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西新宿の氏神様 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都新宿区西新宿、新宿十二社熊野神社。
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新宿駅西口の高層ビル群を西へと抜けると新宿中央公園の緑地があり、
その一角に熊野神社が鎮座しています。
同社は都庁を含む西新宿一帯と歌舞伎町の一部分を氏子地域としており、
まさに新宿を代表する神社といっても差し支えないでしょう。

創建の由緒は、応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、
故郷の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったところにあると伝えられます。

夕暮れ時に訪問した神社境内は、都心に在りながらとても静かで
外国人観光客と思しき数名が境内のあちこちで写真を撮ったりしていました。
そういえば、今回の東京取材では神社に立ち寄る外国人の姿を何度も見かけました。

ガイドブックで紹介される明治神宮などでは外国人の姿もごく当たり前の風景でしょうが、
日本人でも地元の氏子さんでなければあまり立ち寄ることもないような神社でも
けっこう外国人さんたちを見かけたのですよね。
さすがマルチナショナルな大都市東京といったところでしょうか。

立派な神輿が並んだ神輿蔵。
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神楽殿と拝殿。
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拝殿前に狛犬一対。
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文化元(1804)甲子年9月吉祥日。
阿吽共に角があるのですが、阿形のほうは後付けのような?
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素材も違う感じがするし、例えば宝珠かなにか付いていたものが取れてしまい、
代わりのものを取ってつけたのかなという印象ですが、果てさて真相やいかに?

**************
(追記:2015.03.10)
阿形共に角、と記載しましたが、阿形は宝珠だろうという指摘がありました。
たしかによく見れば宝珠のデザインですね。型崩れというか欠落している印象ですが。
ということで、阿形は宝珠、吽形は角ということで訂正させて頂きます。
**************

拝殿前の灯篭にも狛犬がいました。
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飛び狛と構え狛。

拝殿の脇には池があり、
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その奥にはお稲荷さん。
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そしてそのお稲荷さんの隣に祀られている大鳥三社の前に狛犬が一対。
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享保12(1727)丁未9月吉日建立。

跨ぐりが彫り抜かれていない、はじめちゃんの風体。
表情も江戸初期頃の作品によく見かけるワイルド感ある様相。
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吽形のあたまにあるのは角でしょうが、
なんとなく丁髷にも見えたりします。
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今回の東京取材の最後に訪れた神社で、
いい子に出会えました。
惜しむらくは訪問時間が夕暮れ時で境内が暗く、
画像がピンボケになってしまったことでしょうか。
やはり取材は日の高いうちに済ませるものですね。
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新宿十二社熊野神社HP

(撮影日:2014年4月8日)


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内藤新宿の鎮守様 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都新宿区新宿の花園神社。
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近世、甲州街道の江戸から数えて最初の宿場として整備された内藤新宿。
幕府によって宿場が廃止されたり復活したりと、紆余曲折の歴史を持つ町は、
いまや世界に冠たる巨大な街へと変貌と遂げたわけですが。
その新宿の原点ともいえる内藤新宿の鎮守神として祀られ続けたのが
ここ花園神社ということです。

創建は不明ですが、神社の由緒に拠れば1590年より以前に
徳川氏により大和の吉野山より勧請されてきたとあります。

初期の頃は現在地より南の方にあり、寛政年代に現在地へ遷座したとのこと。
主祭神は倉稲魂命。つまり花園神社はお稲荷さんなのですね。

表参道は明治通りに面しており、稲荷らしく朱塗りの鳥居が出迎えてくれます。
その鳥居の傍らに一対の狛犬。
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昭和11年5月吉日建立。
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江戸狛犬ですが、表情は愛嬌がありますね。
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阿形が子取り、吽形が玉取り。
頭を押さえつけられた子獅子の様子が可愛いです。
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参道途中の威徳稲荷神社。
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朱塗り鳥居が連続して立ち並ぶ様子がいかにもお稲荷さん。

拝殿。
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本殿。
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宝物殿。
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神楽殿。
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裏参道の石段を登りきったところに古い狛犬が一対居ました。
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延享2(1745)乙丑正月吉日造建。

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本体、台座ともに一部欠損の見られるのが残念ですが、
それでも江戸中期のものとしてしっかり残っているのは嬉しいことです。
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表情もオリジナルな、どことなく獅子という厳めしさはないですが、
はじめちゃんの名残を残している感じがいいのではないでしょうか。
吽形の出っ歯になった口元がいいですね。

拝殿の斜め向かいに立つ、納め大明神。
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古くなった神札及び神符を納めるところ。

そして花園神社をある意味において有名にしているのがこちら。
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芸能浅間神社。
境内摂社ですが、芸能人のお参りが非常に多いようで、
玉垣にはたくさんの芸能関係の人名が掲げられていました。
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本殿は富士塚の上に祀られています。

境内入口はほかにもあって、靖国通りに面した参道も在りました。
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ビルの谷間の参道というのがいかにも東京新宿の神社といった感じですが、
この参道入口に新宿区指定の有形文化財になっている狛犬が居ます。
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文政4(1821)辛巳年2月建立。
鋳工:村田整珉。
ブロンズ製の立派な獅子狛犬で、傍らに説明版がありました。
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台座に注連縄のデザインが施されているのがユニークですね。

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金網が邪魔でしかたないのですが、
場所柄もあって保安上やむを得ない処置ですかね。

桜も散りかけでしたが、キレイな花と社殿の様子を
大勢の人がカメラに納めていました。
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花園神社HP

(撮影日:2014年4月8日)


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皇城之鎮、山王日枝神社 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都千代田区永田町、日枝神社。
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主祭神:大山咋神(おほやまくひのかみ)
相殿神:国常立神(くにのとこたちのかみ)
     伊弉冉神(いざなみのかみ)
     足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)

同社の由緒によれば、、、
『武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、
さらに文明十年(1478)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、
鎮護の神として川越山王社を勧請・・・(中略)
天正十八年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、
江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、
又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。』
とありますが。

いちいち説明が不要なほど、首都東京において有名すぎる神社ですね。

現在も同社の神門内側に掲げられている扁額には
神宮祭主・北白川房子様の揮毫による「皇城之鎮」の文字が見られ、
立地条件でみてもまさにその言葉が嵌まります。
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江戸幕府が開かれた後しばらくは麹町隼町に鎮座していましたが、
明暦の大火を経て、将軍家によって現在地をあてがわれて遷座することとなり、
江戸城の裏鬼門の守りを担うことになったということです。

境内の由緒書き。
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自分は今回初めて同社を訪れたのですが、
ちょうど高台のようなところにあるのですね。
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表参道の山王鳥居をくぐると男坂の石段が急傾斜で続き、
登りきったところが神門。
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山王様ということで、神門にはお猿さんの像も。
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拝殿。
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その拝殿正面の両脇には、やはり日枝大神の神使としての猿が一対。
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子孫繁栄の意味を込めての事でしょう、向かって左側の母猿は
幼い子猿を胸元にひしと抱きかかえています。
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拝殿をはじめとする社殿の数々は、もともと国宝に指定される
貴重な文化財だったのですが、残念ながら東京大空襲で被災して焼失。
現在のものは戦後になって昭和33(1958)年の再建です。

平日昼間に訪れた境内は参拝者もさほど多くなく、静かで落ち着いた雰囲気がありましたが、
見回した風景を見ると改めてここが都心の真ん中にあることに気づかされます。
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境内の一角にある山車庫。
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山王祭りは江戸三大祭りのひとつですね。
まだ直接拝見したことはないですが。。。

末社。
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山王稲荷神社の社殿は千代田区指定有形文化財。(画像なし)
ほか、猿田彦神社と八坂神社がありますが、
この社殿前に狛犬が一対います。
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千代田区指定有形民俗文化財で、
もとは神田神社(明神)に在った狛犬としても有名な一対です。
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由緒によると、
文政3(1820)年に神田神社境内の南伝馬町天王社に奉献されていたものだそうです。
明治18(1885)年、火災により天王社の社殿が焼失。
その後、南伝馬町の氏子が日枝神社内に新たに祇園社を勧請。
さらに16年後の明治34(1901)年、未だ神田神社境内にあった狛犬は
石灯籠など南伝馬町天王社に所縁ある他の石造物などと共に
この日枝神社へ移築されたのだということです。
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安曇野では嫁入り道祖神ということで、
ある集落の道祖神が別の集落へ引っ越すということがありますが、
狛犬の引越しというのは珍しいですね。
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境内の南~西側が外堀通りとなっているため、
こちらのほうがむしろ表参道っぽく見えたりもするのですが。
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日枝神社の象徴、山王鳥居は男坂のほか、
この外堀通り側に2基あり、そのうち南寄りの階段が続く参道には
なんとエスカレーターが装備されていました。
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さすが東京の神社。

そのエスカレーターで登る途中からは、東の方角に首相官邸の姿が一望。
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さすが首都の神社。

で、残り1基の鳥居の足元には狛犬が一対居ます。
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昭和9(1934)年10月建立。
原型:三木宗策。
石匠:野村保泉。
と、上記の建立年と制作者の名が台座側面に宮司や筆者(?)共に記されています。
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野村保泉は昭和初期頃の石工として業界では有名な石匠。
原型の三木宗策は大正から昭和初期にかけて活躍した木工の彫刻家。
彼がデザインをし、野村保泉がそれをもとに石を彫り上げたというわけです、が。。。
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いわゆるひとつの招魂社系で括ることのできる、厳しい表情と尊大な姿の大型狛犬。
どこかで見たことある子達だなあと思い、すぐにこの子達の姿が頭に思い浮かびました。
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この2枚の画像は私の地元である安曇野市穂高の穂高神社に居る狛犬一対。
なんとなく日枝神社の子たちと似ていませんか?
(撮影角度でちょっと見づらい感は否めませんが。)

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穂高神社の子たちは昭和15年建立で、原型デザインは地元の彫刻家・小川大系。
そしてじつは石工が日枝神社のそれと同じく野村保泉。
一般に作者が同じ石工の場合、デザインが似通ってしまうのは
ある意味自然なことではあると思うのですが、
この場合両者にそれぞれ原型作者が居るわけですから、
石工の個性としての共通デザイン云々という話ではないと思います。

ただし原型作者の影響を受けない台座のデザインなんかは
両者に類似するところが出ていて、石工の特徴を感じさせてくれます。

時系列で考えると日枝神社が先で穂高神社のそれが後ということから
穂高神社の狛犬は日枝神社のそれに影響を受けたと考えられなくもないですが、
他の作家の作品からインスパイアされたということであるなら
むしろ小川大系の場合は彼の師匠である北村西望の作品に
影響を受けていると考えるほうがむしろ自然ではないかと思います。
師匠と弟子の作品には共通性が見て取ることができるのは
以前のエントリー記事で指摘したとおり。

体格や全体のボリュームが似ているので感じた結果だと思いますが、
顔の作りや細かなところではやはり違いのあることが分かります。
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ただ、それにしても石工が同じという点で、気になる類似性ではありますね。

日枝神社の原型はもちろん目にしたこともないですし、
ネットで見る限りではその原型の情報が出回っている様子もないのですが、
穂高神社のほうに限って言えば、小川大系作の原型狛犬の姿と
野村保泉の工房における制作風景の写真が一般に公開されており、
それを見る限りにおいて野村保泉は原型に対して非常に忠実に
石彫りによって再現しきったということがハッキリ確認できます。

戦前とはいえ、しっかり調査をすれば日枝神社の子達の原型にまつわる話も
あるいはなにか見えてくるものがあるかもしれません。
制作当時の経緯がどうであったかなど、今のところは推測の範疇ですが
時間的余裕ができればそうした事情の裏取り取材をしてみたいですね。
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(撮影日:2014年4月8日)


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桜と火の見櫓 [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市堀金岩原の火の見櫓。
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国営アルプスあづみの公園の一角を占める岩原地区の、
山麓線沿い、岩原公民館の敷地に立っています。

今の季節の火の見櫓は桜とのコラボで美しい写真を撮ることができ、
なかでも自分が知っている範囲では比較的近い場所なので
数日前に寄り道して撮影して来ました。
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2014.04.19.iwahara2.JPG
櫓の傍らに立つ桜の木は1本だけですが、
隣接する児童公園の側は何本も植樹されているので、
そちらからだといい感じに見えます。

そして櫓の足元には安曇野ではお約束といっていいくらいの
道祖神の存在。
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櫓は3脚柱型で、丸屋根+丸見張り台+三角踊り場の構成。
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製作は松本鉄工所。
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この岩原地区の一段下にあたる川口、
それよりさらに一段下の扇町の両地区にある火の見櫓も
同社製造のものです。
建造年があるのは川口のものだけですが、
同時期に連続して製作されたのかもしれません。

今年の安曇野の桜は各地でいい表情を見せてくれています。
4月に入って暖かな日が続いて一気に開花した後、
雨もありましたがここ数日は冷え込む日も多いため、
なんとなく長持ちしているような感覚があります。
さすがにそろそろ散り始めてきてはいますが、
やはり桜と火の見櫓は相性抜群の風景要素ですね。

(撮影日:2014年4月19日)


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大都会の片隅にたつお稲荷さん(麹町編) [狛犬・寺社(東京都)]

東京都千代田区麹町一丁目、麹町太田姫稲荷神社。
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4つ前の記事にある平河八幡宮を訪れる際に利用した半蔵門駅を降りた所に鎮座。
たまたま見かけて写真も撮ったし、せっかくなので記事エントリーしておきます。

お稲荷さんと言えば、大都会だろうが田舎だろうが、
それこそ全国至るところで勧請を受けて祀られていますよね。
こちらのお稲荷さんは同じ千代田区内の太田姫稲荷神社より
勧請を受けたのだろうと思います。

狛犬はいませんが、狐さんがしっかり目を光らせています。
2014.04.08.koujioota3.JPG
お社の背後にあるのは町内会の倉庫か何かでしょうか。
ビルと街路の狭間に鎮座して窮屈そうな印象もありますが、
地域でしっかり守られている神社であることもちゃんと伺える
とても清潔感ある神社でした。
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なにより、お供え台に乗せられていた油揚げがツボでした(^^)
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(撮影日:2014年4月8日)


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あの屯所跨ぎ櫓の将来がちょっと不安 [火の見櫓(北安曇郡)]

前エントリーの堀之内の火の見櫓と狛犬のツーショットを撮影しに行ったついでに、
すぐ隣の集落になる正科地区の火の見櫓を久しぶりに見に行ってみました。

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池田町正科地区の火の見櫓は消防屯所の近所でも真横でもなく、
まさにその屯所の真上、というか一体になって立っています。

屯所や倉庫跨ぎの火の見櫓というと、長野県内では南信の
とくに茅野や原村あたりでよく見かけたりしましたが、
比較的おとなしいデザインが多い安曇野や大北界隈では
跨ぎタイプの火の見櫓は非常に珍しいものといえます。

しかもここのは南信で見られるのとはひと味違います。
2014.04.20.shoushina1.JPG
南信あたりで見られる跨ぎタイプは、だいたいが通常のタワー型で
末広がりの足元の内側に小屋があったり、建物の一部を
櫓の脚などが貫通しているという具合なんですが、
ここのは2階建ての建物の両脇に鉄骨柱を真っ直ぐに立て、
見事にごっそり跨ぎきっているという、なんとも大胆なデザイン。
2014.04.20.shoushina7.JPG

しかも屋根上部に設けられた広いステージのような踊り場でかなり高さがあるので、
そこに半鐘が設けられているだけでも十分なはずなのに、
そこに加えて通常の火の見櫓の見張り台部分をわざわざ付け足したような感じで。
2014.04.20.shoushina8.JPG
桜の花や建物の屋根越しに見張り台だけに絞って撮影すると
普通にタワー型の火の見櫓かと見紛うほど。
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この火の見櫓が拙ブログに初登場したのはかれこれ2年半前
それ以来の再訪でしたが、鋳物の渋い半鐘も相変わらず存在感たっぷりで、
デザインも銀色の塗装も変わらずに輝いてきれいでした。
2014.04.20.shoushina6.JPG

がっ!、、、、、、

このひさびさの再訪で、ちょっと気になる情報を小耳に挟んでしまいまして。

「正科地区の火の見櫓、ひょっとして解体の危機かっ!?」

じつは桜や背景のアルプスなんかを含めて写真を撮っていた傍で
田んぼ仕事をしていた近所のお父さんがいらっしゃって、
目が合ったので、「怪しいものではございません」という意味も込めて
話しかけるなかで火の見櫓の話題を振ってみたんですけどね。

(前略)
自分「屯所を跨いでいる火の見櫓って、けっこう希少価値なんですよねえ。」
お父さん「へえ、そうかい?地元にいりゃあなんとも思わんけどなぁ。」
自分「なんであんなふうに造ったんでしょうね?」
(中略)
お父さん「今度、詰所の建替えやることになったんだけどな。」
自分「えっ!? 詰所って、、、建替えるんですかっ!?」
お父さん「そう。この前、みんなで集まってそう決まったでね。」
自分「えっ!? ってことは、あの火の見櫓はどうなるんですかっ!?」
お父さん「さあ、火の見櫓の話はよく知らんけど。」
(後略)

ってな会話に発展しちゃいまして。
でもってお父さんは最初自分が詰所解体&新築の見積りを出すために
調査に来た人間だと勘違いしていたらしいです。

いやはや、それにしても心配です。
確かに屯所の建物は1階がCB造で2階は木造(・・・なのか?)。
詳細は分かりませんが、古ぼけてきたというのは事実なのでしょう。
で、火の見櫓は一見すると屯所から独立して跨いでいるようにも見えるのですが、
細かなところを見ると部分的に建物の構造に組み込まれている箇所もあるんですよね。
2014.04.20.shoushina11.JPG
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もちろん、解体作業の中で切り離してしまうことも可能でしょうが、
普通に考えればこの跨ぎ櫓をそのまま残した状態で
屯所だけ解体して新築しなおすというのは手間も金もかかる話に違いなく、
ついでに解体しちゃえとなってもなんら不思議なことではありません。

隣接して防災無線塔がすでに完備されているという現状を鑑みれば、なおさら。
2014.04.20.shoushina10.JPG

正科のみなさんがどういう判断を下されているのか、
お父さんの話からは想像を膨らませるしかないわけですが、
願わくば、この希少性の高い火の見櫓。
次世代屯所に生まれ変わってもこのまま跨ぎ櫓として
生き長らえて欲しいと願ってやみません。

話し相手になっていただいたお父さんは
「そんなに珍しいものとは知らなかったからねぇ。
またみんなにそんな話をしておくわ。」
と、別れ際に語って下さいました。

果てさて、どうなりますことやら。。。
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(撮影日:2014年4月20日)


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狛犬に見つめられる火の見櫓 [火の見櫓(北安曇郡)]

前エントリーの続き。

北安曇郡池田町、堀之内地区に立つ火の見櫓。
2014.04.20.horinouchi1.JPG
同地区の三嶋大明神(三嶋神社)の境内に立っているおかげで、
同社拝殿前の狛犬とのツーショット写真を撮影できるというのが前エントリー。

単体の火の見櫓について解説しておきたいと思いますが、、、
2014.04.20.horinouchi4.JPG
まあ、ごく普通(?)の池田町でよく見かけるデザインでしょうかね。

2014.04.20.horinouchi6.JPG
3脚柱で足長スリム体型。
爪先立ちしているかのようなデザインが池田町のスタンダード。

2014.04.20.horinouchi5.JPG
半鐘はすでに撤収されてしまったようです。

近所には防災無線塔が機能しているようでしたから、
ここの櫓もあるいは老い先短いのでしょうか。

今のうち、集落景観の要素としての櫓の思い出画像を撮りためておきます。
吽形狛犬とのツーショット画像も含めて。
2014.04.20.horinouchi3.JPG
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(撮影日:2014年4月20日)


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火の見櫓を見つめる狛犬 [狛犬・寺社(北安曇郡)]

北安曇郡池田町、堀之内地区の堀内三嶋大明神。
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由緒書きなどがなく、ネットでもそれらしい情報が出回っていないので
ハッキリしたことは分かりませんが、社名から察するに
やはり静岡県三島市の三嶋大社から勧請してきたのでしょうかね?

U1教授が自身のブログで情報を出してくれたのが訪問のきっかけ。

じつは境内に火の見櫓が立っていて、ちょうど狛犬とのツーショットが撮れるのです。
2014.04.20.mishima2.JPG
さっそく試してみましたが、角度的にはいい感じですね。
狛犬が背中側になってしまうのは致し方ないですが、
桜の咲いている時期でもあり、いい写真になりました。
火の見櫓については次のエントリーで改めて。

狛犬は岡崎現代型。
2014.04.20.mishima3.JPG2014.04.20.mishima4.JPG
皇紀二千六百年(昭和15年/1940)建立。
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初見の画像で感じた印象よりかなり小ぶりでした。
彫りはかなりシンプルな感じですが、最近の輸入物とは違って
この頃のものはがっちり作られているのでネガティブな印象はありません。

狛犬だけでなく、境内もこじんまりした感じです。

拝殿。
2014.04.20.mishima9.JPG

本殿は覆い屋に守られていました。
2014.04.20.mishima10.JPG
ちなみに社殿は西向きに座していて珍しいですね。

裏手の高台に立つ境内社。
2014.04.20.mishima11.JPG2014.04.20.mishima12.JPG

常夜塔。
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享和元(1801)年と天明5(1785)年で、制作年が異なるようです。
っていうか、天明のほうはもはや常夜塔の機能を果たせない状態のようです。

青面金剛、大日如来(?)、二十三夜塔。
2014.04.20.mishima15.JPG

とにかく、ここはツーショットが一番の収穫。
これで両者のツーショットは5例目になりました、、、たぶん。

(撮影日:2014年4月20日)


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享和元年の狛犬 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都千代田区平河町、平河天満宮。
2014.04.08.hirakawa1.JPG
境内の由緒書きに拠れば、
太田道灌の時代、文明10年(1478)に江戸城内に創祀されたとのこと。
慶長12年(1607)に徳川秀忠によって現在地に遷座。
このとき知名も天満宮の名に拠って平河町とされたのだそうです。

現在でこそこじんまりした小さな町内の、
東京のどこにでもある氏神社のような体ですが、
じつのところ徳川宗家だけでなく、紀州および尾張の両徳川家はじめ
井伊家などの名門の祈願所であっただけでなく、
同社の宮司は新年の賀礼に単独で将軍に謁見できるなどの
格式ある待遇を受けていたのだそうです。
ホント、実際にいま現地を訪ねるとそういう雰囲気は感じることないのですけど、
ただ鎮座地の立地から考えるとかなり厚遇されていたことが想像できますね。

境内へは地下鉄半蔵門駅が最寄り駅で徒歩数分。

道路から石段を上がると銅鳥居が立っています。
2014.04.08.hirakawa2.JPG
天保15年(1844)建立で、由緒書きに拠れば
千代田区内最古の鳥居になるそうです。
というわけで、千代田区指定有形文化財。

鳥居の藁座の部分に湯島天神で見たのと同じような狛犬たちがいました。
2014.04.08.hirakawa3.JPG2014.04.08.hirakawa4.JPG

境内には摂末社として、
平河稲荷神社。
2014.04.08.hirakawa5.JPG
そして三殿宮。
2014.04.08.hirakawa6.JPG
三殿は、大鳥神社、塩神社、浅間神社の三社。

天満宮なので、当然のように牛がいます。
2014.04.08.hirakawa7.JPG
この子もまた千代田区指定有形民俗文化財で、
嘉永5年(1852)に制作されました。

神楽殿と、こちらは布袋さんですね。
2014.04.08.hirakawa8.JPG2014.04.08.hirakawa9.JPG

そして拝殿前に狛犬一対。
2014.04.08.hirakawa10.JPG2014.04.08.hirakawa11.JPG
享和元(1801)辛酉年3月建立。
嘉永5(1852)壬子年2月再建。

2014.04.08.hirakawa12.JPG2014.04.08.hirakawa13.JPG
こちらにも詳しい由緒書きがありました。
2014.04.08.hirakawa16.JPG
先代が壊れてしまった後に新たに奉献され、
それが嘉永3年の火災で破損してしまったものを
同5年に修繕したということのようです。

時代のわりに比較的大型の印象です。
吽形はその災害の跡がまだ残ってしまっているのか、
身体の一部が欠損したままです。
2014.04.08.hirakawa14.JPG2014.04.08.hirakawa15.JPG
目玉がでかいのも印象的ですが、
普通に人間歯が並んでいて、とくに吽形は歯を見せて口を閉じているので、
子供がよくする「イーッだ!」ってしているみたいですね。

平河天満宮は皇居にも近く、永田町へも軽く徒歩圏内なのですが、
そのわりにどことなく庶民的な空気も漂う不思議な空間で、
取材中も近所で働いている人たちでしょうか、
何人もの人が訪れて喫煙しながら一休みしている様子が見られました。
2014.04.08.hirakawa17.JPG

(撮影日:2014年4月8日)


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大都会の近未来型神社!? [狛犬・寺社(東京都)]

東京都千代田区九段北、築土神社。
2014.04.08.tsukudo1.JPG
地下鉄九段下駅を出てすぐの場所という、
都心の一等地に鎮座する神社です。
が、非常に奥まった目立たない場所にあるうえに
すぐご近所さんが天下の靖国神社だったりするので、
地元の氏子さんや周辺で働く人たちを除けば、
まさに知る人ぞ知るといった存在ではないでしょうか。
もっとも寺社めぐりなどを普段からしている人々にとっては
けっこう有名かもしれません。
とくに狛犬については千代田区で最古と言われる子達が居るため、
その意味でも来訪する人間は案外居るのではとも思います。

しかし、ここがすごいのは狛犬の歴史だけではなく、
やはりその周辺環境と神社の様子そのものでしょう。

靖国通りから一本北側の街路が正面入口。
2014.04.08.tsukudo2.JPG
上の写真でも分かりますが、モダンなデザインのビルです。
このビル自体が社殿というわけではないですが、
敷地の1階部分が吹き抜けた通路で参道となっていて、
建物の裏手側にRC造の社殿が造営されています。

境内の詳細は公式HPをご覧頂ければと思いますが、
このビル建築と境内全体の様子は平成7年に
千代田区都市景観賞を受賞したそうです。

参道入口に狛犬がいますが、こちらは最古のほうではもちろんなくて。
2014.04.08.tsukudo3.JPG2014.04.08.tsukudo4.JPG
岡崎古代型のこの子達は平成6年建立。
同年に新社殿起工記念に奉献されたものです。

参道の様子。
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一般的な神社の参道イメージとは程遠い、都市型神社の典型。
いや、都市型という括りから見てもノーマルではない印象です。

2014.04.08.tsukudo6.JPG
参道にあてられているスペースの右側の通路はこのビルへの出入口。
普通にテナントビルになっているようで、取材中も人の出入が普通にありました。

そして参道の奥、社殿の手前に目的の狛犬発見。
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2014.04.08.tsukudo8.JPG2014.04.08.tsukudo9.JPG
安永9(1780)年建立。
千代田区指定有形民俗文化財となっています。

2014.04.08.tsukudo10.JPG2014.04.08.tsukudo11.JPG
阿吽の配置は通常通りですが、
阿形に角、吽形に宝珠が乗せられ、獅子狛犬の配置としては
逆さに制作されている感じですね。
安永年間となるとまだ狛犬の制作も普及しているというほどでもないため、
そのデザイン面にブレが生じたのかもしれませんが、
そうした様子も狛犬デザインの自由度の高さといえるでしょうかね。
2014.04.08.tsukudo14.JPG2014.04.08.tsukudo15.JPG
尾の様子も後の時代に見られる流麗なものではなく、尾立ちタイプ。
犬歯のような牙もありますが、人間歯の並びもあったりと、
尾も含めてどこか浪速の匂いを感じなくもありません。

2014.04.08.tsukudo12.JPG2014.04.08.tsukudo13.JPG
江戸中期の割には表情もかっちり造られていて、かなり厳つい感じがします。

狛犬に関するかなり詳しい案内がありましたので、詳細はそちらをご覧ください。
2014.04.08.tsukudo16.JPG

ここに限らずですが、狛犬の案内がある神社を訪れるとなんだか妙に嬉しくなります。
神社の中で空気になってしまっている狛犬たちは
その座っている正面に看板が立てられたりとか、
ぞんざいな扱いを受けることが少なくないのですが、
こちらは文化財指定も受けていますし、氏子さんや
地域社会に受け入れられ、大切に守られていることが伝わってきます。

狛犬の傍らに手水舎。
2014.04.08.tsukudo17.JPG

そして社殿の様子はこちら。
まず拝殿。
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拝殿は妻入りで屋根の様子などから住吉造っぽいかなと思いましたが、
本殿はいかにも神明造といったデザインに見えます。
2014.04.08.tsukudo19.JPG
で、公式HPによると住吉造と神明造の融合とのこと。
RCの社殿は他でも見かけたことがありますが、
ここのは古式のデザインを匠に取り入れて、
新感覚の社殿になっているといえるのではないでしょうか。
色使いも好感が持てます。

主祭神は天津彦火邇々杵尊。
相殿神として平将門公と菅原道真公という、
人神のツートップともいえる二柱が鎮座しております。
同社の由緒によると、もともと将門公を祀る神社だったようですが、
近代に入って明治政府(?)への遠慮から“便宜上”邇々杵尊を主祭神とし、
将門公を相殿としたということだそうです。
神社界にもいろいろありますね。

本殿の右から奥まった通路の先に社務所があり、
2014.04.08.tsukudo20.JPG2014.04.08.tsukudo21.JPG
そのひとつ手前の通路の先には境内社の稲荷社があります。
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2014.04.08.tsukudo24.JPG2014.04.08.tsukudo25.JPG
2014.04.08.tsukudo26.JPG
こちらは木造の社殿なんですが、
この稲荷社を撮影している時にランドセルを背負った小学生(低学年)数人が
境内奥にあって日の当たらない薄暗い場所に立つこの稲荷社にトコトコとやってきて、
みんなで拍手たたいて頭を下げ、お参りしていったのです。

付近のマンションなどで暮らしている子供たちなのでしょうか。
その様子があまりに微笑ましかったので、撮影しようかとも一瞬考えたのですが、
さすがにこのご時世でそんなことをこの周辺環境下でしようものなら
どんな誤解が生じるか分かったものではなかったので止めておきました。
子供たちはちゃんと笑顔で挨拶してくれたりと、
まったく擦れたところもなく、感じのいい子供たちだったんですけどね。

で、こちらは拝殿の片隅にあった力石とその由緒書き。
2014.04.08.tsukudo27.JPG2014.04.08.tsukudo28.JPG

稲荷社のあったのと反対側も通路として整備されていて、
本殿の脇から裏手(靖国通り側)のキレイな都市型広場に出ることが出来ました。
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北の丸スクエアというビルの一角で緑化された遊歩道や広場。
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その広場側から仰ぎ見た神社の様子はこんな感じ。
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手前のタワー型駐車場ビルとミスマッチな風景。

緑化の行き届いた遊歩道側から見るとこんな様子。
2014.04.08.tsukudo33.JPG
鎮守の森ならぬビルに守られて建っているといった様子ですね。

決して大きな神社ではないですが、
安曇野の田園風景のなかに大きな鎮守の森を持つ神社の様子を
当たり前に感じている身としてはある意味カルチャーショックで
今回の取材の中では最もインパクトの大きかった場所でした。

築土神社HP

(撮影日:2014年4月8日)


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