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火の見櫓(東京都) ブログトップ

神田小川町の悲しい出来事 [火の見櫓(東京都)]

2年前、東京で取材した神田消防署駿河台出張所と、
そこに立つ火の見櫓について取材し、記事をエントリーしたことがありました。

今月初旬、所用で東京へ出た際、時間の許す限りの取材をして廻ったのですが、
その延長線上にかつて取材した駿河台出張所があったので、
久しぶりということで再訪したわけなんです、が、、、、、

、、、、なんということでしょう!
2014.04.08.1.JPG
出張所のあった場所がまったくの更地になってしまっているではありませんか!

現場に立ち尽くし、しばし呆然。
すぐに“大人の事情”で解体撤去となったのであろうと察しましたが、
それにしても想定していなかった事態でしたのでビックリです。

2012.04.15.27.JPG2014.04.08.2.JPG
(駿河台出張所、ビフォアアフター・・・)

で、帰宅後に情報を検索かけてみたら、
出張所の移転はすでに一年前の平成25年4月の時点で実施されていたらしく、
麹町消防署九段出張所と、こちら神田消防署駿河台出張所の統廃合で、
現在は水道橋駅近くに三崎町出張所として立派な庁舎で
防災業務が継続されているということのようでした。

田舎に暮らしていると都会の情報に疎くなる、、、というわけではないですが、
とにかく惜しい建物と惜しい櫓を亡くしてしまいました。
鉄骨櫓がこの大都心の真ん中に残っていた事実が貴重でしたし、
昭和3年に建築された駿河台出張所はデザイン的にも洒落たところがあって、
関東大震災の教訓を活かして建てられているだけあって
耐震性能も現代の基準に照らし合わせても十分機能しているらしかったので、
まだしばらくは生き長らえるかなと思っていたので、残念でなりません。

2012.04.15.30.JPG2012.04.15.35.JPG
(在りし日の出張所建物正面の様子と裏手から見た櫓の様子・・・)

まあ、たしかに手狭感は否めないところなので、
三崎町の新庁舎が4階建てのビルディングであることを考えると、
機能面でやむを得ない部分もあるかなとも思わなくもないです。
が、、、、それでもなお、やはり残念でなりません。

グーグルマップのストリートビューを見ると、
少なくとも昨年の7月頃までは移転閉鎖後も建物は残っていたようです。
夏から冬の間に解体作業が実施されたということでしょうね。
もう今となってはどうでもいいことですが。

信州でも火の見櫓の解体話を最近あちこちから耳にしますが、
ほぼ全滅といっていい東京都心の火の見櫓もまた
同じ境遇にあるということですね。

2012.04.15.29.JPG2014.04.08.3.JPG
(ビフォアアフターぱーと2・・・)

いやホント、残念です。
合掌。。。。

(撮影日:2014年4月8日)



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京成線沿いに立つツートンカラー [火の見櫓(東京都)]

東京都葛飾区高砂2丁目の火の見櫓。
2014.04.08.takasago3.JPG

数日前、透明タペストリーのU1教授が
日帰りで東京に行かれた際、この火の見櫓を取材してきたそうで。
ちょうど自分も上京予定があったので、ついでとばかりに行って来ました。

京成本線高砂駅の至近にあり、
乗っている電車の窓からもハッキリ分かるほど。
画像は近所の陸橋から撮影。
2014.04.08.takasago1.JPG2014.04.08.takasago2.JPG

立っている敷地は天祖神社の境内になるようで、
参道に鎮座する狛犬とのツーショット写真も楽しめたりします。
2014.04.08.takasago9.JPG
(狛犬については別エントリーで報告します。)

ツートンカラーが目を引きます。
全体のデザインとしては4脚柱のスタンダードなタイプで、
大きさは踊り場が一箇所設けられた中規模クラス。
2014.04.08.takasago5.JPG
2014.04.08.takasago7.JPG

見張り台から上部とハシゴがオレンジ塗装で、その他が明るい緑。
どこかで見た色使いだなと思って記憶を辿ってみたら、
辰野町で見たのと使っている“色だけ”は一緒だった。
(辰野のほうはタワーは全体オレンジで、付属のスピーカーが明るい緑。)

下町とはいえ、東京23区内に残っている火の見櫓は貴重ですね。
この葛飾区以外には江戸川区など隅田川以東や
西部方面の郊外にはまだいくらかは残っているようです。

加速度的に撤去のすすむこの業界ですが、
この珍しいツートンカラーの火の見櫓は
ぜひ長生きしていただきたいものです。
2014.04.08.takasago4.JPG2014.04.08.takasago6.JPG

(撮影日:2014年4月8日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
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東京の火の見櫓、其の4(神田小川町編) [火の見櫓(東京都)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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今回の東京火の見櫓ツアー(本当の上京目的は別ですが。)の最後の観察スポット。

前述の東京の火の見櫓は構造的に建築物一体のものや
モニュメントとして近年新築された復元櫓だったりでしたが、
私たちが普段見慣れている鉄骨造のタワー型火の見櫓も
都心でも探せば残っていたりするもので。

2012.04.15.27.JPG

神田小川町にある、神田消防署駿河台出張所の火の見櫓。
施設の周辺ははるかに背の高いビルが密集していて、
おそらくかなり早い段階から火の見の用途はなくなっていたと思われます。
建物の屋上に固定されているとはいえ、基本は独立した櫓なので
解体しようと思えばいくらでもできたはずですが、こういうかたちで
都心のど真ん中に残っているのはある意味奇跡に近いかもしれません。

2012.04.15.28.JPG

まあどのみちホースを干すタワーが必要になるわけだし、
老朽化しているわけでもないから使えるうちはホース干し用に
残しておいてもいいでしょう、、、と、いう感じなのかなという気がします。
私たちの周囲にある消防団詰所に隣接する大半の火の見櫓に課せられた
現代の存在意義と同じような環境のようですね。

で、肝心の火の見櫓ですが。
建物の裏側寄りに立つため、正面よりこちらのほうがしっかり観察できます。

2012.04.15.29.JPG
2012.04.15.35.JPG

デザインとしては屋根が無い点を除けば、標準的な4本脚タワーの形状。

2012.04.15.31.JPG
2012.04.15.32.JPG
2012.04.15.33.JPG
2012.04.15.34.JPG

今回、運よく隣接のビルの踊り場に入らせてもらうことができたので、
火の見櫓を上部から観察することが出来ました。
この角度かつこの至近距離で拝める場所はそうあるものではないです。

構造は踊り場が1段あって、見張り台は四角型。
残念ながら半鐘は確認できませんでした。
いつ頃から立つものなのか、手元に情報がないので分かりませんが、
出張所の建物自体は昭和3年(1928)建築だそうですから、
まだ周囲に高層建築がなく火の見櫓としての機能を果たしていた時代が
確かにあったのだろうとはじゅうぶん推測できるところです。

一見華奢に見える建物も、耐震診断結果では現代の基準に当てはめても
十分性能は出ているそうです。関東大震災の教訓から相当頑強に造られたのでしょう。
デザインはシンプルですが、車庫や通用口の庇部分に建築当時の
さりげないこだわりのデザインが垣間見られます。
2012.04.15.30.JPG

広尾小学校や高輪の二本榎出張所のように歴史的価値を公の機関に
認められた建物ではないですが、大都会の真ん中に踏ん張って立つ姿を見ていると
思わず頑張れとエールを送りたくなるような気持ちになります。

今回の東京出張を兼ねた火の見櫓観察ツアーは雨降りで予定も大幅変更となり、
ちょっと残念な部分もありましたが、最後にこの小川町の消防署と櫓を見ることが出来て
ホッコリした気分で帰路に着くことができてよかったです。
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東京の火の見櫓、其の3(江戸川区新川西水門編) [火の見櫓(東京都)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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日本の火の見櫓の発祥は江戸の町というのが通説。
形状は様々、江戸時代は幕府の指図で今で言うデザイン規制もあったようですが、
囲い櫓(という表現が適切か知らないけれど)のタイプは、
なんとなく江戸の匂いを感じさせるものがあります。

東京の火の見櫓観察レポート。
3番目は江戸川区の新川西水門広場に立つ火の見櫓。
2012.04.15.23.JPG(後方の高架は首都高速。)

立派な木造の火の見櫓。
正統派の都市型(という表現も適切かどうか知らないけれど)の櫓ですが、
じつはつい2年ほど前に新築された、出来立てホヤホヤの櫓だそうです。
2012.04.15.22.JPG

傍らを流れる新川はかつて水上の「塩の道」とも言われていた要路。
数年前、耐震と親水を兼ねた護岸整備計画が行われる際、
地元で新しい江戸川の名所を作り上げようという声が上がり、
新川千本桜計画と銘打って、桜並木のある水辺環境と広場の整備が実施されました。

平成22年、一帯のモニュメントとして、高さ15.5mのかなり大型な火の見櫓が完成。
まあ正確には火の見としての実績があるわけでもなく、
今後もそうした使われ方をする予定もないでしょうけれど
火の見櫓とは言わないのでは?・・・などという野暮なことは言いません。
地域の新しいシンボルタワーとして親しまれる存在に育って欲しいと思います。

今回自分が所用のため東京に出かけたのは土曜日。
そしてこの火の見櫓は土日の10時~15時に内部見学で開放されているらしく、
これは絶好のチャンスとばかり意気込んでいたのですが、
荒れた天気と直前のちょっとしたトラブルのため、見学可能時間内の訪問が叶わず、
やむなく夕暮れ時になってから外観のみの観察となった次第。
2012.04.15.24.JPG
2012.04.15.25.JPG(桜並木、満開の時はいい景色でしょうね。)
2012.04.15.26.JPG(後方の橋桁が妙に気になる・・・)

実際に間近で見ると15mもあるような感じがしないのですが、
全体のボリュームが大きいのでそう感じるだけなのでしょう。

それにしても事前に内部の様子を写した画像などを事前にネットなどで見ていたので
生で内部見学できなかったのは、かえすがえすも残念。
まあ・・・仕方ないです。
今回は広尾小学校、高輪消防署二本榎出張所に引き続き、
また再訪したい火の見櫓の観察ツアーだったと思うようにします、はい。

江戸川区HP内(新川千本桜)

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東京の火の見櫓、其の2(高輪消防署二本榎出張所編) [火の見櫓(東京都)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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小学校の望楼の次は、消防署の望楼。

消防署といえば火の見櫓がつきもの、、、だったのは昭和時代までのお話。
通信技術と防災全般の時代的変化に呼応するかのように
町や村から火の見櫓が撤去されていくなか、
消防署付属の望楼とて例外ではいられず。

新しく建てられる消防署に火の見のための望楼が作られることはまずなくて、
古い建物からは順次撤去されているような有り様で。

で、そんな時代の流れにあって今なお望楼が残されているのがここ。
2012.04.15.9.JPG

東京消防庁高輪消防署二本榎出張所の火の見櫓。
いまは出張所に降格(?)しちゃってますが、
もとはここが高輪の本署だったようですね。
2012.04.15.10.JPG(なにせ文字が右からですし。)

建物は昭和8年に建てられた、ドイツ表現派の建築設計。
(ドイツ表現派または表現主義についての説明は面倒なので割愛。。。)
平成22年に「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。

2012.04.15.8.JPG(塔頂部のタワーは後付け。)

RC造3階建てで、3階の円形講堂の上に望楼が在ります。
ここは希望すれば内部見学が可能らしく、せっかくなので入ってみることに。
ベテラン署員の方が丁寧に応対して頂き、ざっと見学。
円形講堂内部はちょっとした消防博物館のような感じになっていて、
消防関係の古い装備具などが展示されていました。
消防署付近を撮った古写真や明治初年頃の古地図などもあって
ブラタモリ気分を味わった感覚。
2012.04.15.19.JPG(アーチ状の梁と窓の構成が美しい。)
2012.04.15.11.JPG(ガス燈。もちろん今は使ってません。)
2012.04.15.12.JPG
2012.04.15.17.JPG
2012.04.15.13.JPG(古い半鐘。立派です。)
2012.04.15.14.JPG
2012.04.15.15.JPG
2012.04.15.16.JPG
2012.04.15.21.JPG
(消防署といったらやっぱりこれっ、すべり棒! でも今はもう使ってないそうです。)

建物のある場所は海抜25mある台地の上で、
周囲に高層建築が出来るまでは海まで見渡すことができたらしく、
海上から望むと望楼は灯台のように見えたも伝えられ、
戦艦三笠を模したとも言われたその姿は「海原を行く軍艦」とも評されたそうです。

また写真は撮ってきませんでしたが、道路を挟んだ南隣には
警視庁高輪警察署があって、消防署員の話によれば昔の警察署の建物にも望楼があり、
当時は両者がツインタワーのような感じに見えて評判だったとのこと。

残念ながら肝心の望楼は一般公開されておらず、
急勾配の階段下からちょこっと見上げてみるだけ。
2012.04.15.18.JPG(この上が望楼)

署員の人も点検の時など以外は上がることはないそうです。

火の見ヤグラーでなく純粋に建築家の来訪も多いそうで、
自分もその筋のはしくれとして興味深く見学しましたが、
いかんせんその後のスケジュールのこともあってゆっくり過ごす事ができず、
ここも広尾小学校と一緒で再訪のチャンスを伺う事になりそうな。。。
2012.04.15.20.JPG

ちなみに火災予防週間などでは望楼のライトアップを行っているらしく。
これはライトアップのタイミングを狙って再訪、かな?

昭和50年代の建替え計画が持ち上がった際、保存活用を決めた経緯には
地域住民の保存に対する熱意の影響も少なくなかったといいます。
周辺には高層ビルも林立していますが、その存在感は抜群。
望楼をそなえた近代化遺産の建物はまさに地域のシンボルタワーですね。
2012.04.15.7.JPG

東京消防庁高輪消防署HP

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東京の火の見櫓、其の1(広尾小学校編) [火の見櫓(東京都)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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東京まで出張だった週末。
せっかくなので都内にある火の見櫓を観察しようと事前に情報を集めて
幾つか見て廻ることにしました。

合計で10箇所ほど調べていざ!・・・と意気込んでいたのに、
当日は時折強い風の吹き付ける冷たい雨。。。

傘をさしながらカメラを構えても、レンズに水滴がついてしまう具合で
なかなか思うような写真が撮れず。

それでも日頃、安曇野はじめ信州で目にするのとはまた違った光景に
触れることが出来、幾つかの貴重な火の見櫓を観察できました。

まず、小学校の屋上に立つ火の見櫓。
2012.04.15.1.JPG
JR恵比寿駅に近い、渋谷区立広尾小学校。
昭和7年に完成した建物で、当時は消防署が同居したことから
火の見櫓の役目を持つ望楼が設置されたとのこと。
2012.04.15.6.JPG
全体として近代化遺産としての要素を持っている建物で、
平成2年、東京都の歴史建造物に指定されて保存活用の動きが高まり、
平成12年、国の登録有形文化財になりました。
2012.04.15.3.JPG
2012.04.15.4.JPG
残念ながら小学校の屋上という特殊な場所なので間近に寄って見学できず、
付近の建物も外部の者が立ち入れる場所がなかったため
道路から見上げる姿しか観察できなくて。
2012.04.15.2.JPG
2012.04.15.5.JPG
(最後の一枚は近所の横断歩道の上から。でも遠くて厳しい・・・)

最近は学校も警備が厳しいようだけれど、平日の昼間に出かけたら
屋上へは上がらせてはもらえないだろうかなぁ。
(もし可能なら再訪問したい願望アリ。)

小学校と消防署の同居というのは当時は珍しくはなかったのかどうだか。
いづれにしても、その遺構がいまなお現役の状態でしっかりと残されているというのは
素晴らしいことだと思います。
歴史的な校舎というと木造ばかりが注目を浴びがちですが、
こうしたRC造のものでも趣きのあるものがけっこう残されているのですよね。

校舎と火の見櫓については広尾小学校のホームページに詳しい解説があるので、
そちらをご参照ください。
渋谷区立広尾小学校HP
(学校案内のページにある、“文化財としての広尾小学校”の欄。)
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