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安曇野にいる、杉浦磯治郎の岡崎古代型 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市堀金、下堀の諏訪神社。
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諏訪神社はご存知諏訪大社を本社とする神社で、
全国各地で分社の数は1万有余社(※)といわれています。
(※=諏訪大社公式HPに拠る)

国道147号、豊科の新田交差点を西に向かって折れ、
広域農道に差し掛かる少し手前を北に向かって入った先に鎮座しています。
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広域農道の対面にはベイシアをはじめとするロードサイド店が立ち並んでいますが、
境内のすぐ東側には安曇野を代表する用水路「拾ヶ堰」が流れ、
境内の周辺一帯は安曇野らしい農村集落の景観が今もなお残されています。
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境内は界隈の神社のなかでもかなり広いほうではないかと思われ。
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神楽殿。
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社務所。
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拝殿。
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その拝殿の前に狛犬一対。
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紀元二千六百年記念(昭和15年/1940年)建立。
石工:岡崎市中町 石匠 杉浦磯治郎。

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教科書のお手本のような岡崎古代型ですが、
岡崎のなかでもけっこうスリムなボディではないでしょうか。

杉浦磯治郎は、岡崎の名工・酒井孫兵衛の直弟子として勤め、
のちに独立して岡崎石工のひとりとして狛犬の世界でも名の上がる人物のひとり。
自分は他の神社でまだ磯次郎の作に出会った経験はないですが、
地元岡崎を中心に各地に彼の狛犬は奉献されているようです。

昭和15年はご存知のように狛犬が全国各地で奉献された年で、
岡崎型の狛犬は古代型現代型問わず、相当もてはやされたのではと思うのですが、
あるサイトの情報によると、意外と同年生まれの岡崎型は少ないらしく。
同サイトでは「皇紀二千六百年(昭和十五年)製作の狛犬が無い」「未だ見つかっていない」
という表現が使われているので、昭和15年の杉浦磯治郎作であるこの子たちって、
ある意味けっこう貴重な存在なのかも。
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同社の取材は昨年10月、所用で近所までやって来た際に
少しだけ時間があったので、未訪問だったこともあってちょっと立ち寄ったという次第で。
なのでちょっと落ち着かないなかで取材したため(と言い訳しますが、)
本殿その他は例によって取材漏れでございます。
まあ安曇野の神社なのでいつでも取材できるので、
近いうちにまた改めて行ってみようと思っていますが。

(撮影日:2013年10月4日)


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長い参道の向こうに [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市三郷小倉、北小倉の白山社。
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北小倉は安曇野市南東部の西山山麓に広がる集落。
周囲はリンゴの産地として有名なところで、
北小倉集落でもリンゴ農家が多いということです。

北小倉はそのなかで上手村、中村、下村とみっつの小地区に分かれており、
上手と下の地区は集落の別の場所に建つ八幡宮が産土神で、
こちら白山社は中村地区のみの産土神とされています。

ご祭神:白山比咩(菊理媛命)

境内は道路沿いの一の鳥居を過ぎると杉木立のなか長い参道となっています。

ちなみに一の鳥居の扁額には「三社宮」と書かれています。
ゆえにグーグルマップなども三社宮の表記になっています。
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参道両脇には昭和9年(1934)に奉献された48基の石灯籠がずらり。
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拝殿。
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寛延2年(1749)に建てられた年季の入った建物です。

狛犬は岡崎現代型が拝殿前に一対。
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平成2年(1990)10月吉日建立。

本殿。
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一間社隅木入春日造。
天明5年(1785)建て替えの棟札が残っています。
彫刻が立派です。

ご祭神:白山比咩(菊理媛命)。

境内社。
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戸隠社、石尊大権現、神明社。

境内の傍らに、伝説のお池。
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昔々より、池の水を汲み出すと雨が降るといわれ、
旱魃の際に池をかき回して水を汲み出し、神様に祈ると必ず雨が降るといわれています。

画像にはないですが、
同社の舞台(山車)は装飾が立派で、市の有形文化財に指定されています。

山麓の鄙びたお宮ですが、歴史を感じさせる雰囲気がよかったです。
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(撮影日:2012年6月3日)


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霊峰岩木山を守護する玉垣狛犬 [狛犬・寺社(青森県)]

長らく連載してきた北東北2013夏の取材ツアーレポート。
いよいよ、というか、やっとこさ最終回となりました(^^;
数ヶ月間にも及んだレポートアップから、ようやく開放されますwww

その大トリを飾るのは、岩木山の南東山麓に鎮座する岩木山神社です。
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津軽国一宮で岩木山頂に奥宮を持ち、古くより農漁業の守護神として
地域の人々に崇敬されてきました。

ご祭神:
顕国魂神
多都比姫神
宇賀能賣神
大山祇神
坂上刈田麿命

由緒:
『昔から 「お岩木さま」 「お山」 と親しんで呼ばれ、 陸奥津軽の開拓の神、 農海産物の守護神、
また祖霊の座すところとして崇められている。 今から約1200余年前、
宝亀11年(780) 社殿を岩木山頂に創建したのが当社の起源であり、
延暦19年(800) 征夷大将軍坂上田村麿これを再建し、 別に山麓十腰内の里に
下おり居ゐの宮みやを建立して、 山頂を奥宮と称し、
寛治5年(1091) 神宣により下居宮を現在地に奉遷。
その後、 世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、
江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大造営が行なわれ、
近代には崇敬者の熱意を集めて、 建造物、 諸施設とも整い、
名実ともにその偉容を誇り、 畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、
農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、 とりわけ開運福の神として、
色々の宗派を越え、 深い信仰の源として厚く崇敬されている。』

さて、参拝&取材。

一の鳥居前の駐車スペースに車を止め、参道を歩き始めます。
上の画像では鳥居の合間から岩木山の姿が望めます。
この岩木山神社の参道って、岩木山そのものの登山道も兼ねているのだそうですね。

石造の二の鳥居。
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木造の三の鳥居。
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参道脇の守札授与所。
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茅葺の社務所。
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神橋を渡ると・・・
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国重文指定の立派な朱塗りの楼門がどんと控えており、
石段手前に一対の狛犬が居ました。
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紀元二千六百年(昭和15/1940)8月1日建立。
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護国神社系大宝神社タイプ、岡崎古代型の類型でしょうか。
吽形にしっかり角の付いているのが津軽地域で取材を続けてきたなかでは
けっこう新鮮な感覚です。

ここから石段を登って楼門をくぐって本殿に向かうわけですが、
その前に・・・
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石段上部は左右に玉垣が設けられているのですが、
その親柱の影になにやら潜んでいます。
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そう、この子達こそが今回の北東北ツアーでもっとも出会いたかった狛犬たち。
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玉垣狛犬などという類型で括られたりしますが、
玉垣にへばりつく狛犬自体が全国的に見ても希少価値があるうえに
デザインも独特で、およそ獅子のイメージとはかけ離れたものです。
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推測されていますが、建立年も不明なら作者もまったく分かっていません。
現在では狛犬として括られていますが、もしかすると狛犬のつもりで制作されたのではなく、
神社に関わる眷属か、または岩木山に住み着く天邪鬼かなにかのつもりで作られたのかもしれませんね。
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制作年は近世かなというふうに考えます。
残念ながら、楼門向かって左側の子の尾が一部欠損しているようですが、
玉垣と一体とはいえ体重を支える細腕など破壊されずに存在しているのが感動的ですらあります。

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さて、ようやく出会えた感動の余韻に浸りつつ
寛文7年(1628)建立で国重要文化財の楼門をくぐり奥へと進みます。

中門前に居る狛犬。
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建立年不明。
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台座の彫刻ですが、もしかして蟹!?
蟹じゃなければ、なに? なにかの花?

中門と瑞垣もまた国重文で貞享3年(1686)から元禄7年(1694)建立。
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基調の丹塗りと黒の対比が鮮やかですね。

拝殿。
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慶長8年(1602)から寛永17年(1640)建立。

妻にいるのは虎でしょうか?
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取材当日は修復工事でもしているのか、足場がかけられていました。

いったん瑞垣の外に出て、奥門と本殿を鑑賞。
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といってもほとんど屋根周りしか見えなかったですが。
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奥門、本殿もともに国重文で中門などと同様、貞享3年(1686)から元禄7年(1694)建立。

境内一角の白雲大龍神にも狛犬がいました。
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明治27年(1894)旧8月初日。

稲荷大明神にも狛犬。
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平成9年7月10日建立。
小ぶりな岡崎かと思いきや、奉献者名と並んで
『狛犬寄進
 (奉献者名:略)
 石工 大鰐町大字鯖石 佐藤連蔵 満
 台座寄進
 (奉献者名:略)
 石工 弘前市大字堀越 吉川義明』
とありました。
地元の石工が刻んだと考えられますが、
モデルにしたのはやはり岡崎であったかもしれません。
あるいは狛犬の調達と台座据付業者が異なっていたということかな?

このブログエントリーは昨夏巡った時の時系列とは異なっていて、
実際はこの岩木山神社訪問のあとにもたくさんの神社や火の見櫓を見て廻りました。
が、やはり最終回を飾るに相応しいのはこちらだと思い、順序を入れ替えてみた次第。

2013北東北ツアーの報告、以上で終了です。
ずっとレポート書き続けていたら、また東北に出かけてみたくなりました。
今回は計4日間の岩手青森での取材中は一度も雨に見舞われることなく恵まれていました。
(最終日の帰路、車移動中に雨に遭遇したのみ。)
そのぶんほぼ当初の計画通りに寺社と火の見櫓を取材できたわけですが、
もともと欲張った行程だったせいか、かなりバタバタ感があり、
その悪影響が記録写真の拙さに現れてしまったかと反省しています。
(ピンボケだったり、撮り忘れなど多数。。。)
そのぶん、再訪意欲が沸いてきましたけどね(^^)
北東北は信州からでは簡単に行ける場所ではないのも確かですが、
また近い将来に足を運んでみたいと考えています。
今度は、ゆったりじっくり巡ることのできる旅程で。。。
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(撮影日:2013年8月15日)


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紫頭巾な狛犬 [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市十面沢、巌鬼山神社。
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弘前市街方面から県道31号を北上。
十面沢の集落を抜けると案内看板があり、
山の中の道をしばらく西進すると目の前が開け、神社の鳥居が目に入ってきます。

近くに民家もありますが、基本的には人里はなれた山奥の神社といった様子。
境内を囲う森は杉などの巨木が鬱蒼と茂っていて、いい雰囲気です。

ご祭神は大山祇神。

由緒は以下の通り。
『延暦15年(796) 岩木山頂の奥宮に対して下居宮として鎮座したのが始まりと言われている。
本尊観世音菩薩は大同2年(807) 坂上田村麻呂が勧請したとも伝えられている。
当社より山頂に参詣する者怪異の難に合う者が多く、 近江国の花輪其が勅宣を奉じて
越前敦賀より来て、 山中に篭居して山神に祈願したところ神託があり、
百の沢を越えた所に社殿を建立せよとの事、 そうしたところ災難が無かったと言われている。
寛治5年(1091) 現在の岩木山神社と言う。 当社は文安5年(1446) 山火事にて焼失、
寛正4年(1463) 長見孫太夫によって再建された。 慶長2年(1597) 津軽為信が
巌鬼山観音院を修復したが、 再び元禄元年(1688) 焼失同4年四代藩主信政が建立、
明治以前まで御本尊十一面観音を奉り巌鬼山西方寺観音院十腰内観音堂と言われていた。』
(青森県神社庁HPより)

またまた坂上田村麻呂の登場です(^^;;
このひとはいったい幾つの神社を建立もしくは関与したのでしょうね?

一の鳥居。
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参道は長く、両脇の木立が神聖な空気を醸し出しています。
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二の鳥居、三の鳥居、四の鳥居と、立て続けに続きまして、
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拝殿。
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寄棟の本殿は青森県宝指定。
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もとは仏からスタートした神社ということもあってか、
本殿は小仏堂から神社に転じた典型的な建物とされています。

じつは本殿前に狛犬が一対居たのだけれど、
現地に出向いた時にうっかり失念。
忘れていても本殿前まで足を運ぶべきでした。
あぁ、これで再訪の必要な津軽の神社がまたひとつ。。。

境内にある龍神社。
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ご神木の大杉。
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青森県の天然記念物指定。
推定樹齢なんと1000年以上、樹高は41メートルを超えるそうです。
たしかに相当バックしないとカメラにもワンフレームでは納まりません。

参道に戻って、、、

招魂碑。
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鳩は武神の八幡宮の神使として制作されることはありますが、
ここでは平和の象徴としてのハトということで。

御神馬は、こちらでは一体のみ。
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そして、狛犬です。

一対目。
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平成8年(1996年)8月17日建立。
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彫りは淡白な感じですけど、構えたところからの
あまり獅子っぽくはない顔つきが特徴的ですね。
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両方とも口が半開きのような感じで、阿吽にはなってない感じですね。

すぐ背後に二対目。
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昭和9年(1997)旧7月17日建立。
ハッキリしないですが、阿吽が左右反対ですかね。
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にしても向かって左(阿形?)は玉取りなんですが、
玉が重過ぎる(!)せいか台座にめり込んでいますねw(^^)

三対目。
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建立年は不明です。
小ぶりで、はじめちゃんタイプですね。
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狛犬・獅子というより犬もしくは狐といった風貌。
これもまたハッキリしませんが、阿吽が通常と左右が反対のような感じです。

首に鈴をぶら下げて、向かって右(吽形?)は紫頭巾を被っています。
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以前は左側の子も頭巾を被っていたり、
はたまた毛糸の帽子を(左右ともに)被っていた時期もあったようですが、
今は右側だけが水戸黄門のような頭巾になっちゃってますね。

そしてそれぞれ足元にあるものなんですが、、、これ、なんでしょうね?
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駒?(狛なだけにww)、それとも石臼のようなもの?

いづれにしても、独創性溢れる子達ですね。
年代が分からないのが残念です。

(撮影日:2013年8月15日)


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リンゴ畑のお守り所 [火の見櫓(青森県)]

弘前市百沢東岩木山、という地名になるようです。
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富士山のような独立峰の岩木山。その外周道路ともいえる県道沿いに
その目的の櫓は立っていました。
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火の見櫓ではなさそうです。

岩城山麓、リンゴ畑があたり一面に広がる大地。
県道30号の山麓道路を北向きに走っていると、左手前方に見えてきました。
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今回の取材ツアーに出る直前の下調べでこの存在を知り、
詳細の場所も分からず、なんとなくこのあたりかなと見当をつけて車を走らせていたのですが、
幸い無事に目的地を発見することが出来ました。

車を止めて近づいてみると、木造の小規模な櫓に半鐘のぶら下げられていることが分かります。
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傍らにはシャッターの下りた小さな小屋もありまして。
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リンゴ畑のなか、そこだけが小高い丘になっており、
片道徒歩1分もかからないほどの“登山”で無事に櫓の立つ頂上に到達。

小屋のほうは中も空っぽで、現在は使用していないような様子。

櫓は高さ3メートルにも満たないほどの背丈の低いもので、
屋根の棟木に直接金具を打ち付けて半鐘は固定されていました。
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事前に得ていた情報では、櫓には“火の用心”の垂れ幕が付けられていて、
“防風林巡視連絡所”の看板があったようなのですが、
自分が訪れたときにはそのようなものは見当たりませんでした。

風害をメインに災害監視の櫓であったことは間違いなさそうですが、
この様子では櫓のほうも使われなくなってしまっているかもしれませんね。

防風林巡視とあったように、風はたしかに強かったです。
遮るものがないということは、それだけ風当たりも強いわけですよね。

ただ、周囲が岩木山の緩やかな傾斜の付いた土地で、
しかもこの小高い丘の周辺はほかに視界を遮るものもなく、
展望台としてみれば立地のすごくいい場所だと思いました。
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リンゴ農園に立ち寄りがてら天気の良い日の展望台として活用できれば
いい場所なのにと思いつつ、次の目的地へと移動したのでした。
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(撮影日:2013年8月15日)


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悪戯っぽい表情で神殿を守る [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市新岡山本、八幡宮。
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ご祭神はご存知、誉田別命。

創建年は不明のようで、由緒書きは以下の通り。
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弘前市街より前エントリーの羽黒神社と同じ県道3号鯵ヶ沢街道を西進し、
旧岩木村の中心地を過ぎたところから北上。
新岡集落を抜けたリンゴ畑の中、鎮守の森を伴ってポツンと建っています。

朱塗りの一の鳥居を抜けると、岡崎現代型がお出迎え。
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平成11年(1999)8月15日建立。

すぐ背後には御神馬が一対。
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拝殿と本殿。
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そしてこの本殿の前に狛犬一対。
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明治43年(1910)3月28日建立。

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独特のデザイン。
一見して決して忘れることのない、オリジナルな姿。

二本足で立ち、というか普通に人間のように座っている様子で、
阿形は足元に置いた玉の上に手をかざし、
吽形は玉を両手で胸元に抱えています。
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表情もどこかしら悪戯っぽい感じで、
神様と境内の守護獣であるはずの狛犬たちのはずが
なにか悪玉の召使とか手下のようなイメージに見えてきます。
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そう、映画アナスタシアの悪役ラスプーチンの手下にバルトークという白コウモリが居ますが、
悪役のしもべなのにどこか憎めないキャラで、この狛犬たちがそのイメージにぴったり(^^)

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明治後期という時代でありながら、このデザインで制作した石工さんの創造性に脱帽です。

(撮影日:2013年8月15日)


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太陽に吼えろ? [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市宮地、羽黒神社。
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弘前市街より岩木山へと向かう鯵ヶ沢街道とも呼ばれる県道3号沿い、
宮地の集落より山手のほうへと走ると一の鳥居が見えてきます。

ご祭神:
倉稲魂大神
大己貴大神
水波能売大神

由緒書きによると、大同2年(807)、坂上田村麻呂により建立とのこと。
またしても出ました、田村麻呂の創建伝説。
東北地方はとくに彼(の伝説)に所縁のある神社が多いようですね。
あと、細かな由緒については画像をクリック。
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岩木山に程近い、里山の中腹に境内はあります。
麓に立つ一の鳥居を過ぎて坂道を上ると、突き当たりに同社がありました。

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二の鳥居を通過して駐車場。

三の鳥居。
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脇に摂社がかたまって在ります。
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由緒書きにもあるように、同社は霊験あらたかな名水の出る社として有名のようで、
水汲み場はこの摂社の前にありました。

自然環境豊かで観光ルートからもひとつ外れた静かな山里ですから、
いいお水も出ているのでしょうね。

狛犬は拝殿の手前にいます。
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明治20年(1887)6月2日建立。

阿吽が通常と左右反対で参道に対して並行に据えられ、首を振りつつ天を仰いでいます。
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阿形などは空に向かって吼えているかのよう。
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上体から前足にかけて、そして後ろ足の膝(?)の立てかたなど
全体のフォルムがごく自然な感じでいいですね。

それにしても、何度見ても何に向かって吼えているのかと、
思わず考えてしまいそうな独特のデザインです。
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(撮影日:2013年8月15日)


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玉乗せ曲芸狛犬のオリジナルか!? [狛犬・寺社(青森県)]

青森県西津軽郡鯵ヶ沢町本町、白八幡宮。
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由緒・・・
『平城天皇の時代、 大同2年(807)に坂上田村麿公が東夷征討の勅命によって鯵屋之澤に来られた時に、
蝦夷退転降伏祈願所として祠を創立し、 大刀一口と白旗八旗を納めて白旗宮としたとされる。
康元元年(1256)に最明寺時頼公が諸国行脚の折に再建したと伝えられる。
慶長8年(1603)に津軽為信公が武運長久国家安泰祈願所として社殿を造築し鯵ケ沢総鎮守と定めた。
寛永7年(1630)の津軽信牧公の参拝、 太刀一口の寄進に続き、
寛文6年(1666)には津軽信政公により本殿・拝殿・籠舎・鳥居をはじめ調度品四十三点を寄進された。
延宝5年(1677)より神輿渡御による大祭執行 (隔年ごと) を仰せ付けられ、 今日の大祭に続くことになる。
天和3年(1683)より年中祈祷の仰付があり、 特に御廻船海上安全御祈祷湯立神楽など
五件の神事が執行された。 浪岡八幡宮・弘前八幡宮とともに津軽三八幡と称され、
為信公以後の諸藩主による参拝と寄進は大正十一年の義孝公まで続いた。』
(青森県神社庁HPより)

読んでいると目がチカチカしますが、非常に由緒ある神社であることが分かります(^^;

ご祭神:
誉田別尊
白鳥大明神
素盞鳴命
事代主命
菅原道真命

ちょうど訪問した日は神社のお祭り日だったようで、各所で山車が引き回されたりしていました。
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じつは津軽入りするまでぜんぜん分かってなかったのですが、
この白八幡宮大祭は4年に一度行われるお祭りという、オリンピックのような祭典らしく、
もうちょっと事前に情報を仕込んでから行けばよかったかなという気もしましたが、
他にも廻りたい神社がたくさんあったので、狛犬にしっかり出会えただけで今回はよしとします。

白八幡宮大祭について(鯵ヶ沢町役場HP内の紹介ページに直リン)

神社境内は港がすぐ間近にひかえる海の傍にありますが、
社殿は小高い山の中腹に建っていました。
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拝殿と本殿。
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玉垣は文化13年(1816)3月吉日の建立。
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玉垣が町指定文化財となっているのですが貴重ですね。

そして狛犬は神殿前、屋外の環境に座っています。
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文化14丑年(1817)3月建立。

出雲の来待石であろうと思われます。
かなり風化が進行していますが、ほぼ200年前に建立された点を考慮すれば
それでもまだこの状態が保たれているのはマシなほうではないでしょうか。

出雲で制作されて北前船など海路で運ばれてきたものと推測できるところですが、
出雲で子取り玉取りなのは珍しいのではないかと思います。
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しかもこのデザインは前エントリーの鬼神社で見た手の甲に玉を乗せた狛犬のそれです。
阿吽と子玉の配置は鬼神社とは反対に扱われていますが、パターンがそっくり。
両者の制作年は大きく隔たりがあるので同一作者ではないですが、
もしかするとこちらの狛犬をオリジナルとして鬼神社でも制作されたのかもしれませんね。

津軽取材では弘前を中心に内陸部ばかり巡っていて、
日本海の見える海沿いの町はこの鯵ヶ沢町が唯一でした。

天気が良い日の訪問がなによりでしたが、
海の幸をゆっくり頂く時間的余裕がなかったことが、今になっても後悔されます(^^;
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(撮影日:2013年8月15日)


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角のない鬼神社 [狛犬・寺社(青森県)]

弘前市鬼沢、鬼神社。
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鬼、と書いていますが、現地では厳密には
「鬼」の字のあたまの『´(テン)』がついていない漢字が使われています。
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由緒沿革:
延暦年中 坂上田村麿東夷征討の勅命を奉じ東国に下った時 岩木山頂上奥宮鎮座
顕国魂の女高照比売命の霊験を蒙るに因り 岩木山麓に社宇を再建したという
其後 大山祇命を配祀すと伝う 明治十四年 郷社に列せられた』
(境内の由緒書きより抜粋)

地元に伝わる話として「おにがみさま」の伝説が残っているそうです。
「おにがみさま」はこの鬼神社の通称でもあるようで、
昔々、日照り=水不足で苦しんでいるとき、岩木山の鬼が同地にやってきて
一夜で水路を作り、水を引いてきて村人を助けたという伝説が残されており、
以来、村人は鬼に対する感謝の念を持ってこの鬼を祀り、地名も鬼沢に改めたということです。

扁額の文字の「鬼」に角がないのは、
そうした村人の鬼に対する崇敬の念が込められているということなのかもしれませんね。

坂上田村麻呂が地方の神社の創建に絡んでいる場合、
往々にしてその由緒と異なる説話が同神社や地方に存在することがあります。
中央政権の征服者と在地の被征服者では物事の見解が異なるのは不自然ではなく、
地方にとっての善人が征服者にとっては悪に仕立て上げられるなどよくある話です。
鬼神社の場合がそうであるかどうかは分かりませんが、
地元の人がおにがみさまへの信仰心を繋ぎ続けてきたことは少なくとも
田村麻呂の創伝とは大きく異なり、はたして古代この地に何が起こったのか、
空想を掻きたてられる由緒ではありますね。

さてさて、それでは境内へ足を踏み入れたいと思います。

先ほどの扁額のついた鳥居が一の鳥居。

二の鳥居。
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三の鳥居。
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この神社の参道は本殿がすぐ脇に見える場所から始まり、
いったん本殿とは反対側の境内の端まで行き、ぐるっとUターンする格好で
改めて本殿を目指すという、ユニークな参道になっています。

その途中に鎮座するのは春日神社。
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そして池の中に浮かぶ弁天社。
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四の鳥居が見えるところから狛犬の世界が待っています(^^)
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一対目。
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明治12年(1879)5月29日建立。
なんとなく、津軽入りしてからよく見かける顔つきの子。
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二対目。
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昭和2年(1927)5月建立。

さて、この狛犬の様子に注目。
阿形が子取り、吽形が玉取りなのですが、玉の持ち方に注目。
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普通、玉取りといえば玉の上に手のひらを乗せるわけですが、
こちらの狛犬はどうみても手の甲に乗せてます。

狛犬研究家の鐸木能光氏がこの狛犬を著書で採り上げており、
玉については宝珠としていますが、
阿形が母子狛犬で、吽形のオヤジ狛犬の芸当を見てビックリしている様子で
ひょうきんな一家だと評しています。
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なるほど、たしかに宴会帰りで酔っ払ったまま家に帰り、
宴会で披露してウケた一発芸を嫁と子供前でも披露して
ふたりに顰蹙を買っている、、、とまあ、そんな想像が膨らみますね(^^)
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参道突き当たりは当然ながら拝殿、そして流造の本殿。
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拝殿の扁額には一の鳥居に掲げられていたのと同様、
角のない鬼の字を使われています。
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そしてその拝殿前には三対目。
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昭和6年(1931)旧5月27日建立。
津軽の構え型でもかなり大型の部類に入ると思います。
少なくとも自分がこの取材ツアーで出会ったなかでは最大クラスでした。
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尾のデザインがいいですね。
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で、じつはこの神社にはもうひとつ特徴というか、オリジナルな子がいるんですが、、、
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いや、この子はフツーに御神馬さまですが。。。

こちらです。
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この角度からではなにか分からないですかね?






角度を変えて・・・

正面から・・・
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正解は、サカナ。
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世間でよく使われる狛魚なんていう表現はあまり好きではないのですが、
たしかに一対で参道の両脇にいます。
阿吽ではないですけどね。
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昭和53年旧5月29日
藤田重次郎八十才建立、とあります。

なにかこの神社にお魚さんの所縁でもあったのでしょうか?
同神社に行く前にネットで調べた限りではこれといった情報はなく、
現地で地元住民に取材しようと思いましたが、神社周辺は人影もなく、
理由不明なままやむなく撤退と相成りました。

また再訪する機会が訪れるかな?
神使といわれる動物たちとは異なる生き物と出会うと、
探究心をそそられます。
もっとも真実は意外とあっさりしたものだったりするものなんですけどね。

(撮影日:2013年8月15日)


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ブロンズの東大寺型狛犬はまるで・・・ [狛犬・寺社(青森県)]

青森県北津軽郡板柳町板柳、海童神社。
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海際というわけでもないのに、海童です。

ご祭神:
上津綿津見命
中津綿津見命
底津綿津見命
以上、綿津見三神。

境内の由緒書きでは、、、
『文禄2年(1593)津軽為信が豊臣秀吉の朝鮮征伐の際に軍を派遣したとき
海上安全国土繁祥の祈願所とするため「宝量宮」と名付けて建立された。
現在地に遷宮したのは承応元年(1653)である。』

同社のある板柳という場所は津軽の河港だったとのことで、
海運の安全を願って海神を祀ったのもうなずけるところです。

かつては弘前をも凌ぐ賑わいを見せた商業町だったそうで、
元禄15年(1702)には地元の豪商が大阪で買い付けた神輿が同社に奉納されています。
これはもともと播州赤穂藩が注文し制作させたものらしいのですが、
浅野匠頭の刃傷事件による改易により行き場を失っていた神輿なのだそうです。
現在、町指定文化財にもなっているこの神輿には
赤穂浅野家の家紋「違いの鷹羽」が施されているそうです。

さて、境内。

参道入口脇すぐにある龍頭観音。
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二の鳥居。
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平和観音堂。
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神明宮。
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虚空蔵宮。
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丑年の守り本尊というわけで、牛。

淡嶋宮。
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同宮の前には狛犬が一対。
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昭和4年(1929)旧3月3日建立。
ちっちゃな子達ですが、津軽らしい(?)顔つきです。

こちらは参道狛犬たち。
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大正10年(1921)9月13日建立。
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津軽の構えタイプ。
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津軽の狛犬、とくに構えの子達はけっこう背の高い台座の上に居ることが多い気がします。
特に理由はないのかもしれませんが、雪のことも考えられているのかなと考えてみたりもして。

参道狛犬、もう一対。
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明治11寅年(1878)4月12日建立。
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やはり、どことなく頭がひらべったいような・・・。

拝殿。
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本殿とその手前は唐門。
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そして、、、本殿前の狛犬。
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東大寺型のブロンズ狛犬なわけですが。
石造のものよりブロンズのほうが細部の仕上げが細かいせいか、
角ばった顔の輪郭がそう感じさせるのか、
あるいは色合いによる影響なのか、、、
これを見て、思わずメカゴジラを思い出してしまうのは自分だけでしょうかね?
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まあ後姿は、メカというイメージじゃあないですけど。
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まちなかの神社ですが、静かで落ち着いた空間でよかったです。
出来れば神殿前のメカゴジラはもっと近くで鑑賞してみたかったですが。
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(撮影日:2013年8月15日)


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