングモールエリア内で保存再活用の道を模索できないか」
というようなもの。
もちろん自分なんぞが松本市長と面識があろうはずもなく、
市のホームページで一般募集している市長への手紙という投書コーナーを
利用しての意見提案だったわけなんですが、このたび
市のほうからその回答書が文書できちんと届きまして。
以下、その回答文書の内容を抜粋。
『消防第3分団の土地は片倉工業株式会社の土地を無償貸借しており、
火の見やぐらと詰所など建造物の所有&管理は松本市。
来年3月には構造物は撤去し、更地にして同社へ返却予定。
火の見やぐらは火の見の役割を終えており、新たな活用がなされていない、
老朽化による安全問題があるなどから、やぐらの活用を事業者に求めるのは困難。
・・・・・
但し、やぐらは大正15年築造で市内で最古の部類に入ると思われ、
形状も他の櫓とは趣を異にするものである。
現地での保存活用は難しいが、現状の図面作成や写真撮影による
記録保存調査を行うとともに、銘板など部分保存をし、活用方法を今後検討する。』
とまあ、抜粋というかほぼ全内容を要約したようなものですが。
結論から言うと、理想とする櫓のままでの保全は残念ながら無理ということです。
これは予算や民間事業者の事情もあるので難しいことは承知していました。
ただ、闇雲に解体撤去されて跡形もなく、人々の記憶からも消し去られてしまうような
寂しくも悲しい事態だけは回避できそうな"微かな可能性”だけは残されました。
記録画像や図面以外の実体として残されるのが銘板や半鐘だけなのか
あるいはその他の構造部位も相応に保存されることになるのかは
まだなんともいえませんが、少なくとも松本市行政として
火の見やぐらにほんのわずかでも関心を向けて頂いたことについては
前向きに捉えたいと思います。
もちろん、理想はやぐら全体の保全活用だったので、
寂しさが募るのは違いないのですが。。。
銘板とか半鐘などのちっちゃなパーツだけでなく、
もう少し容量の大きい、全体の何割かという形が認められるのであれば、
各地でたまにみかける見張り台&屋根部の保存転用などは
比較的現実的な話として可能性があるのではないかと思ったりもします。
近隣の実例では、大町市のあずまやへの転用例や、
山形村の小学校敷地への移転例などがあります。
大町市、宮の森自然園の見張り台転用例
山形村小学校に残る見張り台の移転例
というわけで、黙っていては解体撤去作業の際に銘板と半鐘だけ取り外して
あとの活用方法が見つからずに倉庫で埃にまみれるという可能性も無きにしも非ずなので、
今度はこの見張り台を半鐘とセットで新装カタクラモールの敷地に設置して、
来場する客のくつろぎスペースに活用するという提案を市にしてみようかと考えております。
(今回は同じ内容の記事を別宅ブログ「まちづくり・・・安曇野暮らし」でも掲載します。)
拝見しました
by makimaki (2014-09-07 07:03)